1999年9月8日

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キリンチャレンジ'99
 日本代表×イラン代表

(横浜国際総合競技場)
天候:晴れ、気温:28度、湿度:64%
キックオフ:19時2分、観衆:35,860人

日本代表 イラン代表
1 前半 1 前半 0 1
後半 0 後半 1
10分:奥 大介

ダエイ:68分

先発
GK 1 川口能活 GK 1 ハディタバタバエイ
DF 5 秋田豊 DF 3 ザリンチェ
3 相馬直樹 14 ハラリ
4 森岡隆三 8 ハメダニ
22 中澤佑二 MF 9 エスティリ
MF 18 福西崇史 17 イマミファー
19 三浦淳宏 6 ハシェミナサブ
7 伊東輝悦 7 マジディ
16 奥大介 13 ヤズダニ
FW 11 呂比須ワグナー 2 マハダビキア
9 城彰二 FW 10 ダエイ

交代
46分:服部年宏(秋田豊)
46分:澤登正朗(福西崇史)
46分:柳沢敦(呂比須ワグナー)
63分:久保竜彦(城彰二)
79分:中西永輔(森岡隆三)
ベジク(マジディ):88分

試合データ
日本   イラン
7 シュート 11
11 GK 5
4 CK 9
12 直接FK 14
13 間接FK 2
13 オフサイド 2
0 PK 0

 日本のフル代表にとって今年最後のAマッチは、97年のアジアW杯最終予選以来2年ぶりのイランとの対戦となった。
 日本は前半10分、奥(磐田)のミドルシュートが、完全にゴール枠からは外れていたものの、相手DFの足に当たって方向が変わりゴールとなるラッキーな得点で先制(公式記録では奥の得点)。しかし攻め手を欠いて、前半のシュートはわずかに3本。うちセットプレーを除けば1本という寂しさで後半を迎える。

 後半には、DF秋田(鹿島)に替え服部(磐田)を、また中盤には澤登(清水)を起用し、前線には呂比須(名古屋)に替えて柳沢(鹿島)を投入し流れを変えようと試みた。しかし、DF、中盤、FWそれぞれが連携するためのコンビネーションをまったく取れておらず、自分たちのリズムがつかめぬままに、前線がズルズルと後退してしまい、イランペースになってしまった。
 後半16分、遅いリズムを展開しようとしたGK川口が、イエローカードをもらう。23分には、コンビネーションの悪さを象徴するかのように、川口がシュートに飛び出しこれをキャッチングした瞬間、ペナルティエリアを出てしまう初歩的なハンドで、フリーキックを与えてしまった。
 この試合、1人で7本ものシュートを打つなど、「自分は、2年前の雪辱を喫していた」と話していたFWダエイがこのフリーキックを決めて同点に。試合はそのまま、イランペースで進み1−1の引き分けに終わった。MVPはダエイが獲得。
 昨年、トルシエ監督が指揮を取った初試合(10月、エジプト戦)から1年、99年を締めくくる試合としては、消化不良の感が否めないゲームとなった。

イラン/プールヘイダリ監督「今回のチームは非常に若い選手たちを連れてきているし、試合までに練習できたのはわずかに3日だった。それを思えば、本当にいい結果だったと思うし、急編成されたチームがここまでできたことはイランのサッカーにとって明るい。日本のレベルは予想通り高かった」

トルシエ監督「私自身、色々と教訓になった試合でもある。今年の最優先はもちろん五輪代表であり、A代表は(現時点では)実験室のようなもの。1−1の結果は決して悪くない。とてもいい時間帯もあったし、非常に弱い点もあった。負けた試合だったかもしれないのを、同点にした、ということは評価している。2年前のイラン戦と比べても同レベルにあると私は思っているし、今、チームに対してプレッシャーを多くかけるのはよくない。結果も経過も予想していた通り、驚きもないし、心配もしていない」

2002年強化推進本部・釜本本部長「この試合にかけよう、という意欲がなかった。奥や、三浦がボールを持っても、前に出すところがない。前半の呂比須は立っているだけだったし、まるでノロノロ電車のような動きだった選手もいた。FWがどういう仕事をしなくてはいけないのか、くさびになってプレーすることもあるがもっとゴールに向かわなくてはいけない」

サッカー協会・岡野会長「昨日の試合(五輪代表韓国戦)と、今日の試合を見た方には、それぞれと、色々なご意見が出ると思う。この時期にこういう試合を(急造で)やったのだから、こうなってしまってもある程度仕方ない面もあったのではないか」


