2000年12月20日

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キリンビバレッジサッカー2000
日本×韓国
(国立霞ヶ丘競技場)
キックオフ:19時6分、観衆:54,145人
天候:曇、気温:9.5度、湿度:70%

日本 韓国
1 前半 0 前半 1 1
後半 1 後半 0
56分:服部年宏

安貞桓:14分

先発メンバー
交代出場
日本代表
46分:中田浩二(中村俊輔)
46分:奥大介(小野伸二)
46分:中山雅史(北嶋秀朗)
69分:酒井友之(明神智和)
75分:本山雅志(森岡隆三)
韓国代表

40分:パク・チソン(チェ・ヨンス)
60分:パク・ソンベ(イ・チョンス)
71分:ユン・ジョンファン(アン・ジョンファン)
85分:ユ・サンチョル(チェ・ソンヨン)
 日本は前半14分、韓国の安貞桓(アン・ジョンファン、ペルージャ)にドリブルからフリーにしたわずかな隙を突かれ、打たれたシュートもディフェンダーにあたりコースが変るアンラッキーも重なって先制を許してしまった。

 しかし直後、日本に今度はラッキーな場面が2つ訪れたはずだった。18分、カウンターで攻め込んだ柳沢敦(鹿島)が韓国のファールをペナルティエリア内でうまく誘ってPKを得る。日本は天皇杯、リーグ戦直後と、全体的に重いコンディショニングだったこともありここで同点に追いついておきたいところだったが、柳沢のシュートはGK金秉址(キム・ビョンジ、蔚山現代)に阻まれ無得点。嫌なムードをひきずるところだったが、このあと韓国の金相植(キム・サンシク、城南一和)が一発でレッドカードを受けて退場処分となり、前半26分で早くも11-10の数的優位に立った。しかし前半終了間際には、左アウトサイドで出場していたJリーグMVP、中村俊輔(横浜)が、ボールを奪いに行った際に右足首を痛めてそのまま退場。後半に向けて、メンバー交代を行い、逆転勝利を目指した。

 中村に代わって中田浩二(鹿島)を投入し、中田をディフェンダーとして起用、ディフェンスラインから服部年宏(磐田)を左アウトサイドに上げ、小野伸二(浦和)に代えて奥大介(磐田)、北嶋秀朗(柏)に代えて中山雅史(磐田)を投入。流れを変えようと立ち上がりから攻撃的な姿勢を見せて行った。

 後半9分には、右サイドを突破した柳沢が逆サイドの服部にロングボールを振り、ノーマークだった服部がこれをヘディングで落ち着いて決めて、代表初ゴールを奪って同点とする。この勢いをそのまま生かしたいところだったが、韓国側も同点を狙って守備的布陣を徹底する格好となり、そのまま試合はこう着状態となってしまった。5人の交代が認められる親善試合ルールで、トルシエ監督は最後に切り札として本山雅志(鹿島)を森岡隆三(清水)に代えてピッチに送り出し、左からの突破力にかけた。しかしそのまま得点はできずに、1-1、今年4月のアウェー(ソウル)での0-1の敗戦に続き、今年はA代表が韓国から白星をあげることはできずに終了した。

 また今年トルシエ監督のもと、相手が10人で戦ったゲームはこれで、カールスバーグ杯(香港)でのメキシコ戦、4月の日韓戦(ソウル)、そして今回と3戦目だったが、2敗1分けと、勝ち星をあげていない。
 これで日本代表はシドニー五輪決勝トーナメント進出、アジア杯優勝という成果を持って終了。天皇杯を勝ち残っているクラブ以外は休暇に入り、代表は来年2月、九州などを候補地として45人合宿を行なうことになっており、そのキャンプが2002年を目指した実質上のスタートとなる。

    ◆試合後の選手コメント:

楢崎正剛(名古屋)「あのシュートはアンラッキーでした。味方の選手に当たってしまったし、コースが変わったと思う。相手が10人になったことで守りの意識がより高くなってしまった。そこをもう少し攻めていければよかったとは思うけれど……。今日は勝ちたかったというのが正直なところですね」

明神智和(柏)「いろいろ反省することばかりです。(ロングシュートについて聞かれて)それよりも他のところでミスが多すぎた。流れの中でもっともっといいパフォーマンスをしたかったと思う。日韓戦は、今日はホームだったので、正直なところ勝って終わりたかった。満足のいく試合ではありません。(洪明甫=ホン・ミョンボについて)1対1ということよりも要所要所で試合のポイントを押さえられていたような気がしました。個人的には体調があまりよくなくて、前半の立ち上がり、とくにリズムが悪かった。今年は代表に選ばれたりいろいろなことがあったけれど、今日は50%の出来でした」

代表初ゴールを決めた服部年宏(磐田)「勝てなかったのは残念。でも負けなかったのはよかった。シュートはちょうどあいていて、どフリーで狙い通りでした。あれが勝ちにつながらなかったのが残念ですね。韓国のほうがより積極的だったと思う。前半の立ち上がりの早い時間帯で点がほしかった。みんなもう少し積極的に行ってもよかった。とにかく遠目でももっともっとシュートを打たなきゃいけなかった。今日の試合はファンには申し訳ないし、自分たちにとっても情けないゲームだった。正直、みんな少し体が重かったというのはあるでしょうけれども、言い訳にはしたくない」

