11月19日

※無断転載を一切禁じます


2000 東京国際女子マラソン
(国立競技場発着、大森海岸折り返しの42.195km)
スタート:午後12時5分、天候:晴れ、気温:11.8度、
湿度:37%、東北東の風2.2メートル

 シドニー五輪後、国内の、また女子単独レースとしては初のビッグイベントとなった今年の東京国際女子マラソンは、3 月の名古屋国際で2時間24分36秒(2位)の日本歴代4位をマークした土佐礼子(三井海上)の将来性ある走りが注目された。土佐は、スタートから積極的に独走でレースを展開。5キロ(16分33)、10キロ(16分35)と16分台のハイペースでラップを刻んだ。
 中間点前からペースが落ち、後方から追い上げてきたシドニー五輪銅メダリストのチェプチュンバ(ケニア)に並ばれ、27キロすぎには振り切られた。
 しかしこの後も、厳しい単独レースを冷静にまとめて、35キロ過ぎからの上り坂を安定したリズムで乗り切って、2 位ながら2時間24分47秒と2度目の24分台をマーク。この結果で、日本人1位、2時間26分を破る、とした来年のエドモントン世界陸上の基準を突破し、代表に内定。日本女子ランナーで2度連続で2時間25分を突破したのは高橋に続いて史上2人目という快挙を達成し、アテネを目指すランナーの実力派エースとして、女子マラソンの若い世代をリードする存在となった。
 優勝したチェプチュンバ(ケニア)はマイペースを崩さぬ圧倒的な自信を武器に、シドニーと同じ後方からの追い上げで2時間24分2秒と、五輪からわずかか月で自己2番目の好記録をマーク。途中、胃けいれんを起こし吐きながら結果を残すという、世界レベルの実力を存分に見せつけた。
 なお、日本人で2位となった片岡純子(富士銀行)は(5位、2 時間28分20秒)、かつてトラックの日本記録を持つスピードランナーで世界選手権の代表にもなったキャリアを持つ。坐骨神経痛や足首の故障に苦しみまったく走れない時期もあった。そこを乗り越え30歳になって、自己記録を2分短縮してゴールしたことは称賛される。

 以下、レース後の会見から要旨抜粋:

チェプチュンバ(ケニア)「すばらしいレースができた。前半は、横と前からの風が強くて難しい面もあった。(土佐を)そう離れずについていければ、どこかで捉えられると思っていた。彼女は 27.5 キロで引き離したけれど、いいランナーだと思った。シドニーの後は帰国して1週間だけ休養し、このレースに出ることを決めた。疲れはなかったし、ランナーはきちんとした休養さえ取れば走れると思っている。35キロから何度か振り返ったのは、左脚に痛みを感じたので、離れたのを確認して少し(脚を)緩めた。(嘔吐は)水を飲みすぎてしまって、それをもどした。母国の女子陸上選手としては初の五輪メダルは非常に歓迎され、喜ばれてうれしい」

土佐礼子(三井海上)「前半は体が軽くて、できるだけ行けるところまで行こう、自分の力を試してみようと思って行きました。チェプチュンバさんに抜かれたところは、できるだけついて行こうと思ったのですが……。優勝を狙ったので不本意ではありますが、24 分台をもう一度出せたことはうれしい。目標は自己ベスト更新23分台だったのですが、タイムはゴールまで見ませんでした。チェプチュンバさんに置いて行かれてからの何キロか、そこが一番辛かった。後半最後になって建て直しができたとは思う。けれども世界のランナーの力はやはり凄いと思いました。
 名古屋(事実上の初マラソン)とは、やはり今回のほうが、特に後半が厳しかった。24分台がまぐれではなかったことを証明できたのは収穫で、今後は高橋(尚子、積水化学)さんのように何度でも切り替えのできるようなランナーになるためにもっと力をつけたいと思う」

片岡純子(富士銀行)「30歳で新人賞ですか? 照れくさい気がしますね。確かにつらい時期もありましたが、結局は走ることで答えを出そうと思い続けました。マラソンの新人賞ですから、まだまだ走れということでしょうか(笑い)」

●2000年優勝タイム/チェプチュンバ
5km 10km 15km 20km 25km 30km 35km 40km ゴール
ラップ 0:17:00 0:33:30 0:50:09 1:07:06 1:24:08 1:41:11 1:58:24 2:16:18 2:24:02
5kmごと --- 0:16:30 0:16:39 0:16:57 0:17:02 0:17:03 0:17:13 0:17:54 0:07:41

