講談社担当編集者より


講談社現代新書
ゴールキーパー論

2001年2月20日発売
講談社刊 236ページ
定価:本体680円+税
ISBN:4-06-149539-9

「防御こそ最大の攻撃」──。サッカーから水球まで、最高峰でチームを支える守護神たちの「肉体と精神」「栄光と孤独」を語り尽くす。

 サッカー、ハンドボール、ホッケー、アイスホッケー、水球――種目は違ってもゴールキーパーってけっこう共通点があるんじゃないか、とは思っていました。しかし予想以上! 増島さんの隣で日本を代表する「守護神」たちの話を聞いていると、面白いなんてものじゃない。目からウロコの連続です。たとえば――。

 コンサドーレ札幌のJ1昇格が決まったとき、正GKの佐藤洋平選手が「この喜びを誰に伝えたいですか」と聞かれて、迷わず「GKコーチのディドさんにありがとうを言いたい」と答えたそうですが、そのディド・ハーフナーさんは、普通の手袋をつけると違和感がある、と言います。なぜかというと、あちこちを骨折していて、40年間もゴールを守っているうちに手や指が変形してしまっているんです。見せてもらうと、いつでもボールを包むような形になっている!
 今回サッカー日本代表のユニフォームが新しくなって、GK用は胸と腕のところに滑り止めのラバーが付いたというニュースがありましたが、グローブにはずいぶん前から手のひらの側にラバーがついていました。では、GKが素手で守っていた時代、滑り止めのために彼らは何を使っていたのでしょうか。その「あるもの」は、ヨーロッパと南米とでは違います。答えは――本書の中でディドさんが答えてくれています。お楽しみに。

 スポーツ好きの明石家さんまが、「それだけはやりとうない!」と怖れているのがハンドボールのGK。それはそうです。ほぼ丸腰なのに、至近距離から時速140kmのボールがビュンビュン飛んでくるのですから。これで世界レベルの実力を誇り、いまドイツ・ブンデスリーガで活躍している守護神が、橋本行弘さん(所属は本田技研)。GKというポジションを野球でたとえると、たぶん捕手だろうと思うのですが、彼は「バッターだ」と言います。コースを読んで、ボールに向かって当たりに行く、というのです。凄いですね。彼は哲学者のように、「私は、いかに空間を占有するかを常に考えています」と静かに語る。思わず引き込まれますよ。

 丸腰のハンドボールと正反対に、人間装甲車のごとく武装しているのがホッケーとアイスホッケーのGKですね。どちらも、防具一式の総重量は10kgを超える。そんな鎧を付けて時速160〜170キロのパックやボールに対応するというのだから大変です。ところが、そのイメージに反してアイスホッケー日本代表のGK、日光アイスバックスの春名真仁(まさひと)選手の構えは華麗そのもの。蝶がきれいに羽を広げたような姿なのです。そのスタイルを直伝したのは、あのNHLの名GK、パトリック・ロアを育てたカナダ人の名コーチ。その理論はとても合理的です。早大理工学部を卒業して「氷上の科学者」とも呼ばれる春名選手の解説はとてもわかりやすい。
 アイスバックスと言えばご存じの通り、いままた(雪印とともに)チーム存続の大変な危機に立たされていますが、春名さんはあくまで前向き。「GKは前しか向けませんから」というジョーク(このジョークの意味わかりますよね)で、さらりと応えます。そのスマートでやさしい言葉に増島さんも思わずほろり。

 ホッケーの高橋潤選手(表示灯)、彼がまたいい男なんだ。去年の3月、シドニー五輪出場をかけた予選での、ぎりぎりのところで出場は逃したけれど、あの日本の奮闘を憶えておられる方も多いでしょう。その予選で大会最優秀GKに選ばれたのが高橋選手でした。野球の硬球よりもはるかに固いボールが、これまた至近距離から(シューティングエリアと呼ばれるはんエリアからのシュートでないと得点にならないのだから至近距離からのシュートしかないんです!)時速170キロでズドン、ズドン飛んでくる。これを「ボール」と呼んでいいのかどうか?? 弾丸ですね。それをあるときは宙に飛び、あるときはサッカーのように足を使って、抜群の反射神経で止めまくる、というより弾き飛ばす。

