マイ アーリーデイズ
My Early days No.1
1976冬〜1977春
私の実家には昔の私のBCLグッズがいろいろとあるので、それを少しづつ紹介しつつ、
自分のEarly days を振り返りたいと思う。
いつからBCLというものを意識したのかは覚えていないが、小学6年生の冬にラジオを
買ってもらったのがきっかけである。その選択も父が選んだもので、自分の意志は
全く入っていない、つまり興味がなかったのだと思う。私の田舎では中学に入学と同時に
「ラジカセ」を買ってもらうという暗黙のルールのようなものがあった。それで父親は
昔の人らしく、ラジカセよりもラジオとカセットは別々いい、加えてラジオは「バンド
数」が多い方が良いという事でこの「何でもラジオ」みたいのを買ってくれた。短波は
3バンドかな。それに中波とFMとテレビの1〜12chまでだったような気がする。
このラジオがBCLのきっかけ。
で、具体的にBCL、つまり海外放送を聞くきっかけは父親が出張の際に買ってくれた
「短波」の2月号だと思う。それ以前にも偶然日本語放送を聞いていたとは思うが、
この短波誌の巻末の日本語スケジュール表を参考にいろいろ狙っていた。
その表に書いてるある日付けが恐らく初受信であろう。
KGEI 2/6、HCJB 2/9、BBC 1/21 R.Australia 1/21 FEBC-Mnila 2/8,VOFC 12/29
R.Moscow 12/30,R.Peking 1/3,R.Korea 1/3 R.Pyongyang 2/6,V.O.Vietnam 2/11
となっており、この表を使っている時にはDW,SLBC,Vatican R.RAEは受信していないよ
うだ。そして、いろいろなところで書いているが、海外の遠くから電波が届く、つまり
DXという事に目覚めたのは間違いなくアンデスの声の初受信の時である。本当に感動した。
これがきっかで「短波放送」の魅力にはまっていくことになる。
1977年の短波2月号の表紙と日本語スケジュール
小学6年生の卒業文集には趣味の項目にBCLという言葉がある。でも最後に書いたと
ころを見るとそれほどの重要度ではなかったかもしれない。一度の中断はあるものの、
今も同じ趣味をやってるというのは全く笑ってしまう今日この頃である。参考までにこの
文集で趣味にBCLと書いているのは2クラス60人中3人、ちなみに中学1年後半ではこの
文集の中の60人中10人がBCLだった。男子だけだと30人中10人である。もっとも
中学3年の段階ではハムになったり、全く興味がなくなったりと、私以外はやっていな
かったと思う。
小学校の卒業文集。BCLの文字が見える。
次回は1977年の中学1年の夏、BCLとしてひとつのターニングポイントを迎えるプロシード
を買った以後について書きたいと思う。