神山雄一郎(競輪)

アエラ「この人を見よ/HOMO IN SPORTS」より


●かみやまゆういちろう/1988年4月7日、栃木県生まれ。作新学院高から競輪学枚へ61期生そして進む。'88年プロデビュー。'89年新人王に。'98年賞金王2連覇達成、'98年の取得金額は1億万8382万2500円。アジア大会は'88年ポイントレースで銀メダル、'98年金メダル。178センチ、83キロ。胸囲104センチ。大腿61センチ。

シドニー五輪を目指し、ペダルを踏み続ける賞金王

 競輪選手たちが入退場をする「敢闘門」で、神山雄一郎(30)は自転車と自らの体に塩を撒き、レースを待っていた。門が開いた途端、塩は北風にあおられ、バンクに吸い込まれていった。
 優勝賞金7000万円をかけて争った競輪グランプリ(12月30日、東京・立川)では、4年連続の2位に終わったものの、賞金王タイトルは手中にした。グランプリで着ていた黒と金色の派手なウエアに、あの時に見た白地に日の丸の簡素なユニホーム姿はなかなか重ならない。
「アジア大会の影響? いいえ全然ありませんでした。完璧な仕上がりで臨むことができましたので」
 わずか2週間前、受けていたのは北風ではなく、湿った熱風だった。
 プロが初参加したアジア大会('98年12月、バンコク)のスプリント競技に出場し、金メダルを獲得。その際、会見で口にした言葉が今も耳に残る。賞金王のためなら、アジア大会ゆえに一カ月も国内レースを遠ざかることは得策とは言えないはずだ。
 しかし、神山はあえてアジア大会に出場することを選んだ。その理由を知りたかった。
「カネではなく、名誉のために戦ってみたかった。自転車が好きだから、ここに来たんです。しがらみだとか、賞金王争いにマイナスだとか、そんなことは考えていません」
 世界のトップクラスと戦いたい、彼らに勝って、賞金王と同じ、しかしまったく質の異なる名誉を手にしたい。賞金は、競技者としての純粋な欲望まではかなえてはくれない。アジア大会出場は、その心意気から踏み出した、夢への第一歩だった。
 スポーツ界では、プロがアマに勝つのは当たり前と言われる。しかし、欧州を中心に長い歴史と、競技人口を誇る自転車界にあっては、プロがアマに勝つのは難しい。
 国内なら年間2億円をたたき出す競輪賞金王といえども、国際競技としての「KEIRIN」では、苦戦を強いられるわけだ。
 来年に追ったシドニー五輪では初めて同種目も採用される。日本のお家芸と言われているが、やはりメダル獲得は厳しい状況にある。
「競輪は重点種目だが、極めて厳しい戦いだ。しかし、神山のような選手に、若手も賛同してきていることも事実。何とか強化していきたい」
 アジア大会で監督を務めた斑目秀雄氏はそう話す。神山はアジア大会前、自転車連盟が招聘した外国人コーチ、ウェスト氏(豪州)のさまざまな助言、それこそアップの仕方に至るまで真摯に耳を傾けていたという。
 成果は目に見えた。準決勝では、条件のいいバンクではないにもかかわらず、自己記録を大幅に更新するベストをマークした。同コーチも「神山だけでなく、プロサイクリストたちは、限りない可能性を持っている」と、シドニーへ期待を寄せる。
 賞金王からさらに高みを目指そうという「挑戦」は、30歳の選手にとって楽なものではない。しかし先行し、自ら風を受け、他の選手をリードし、ゴールに飛び込む。神山ならそれでも走り切るはずだ。

AERA・'99.1.18号より再録)

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