投稿の際は必要入力事項を必ずご確認ください


■ターフの女王 〜最強牝馬コレクション
武 豊/著
2003年10月 朝日新聞社 1,000円(本体)
ISBN:4-02-257872-6

→この本を
 bk1で
 購入する
評者・増島みどり(スポーツライター)  2003.11.5 update

「キミのお母さんを知っているよ」

 ご本人が覚えていることはあり得ないが、一度だけ武騎手を取材している。88年か、89年。当時は日刊スポーツ新聞社で巨人担当をしていたと思うが、女性記者の企画もの、というページで、同期の競馬担当の力で実現したインタビューである。朝4時半に府中で待ち合わせをしたと思う。
 前年に、武騎手は確かG1を初制覇したばかりで、超ホープとしての取材である。今でも思い出すのは、自分よりもずっと若い彼が、腰を折って見せた実に美しい「礼」の形と、鞭(ムチ)についてのコメントである。

「ムチ1回の打ち方でも、それは馬によって、状況によって、みな違います」

 もちろんこの話は、武騎手に限った話でもなければ、彼の才能を示すうえでも、競馬の一般的な話としても、特別なエピソードでも何でもない。しかし、10年以上前のコメントのおかげで、武騎手をテレビで見るたびに「勝ったこの馬には、どんな風にムチを入れたのだろうか」とイメージをすることになった。

 本書は、馬券も買わない、馬をよく知らない私のような者にもわかりやすく、平易な表現でその魅力が伝えられている。その成功の理由は「天才ジョッキー勝利の秘訣」と副題が示すような必勝ハウツウにはなく、彼が愛した「牝馬」たちとの、情に満ちた物語にあると思う。世界的騎手として牝馬をいかに乗りこなすか、の話でありながら、牝馬とのストーリーにはどこか女性との恋愛にも似た、駆け引きや深い愛情が随所に散りばめられている。

「終わりに」、には、こんな記述がある。「はじめに」、にした方がいいかもしれない。

「ジョッキーになりたての頃、僕はさして牝馬と牡馬を乗り分けていたわけではありません。だんだん乗っているうちに、僕なりに色々発見があり、牝馬に対する考え方がかたまってきたようです。(略)たとえばムチ。個々の違いはありますが相対的に牝馬は牡馬より繊細な馬が多いから、ムチを入れるにしても牡馬に比べるとやさしく、ソフトタッチにします。できれば使わないようにしたい。人間もそうですよね。お尻を叩かれたとしたら、女の人のほうがきゃっとか言って大きく反応します。それと同じ……(続く)」

 女性のお尻をたたけば、大きく反応するどころか殴り返される危険性もあるので、それと同じ、という言い方は本当にユーラスで、笑ってしまったが。
 12年前、「馬によってみな違います」と教えてくれた話は、やがて、性別によっても繊細に異なることもある、という、ひとつの答になったのだろうか。

 私にとって読書の魅力の一面は人間性の表現方法にあるので、物語そのもののおもしろさよりも、書き方や表現、といった筆者の感性に関心が向いていることが多い。
 本書のコラム「血統について」の中で、ブラッドスポーツ(血統)と呼ばれる競馬の魅力について、「(略)このように血統は競馬にはかかせない要素です。(略)しかし15年もジョッキーを続けていると、父や母に関しては紙の上の血統だけではなくてその馬に実際乗ったことがあって、『きみのお母さんを知ってるよ』ということも多くなってきました」と書かれている。

 夢や現実、ロマンや、はずれ馬券、配当金がうずまく勝負の世界を生き抜く騎手の現実と、「きみのお母さんを知っているよ」と馬と語り合う世界。
 本書でもっとも好きな箇所である。

戻る

※掲載については若干のお時間をいただく場合があります。
※本コーナーへの掲載事項については事務局が適切でないと思われるもの
(個人的な誹謗、中傷、公序良俗に反するもの等)は掲載することができません。
※書籍の価格等は変更されている場合がありますのでご注意ください。
※「→この本をbk1で購入する買う」をクリックすると、bk1(オンライン書店ビーケーワン)で書籍が購入できます(購入方法に関してはbk1の「ガイド&ヘルプ」を参照ください)。