●東京国際女子マラソンコースレコード/1999年 山口衛里
5km 10km 15km 20km 25km 30km 35km 40km ゴール
ラップ 0:16:24 0:32:46 0:49:18 1:05:51 1:22:44 1:39:35 1:56:46 2:14:41 2:22:12

2000 東京国際女子マラソン 結果
順位 選 手 記録
1 チェプチュンバ(ケニア) 2:24:02
2 土佐礼子(三井海上) 2:24:47
3 ツル(エチオピア) 2:26:38
4 ソバンスカ(ポーランド) 2:27:52
5 片岡純子(富士銀行) 2:28:20
6 イリノワ(ロシア) 2:28:49
7 山内美根子(資生堂) 2:28:51
8 王艶栄(デンソー) 2:30:23

「8か月遅れの新星」

 マラソンを目指すものにとって鬼門ともいえる2度目のレース(松山大学時代には一度、2時間54分で走ったことがあるという)でも、土佐は安定したリズムを刻み、どんな状況でも「冷静さ」を失わないという何よりの才能を存分に発揮したといえる。名古屋では、高橋尚子が代表権を獲得してしまっただけに、本来ならば歴代4位をマークした新星として大きな注目を浴びるべきところがそうならなかった。
「今回は、何よりもそれがまぐれでないことは証明したいと思っていました。ですから、最後までレースに集中できたのかもしれません。ただ、目標はクリアできなかったので不本意ではあります」
 それほど力を使いきった様子はなく、まだ余力があるほどの落ち着きで、土佐はレースを振り返った。8か月の間に、中国の昆明で高地練習を積み、ボルダーでは脚を痛めてウォーキングだけをしたという。
「焦ったり、動揺したりということもあるんでしょうが、それがあまり表に出ません。どちらかというと淡々とやるタイプ」と、鈴木秀夫監督は話す。レース後も、監督に駆け寄るでもなく、本人から監督の携帯に「ドーピング、てこずりそうです(尿が出ないので)」と電話が入るくらいだった。
 2度続けて25分を切ったマラソンをしているのは、高橋尚子一人で、冷静さ、ピッチの正確さ、腕の振り、体重移動とすべてでどれも平均点を超える万能ランナーといえる。

 ここで欲を言えば、もうひと工夫、というところだ。
 チェプチュンバが、土佐を振り切った直後に戻しているだけに、そこを粘っていれば別の展開になったかもしれない。結果はこれ以上ないすばらしいものだ。一方、彼女の上には現役で、高橋、弘山晴美(資生堂)、山口衛里(天満屋)と、そうそうたる22分台ランナーがいる。土佐が世界で戦おうと願うことは同時に、この世界的なランナー3人を倒さねばならないことでもある。
 3人の持ち味は、鋭さであり、スピードであり、パワーである。土佐は、この日、チェプチュンバに置いて行かれてから冷静にレースをまとめたが、ラスト2.195キロのあがりはわずかに2秒差だったことを思うと、まだまだチェプチュンバに離される前に食らいつく力も使えたかもしれない。
 松山大学では無名で、しかも高校時代の恩師が就職の話を何とかまとめたという。可能性は本人が思った以上のものであったはずだ。ほかの3人にはない若さと無限の可能性をもって、新たなチャレンジをする土佐が、アテネまでどんな戦いをするか。シドニー後のレースとしては最高と表現できる若手の誕生となった。

「私も輝かないと……」

 レースを主催した朝日新聞社から、朝日スポーツ賞の特別賞が、高橋尚子、小出義雄監督(積水化学)に与えられた。
 シドニーから2か月、高橋は「表彰にわざわざ呼んでいただけることは本当に名誉ですし、いただく賞ひとつひとつがうれしいです。でも正直なところ、焦っている自分もわかって、もどかしさもあります」と心境を吐露した。
 もどかしさとは、練習がどうしても確保できないことのみであろう。練習過多も問題だが、トップ選手は走れない毎日に大きなストレスを感じるという。
 この日はゲスト出演をしたが、それでもレースを見る眼は真剣で、「怖い」と周囲にからかわれたと笑う。
「みなさんが輝いているのを見て、やはり私も輝きたいな、と思いました。パワーをもらいました」