柳沢 敦(鹿島)「PKの場面はまわりの人が行けと言ったんで蹴りました。外したときはやっちゃったなという感じだった。(アシストについては)中は見えていたんですが、もう少しライナー性の強いボールを蹴るつもりだった。あれは服部さんのヘディングのうまさから得点になりました。今日の試合はそれなりに満足しているけれど、100%ということはありません。ミスも多かった。チャンスをもっと作ってもよかった。そう言い出すときりがありません。ホームだったことを思うと勝ちたかったです。今日、別に変わったことはないけれども、これからもこういう形で積極的に続けていきたい」

中山雅史(磐田)「国立競技場の雰囲気は最高でした。勝てなかったのは残念。もう少し努力が必要でした。ちょっとスペースがあいている時の対応が、すごく遅れていた。守備のバランスを考えて、もっと早く円滑にカバーリングしなくてはいけなかった。(韓国の得点シーンも)マークが甘かった」

名波 浩(磐田)「アジアレベルになると日本を大変よく研究している。もっともっと左サイドに気をつかってもよかったんじゃないかと思う。あまり上がることもなかったけれども、代表ではこういう形でやっているので」

トルシエ監督「全般的に満足している試合だった。メンタル面、力強さ、ダイナミズムにおいて、すべて満足ができる。後半は、鋼のような強さを感じていた。今日のような試合ができれば、非常にいいものを予感するし、いい年末を迎えられると思う。今日は結果についてはまったく問わない。2000年は日本にとって非常に重い年だった。五輪があり、アジア杯があり、全体のレベルというものは非常に上がった年だった。その中で、尊厳と誇りを持って今年を終えることができる。来年はさらに重要な意味を持つ年になる。今日は、自分たちでマッチメイキングができていた。チーム全体の雰囲気も非常によかった」


 韓国サッカー協会の鄭夢準(チョン・モンジュン)会長は試合後、来年の日韓親善試合について「12月1日に釜山(プサン)でワールドカップの抽選会が行われる。その前に済州(チェジュ)島のスタジアムのこけら落としに韓日戦を行いたいと思う」と、来年の日韓戦を1試合とするとの意向を明らかにした。この計画については、すでに日本サッカー協会の岡野会長らに伝えており、今後、協会内で話し合いを行うことになっている。済州島は韓国の開催地の1つでもあり、風光明媚な場所に作られた、海の近くに建つスタジアムとしては世界的にも美しい競技場と言われている。
 また、新任のヒディング監督について「私が最も期待しているのは彼の強いリーダーシップである。若手にも強い意識を植え付けてくれる監督だと思う」と期待を寄せていた。来年は日韓でコンフェデレーションカップ(6月)に行うことになっており、日韓戦は1年で1試合の予定で両協会が合意している。


 前半終了間際に右足首を痛めて退場した中村俊輔(横浜)について日本サッカー協会は「ボールを取りに行ったときに傷めたようだ。右足首の外側だが、痛みは引いているようだ」と、退場時よりは痛みが引いていることを説明した。しかし、念のため精密検査を受けるために都内の病院へと松葉杖をつきながら車で向かった。

中村俊輔「前半はアウト側から見ていたが、ちょっと(チーム全体が)重そうだった。最後までできなくて残念です」


「要所、要所をおさえられた」

 チームメイトであり、彼のプレーの素晴らしさも、同時に恐ろしさも知り尽くしている明神智和(柏)は試合後こんなコメントをした。

「ぼく個人との1対1ということではなくて、全体の守備として要所、要所はすべて潰されていたと思う。視野の広さというか、今日は自分の出来に不満足で仕方ないですが、同じようにリーグ、天皇杯で試合をしていたのに、やはり洪(明甫、ホン・ミョンボ、柏)のコンディショニングとか集中力とか凄いものがありました」

 この日、日本が11人と数的優位を3分の2以上の時間でもらいながらも苦戦した理由のひとつに洪の「巧さ」「ズルさ」といったものがあった。長い間強烈なライバル関係でせめぎ合ってきた時代も、日韓共催で友好的な関係に変化した時代も、その両方を3度のW杯出場と日本でプレーすることによって噛み締めてきた選手のこの日のプレーは、さまざまな意味で、両国のサッカーや今後を象徴するものではなかっただろうか。
 じつは名波が、前日の19日の会見で興味深いコメントをしていた。それは試合を終えた今となっては見事な予想といってもいいものだ。
 試合巧者の名波は2点を指摘した。
 ひとつは、韓国のサッカーは周囲が思うほど、また日本や韓国で論じられるほど決して悪いものではないのだという指摘である。

