2001年3月24日 ※無断転載を一切禁じます
◆◇◆サッカー日本代表フランス遠征 現地レポート◆◇◆ フランス×日本
この日は試合開始前からパリ市内は激しい雨に見舞われ、水はけがよくないスタッド・ドゥ・フランスは雨水をたっぷり含んだ重い芝となった。このため立ち上がりは両者ともボールコントロール、動き出しに手こずり、8分にはペナルティエリア内に入ったピレス(アーセナル)を松田直樹(横浜)が後方から倒してPKを与えてしまった。これをジダン(ユベントス)が決め、日本は序盤で1−0と先制を許した。その後は、中田が前にいるために中盤で展開できず、相手に再三ボールを奪われてしまう。13分には、右サイドのピレスからボールを受けたアンリ(アーセナル)がほとんど角度のないところからシュート放つと、これがGK楢崎の手元でファンブルし、脇の下をくぐって失点。日本は序盤から2点を奪われる苦しい展開となった。 日本はシステムが整わない状態の中で、ただでさえ深い芝に足元をすくわれる格好となり、特に左サイドはフランスの猛攻を凌ぐのに精一杯と追い込まれる。後半、日本は攻め込まれていた中村俊輔(横浜)を三浦淳宏(東京V)に替える。さらに明神智和(柏)に替えて高原直泰(磐田)投入し、中田を従来のトップ下に戻した。これでバランスを取り戻す気配が見え、中田の積極的なシュートも見られるようになった。しかし、コーナーキックからヘディングでつながれ、替わって入ったばかりのヴィルトール(アーセナル)に3点目を奪われると、あとは修正ができない状態となり、17分にはトレセゲ(ユベントス)に右から、23分にも同じくトレセゲに決められ、0−5と自分たちの持ち味を出すこともできないまま世界チャンピオンに完敗した。
◆試合後のコメント
楢崎正剛「2点目は、取らないとダメなボールでした。手で滑ったあとに脇の下に転がり込んでしまった。思い切り自分たちのサッカーをやることができなかった。早い時間帯にPKを取られてしまったショックは大きかった。昨日の練習時よりもさらにピッチはぬかるんでいてひどかった。(スパイクの)ポイント1つとっても、長さで神経を使わなくてはならないような状態で、ああいうところでプレーしたことはJリーグではないんじゃないでしょうか。本当に悔しい」 名波 浩「5点を取られてしまった時点で、日本の弱点もくそもない。会場の雰囲気に飲まるとかそういうことはなかった。オレ自身は、個人的にはフランス国歌が大好きだし。(観衆が)7万人だといったって、日本でも(そういう試合は)あるし、ジュビロで野郎だけの12万人というのもあったから(アジアクラブ選手権のこと)。時間が経つにつれて、こいつら上手いなぁとか、速いなぁとか……、そういうのがジャブになって、終わってみたら5点取られていたということ。 西澤明訓「モロッコのときの立ち上がりとはまったく違いました。あのときは先制点を奪ったことで、比較的自分たちの流れに乗って、主導権を取ることができた。日本のマスコミは前回引き分けたということで今日勝てると思っていたのかもしれないけれど、仮にも相手は世界チャンピオン、そんなに甘いものではない。とにかく、自分たちとの力の差というものを痛感しました。組織としても個人としても、まだまだのレベルだということです。スペインでもあれだけ悪い芝というのはあまりない。まあでも相手はグラウンドが悪くてもいいサッカーをしていたわけで、ピッチの状態のせいではもちろんないです。チャンスらしいチャンスが1度も作れなかったことがとても悔しい。2点取られてしまった時点で、完全にキレてしまった」 服部年宏「完敗。最初の2点は本当に痛かったね。チームとしてもそうだけれども、オレ個人としてもこういう負け方は記憶にない。ズルズルと滑っていたピッチに、自分たちがまったく対応できなかった。先に点を取られた時点で、自分たちが点を取らなくてはならないという状況になった、欲を出さなくてはならなかった。それがきつかった。ボールを取りに行くのか、ゴールを取りに行くのか、前と後ろとの温度差が非常にあったと思う。ディフェンダーとして、寄せることさえまったくできなかったということが、本当に印象的だった」 稲本潤一「モロッコではフランスが手を抜いていたということがわかりました。このままでは善戦どころかワールドカップも全然ダメ。何かを変えなければならないです。バランス、精度、スピード、どれをとってもみな違っている。アジアカップのサッカーはまったくできなかった。時間が経つにつれて結局最後はヒデさん頼みになってしまった。こういうなかで、高いレベルを目指していかなければならないし……。だけどジダンなんて、いったい誰が止めるんですか!?」 森岡隆三「はっきり言って組織で守れませんでした。モロッコではフランスは調整で、芝も普通だった。だけど今日は、こういう8万人はいるアウェイで、しかも芝もひどい。本物のアウェイでした。パラグアイの南米選手権以来、『なんにもできないじゃん!』という試合をしてしまった。こんなみっともない試合をして、今はJリーグできちんと立ち直らないとならない。(次のスペイン戦に向けて怖いかどうか聞かれて)怖いどころか、今日はもう悲しかった」 明神智和「大きな差を感じました。失点のショックもありましたし、僕自身は練習でやれていたプレーがまったくできなかったことがとてもショックです。ボールが前に進まなかった。自由に動くことさえできなかった。それが反省点です」 なお中田英寿、中村俊輔、松田直樹、三浦淳宏、高原直泰、城彰二らはミックスゾーンには現れずに会場をあとにした。 