 23日には千葉国際駅伝で五輪以来のレースに挑む。そのため21日から全日本の合宿に参加するが、現在の体調からいっても、出場し区間をそれなりの結果でたすきをつなぐことはかなり難しいのではないか。
 シドニーを走ったランナーは事実、かなり消耗している。
千葉駅伝のために来日はしたものの、シモン(ルーマニア、シドニー銀メダル)もメキシコのレースで体調を崩して、駅伝はキャンセルし帰国することになった。奇しくも東京のパーティー会場に金、銀、銅メダリストが揃ったが、置かれた状況はそれぞれ大きく違っていた。
 怖いとからかわれたというが、高橋がレースを見つめている目は、彼女が走っている時の目の怖さにははるかに及ばない。チェプチュンバが話したように「ランナーにとって、休養は走ることと同じくらい重要です」ということだろうか。


2000Jリーグ ディビジョン2 最終節
浦和ダイヤモンドレッズ×サガン鳥栖
(浦和市駒場スタジアム)
キックオフ:13時4分、観衆:20,207人
天候:晴れ、気温:18.6度、湿度:20%

(取材・田中龍也)

浦和 鳥栖
2 前半 0 前半 0 1
後半 1 後半 1
延長前半 1 延長前半 0
45分:アジエル
95分:土橋正樹
ルシアノ:52分

交代出場
浦和

45分:福永 泰(路木龍次)
70分:土橋正樹(大柴健二)
90分:岡野雅行(ピクン)
鳥栖
45分:佐藤大実(中村 伸)
72分:小林 悟(石谷吾一)
75分:片渕浩一郎(有村光史)
 後半開始5分、ゴール前、右サイドから阿部敏之が放ったフリーキックは壁にあたり、逆サイドにいた土橋正樹の前に跳ね返ってきた。土橋は慎重にトラップし、ミドルレンジから思い切りよくボレーで蹴り込む。するとボールは一直線にゴールネットを突き刺した。その瞬間、浦和レッズのJ1復帰を祝う大歓声がスタジアム中を覆った──。

 勝てば自力でJ1昇格を決める浦和は、前節と同様に大柴健二をトップに起用し、2000年シーズンJリーグディビジョン2最終節の大一番に臨んだ。試合の序盤、浦和は前線から積極的にプレスをかけ試合を優位に進めるが、攻撃面でははやる気持ちを象徴するかのようにオフサイドを連発してしまう。さらには30分を過ぎると体力が目に見えて落ち、プレスもかからなくなり幾度となくピンチにさらされる。前半のシュート数は、浦和の3本に対し鳥栖が8本。かなり押し込まれたムードのままハーフタイムを迎えた。

 後半開始直後、鳥栖のディフェンダー、川前力也がボールの処理にもたついたところを後半から入った福永泰がチェックに行き、奪ったボールがアジエルの前にこぼれる。アジエルはゴールキーパーの動きを落ち着いて見切り、待望の先制ゴールを決めた。これでペースを取り戻すかに見えた浦和だったが、後半7分にストッパーの西野努とゴールキーパーの西部洋平が連携ミスから交錯し、鳥栖のFWルシアノに同点となるイージーゴールをプレゼントしてしまう。さらには後半19分、鳥栖の石谷吾一が中央をドリブルで抜け出すと、ペナルティエリア内で室井市衛が後方からタックル。石谷が倒れると主審は迷わずPKを指示した。このファールで室井は一発レッドカードで退場となってしまう。2万人の観衆が固唾を飲む中、ルシアノの蹴ったボールはポストにはじかれ、浦和はどうにかこの絶体絶命のピンチを切り抜けた。その後は双方とも得点には至らず、試合はそのまま延長戦に突入。

 1人少ないという数的不利と、同時刻に行われていた試合で昇格争いのライバル、大分トリニータが90分以内での勝利を決めたために、J1昇格には敗戦はもちろん引き分けも許されないという厳しい状況に追い込まれた浦和は、岡野雅行を投入し、スピードで停滞した状況の打開をはかる。これが功を奏しリズムをつかんだ浦和の劇的な延長Vゴール勝ちへとつながった。
 昨年のリーグ最終戦では悲しみの涙のVゴール勝ちを経験した浦和が、歓喜のVゴールで1年でJ1への復帰をもぎ取った。