「アジア杯では当たることがなかったけれど、決して悪くはない。結果が伴わなかったかもしれないが、あの大会期間中でも韓国とイランとは対戦したいと思っていた」

 この日、19歳ながら果敢な動きで日本を翻弄したミッドフィルダーの李天秀(イ・チョンス、高麗大学)など、若手の勢いというものは評価できる。観戦したヒディング監督も大韓協会関係者に対して「若い選手のこの日のアピールには非常に満足している」と話したとされている。名波が話した、悪くないサッカーはこの日の試合で十分示されたはずだ。

 もうひとつが、洪のポジションだった。
 名波は「洪がどこで来るか、自分としては彼がボランチで来るよりもリベロで入るほうが嫌だと思っている」と話していた。
 試合直後、彼の読み通りならば、攻撃的にするためにボランチに洪が立っていたことはそれなりに幸運だったはずだ。日本が警戒すべきは彼の攻撃での力というよりは、広い視野と日本選手を知り尽くしているゆえのディフェンス面でのはやいつぶしだった。
 しかしこれこそ韓国にとって「怪我の功名」と呼ぶのだろう。ボランチのはずの洪が、退場者を出したことによってリベロに回ってしまった。
 洪はまるで11-11かのように自陣をコントロールし、日本の攻撃を掌握した。
 服部は「もっともっと遠めからでもシュートを打つとか、積極的に行かなくてはならなかった。なのに、なぜかみな消極的だったので、後半の立ち上がり、そういう気持ちを外に出せると思った自分がヘディングを狙った。何よりも反省するのは、この日、ゴールキーパーからフォワードまで全員が押し上げて行こうという気持ちを出して攻めきれなかったこと」と、自らの代表初ゴールよりも反省点ばかりを口にしていた。

 監督が言うように、この日の結果は一切問われるものではない。重箱の隅をつつくようなことも意味がないだろう。選手もそれぞれ口にしたが、「2002年にどういうチームができているかが問題で、そのためにはこういう試合も重要」(服部)という冷静な見方は重要だ。
 一方ではだからこそ、より難しい試合、コンディションも状況も最悪といっていい中で踏みこたえた韓国、その中心となった洪のプレーを冷静に評価することもできる。20世紀最後の代表戦が日韓戦で幕を閉じたことが、2002年への本当の意味での幕開けとなるはずだ。
 この日で両国の対戦は通算61試合、日本の11勝35敗15分、103失点、55得点目のピリオドとなった。


「クリスマスプレゼント」

 柳沢、北嶋の若い2トップにとって、この経験がどんなに苦しいものであったとしても、日韓戦の、しかもホームでピッチにスタメン出場を果たしたことは最高のクリスマスプレゼントだった。
 柳沢は、普段のプレーよりは積極的だった。北嶋はまだうまく噛合うことができないままに交代となったが、2人はもうひとつの「プレゼント」が試合前に贈られていた。

「果敢にいけ。ボールを持ったら、前を見てとにかく積極果敢に行くこと。結果など気にしなくていいんだから」

 三浦知良が試合直前2人に与えたメッセージだった。
 北嶋はまだコンビネーションがうまくいっておらず、前半で交代してしまった。しかし少なくても柳沢には、この言葉の重みが伝わったのかもしれない。普段のプレーよりは果敢であり、PKも「回りがそういう雰囲気で促してくれたので」と(フォワードなら回りがどんな雰囲気でも蹴りに行かねばいけないはずのボールだが)外したが蹴りに行った。シュート3本、果敢にエリア内に飛びこもうとした点など「いつもより気合が入っていたんじゃないか」と質問が飛ぶほどであった。

「外したPKは、やっちゃった、という感じでした。もちろんもっとチャンスが作れたし、ミスも多かった。反省点を言い出すときりがありませんが、それなりに満足はしてます」

 これからも今日のような姿勢で、と話しながら柳沢は収穫を振り返った。
 しかし、試合前にアドバイスしてくれたストライカーがもしピッチにいれば、どんなことがあっても自分でPKを蹴りに行き、先頭を切って韓国のゴールに飛び込んで行っただろう。
 監督が「試合内容、結果はこの日重要なテーマではない」と言ったが、では重要なテーマはどこにあったのか。
「エース」とはどういう選手たちなのか、そしてどうやって代表を生き抜いて行くのか。2002年に向かって重要なテーマに対するヒントがピッチに散りばめられていたことが、柳沢ら若手に与えられた「クリスマスプレゼント」だったのではないか。
 そう思ってほしい。

試合データ
日本   韓国
15 シュート 7
10 GK 12
5 CK 1
14 直接FK 18
1 間接FK 5
1 オフサイド 5
1 PK 0


    ◆日本代表の来年の予定

 2001年2月に40人から45人を招集しての代表セレクションキャンプを(場所未定)行う。3月24日にフランス代表とパリで親善試合を行い(それに先立って、現地でクラブチームとの対戦も予定される)、4月にはスペイン遠征を行う。6月のコンフェデレーションカップを2002年のプレ大会として(FIFA主催)行い、キリン杯も開催する予定。また11月にはドイツがアジアツアーを行うことが決定しており、韓国、日本との試合が予定される。2001年11月8日にドイツとのAマッチが行われると、FIFAの公式ホームページで発表された(日本協会は未発表)。


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