2001年8月15日

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AFC/OFC チャレンジカップ 2001
日本×オーストラリア
(静岡スタジアム エコパ)
キックオフ:18時38分、観衆:46,404人
天候:曇り、気温:26.6度、湿度:82%

日本 オーストラリア
3 前半 1 前半 0 0
後半 2 後半 0
19分:柳沢 敦
53分:服部年宏
66分:中山雅史
 


交代出場
日本

65分:中山雅史(柳沢 敦)
72分:明神智和(波戸康広)
82分:奥 大介(森島寛晃)
オーストラリア

H T :ブツィアニス(ロバートソン)
60分:コンスタンツォ(レイバット)
69分:ペトロブスキ(アロイシ)
  アジアとオセアニアのチャンピオンチーム同士での戦いとなるAFC/OFCチャレンジカップがこの日、静岡スタジアムで行われた。日本は、中田英寿(パルマ)をはじめ海外移籍組を欠く布陣の中でより多くの選択肢を試すこと、そして、プレミア在籍選手が不在の豪州に結果を出すこと、の2点をテーマとして試合に臨んだ。
 前半19分、右サイドを切れ込んで行った森島寛晃(C大阪)が、相手DFと競り合い、ゴールライン際にドリブルで持ち込む。この日、左サイドで先発した服部年宏(磐田)がゴール前に走り込んでいたことで、スペースが十分に生まれ、ファーサイドに走ってきた柳沢 敦(鹿島)がフリーとなり右足でダイレクトで決める。日本はいい時間帯に先制した。
 豪州の高さとFWのポジショニングから比較的に低い位置に押し込まれていた日本の守備陣も、この得点の後に高い位置を維持して攻撃的にボールを回し始める。湿度が80%を上回るという悪環境の中で、前戦のキリン杯(大分)の際とはまったく違った質の高いフィジカルパフォーマンスも見せ、後半も動きが落ちずに当然のことながら終始主導権を握った。
 後半8分には、左サイドから服部が柳沢と中央でワンツー。服部が珍しく右足で蹴りこみ2点を奪った。また、ベンチが柳沢と中山雅史(磐田)を交代しようとレフリーが中断する直前、柳沢が倒されPKをもらう。しかしすでに試合を止めるホイッスルが鳴っていたこともあって、トルシエ監督はピッチに入ろうとする中山にPKを逆指名。これに中山が応えて、柳沢と交代して最初のプレーでPKを決めた。中山のゴールはアジアカップ予選となったマカオ戦以来。
 選択肢の広がりと結果、その両方を手にして、日本代表のゲームはひとまず終了。秋に予定される遠征で再度始動する。

トルシエ監督「タイトルがかかっていた試合に闘争心を持って臨んだことに満足している。試合の当初は全体のリズムに懸念があったが、みな知性を持って、日本サッカーが弾けるようなゲームを見せてくれた。(PKのシーンは)交代を告げた直後にPKとなった。私は、中山は責任のある仕事のできる人間で、しかもJリーグ全体のやる気というものを彼が象徴していると考えていた。『PKは蹴れるか』と聞いたら、中山が驚いてはいたけれど『準備はできています』と言ったので蹴ることになった。しかし、これをもって柳沢が蹴るのにふさわしくないということではまったくない。むしろ体調はすばらしくよく、その逆かもしれない。ただ、あそこで中山が蹴ることで、より大きな効果を得られることを考えただけのことだ」

試合データ
日本   オーストラリア
14 シュート 8
5 GK 10
7 CK 3
14 直接FK 15
9 間接FK 4
1 PK 0
先制点ゲット、2点目をアシスト、3点目も「お膳立て」、すべての点に絡んだ柳沢 敦(鹿島)「今日に関しては、森島さんや鈴木さんが作ってくれたスペースのお陰で得点を挙げることができた。すばらしい結果と、自分も得点に絡むことができて本当に満足できる。豪州は代表でデビューをした時の(対戦相手となった)チームでもあるので、楽しみにしていました。(PKの場面は)チームみんなが自分に蹴らしてくれそうな雰囲気でしたが、監督から(中山への)指名があったのでは仕方ありません」

久々の左サイド先発、攻守で「MVP」ともいえる動きをした服部年宏(磐田)「(右足のシュートは)びっくりですね。ゴールのイメージはあったけれど、ゴール自体はまったく見ていなくて、ああ、ワンツーがうまく来たな、どこに蹴ろう、と狙ったら入った。左サイドでの先発には、監督からもこれといった制約は与えられずに自由に、と言われていた。それもあって、攻撃で高い位置まで上がろうとしたのがよかった。相手との駆け引きもうまくできたと思う」