デサイー(チェルシー)「今日は日本についてコメントする必要は特にないと思う。我々のサッカーの良さを話せば十分だ。ここスタッド・ドゥ・フランスでこれだけの観衆を前にすばらしいサッカーをできたことは、今日のプレーをしていたチームの主将として誇りに思っています。日本はモロッコでは速いというイメージがあったが、今日はかなり違っていた」 ジダン「今日はすばらしいサッカーをできたと、生涯誇れるような一日だった。しかし私は、自分のことを誇りたいのではまったくないし、自分のプレーうんぬんをコメントする気持ちがない。なぜなら90分を通じて、これほど強い連帯感と想像力を持ってプレーできたことがチームとしてうれしいからだ。正直、日本との試合は楽だったし、楽しめる試合でもあった。交代メンバーもすばらしかった。日本のスピードにモロッコでは圧倒されたが、今日は、まったく違っていた。彼らが悪いわけではなくて、芝が深く、これだけ雨が降れば、試合は肉体的なもので決定する要素が大きくなるということだ。次はスペイン戦、これはお遊びではない」 ルメール監督「非常にいい部分が出た試合だった。しかし、今日の差が明日も同じ差かどうか、これは勝負ごとではありえない。日本にとっては本当に厳しい条件だったし、これが違っていたらまた変わった試合だったかもしれない。2002年までトルシエ監督は、優勝チームに、と話しているようだ。理想や希望はともかく、その道のりは容易なものではないだろう」
「なんでコイツら……」 試合開始3時間前から、パリ市内は激しい雨に見舞われた。勝利の女神にある程度は微笑んでもらうことも、スポーツの勝敗の行方には重要な条件だとするならば、この日は、女神は日本のほうなど一度も振り向くことがなかったとしか言いようがない。それどころか、日本がスタッド・ドゥ・フランスに来たことなど、無視するかのように、ピッチはみるみる荒れていき、選手の足元を飲み込んで行った。 超重馬場、と名波は表現する。現場で見ていても、彼らの本当のしんどさが理解できたかどうかわからないほど、ピッチとスタンドには肌感覚の格差があったのではないか。 「オレたちがこんなにズルズル滑っているのに、何でコイツら、と試合中、何度も思った。こんなピッチは日本にはない。自分たちのサッカーうんぬん以前の問題、つまり何も対応できなかったことを、オレは完敗と言いたいね」。服部の率直なコメントは、試合を、この日の日本を、象徴していたのではないか。 日本が対応できなかったのは、超重馬場だけではない。試合2日前になって、名波、伊東、稲本の3人を中盤に置き、中田をトップ下よりもさらに前に上げ、西澤のワントップと組み合わせたシステムを導入したことだ。 前半、中田は約束通リ前に張った。監督が言うように、「中田はアジアカップに出場していないから、もう少しオートマッチクに動くのには時間がかかる」というのはある一面を表す。しかし、机上と現実の荒れたピッチで起きていることにはあまりにギャップがあった。 「一応ワントップという格好になったけれど、あの状態ではFWと中盤の距離がみるみる開いてしまうだけだった。(中盤の名波たちの間に)もう一枚ないと苦しい。監督が決めたことだから、やり抜こうという努力はみんなしたと思う」 中田同様、欧州からの合流となった西澤は言葉を慎重に選んだ。 「ボールを取りに行くのか、ゴールを取りに行くのか、どちらか中途半端なまま、前と後ろで(戦術的な)温度差が生まれてしまったと思う。とにかく中途半端」 名波は、「居心地が悪い」とだけ言った。そして「ちょっとした変化なのに、みんなが難しく真面目に考えた。シンプルにサッカーをできなかった」と加えていた。 「なぜこうしたシステムを、あえてフランス戦で行ったのか」という問いに、監督は「このフォーメーションを試したかったからだ。中盤に6人置くからといってこれは守備的ではない。フランス代表も似た格好で5点を奪っている」と会見で説明していたが、もしこれをテストというなら「国家試験」にいきなり合格するのは無理だということになる。 日本が負けた相手は、世界チャンピオン一人ではなかった。それ以前に、大敗を喫した「相手」が複数いたことが、この試合のあえていうなら敗因ではなかったか。
「ただ一人、ただひとつ」 中田は試合開始6分、フランスDFデサイーとゴール前で激突。モロッコで、森島がやはり試合開始直後に激突したシーンをすぐに思い出したが、違っていたのは、あのとき倒れたのが森島だったのに対して、この日すっ飛ばされたのはデサイーのほうだったことである。 鍵はすでに試合前日、ピッチに落ちていた。23日、スタジアムでの公開練習が始まったとき、集合写真を終えた中田はピッチの数箇所でボールなしに動き、切り替えしの動作を繰り返していた。すでに大雨の間で深く沈んでいた土台、長い芝、このピッチがセリエAの、または欧州のどこに似ているか、聞いてみたかったが、接触できなかったことが残念な気がするほど、彼は、あの粘土質のペルージャのピッチで学んだ経験を、サンドニで活用したはずだ。 ルメール監督は試合後、「中田だけは異彩を放っていたと思う。評価はしたくないが、彼は唯一の選手で、ただひとつのプレーをした」とコメントしていた。これは、互換性のないプレーを評価した言い回しであろう。 この試合で、彼頼みの日本代表とか、中田以外は……と評することは容易いし、もっとも安易な手法に過ぎない。彼だけがイタリアでのキャリアを伸ばしたことについて、周囲が評価することを自身がうとましく思っていることも理解できる。
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