1998年10月28日
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キリン・チャレンジ98
日本×エジプト
(大阪・長居スタジアム)
天候:晴れ、気温:20.6度、湿度:60%
日本
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エジプト
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1
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前半 1 |
前半 0 |
0
|
後半 0 |
後半 0 |
25分:中山
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先発
GK |
1 |
川口能活 |
GK |
1 |
エルサイド |
DF
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16 |
齋藤俊秀 |
DF
|
2 |
エルサカ |
4 |
井原正巳 |
3 |
オマラ |
5 |
秋田 豊 |
4 |
ラムズィ |
MF
|
13 |
望月重良 |
5 |
イブラヒム |
3 |
相馬直樹 |
7 |
ユーセフ |
17 |
奥 大介 |
MF
|
8 |
ラドワン |
10 |
名波 浩 |
21 |
ナビー |
8 |
中田英寿 |
25 |
モネイム |
FW
|
9 |
中山雅史 |
13 |
ハフィズ |
12 |
呂比須ワグナー |
FW
|
9 |
ハッサン |
交代
59分:久保竜彦(中山雅史)
72分:森島寛晃(中田英寿)
77分:城 彰二(呂比須ワグナー)
80分:中西永輔(森島寛晃)
84分:服部年宏(望月重良) |
クシュバ(ラムズィ):40分
エマム(ナビー):46分
エルドマニ(オマラ)75分
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警告
59分:井原正巳
72分:中西永輔 |
ハッサン:40分
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試合データ
日 本
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エジプト
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13
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シュート
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7
|
11
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GK
|
8
|
4
|
CK
|
3
|
26
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直接FK
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18
|
4
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間接FK
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2
|
3
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オフサイド
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2
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1
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PK
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0
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トルシエ監督率いる新生日本代表が、前半25分の中山雅史(磐田)のPKを守り切って1―0でエジプトを下し、初戦を白星で飾った。
日本代表は、6月のフランスW杯と同じ3バックの布陣を引き、エジプトのキックオフから激しいボールラッシュをかけるなど、「積極性」をこの試合のテーマに据えた。試合前、アクシデントがあって、急遽名古屋でも一度も右サイドに入ったことのない望月重良を投入。合宿での練習も短い上に、さらにアクシデントが重なったが、それでも望月が落ち着いて状況判断をし、ボランチの奥大介(磐田)がよくフォロー。さらにDFの斎藤俊秀(清水)が、攻撃への起点となる需要な動きを果たすなど、代表の新メンバー、新レギュラーらの正確な働きが初勝利の原動力となった。
