2000年6月18日


キリンカップサッカー2000
日本×ボリビア

(横浜国際総合競技場)
キックオフ:13時02分、観衆:65,073人
天候:晴、気温:34.0度、湿度:29%

取材・田中龍也

日本 ボリビア
2 前半 2 前半 0 0
後半 0 後半 0
7分:柳沢 敦
34分:柳沢 敦
 

先発メンバー
交代出場
日本
28分:森島寛晃(中村俊輔)
46分:宮本恒靖(松田直樹)
46分:高原直泰(西澤明訓)
79分:久保竜彦(柳沢 敦)
88分:本山雅志(三浦淳宏)
ボリビア
46分:カルストロ(フスティニアノ)
46分:L.グティエレス(サンチェス)
87分:アニェス(T.グティエレス)
 トルシエ監督の去就問題をめぐり、注目を集めたキリンカップ・対ボリビア戦が18日、横浜国際総合競技場で行われた。
 試合は前半7分、右サイドで自らフリーキックを得た三浦淳宏(横浜)がゴール前に正確なボールを入れると、フリーになっていた柳沢敦(鹿島)が左足でちょこんとあわせ、日本があっさりと先制。しかしその後は、5バックに2人の守備的MFを配置するという布陣で守りを固め、ボールを奪うと一気にカウンターを仕掛けるというボリビアの戦術に手を焼き、ボールを支配しながらもややボリビアのペースで試合は進む。しかし28分に森島寛晃(C大阪)を中村俊輔(横浜)に代わって投入すると、その9分後、森島がポストプレーでボールを西澤明訓(C大阪)にはたき、それを受けた西澤が柳沢にパス。これを柳沢が思い切りよく決め2点目を奪った。
 後半開始からは、ここ4試合連続で先発に起用されてきた西澤に代わり高原直泰(磐田)、前半イエローカード受けた松田直樹(横浜)に代わりA代表へのデビュー戦となる宮本恒靖(G大阪)が起用された。ボール支配率では相変わらずボリビアを上回る日本は何度かチャンスを作るものの、オフサイドやシュートミスによりなかなか追加点を奪うことはできなかった。終盤、79分に柳沢に代え久保竜彦(広島)、88分に三浦に代え本山雅志(鹿島、A代表初出場)を出場させたものの、結局このまま試合は終了。先に全日程を終えているスロバキアと、勝ち点、得失点差、得点ともに並び、両国優勝となった。日本のキリンカップでの優勝は3年ぶり5度目。また日本国内の試合でA代表が勝ったのはトルシエ監督の初采配となった98年10月のエジプト戦以来1年8か月ぶりとなった。
 試合後、トルシエ監督は一切の質問を受け付けず、一方的に会見を終えた。契約問題について話し合われる岡野俊一郎会長との会見は20日も予定されている。

    ◆トルシエ監督の会見より(抜粋)

「さて、なにからはじめましょうか。しゃべりたいことはたくさんあります(笑)。
 今日はこのようにまた勝つことができました。そしてスロバキアと分かち合うことにはなったが、キリンカップを獲得することができました。若くて才能ある選手たちがこのカップを持つと、その輝きはいっそう増したように見える。
 この勝利は才能あふれる選手たちのものであり、その選手たちを支えてくれたスタッフたちのものであり、また今日ここに応援するために来てくれた6万を超えるサポーターたちのものでもあり、そして日曜日の昼の1時という時間にわざわざテレビを通して応援してくれた全国のサポーターたちのものでもある。
 しかし私の頭の中を少しよぎることがある。というのはこれだけ素晴らしい日本チームを信用していなかった人たちがいるということだ。そのことには私は哀れみを感じる。
 私はこれまで日本の選手たちに自分の中にある教本に載っていることを教えてきた。それはもうだいたい200ページぐらいにはなったと思う。一方、私の仕事について報告書が書かれるそうだが、それも100〜150ページぐらいにはなったんじゃないか(笑)。
 まあ、冗談はこのぐらいにしよう。今日、私は強い立場にいると思う。ここまでの2年間でしっかりといい仕事をしてきたことで、日本のサッカーの存在を示してこられた。さあ、これからはもっとスピーディに仕事を進めましょう。日本の選手たちは若くて、成長していて、志も高い人ばかりです。なにも私は脅しをかけているわけではありません。これからはきちんとした組織、目標、プログラムを取って、真の方針に向かって進んでいきたい。それ以外は考えられません。
 私は今、契約の終了時期に近づいているが、もし日本のサッカー協会が契約を更新しようという気があるのなら、私を待たせたり、いろいろな問題を起こしたりはしないでほしい。協会は代表監督を慈しみ、信頼しなくてはいけない。そして、もし必要としてくれるなら、新しい仕組みと、新しいやり方でやっていきたい。私はこれまでの2年間でもきちんとしたプログラムをお見せできたと思う。
 今後、正式にサッカー協会の会長とお会いすることになっているが、どうかその場所が地下の薄暗いところなどではないことを、明るく見通しのいい場所であることを望んでいます。そして私は協会とフランクな関係を築いていきたいと考えています」


