1999年9月8日 ※無断転載を一切禁じます キリンチャレンジ'99
後半には、DF秋田(鹿島)に替え服部(磐田)を、また中盤には澤登(清水)を起用し、前線には呂比須(名古屋)に替えて柳沢(鹿島)を投入し流れを変えようと試みた。しかし、DF、中盤、FWそれぞれが連携するためのコンビネーションをまったく取れておらず、自分たちのリズムがつかめぬままに、前線がズルズルと後退してしまい、イランペースになってしまった。 イラン/プールヘイダリ監督「今回のチームは非常に若い選手たちを連れてきているし、試合までに練習できたのはわずかに3日だった。それを思えば、本当にいい結果だったと思うし、急編成されたチームがここまでできたことはイランのサッカーにとって明るい。日本のレベルは予想通り高かった」 トルシエ監督「私自身、色々と教訓になった試合でもある。今年の最優先はもちろん五輪代表であり、A代表は(現時点では)実験室のようなもの。1−1の結果は決して悪くない。とてもいい時間帯もあったし、非常に弱い点もあった。負けた試合だったかもしれないのを、同点にした、ということは評価している。2年前のイラン戦と比べても同レベルにあると私は思っているし、今、チームに対してプレッシャーを多くかけるのはよくない。結果も経過も予想していた通り、驚きもないし、心配もしていない」 2002年強化推進本部・釜本本部長「この試合にかけよう、という意欲がなかった。奥や、三浦がボールを持っても、前に出すところがない。前半の呂比須は立っているだけだったし、まるでノロノロ電車のような動きだった選手もいた。FWがどういう仕事をしなくてはいけないのか、くさびになってプレーすることもあるがもっとゴールに向かわなくてはいけない」 サッカー協会・岡野会長「昨日の試合(五輪代表韓国戦)と、今日の試合を見た方には、それぞれと、色々なご意見が出ると思う。この時期にこういう試合を(急造で)やったのだから、こうなってしまってもある程度仕方ない面もあったのではないか」
「どこにいるのかわからなかった」 自分でボールをキャッチした途端に、エリアを出てしまったという、珍しいミスをした川口は、試合後、報道陣に囲まれると苦笑いをして、前半に切った右の耳を触った。 ゴールキーパーのミスとしては、致命的なものではあるが、一方で、このときのDFの動きにも注目しなければならない。 同様に、その森岡自身が右足を故障し、倒れていた3分間にも、川口が後方から「出せ」と怒鳴っていたにも関わらず、プレーを続け、ダエイを中心に逆襲される危ない場面もあった。このときにも、中盤まで声が、あるいは意志が届いていないことを象徴していた。 もちろん、トルシエ監督の言う通り、現時点は移行期であり、「今は移行し、次のアバンチュールを(挑戦を)待っている段階」という期間ではある。試合後、監督は、「これですべてのテストが終わったということを示しているし、来年1月には何か(大体的なチーム編成)をしなくてはならない。選手のレベルはここまで、という人もいるし、まだこれからの人もいる。それを口にすると(個人が)意気消沈してしまうので、言いたくない」と、すべての「実験」が終わったことを示唆した。しかし、1年の実験そのものの方向が正しかったのかも、今は不明だろう。 1年にも及んだ「長期実験」で監督が得たデータと、選手が失ったもののバランスは今後どう均衡を保つのか。それが今後、そして2002年を戦う上での重要なファクターになる。 シュートわずかに2本だった城「(釜本強化部長の論評に)FWは点が取れなければダメですから、仕方ないと思う。後半バテました。そして全体的に動きが悪く、ズルズルと終わってしまったようなゲーム。ヘディングなど、いい場面もあったんですが……」 先制点の奥「運が良かっただけです。前を向いて適当に打ったら入ったんです。FWと中盤の距離がどんどん開いてしまっていた。相手のパワープレーには完全に押されていた」 交替で入ったがシュートは打てなかった柳沢「コンパクトにしようという意識があったのだが、できなかった。ヘディングなどはイランには初めから敵わないと思う。とにかく相手のプレッシャーはものすごくきつかったです」 フル出場の伊東「疲労で運動量が落ちてしまった試合。両サイドの上がりがないことで、どんどんと後ろに後退していたし、それを修正できずに終わったことが悔しい」 右足のふくらはぎ部分のけいれんで途中退場した森岡「自分が代表に出てからまだ一度も勝ったことがなかったので、今日はとにかく勝ちたかった。しかし、どうしてもラインが下がってきてしまった」
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