帰国して48時間で試合に出場した中田英寿(ペルージャ)も、1度の練習ながら、前線への積極的なパスを連続するなど、セリエAでのプレーの片鱗は十分見せて72分で交代。ゲームのMVPには、井原正巳(横浜M)が輝いた。
トルシエ監督の話「今日は勝つことが重要だった。試合前、伊東のお母様が亡くなったが、今日の勝利を伊東家に捧げたい。W杯が終って、選手は新しい目標に向かってよく集中している。私も4年後にむけて大掛かりな準備をしているところだ。若く才能ある選手を発掘して行きながら、いいチームにしたい(伊東のために喪に服したいとのことから、会見では質疑応答はなく、コメントのみで終了した)」
エジプト/エルゴハリ監督の話「私は日本のように日々進歩し続けているチームにこういうゲームができたことを大変満足している。前線からの組織的にプレッシャーのかけ方は、今や日本が世界に示した看板ともいえるもので、アルゼンチンさえ決して楽にかわしたわけではない。ラッキーだったのは、中田が我々と同じく飛行機に乗り、ここ長居に来てくれたこと。時差もあったし、彼が元気だったら今日はこういう均衡したゲームではなかったはずだ」
「一番違うのは緊張感」
MVPを獲得した井原は、横山、オフト、ファルカン、加茂、岡田、そして今回のトルシエと6人の監督とのデビュー戦を経験しているが、デビュー戦を勝利で飾ったのは初めて。試合途中ひざを痛めたが「立てるから大丈夫」と気丈にゲームを続けた。
試合後には、トルシエ監督に「ホントにお前がMVPか?」などとからかわれていたが、3試合目の「監督デビュー戦」について「トルシエ監督になって、すべてが引き締まった印象がある。それは外国監督だからというものもあるし、全く違うからという新鮮さもある。何より違うのは、W杯を経験したことで得た緊張感というか、W杯までのことを考えて常に危機感を持つというか、その意識つけに違いがある」と印象を話していた。
今回もあまり戦術的に細かな指示は出されいないようで、「まだまだなにも教わってない。これからです」と、まずは初戦での結果を喜んでいた。
「やれって言うから……、緊張しました」
中山はPKの前、ロペス、中田から「自分で取ったPKなんだから、蹴ったら?」と言われたそうだ。「そんな風に言われたもんだから、緊張しましたよ。もう思いきり蹴るだけ」と苦笑していたが、これで6月のW杯ジャマイカ戦以来2試合連続のゴール。途中で痛めていた左肩を強打する場面もあった。「札幌戦で痛めたんで注射を打ってもらってちょっとよくなったと思ったのに…」と、W杯でのひ骨骨折以来満身創痍。
久々の中田とのプレーも楽しんだといい、「彼は彼なりにいいところがあって、セリエでやって帰って本当にプレーしちゃうからスゴイですよ。でも、ふくらはぎの下がカンカンに張ってるらしくて、ひでもオレたちと同じ人間だってわかってうれしかったよ」と笑っていた。
「左右不対象サッカーの面白さ」
3バックは同じでも、斎藤によればこの日のコンセプトは「左右不対象での展開」にあったという。
「ボクのサイド(右)は、(右ウイングバックの)望月じゃなくて、(DFの)ボクの方からビルトアップして行って攻撃に、という役割だと言われていました。逆に(左ウイングの)相馬さんの方は、相馬さんから組み立てるという約束で、いわば対象じゃないんです。でも1本ロペスに入ったし、途中からは面白くなりました」と、岡田ジャパンでは控えだっただけに、気持ちと注意力のこもったプレーを見せた。この日は、伊東の母・康江さんが亡くなったことを、ホテルを出る直前のミーティングで知ったそうで、「とてもショックだったけれど、テルの分も、そう思ってプレーした」と、試合後は、まず哀悼の意を示していた。
「3泊4日、機中1泊」
ゴールはなかったが、中田は試合後笑顔で競技場を引き上げた。試合では、先発予定の伊東が抜けるアクシデントで、得点を奪った後にも中盤と前線、中盤同士でミスを連続。しかし、核となる中田はここで考える選手だ。
前半8分には、まず初めての右に入った望月が倒れてアウトプレーの最中に、奥と、中山にボールの受け方、ポジション取りを指示。この直後から前線へのボール回しが展開し始め、中山のPKとなった。
また得点後の30分にも、相手選手が倒れて治療している間にも名波に歩みよった。これまで中盤は山口と3人で、細かな約束を設けてボールを回していただけに、本来は2人ともやりにくい面があったはずだ。しかし、2、3分、ボールが動くまで2人はバランスを話し合って、この後から2人の間ダイレクトパスがようやく動くようになった。
後半交代前には、右足で低いFKを放って4万7996人の観衆を沸かせた。中田は29日午前に関空をたち、ペルージャに合流。1日のエンポリ戦に臨む。
■短信:
・後半、中田と交代した森島はわずか1プレーで左足首捻挫のために退場、試合後レントゲン検査を受けるために病院に向かった。
・この日先発予定だった伊東輝悦(清水)の母・康江さん(享年49歳)が28日未明、急性心不全のため死去した。このため伊東は、午後の新幹線で清水に戻った。康江さんは伊東の試合観戦を楽しみにしていたそうで、最後は17日の浦和戦も日本平で観戦していた。
ご冥福をお祈りします。
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