佐藤有香(フィギュアスケート)

アエラ「この人を見よ」より


●さとうゆか/1973年2月14日生まれ。東京都出身。'89年世界ジュニア選手権で優勝。'91年に法大に進学し、カナダへ留学。'92年スケートアメリカで日本人初優勝。'92年オープンフィギュア選手権2位。

ペア転向で新たな境地に挑む

 調べてみたが、ペアからシングルに転向した例はあっても、シングルからペアに転向したトップスケーターはいなかった。
 佐藤有香(25歳)はその難しい転向にチャレンジするのだという。
 長野五輪にも出場したジェーソン・ダンジェン(31歳)と来夏結婚することを、このほど明らかにした。しかし、結婚より目に留まったのは「2人は今後ペアを組む」──その一文だった。
「5歳からスケートをしていますが、本当はずっとペアをやりたかった。同じスケートなのに、へー、こんなに違うんだ、と、今は新発見の連続なんです」
 アメリカ・ミシガンとつないだ国際電話で、佐藤の声は弾んでいるようだった。
 ジャンプの伊藤みどりに対して、表現力と正確な基礎を武器にした佐藤は、アルベールビル(7位)、リレハンメル(5位)両五輪で時代を築いた。'94年、世界選手権で優勝し同年プロに転向。以後はアメリカを拠点にプロ選手権で優勝するなど、アメリカで親しまれ活躍を続けている。
 ダンジェンとは、同じマネジメント会社に所属しており、交流はあった。しかし、彼が日系人のキョウコ・イナとのペアを解消したことから、競技の上でも、さらには人生でもペアを組むことになった。
 父・信夫さん、母・久美子さんともに元全日本チャンピオンで、コーチでもあった。
「親子でやることも難しい面はあるのですが、パートナーとリンクの上でもペアを組む難しさって比べものにならないんですね。いつも一緒だから、逆に婚約なんて甘い感じではなくて、ケンカばっかりなんですよ」
 ケンカ、という言葉にもどこか明るさが漂ってしまうのだが。
 ペアからの転向はあっても逆がないのは、それが極めて難しいからである。1人ならジャンプで失敗しても「自分」が痛い思いをするだけですむ。しかし、ペアではジャンプ、リフト技と、すべてで相手を巻き込む。一瞬の気の緩みは想像もできない大ケガを招くという。
 ダンジェンがイナとのペアを解消したのも事故が原因だった。ジャンプしたイナが、ひじをたたむタイミングを逃したために、受けとめた際に頭を強打。何と頭蓋骨骨折の重傷で世界選手権を欠場した。
 今年5月からペアの練習を始めたが、最初は知らぬうちに打撲ができていたり、相手のウエアとの接触でかすり傷を作った。手をつなぎ一見優雅に滑走しているのだが、2人分の遠心力の強さには味わったことのない恐怖感がある。緊張と不安。それでも、心をひとつにして観客や審判にアピールするのが楽しくて仕方がないという。
 11月中旬、フロリダでの大会でペアデビューを目指す。すでにグリーンカード(永住許可証)も取得。プロとしてアメリカで本格的な活動をしたいそうだ。アメリカを拠点に成功する、数少ない日本の女子選手でもある。
「フィギュアの世界で25歳からなんて遅すぎると言われる。でも彼とは不思議なくらいテンポが合うんです」
 調べてみたが、25歳で転向した例もなかった。ペアのデビューは、ローリングストーンズの曲で軽快に滑る。

AERA・'98.11.16号より再録)

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