マイ アーリーデイズ

My Early days No.4  1979秋〜1980年春


     この年の夏に家を建てることになり、都会に引っ越した。実はこの時期に以前住んでいた BCL仲間達はみんなハムになったりSWL(ハム受信)になったりと、いわゆる純粋な意味での 「BCL」をやってる人はいなかった。確かに短波誌の厚さを見る限り79年くらいはかなり厚い のだが、良く言うBCLブームは75年くらいがピークというのは本当のような気がする。自分の 事を考えるとクーガー2200やスカイセンサー5800が登場以降、どんどん各社とも新機種を 投入する79年くらいがBCLブームのピークのような感じがするが、まわりの人間、つまり「ど うみてもこいつはBCLはやりそうもない」人、あるいは「深夜放送を聞いてるけど短波放送を聞い てる」って感じの人が真剣に短波放送を聞いていたのは、もうちょっと前のような感じがする。つ まりそれ以降は「いかにもラジオを聞きそうな人が聞いてる」って形になったんだろう。  もちろんそれはそれで安定期とする事も可能であるが、こと、当時のエレクトロニクスに関する 場合、ソフトの発達するするスピードよりもハードが発達する早いわけで、ソフト的、つまり番組 的に魅力に欠ける海外放送はやはり一般人には受け入れられなかったのだろうし、それ自体に魅力 を感じない「おたく的BCL」も「よりマニアック」な方向であるアマチュア無線や当時、急速に 立ち上がってきたパソコン産業に引かれるのはいたしかたないところだろう。 2200が出る前のクーガーシリーズのカタログ。この時代がBCLの頂点か?  そんな時に転校した学校で、BCLをやっている同学年の人間と知り合いになり、本当にBCL の話題をき共有できる事がとっても嬉しかった。特に刺激になったのは自分よりもベリカードを 持っていている奴がいたことで、(ベリカードの枚数ってのも何だが、当時はそれだけで、コイツ は凄いなあと思った)再びBCLへの熱が沸いてきた。 友人達のススメで入会した日本BCL連盟 ただ、残念ながら彼らは英語放送のベリカード、英語で報告書を書いたことがなかったので、書き 方を教えてあげた記憶がある。当時はすでにかなりの局から英語レポートで返信をもらっていた。 当時、英語放送では没はツキモノだったが、これが有名なR.RSAの没カード。あなたの レポートは何々が原因で確認出来ません、のような事が書いてある。とってもショック だったが今から考えると非常に親切な放送局である。 高校受験を前にして再びBCL一筋的な流れになっていくことになる。やはり同じ事をやってる人間 が側にいるというのは刺激になるものである。しかし、これもほんの半年。1980年代に入ると同時 に高校に入学。その段階でまわりにはラジオ関係者はいなく、また一人でBCLを楽しむ事になる。 この当時買った本、あるいは紹介していなかった本をまとめて紹介しておきます。実際使ったのは 日本では画期的だった「DX年鑑」くらいだろう。他は読んだ事もないと思う。NHKが作っている「世界 のラジオとテレビジョン」って本は今でもありますね。先日本屋で見た。どちらにしてもあまり私 達には関係ない感じ。名前に引かれてつい通信販売で買いました。 次回はDXの楽しみを知り、DXこそがBCLだと勘違いしていく時期、同時にアマチュア無線にも再び目覚 めていく1980年代です。