◆ボリビア/カルロス・アラゴネス監督の会見より(抜粋)

「日本が勝って当然の内容だった。ただ、日本は序盤ナーバスに見えた。しかしそんな中でボリビアがミスやエラーを重ねてしまった。そして1点が入ってからの日本は落ち着きを取り戻していた。
 ボリビアにも2回ほど点を入れられるチャンスはあったが、そこで点を取ることができなかった。もしそこで点を取れていたら、試合は違った展開になっていたかもしれない。
 南米選手権当時と比べると、今日の日本の方が技術的には上だろう。それに若い選手が多くなったという印象をもったし、スピード感も増した。南米選手権の頃はもっと動きも遅く、技術も不正確だった。しかしそれらの問題点は今日は解消されていた。
 ボリビアの選手たちのコンディションは前の試合よりはよかった。もちろん完璧に時差を解消したとは言い難いが……。
 日本の選手の中では2つのゴールを決めた13番(柳沢)が気に入った。あとは15番(奥)、17番(三浦)が印象に残った」


「試験と実験」


前半7分、ボレーシュートを決め喜ぶ柳沢(撮影・KM)
 トルシエ監督は前々日の会見で、「このボリビア戦は“追試”ではない」と、このところの協会の対応にいささかの皮肉を込めて語った。およそ1か月前のハッサン2世杯への代表メンバー発表の場では、これからの4試合は“実験”の場となると語っていた。“テスト=試験”ではないが“テスト=実験”なのだとトルシエ監督は言っている。
 思えば、この“実験”という言葉が、トルシエ監督に対する誤解や悪印象を生んでしまったのではないか。曰く「観戦料をとる試合を実験の場とするなんてとんでもない」、曰く「負けたときのためのエクスキューズではないか」等々。
 しかし確かにトルシエ監督は契約が続くのかどうかの土壇場とも言えるようなこの期に及んでも、実験を敢行してきた。“決定力不足”が言われる中、4試合でフォワード登録の6人(三浦知良、城彰二、西澤明訓、久保竜彦、柳沢敦、高原直泰)に加え森島寛晃、中西永輔までもを前線で試した。そしてその4試合では9得点を記録した。

 では、この日ボリビア戦ではいかなる実験を行ったのだろうか。この試合の大きな特徴は、中盤の選手がこれまでの試合に比べ、積極的にドリブルを仕掛けていくシーンが目立ったということ。しかしそのため中村俊輔にボールをあずける回数は減っていた。これにより中村はボールをもらいに下がってしまい、守備的な稲本よりもさらに下がる場面も何度かあった。これでは前線の選手が担うべき役割の1つであるドリブルためスペースを作り出す動きができない。ドリブル中心の攻めをサポートするために、時にはフォワードの選手と並ぶような位置取りをすることが中村には要求されたはずだ。中村自身は試合後に足に故障があったことを口にしていたが、森島への交代はこういう面があったのではないか。ちょうどこの時期に行われているサッカー欧州選手権では、フランスのジダンやポルトガルのルイ・コスタが“新しいタイプの10番の役割”を実証している。狭いスペースでいかにコントロールするか、高い技術を持つ中村に求められることがあるとすればこういうことだろう。

 日本の2点目は森島がフォワードの選手を追い越しポストに入ったことから生まれた。
 確かにハッサン2世杯で見せたような中田、名波、中村らを中心にしたパスを主体にしたサッカーは見ていても楽しいが、この日の日本は違うパターンを持っていることを見せてくれた。これがトルシエ監督の言う実験だったのかどうかは、残念ながら監督が試合後の会見で「この試合は年間10試合行われる代表の試合の1試合でしかない。つまり10%にすぎない。この試合について聞きたいこともあるかもしれないが、今日は答えない」と会見を切り上げてしまったために確認できなかった。しかし“実験”を口にしたからには、いつかそれは説明してもらいたい。

試合データ
日本   ボリビア
17 シュート 11
7 GK 11
3 CK 3
23 間接FK 18
8 直接FK 4
7 オフサイド 4
0 PK 0


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