 GK論を語るときの要素として、増島さんが注目している非常に重要なポイントが「道具(防具)の進化が戦術を変える」ということなのですが、高橋さんの章でも、とても面白い話が出てきます。ここでは「ドラえもんの手」とだけ言っておきましょう。
 水球をマイナースポーツなどと思ってはいけない。アメリカ西海岸では「キング・オブ・スポーツ」と呼ばれ、ハンガリーやロシアなどの東欧諸国では競泳よりもメジャー、あの無敵艦隊の国スペインでは国技並みの人気スポーツなのだそうです。そのスペインへの留学経験を持つ日本代表GK、水谷真大(まさひろ)選手(明大附属中野中・高等学校教諭)も超人でした。彼が立ち泳ぎを始めると、体がどんどん上がってきて、ヘソの上あたりまで水面の上に出てきます。そこまでは水球選手なら当たり前として、彼の場合は水面に二つ、きれいな渦巻きがスーッとできてくる。ええっ? 世界でも珍しい足技だそうです。
 ジャンプをすれば、スイミングパンツは全部、水面上に現れる。まるでフリッパーじゃないですか。で、水球の練習はキャッチボールから始まるのですが、水谷さんはあの大きなボールを40mも投げ、しかも30mくらいまでならピンポイントで投げられる。これは取材のこぼれ話ですが、「投球練習」では、「トルネード!」とか言って、野茂英雄の真似をしたりして遊んでいるとか。えっ? と聞くと、「ちゃんと右足を前に、左足を後ろにして(彼はサウスポー)、足で蹴らなきゃ長い距離は投げられませんよ」。おいおい、水は地面と同じなのか? どこかテレビで「水上ストラックアウト」をやってくれないでしょうか。もう一つ、水は大切な「防具」でもあります。その理由は本を読んでください。

 ずいぶん長くなってしまいましたが、以上はごくごく一部。サッカーとアイスホッケーの、本邦初「異種GK対談」も大興奮、話は弾みに弾んで、3時間があっという間でした。
 締めは冒頭に続いて、われらがシゲこと松永成立さんの登場です。あれだけの選手の引退にあたって、まとまったインタビューを読みたいと思っていた方はかなり多いのではありませんか。たっぷりと読んでいただけます。サッカーにさほど関心のない方でも、最後にしみじみと感動します。もちろん安っぽいドラマなどではなくて、心の琴線に触れます。
 たしかにGKは地味で苛酷で孤独で責任ばかり重いポジションではある。しかしピッチやコートやプールの最後方からゲーム全体を支配しようとする彼らの姿勢はポジティブそのもの。FWよりも攻撃的なのです。「防御こそ最大の攻撃」という増島さんの言葉が決してレトリックではないことが納得できる。しかも頭の回転も含めれば、GKがもっともスピード感あふれるポジションなのではないでしょうか。
 増島さんの取材もすごかった。シドニー五輪の取材と執筆とをあれだけこなしながら、フランクフルトへ、北海道へ、広島へとフル回転。『シドニーへ 彼女たちの42.195km』に続いて本書を書き終えたあと、電話がかかってきました。「パソコンが壊れちゃいました」。
 ぜひぜひお読みください。スポーツが10倍、いや何十倍も面白くなること、請け合いです。


