丹波幹雄(野球)

アエラ「この人を見よ」より


●たんばみきお/1974年9月30日、神奈川県生まれ。並木フェニックス、横浜中央リトル、金沢シニアと投手でプレー。横浜高に入学後、ケガで途中退部。右投げ右打ち。身長193センチ、体重95キロ。

プロの世界に飛び込むクラブチーム出身投手

 ドラフトでもっとも注目を浴びた超高校級投手、松坂大輔(横浜高校)、新垣渚(沖縄水産)が指名を受けてから、すでに5時間が経過していた。
 横浜市にある団地の居間では、丹波幹雄(24=ウィーンベースボールクラブ、投手)、父・秀治さん、母・裕子さんの3人が、こたつの上に置かれた電話を黙ったまま見つめていた。息苦しい沈黙を破った電話のベルに、丹波は唇をかんで正座をし直し、受話器を取り上げた。
「はい、本当にどうもありがとうございます」
 ヤクルトから最下位指名(8位)の連絡を受けると、大きな溜め息と、両親の小さな拍手が交差した。
 今年のドラフト指名75人のうち、たった1人の「クラブ選手」である。クラブ選手自体の指名も、全足利だった小倉恒(現オリックス)以来じつに6年ぶり、全国にはこうしたクラブチームが約200ある。高校生、大学生、社会人の野球環境とはまったく違う。チーム最年長は58歳、下には野球部を辞めた高校生たちもいる。
「チームとして練習ができるのは週1度だけになります。ですから、自分で時間をやりくりし、どうすればもっと向上できるかを綱に考え続けないとなりません。クラブでは、やらされる野球ではだめなんです」
 専用グラウンドはない。練習場が決まるのはいつも直前。千葉から静岡、「野球のできる日曜日」を求めて、クラブはどこまでも遠征をする。
 松坂と同じ横浜高校で将来を嘱望された投手の1人だった。しかし練習過多などが災いし右ひじのネズミ(遊離軟骨)に苦しみ2年で退部。二度と野球をするつもりはなく、道具はすべて、グラブに至るまで処分してしまった。代わりに、4つ下の弟・慎也君が横浜のエースに急成長しプロを目指す。未練はもうなかった。
 3年前の夏、投球に悩む弟に気分転換をさせてやろうと、グラブを借りて2人で公園でキャッチ・ボールを楽しんだ。
 それから2週間後、慎也君が急性心不全で死去した。
「アイツが残したグラブをはめたとき、本当に驚きました。自分でもなかなか作れないのに、指の感覚から何からすべてがピッタリのグラブだったんです」
 そのグラブをはめ、知人の紹介でウィーンに入った。日曜日、1試合のために海外からトンボ返りするような会社員、年齢に関係なく技術の向上や何より勝負にこだわる元ノンプロ選手。環境とは裏腹に、野球を愛する仲間は、弟を失い、一度は野球を捨てた丹波の心を、無言で立ち直らせた。ひじの手術を受け、昼は仕事をし、夕方からは公園のネットに向かって1人で約150球投げ込む。193センチの長身から伸びるストレート、スライダーがヤクルト関係者の目に留まった。
 契約金はない。
「やっと夢の入り口にたどり着いたに過ぎませんから。焦らずに鍛錬したいです」
 プロに入るという弟の夢は継いだ。しかし終わりではない。クラブ出身者がプロで活躍する──丹波には仲間のそんな夢も託されているはずだ。

AERA・'98.12.7号より再録)

BACK