1月26日
Special Column
ペルージャ在住のサッカーファンの一人が、こんなエッセイを寄せてくれました。ローマに移籍して2試合目、彼を迎えた側の騒ぎとはちょっと異なった、彼を送り出した側のその後について、セリエAの中田の生みの親たちは、こう叫んでいるそうです。「フォルッツア・ナカタ!」 (以下は、中田が移籍してから、それまではまったく見ていなかったサッカーを熱心に見るようになったという日本人のファンがお書きになったものです)
「フォルッツア、中田」
文・ミキ・ファブリッツオ
中田の移籍話の嵐が去って ペルージャは静まりかえっている。中田のいない試合になれていないこと、そして中田のローマでのプレーに元気がないこと。人々はだからとても寂し気だ。
ローマからわずか車で2時間、田舎町の誰もが彼の溌剌としたプレーが戻ることだけを祈り続けている。
移籍騒動の最中、中田は仲の良いファンに、「僕はローマにシーズン途中で行きたくない」と、イタリア語で、もらしていた。中田は慎重な選手だから、自分がローマでどんな使われ方をするのか、心配だろうし、シーズン途中でうまくローマの戦術に慣れるかも考えただろう。シーズン終了なら合宿から各人準備が一緒に出来て自然にチームに溶け込みやすい。同時にペルージャチームは司令塔を失い、自分が居なくなれば、マッツォーネ監督の目標である「苦しくも楽しみながらのセリエA残留」ができなくなる。中田本人もホームページで、「新聞の話は信じないで」と移籍はまだ決まってないとも懸命に書いていた。
しかしセリエAの華々しくも厳しい「移籍」の現実を、恐らく中田よりも何度も多く経験してきたファンから見れば、この否定は、あすにでも彼が愛したこの街を去らねばならない現実を彼自身が「信じたくない」という、その気持ちの現れであったように見えた。
移籍の話があってから、中田が出ていってしまうまでの約3週間、サポーターはいつもより多く中田を見に練習場にやって来た。300人から500人の時もあった。本当に驚いた事に、サポーターはペルージャをシーズン途中で見捨て出ていってしまうことに怒りを感じていなかった。これは中田の人柄ゆえに起こり得た事である。
同時に「ビッグチームに行きたがるのはプロ選手なら当然の事。中田はペルージャチームを引っ張って活躍した。ここにいてはもったいない。ビッグチームでプレイする方がふさわしい」と、サポーター会長マウリツィオ・プリミエリ氏がサポーターたちに呼びかけたとき、みながそれに大きな拍手をした。
私自身、ペルージャに在住10年になる。
中田が来る前は日本の友達に「私はイタリアのペルージャに居ます」と言うと「どこ?」といわれたものだが、今は「ああ、あの中田がいる」と話が早くなった。
過去には、デザイナーの高田ケンゾーや、作家の須賀敦子もこの地でイタリア語を学んだのだが、ナカタのパス1本ほどに強烈に、そして深く知られることはなかった。
一昨年の11月29日ピアチェンツァ戦でのアクロバティクなオーバーへッドでゴールを決めてから、この、イタリアでは閉鎖的な性格から「ペルジーナ」と独特の呼ばれ方をする人々の気持ちは、中田に大きく引き寄せられて行った。
あのゴールの後、「うまく足にあたってなかった」と、本人は平然と答えて、その淡々とした表情、日本人的な抑制の効いた感情表現、プレーだけでなく彼の性格にもみなが魅力を感じはじめていたし、私自身、彼の存在に同じ日本人としての力強いアイデンティティーを感じることができた。
数々の感動的シーンが蘇る。
ペルージャは大きな産業もない。ここのサポーター達は本当にわずかな収入の中から、決して安くないチケット代をつむぎ出し、中田とのひとときに生きる喜びを感じていたのだ。
中田を失ったペルージャのサポーターは皆寂しさを紛らわす為、練習場でサッカー談議にのめり込んでいる。そして今、中田のプレーに何よりペルージャで見せたような「心意気」がないことを悲しんでいる。
別れはとても辛い。
けれども私たちが尊敬と愛情と暖かさを持って、シーズン途中に送りだしたことをどうか忘れないで欲しい。また、あなた自身が、ここを去ることをどんなに辛い思いでそれを受け止め、涙も流したかもしれないこと、それもみなよく分かっている。 しかし、どこへ行っても、中田は中田のアイデンティティーを失ってはいけない。
なぜなら、セリエAに残留し、ローマというビッグクラブへの移籍を果たした今、「確固たるアイデンティティーと自信を持って生きて行く」という信念こそ、あなたが、この小さな街・ペルージャに、地方の弱小クラブペルージャに残した、最高の置き土産なのだから。
短信
「Jリーグに初の外国人スタッフ誕生」
Jリーグは1月の人事で初めて外国人スタッフを採用。中国国籍の朱暁東(シュ・ショー・トー)さん。上海生まれで日本に留学、一橋大学を卒業後に商社に入社、いったんJリーグ映像に入社したが、1か月でJリーグへ配転になった。
27歳の青年で日本語は流暢なもの。「サッカーは中国にいるときから大好き。新しいビジネスで将来の発展に期待しています」。すでに日本人の奥さんがおり、在日10年、将来は帰化も考えている、という。Jリーグ川淵三郎チェアマンは「日本サッカー協会も含めて各国との人事交流はこれからも活発にやりたい」意向だ。(文・松原明) |