「どこにいるのかわからなかった」

 自分でボールをキャッチした途端に、エリアを出てしまったという、珍しいミスをした川口は、試合後、報道陣に囲まれると苦笑いをして、前半に切った右の耳を触った。
 あの場面でフリーキックを与えてしまったことをまず反省し、「フリーキックを与えたことがまずい。ああいう場面でしてはいけないミスだったが、ボールしか見えておらず、ラインが見えていなかった。着地しても、(まだ)自分がどこにいたのかがわからなかった」と、決定的なシーンを振り返っていた。

 ゴールキーパーのミスとしては、致命的なものではあるが、一方で、このときのDFの動きにも注目しなければならない。
 後半、若い森岡がラインをコントロールすることになったが、服部、森岡、相馬の組合わせで長時間守備することは、この1年なかった。そのため、声がまったく出ておらず、互いのコーチングはほとんどできなかった、と、選手も試合後反省を口々にしている。
「中盤と、DFの距離がどんどん開いてしまった」(奥)、「特に後半は、意志の疎通というものをまったく欠いていた」(伊東)といった声もあるように、川口が「どこにいたのか分からない」と無防備になったのも、この瞬間、川口同様に全員の目が空中にあったためで、誰も簡単にクリアをできる状況にあったことをコーチングできなかった。

 同様に、その森岡自身が右足を故障し、倒れていた3分間にも、川口が後方から「出せ」と怒鳴っていたにも関わらず、プレーを続け、ダエイを中心に逆襲される危ない場面もあった。このときにも、中盤まで声が、あるいは意志が届いていないことを象徴していた。
「代表のレベルはやはり当たりや集中力の面でも違ったと思う。普通ならば抜かれないはずのポジショニングでも、抜かれてしまった」と中澤も、五輪との格の違いを肌で感じていたようだ。

 もちろん、トルシエ監督の言う通り、現時点は移行期であり、「今は移行し、次のアバンチュールを(挑戦を)待っている段階」という期間ではある。試合後、監督は、「これですべてのテストが終わったということを示しているし、来年1月には何か(大体的なチーム編成)をしなくてはならない。選手のレベルはここまで、という人もいるし、まだこれからの人もいる。それを口にすると(個人が)意気消沈してしまうので、言いたくない」と、すべての「実験」が終わったことを示唆した。しかし、1年の実験そのものの方向が正しかったのかも、今は不明だろう。
 この1年、代表合宿に一度でも収集された選手の数は、じつに40人を上回っているはずだ。イランの監督は、「急造チームでも、こうして統一した結果を得られた」と言う。2年前戦ったチームからわずかに4人が残るだけだが、イランの「しぶとさ」という持ち味は急造でも随所に見られた。
 日本代表はジョホールバルを経験した選手が、この日5人。あの時の日本の持ち味は、どこかに効いていただろうか。

 1年にも及んだ「長期実験」で監督が得たデータと、選手が失ったもののバランスは今後どう均衡を保つのか。それが今後、そして2002年を戦う上での重要なファクターになる。

シュートわずかに2本だった「(釜本強化部長の論評に)FWは点が取れなければダメですから、仕方ないと思う。後半バテました。そして全体的に動きが悪く、ズルズルと終わってしまったようなゲーム。ヘディングなど、いい場面もあったんですが……」

先制点の「運が良かっただけです。前を向いて適当に打ったら入ったんです。FWと中盤の距離がどんどん開いてしまっていた。相手のパワープレーには完全に押されていた」

交替で入ったがシュートは打てなかった柳沢「コンパクトにしようという意識があったのだが、できなかった。ヘディングなどはイランには初めから敵わないと思う。とにかく相手のプレッシャーはものすごくきつかったです」

フル出場の伊東「疲労で運動量が落ちてしまった試合。両サイドの上がりがないことで、どんどんと後ろに後退していたし、それを修正できずに終わったことが悔しい」

右足のふくらはぎ部分のけいれんで途中退場した森岡「自分が代表に出てからまだ一度も勝ったことがなかったので、今日はとにかく勝ちたかった。しかし、どうしてもラインが下がってきてしまった」


トルシエジャパン(A代表)これまでの戦績
試合日 対戦相手 スコア 得点者
1998.10.28 エジプト 1−0 中山
1999.3.31 ブラジル 0−2  
1999.6.3 ベルギー 0−0  
1999.6.6 ペルー 0−0  
1999.6.30 ペルー 2−3 呂比須、三浦
1999.7.3 パラグアイ 0−4  
1999.7.6 ボリビア 1−1 呂比須


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