浦和・横山謙三総監督「途中でああいうペナルティがあって、10人になったときはかなりショックだったが、もちこたえられるという感触が得られてからは、どこかでやってくれるという期待ばかりを持っていた。それが期待通り、劇的な勝利を得られたということで、今はホッとしている」

──昇格を決めて率直な気持ちは
横山 正直、ホッとした。本当はもっと早い時期で決めなければいけなかった。私がこういう立場になってからでも、山形に勝っていればもっと早い時期に決められていた。多くの関係者の方々、ファンの方々には心配をかけたという面で、申し訳なかったと思う。

──シーズン前に考えていた以上に苦戦した原因は
横山 戦い方からすれば、戦力となる選手がかなりいるということで、非常に攻撃的に戦うことができると思っていた。攻撃的にやった結果、ちょっとした守備の穴をつかれて、失点するというようなことが多くあった。札幌のように1年間経験をして戦い方をわかってやっていたところとは、そういう面での差があった。ガッチリ守ってさえいれば、いつかチャンスが来るというような戦い方のほうがよかったのかもしれない。

──鳥栖の印象は
横山 攻守の切り替えがはやいチームで、我々の守備もかなり攪乱された。来シーズンは非常に楽しみなチームではないか。

──大分勝利の情報はいつ知ったか
横山 (自分たちの)試合が終わってから知った。まあ途中でも(スタッフには)情報は入っていただろうけど、別に知る必要はないと思っていた。

──今シーズンの経験を来年にどう活かすか
横山 非常に難しい質問でなんと答えたらいいかわからないが、1つ1つサッカーのいろはから細かいところを積み上げて戦いに出るということをしないと、ちょっとした隙をつかれてやられてしまうということがあると思う。それはたぶん選手も感じているだろう。

浦和・斉藤和夫監督「40試合という長いシーズンを終えて、結果レッズがJ1に上がれて非常によかった。選手にはありがとうと言った」


J1復帰へのVゴールを決めた土橋(右)
土橋正樹「この1年はサポーターには寂しい思いをさせてしまった。今日は自分自身、最後によいプレーができてよかった。ゴールはサポーターと選手みんなの気持ちがボールに乗ってくれたと思う。本当に最高のゴールだった。最後まで心配をかけてしまったがまたJ1に復帰することができました。今まで応援してくれてありがとうございました」

西部洋平「PKのシーンは何も考えられなかった。(ボールとは)逆に飛んでしまったが、ツキがありました。今日の試合には自分のためというよりは(土田)尚史さんのためにもがんばるという気持ちでした。今の僕があるのは土田コーチあってのものです。
 今年1年を振り返るとあっという間でした。(自分が出場した)6試合も、本当にあっという間に過ぎましたけど、自分自身にとっては充実した1年でした」

小野伸二「去年と同じ形で、ハラハラさせてしまったけれど、最後に決められてよかった。自分自身はケガなどで迷惑をかけ通しだった。キャプテンとしての仕事ができなかったのには悔いが残ります」

岡野雅行「自由に動けと言われてピッチに送り出されたが、自分としても自由に動き回って気持ちで盛り上げるしかないと思っていた。(延長開始から出場する前、ピッチを駆け抜けたのは)みんなも期待しているだろうと思ったから(笑)。
 今年1年を振り返ると、長かったし、もうこういうのはイヤですね(笑)。ただ、このままJ1に上がっても今のままではきつい。もっと自分たちの形を出していかなければならないと思う。僕は浦和のサッカーは走るサッカーだと思っているし、来年、そういうサッカーをやってくれると期待したい」

鳥栖・高祖和弘監督「浦和が最後まであきらめずにJ1昇格を決めたことにはおめでとうと言いたい。試合を振り返って悔やまれるのは1点目の失点の場面。2点目を取るチャンスもあったが取れなかったのは、サポーターの熱い思いが神様に届いたのではないか」

Jリーグ川淵三郎チェアマン「浦和レッズがJ2、2位となり、J1昇格が決定したことを心からお慶び申し上げます。
 今シーズンはJ2で戦ってきたレッズですが、その間の以前と変わらず、揺るぎないファン・サポーター、そして地域の皆さんの声援を受けてきたことは、J2を活性化させただけでなく、“地域に根ざしたスポーツクラブ”を理念とするJリーグにとって大きな意味を持つことでした。J2、2位というのはレッズとしては不本意な成績かもしれませんが、来季に向け、ますます力をつけてほしいと願っています。
 J1復帰後は、Jリーグ全体をさらに活性化させ、“Jリーグ百年構想”のリーダー的存在としてさらなる発展を遂げてくれるものと期待しています」