各誌の書評より

講談社 週刊現代 2001年3月10日号
■現代ライブラリー
話題の本の著者を直撃

 キーパーは、ただ守っているのではない。むしろ、常に攻めているのだ──。'94年のサッカー・ワールドカップアメリカ大会に出場したゴールキーパーの多くが、自分のポジションについてこう表現していたことが印象的でした。
 彼らのそんな“思想”に興味を抱いたのが、この本を書いたきっかけです。
 サッカーに限らず、ホッケーやアイスホッケー、ハンドボールや水球といった他のスポーツのゴールキーパーにも通底するのではないか。そう思って、世界で戦った経験のある、さまざまな分野の6人のキーパーを取材しました。
 ゴールキーパーを、いわば“横軸”で見てわかったのは、やはり誰もが「防獅こそ、最大の攻撃なり」という意識をもっていたという事実です。普通、観客はチームが劣勢になればなるほどキーパーの活躍の場が増える、と思っています。でも、彼らの誰一人としてそこにやりがいを求めているわけではない。シュートを打たせないために相手の行動を読み、どんな戦術を立てるか。その詰め将棋のような過程にこそスリルがある、といいます。それはほとばしるような激しい攻めの精神であり、絶えず自分がゲームを支配し続けている、という意識です。ヨーロッパでは、スポーツにおいては「ゴールキーパーこそが戦術の中心である」と広く認知されています。サッカーでは「もっとも運動能力があり、責任感のある人」と、他のポジションではなくキーパーにだけ条件を明示した指導書もあるくらいです。
 サッカーについては、京都の松永成立(まつながしげたつ)と札幌のディド・ハーフナーの両コーチに取材を試みました。人一倍の経験を積んだ彼らにしか語れない側面があるはずだ、と考えたからです。
「フォワードは99本シュートを外しても1本決めればヒーローになれる。でもゴールキーパーは、99本守っても1本ミスすればそれで“負けた”といわれるポジションだ」と、松永はその想像しがたいほどの厳しさを表現しました。
 彼らは例外なく、じつによく練習します。一番早く来て、一番遅く帰っていく。どの競技でも、もっとも長くグラウンドにいるのはゴールキーパーです。練習の内容といえば本当に単調なもので、たとえば左右に100回ずつ滑り込むキャッチングを延々と続けるのです。
 ディドは、攻撃的なポジションの選手たちが「違和感がある」という表現をよく使うことに対して、「自分たちの感覚とはかなり違っている」といいます。「ゴールキーパーはそれでも練習をやろうとする。ひとつのミスが負けにつながるなかで90分集中するのは容易ではないし、そのためにはいい練習を積まなければならない。その忍耐力はあると思う」とも。
 そうした積み重ねの結果なのか、そのポジションを選んだ資質ゆえなのか。彼らにインタビューしていて終始変わらなかったのは、「安心感」や「静けさ」といった印象でした。
 そんな人間性の部分にも共通項があるかもしれない。私が感じるスポーツの最大の魅力とは、選手たちがつねに現状打破を志向している点です。絶対に停滞しないし、まして後ろは振り返らない。振り返るそぶりすら見せません。スポーツはスピードの追求であり技術の追求であって、絶対に停滞しない。その意欲のもとに繰り広げられるプレーは、もうただそれだけで面白い。いまはスポーツに対して講もがドラマを求めます。「復活までの苦闘」などと好んでいいますが、私個人としては「ドラマが見たければテレビの連ドラを」と思います。どきに1000分の1秒を争うスポーツの超リアリティの世界は、それだけですでに完結しているし、もう十分に見応えがある。
 本書では6人への取材を通して多角的、複眼的にゴールキーパーというポジションを描きました。2002年のワールドカップも含めて、新鮮なスポーツ観戦の提案になれば、と思っています。

ベースボールマガジン社 週刊サッカーマガジン 2001年3月28日号
■Before the whistle
 Jリーグのオフィシャルサイト上だが、GKの「防御率」が表彰対象になるらしい。どちらかと言えば、「日陰の身」に置かれてきた職人たちの励みになればいいと思う。GK出身の元Jリーガーの話によれば、各チームのGKに対する「査定」は曖昧な場合が多く、さらに欲求を表に出さない選手が多いため、年俸も抑えられがちなのだそうだ。
 古典的集団フットポールが英国で学校スポーツになり、「チーム」の人数が半自然的に定められていく流れの中で、キーパーは、10人の生徒たちに加わる教師の役目だった。それ以前は複数の下級生が「ゴール」に並ばされたが、当時はゴールを守るという概念自体がなく、それは一種のいじめのようなものだったのではないかと、『ゴールキーパー論』(増島みどり著/講談社)は指摘する。そうした史実をふまえ、ゴールの住人を見るのも、味がある。
 サッカーのほか、アイスホッケー、ホッケー、水球のGK像に感陛豊かに迫った好著を手に、今シーズンはGKを見つめてみたい。(伊東)