2000年2月以来の得点を劇的なPKで決めた中山雅史(磐田)「ラッキーでした。とにかく驚いたけれど、枠を狙ってますから狙い通りです。監督からは、ディフェンスもがんばって無駄な動きはしないように、と言われていた。気温が高い中で、内容も重要だけれど、勝つことが絶対の使命みたいな試合ですから、(PKを決めることができて)よかった。(監督が、Jリーグを象徴する存在、と評価したことについて)本当ですか? PK外さないでよかった。Jリーグのやる気のなさを象徴する存在になるとこでした(笑)」

1点目をアシスト、スペースを作る動きを果たした森島寛晃(C大阪)「1点目は、ハット(服部)がゴール前に走り込んでいるのが見えた。前半の最初はなかなか難しかったけれど、ああいうときには落ち着いて、ボールがしっかり回るまで待つことが大事だと思う。点に絡む動きがスムーズにできるように、常に意識を持っていたい」

今日が誕生日、昼にはお祝いをされ、無失点がプレゼントとなった川口能活(横浜FM)「この気温と湿度の中で高いパフォーマンスを求めるのは本当に酷だと思うけれど、そんな中でいいゲームができてよかった。昼食のときに、みんなに誕生日を祝ってもらい、ちょっとしたお礼のスピーチをしたんですが、涙が出るほどうれしかった。今日は絶対に勝つというモチベーションを与えてもらいました。落ち着いて、姿勢をしっかり取れば(得点を)奪われない自信があります」


「褒めてつかわす」

 2年前の五輪予選では、「PKは、倒された人が蹴るのではなく、元気な人が蹴ったほうが入る確率が高いんですよ」と、自ら奪ったPKを小野伸二(フェイエノールト)に譲った。しかし、この日は自ら蹴ろうとしていた。たとえ彼のFWとしての哲学が「点を取るだけではない」としても、それは点を取ってからの話である以上、PKを譲るような部分はできるだけ早く取り返したほうがいいはずだ。その意味では、この日の柳沢は、2年前に見せたシーンに象徴されるような、ある種の「優しさ」に、代表という大舞台で自ら挑もうとしたのではないか。
 しかし、皮肉なのは、あのときは舞台を自ら降りたのに対して、この日は舞台に自らが上がろうとした途端に幕が下りたような格好になったことだろうか。すでに交代を告げるホイッスルが鳴ってしまっていた。もちろん待つことはできるが、監督はより大きな「効果」を求めて「演出付き」の勝負に出る。
 中山が「準備はできています」と監督に自らもPKを蹴る意志をアピールしているとき、ピッチでは選手たちが「柳が出てしまうから、隆行(鈴木、鹿島)に蹴らそうかと話していた」(服部)という。しかし、中山が蹴ると言いながら交代で入ってきたために、中山が蹴ることになる。
 服部は試合後笑った。
「ヤナギ(柳沢)が交代になってしまったんで、みんなで隆行だね、と話していたら、蹴るって入ってきたからね。また外すんだろうな、と楽しみでニヤニヤしながら(中山のPKを)見ちゃいましたよ。自分のシュートもさることながら、あれもびっくりですけどね」

 監督が試合前に課したテーマは「選択肢の広がり」と、当然のことながら相手のメンバーを見ても「勝つこと」だった。
 そうした中で、柳沢の先制点とPK奪取、服部の右足、中山のPKと、全体の選択肢以上に、個人の選択肢において大きな広がりがあったことは、これといったモチベーションの上がらない親善試合の数少ない収穫だった。
 名波浩(磐田)、中村俊輔(横浜FM)、小野伸二、と続いた左サイドの指令塔に挑んだ服部は、潜在的な能力は持っていたにしても初めてそれを形としてアピールした。
「今日は、守備に、という話もなく、思い切り自由に動くことにしていた。これまでとはまったく違う面もアピールできたと思う」
 服部はそう言ったが、もともとDFすべてのポジションからボランチまでをこなす高い能力に、こうした仕事、またときには、本人も苦笑する「右足」からのシュートも繰り出せるとなると、新境地を開くきっかけになるゲームだったかもしれない。
 中山は「とにかく結果と内容、その両方を、これからは常に考えないといけない状況になる。いずれにしても明日、僕は(磐田の)練習に行きますが、服部は休む(休んでもいい)でしょう。彼の今日の働きはすばらしく、褒めてつかわす」とミックスゾーンで笑った。
 個人とチームの選択肢、その双方が互いに刺激し合う様が、どんな形で、どのレベルまで進むか。つまるところ、それだけがW杯までの強さの「指標」になる。そして、その点で、海外にいる選手たちの力が試されるわけだ。


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