試合データ
浦和   鳥栖
15 シュート 14
8 GK 14
4 CK 3
15 直接FK 15
5 間接FK 8
3 オフサイド 8
0 PK 1

「スタジアムの醍醐味」

 20,207人という今シーズン最多の観衆を集めたこの日の駒場スタジアムには、サッカーという競技が持つ“妙”が詰まっていたのではないか。前半の浦和はお世辞にもいい内容とは言えなかった。しかし後半に入るとすぐに、投入されたばかりの福永が絡んで先制点を奪う。
 ここ数試合の浦和は、先制するとその後極端に守りに入るという、J1復帰を至上命題としたチームならではの“固さ”があった。この日もそうなる気配を漂わせたが、それが顕著になる前にミスで同点に追いつかれ、さらには守備の要のストッパーがレッドカードにより退場。流れは完全に悪い方へと傾いて行った。
 しかし浦和は勝利をつかんだ。得点したのはまたしても途中出場の選手であり、しかも戦術的というよりはアクシデントにより起用された土橋が決めたというのもおもしろい。
 この試合に訪れた浦和のサポーターはそれこそ喜怒哀楽、すべての感情をかなり高いレベルで感じたことだろう。

 J2降格が決まったとき、浦和の選手たちは全勝してJ1に復帰するぐらいの気持ちを持っていた。しかし、結果的には最終戦まで苦しむことになってしまった。シーズン前はきっとある意味での“おごり”を選手たちは持っていただろう。そしてその“おごり”はサポーターにもあったのではないか。復帰を果たすまでの道のりが、ここまで辛く、ここまで楽しいものであるとは、想像できなかったのではないかと思う。

 選手層においてJ1とJ2には大きな隔たりがあるかもしれない。しかし、サッカーの楽しさというのはそういう面とは別な部分にもある。長丁場のJ2で、2年連続最終戦まで昇格争いがもつれるとは、なにか不思議な力が働いているとしか思えない。

 札幌と浦和という多くのサポーターを持つチームをいっぺんに失うことで、来年のJ2の盛り上がりを心配する声も聞く。しかし、J2には“昇格”というJ2ならではの楽しみがある。そしてそこで感じる喜怒哀楽はスタジアムに足繁く通ったものだけが思う存分に味わえる“贅沢”なのだ。この“贅沢”を、来年も多くの人に味わってほしい。

2000年シーズンJ2の浦和の観客動員数
<ホーム>
試合日 対戦相手 観客数
1 3/11 水戸 18422
3 3/25 大宮 20189
5 4/2 甲府 16996
7 4/16 新潟 16610
10 5/3 大分 19132
13 5/18 湘南 15671
15 5/27 鳥栖 16735
17 6/4 札幌 19222
19 6/17 仙台 15561
22 7/1 山形 17176
24 7/22 甲府 16307
26 8/2 新潟 13408
29 8/19 大分 18157
31 9/2 水戸 14114
33 9/16 大宮 16405
35 9/28 札幌 16068
37 10/7 仙台 15410
40 10/29 山形 14596
42 11/12 湘南 18071
44 11/19 鳥栖 20207
観客動員数 合計 338457
1試合平均 16923
<アウェイ>
試合日 対戦相手 観客数
2 3/19 湘南 14868
4 3/30 鳥栖 7954
8 4/23 仙台 18706
11 5/7 山形 11671
12 5/14 水戸 6155
14 5/22 大宮 7147
16 6/1 甲府 6005
18 6/10 新潟 11662
21 6/24 大分 9841
23 7/9 鳥栖 10177
6 7/16 札幌 10146
25 7/29 札幌 19825
27 8/5 仙台 17933
30 8/27 山形 8176
32 9/9 湘南 10107
34 9/24 甲府 4891
36 10/1 新潟 8411
39 10/22 大分 14639
41 11/5 水戸 5373
43 11/16 大宮 9499
観客動員数 合計 213186
1試合平均 10659

BEFORE LATEST NEXT