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■バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語
赤坂英一/著
2002年7月 講談社 1,600円(本体)

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評者・増島みどり スポーツライター 2002.8.11 update

自らを殺してチームを生かす名手が語る「犠打の精神」とは

 この書評を依頼される直前、サッカーW杯を終え、「自己犠牲」と題したタイトルの原稿を書いたばかりだった。
 スポーツにおける「犠牲」とは一体何であるかについて、強い関心を抱いていたこともある。世界最強のサッカーリーグとされるセリエA(イタリア)の現地取材をするようになり、監督の会見、選手のインタビューの中で実に頻繁にある単語が使われていることに気付いた。
「SI SACRIFICA PER LA SQUADRA」「SACRIFICA」がイタリア語の自己犠牲であり、この文脈が「彼はチームに貢献した」との意味になる。
 興味深いのは、本来反対の意味をもつ「貢献」と「犠牲」が常に対で語られる点である。
 ゴールを決めた、シュートを防いだといったプレー以上に、犠牲を払ったプレーをやり抜いた場合が、「貢献」と呼ばれるようなことは、サッカーのようなチームスポーツでは奥深い意義を示しているように思える。
 野球では「SACRIFICEHITS」が犠打の総称であり、犠牲フライは「SACRIFICE FLY」と表現される。こちらも本来は反対の意味である。犠牲とヒットが組となる不思議な単語によって、そのプレーが表現されている。
 サッカーでは、犠牲の形は必ずしも明確ではない。しかし野球では、犠牲は文字通りひとつの「死」、つまり「アウト」を伴わなければならない。私が犠牲バントを見ていてなぜか辛くなるのは、「死ぬ」と始めから分っていながら苦難を受け入れているような姿に、スポーツで払われるさまざまな犠牲の中でも、究極の形を見る思いがするからである。

現場取材の魅力が

 本書は、この「犠牲」に20年のキャリアをかけてきた川相昌弘の話を縦軸とし、巨人軍、長嶋茂雄監督ほか選手たちを横軸に据えながら、長年巨人担当を続けている筆者の取材を織り込んで書かれたノンフィクションである。
「自己犠牲」と題された章にこんな一文がある。

    「いくらホームランバッターばかり集めたって、そうそう勝てやせんでしょう。(中略)そこで自分の打席を無駄にしない、無駄に見えても無駄になっていない、そういうバッティングをする意識を選手のみんなが持ってやればいいんだよ。そういう意識をもってやればね、野球はまだまだ、もっともっと面白くなるんだ」

 筆者はこれを「川相の野球で、川相の生き方であり、犠打の精神であり、それを以ってする戦いだった」と結論付けている。欲をいえば、全篇にわたってさらに深く、38歳になる男の、グランド上の犠牲とは違い、自らへの引退勧告には強く抗うような「骨」を知りたかった。バント技術とその鍛錬の面白さ、犠牲を払う精神を体現し続けるベテランの「肉」をもっと知りたかった。人物の書き込みと、巨人が抱えるさまざまな状況をともに織り込む手法を取ったための難しさはある。また、巨人ファンと、アンチ巨人の野球ファンでは本書の読み方が異なるかもしれない。しかし、第一に、「私は思った」「私は感じた」といった、スポーツを添え物にしたノンフィクションとは異なり、自らの取材を基礎とした姿勢に共感は抱く。
 どの競技でも等しいが、プロに技術論を披露させるとなれば、互いによほどの信頼が介在する。スポーツでは今、目前で起きている現場取材が初歩であり、実のところ「すべて」にもなる。無駄な取材を重ねる労力を厭わないからこそ、選手の言葉の重み、畏怖について知ることができる。筆者は担当記者としての物理的な武器を存分に生かし、そこに軸足を置いた。

 本書を読んでいた7月25日、犠打世界記録(コリンズ)の511に迫る、日本球界前人未踏の500犠打を成功させるのを見て、私がスポーツ新聞の巨人担当だった10年以上前、川相から聞いた言葉を思い出した。
「犠打はプロで生き抜く飯の種だった」
 個人的には世界記録達成と同様に、あと何年現役を続行するかを楽しみにしている。なぜなら、スポーツにおける自己犠牲とは、強烈な自己主張と表裏一体であるからだ。
 本書を読むと、「じい」(川相のあだ名)はその魔力と喜びにとりつかれているのではないかと思う。

(「週間現代」2002年8月17日号「現代ライブラリー」より再録)

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