蟲百題(壱)冬乃蛍

 

こんな話がある。
日本は各地で入梅して、まさにホタルの季節がやってきた。
ある人が子供にホタルの乱舞する光景を見せたくて、郊外の有名なホタルスポットにやってきた。
折りしも雨は止み、車の窓からは涼しげな風が吹く。
ゲンジボタルは清流の住人だ。
川の近くまで来ると遠くでチカチカと明滅する光がみえる。
おお、息子よ、見てごらんあれがホタルだよ!
しかし、現場へ近づくにつれ、彼は言葉を失った。
ホタルだと思ったその光は近づくにつれ、次第に大きく、明るくなり、そしてなによりその光は動かなかった。
ホタル見物に来た大勢の車のハザードランプだったのだ。
結局、ホタルは少数叢を寂しげに飛んでいたが、かつての賑わいはなく見物人のほうがよっぽど多かった。

ホタルの光を求めて人は夜を彷徨う。
かつてはどこにでも居たホタルを、今は必死になって探さねばならないのである。
ちなみに、各地でホタル祭が開催されているが、一部ではホタルは養殖したものを放しているか
、ぜんぜん別の場所で生息しているものを掃除機で吸い取って集めて放しているのだという。
水質は意外に綺麗なのになぜホタルが少ないのか・・・。
理由は簡単である。
見た目の綺麗さとは裏腹に、ホタルの生息に適した環境でない。
護岸工事によって叢がなくなり、水際の砂地もなくなり、蛹化する場所がなくなってしまった。
また、エサであるカワニナ(貝)が農薬で減少してしまったのである。
生態系の食物連鎖を一度断ったらもとの状態に戻すのには時間がかかる。
そうしている間にも明るすぎる街灯は真夜中過ぎても町を照らし、田んぼは宅地になり、川はコンクリートで護岸され、
空き缶が捨てられるのである。

日本を代表するホタル、ゲンジとヘイケ。
そして最近見つかったクメジマボタル。
これらは幼虫期を水棲で過ごすことは有名であるが
これが世界的には非常に稀有なことであることは案外知られていない。
日本のそして世界のホタルの大部分は陸棲のホタルである。
そして発光するホタルはほんのわずかしか居ないのである。
陸の巻貝などを主にエサとして林床に生息しているのがホタルの本来的な姿である。

ホタルといえばゲンジボタル。
前胸背の黒十字が目印の大型のホタルである。
学名としてもその名に十字架を背負った由緒正しいホタルである。
しかし、私にはなぜにゲンジなのか?その名前が気になるのである。
日本人の好きな歴史モノのなかでも源平合戦は有名な話だ。
ゲンジは源氏とゆかりがあるのだろうか?
ホタル研究のバイブルとして知られる神田左京先生の「ホタル」という本を紐解いてみよう。
すると、なんとこのホタルがいつからゲンジと呼ばれるようになったのかその名前の由来はわからないのだそうだ。
民俗学者の柳田國男はゲンジ=験者(修験者)だといった。
すなわち、山伏たちは夜の山を松明を炊いて歩き、修行をした。
遠くの山に松明の明かりが明滅する様をホタルに重ねたのかもしれない、と。
しかし、もっと単純に考えてみると、儚い恋に明け暮れる小説の主人公「光源氏」
すなわち「光」る生物の代表であるホタル→「源氏」というのが案外正解かもしれない。
ヘイケボタルはゲンジに呼応してできたものであろう。
これでは残念ながらホタルの源平合戦は成立し得ない。

ホタルは地方によって多少の差はあるものの6月初頭が旬である。
しかし、ホタルの季節は6月だけではない。
対馬にはアキマドボタルというマドボタルの一種が生息している。
マドボタルは決して民家の窓にやってきて蛍の光の歌よろしく照らしてくれるからではない。
奥ゆかしい彼らは頭を前胸の下に引っ込めている。
しかし、それでは背中側を見ることができない。
神様は下ばかり向いていないで上も見えるようにと、前胸に透明な窓のような部分を作ってくれたのだ。
アキとはまさしく秋である。
つまり、秋に出現するホタルだからアキマドボタル。
非常に分かりやすい名前である。
琉球には数種のマドボタルが生息しているが、発生時期は種によってまちまちである。
なぜ、対馬のマドボタルは秋に出現するようになったのか。
非常に不可解であり、不可思議でもある。
雲南省昆明では9月に標高2000m近い湖のほとりで、
まばゆいばかりの光を放って飛んでいるマドボタルを採集することができた。
秋に活動するホタルは日本以外にもいるのである。


秋に出てくるホタルが居るならば、冬に出てくるホタルがいたっていいじゃないか。
そう思った人は勘がいい。
実際、真冬に成虫になり行動するホタルも日本に居るのである。
イリオモテボタルは最近発見された種で、正確にはホタル科の昆虫ではない。
イリオモテボタル科という別の科に属する発光昆虫である。
活動時期はちょうど年末年始の頃だ。
亜熱帯の島でもこの時期は冬であり、夏とはうってかわって生命の息吹はあまり感じられない。
ダイビングをするのも寒くてかなわないので、観光客は比較的少なく落ち着いている。
イリモテボタルはこんな寂しい時期に成虫になり、交尾し、子孫を残す。
♂は完全変態し羽も生えており飛翔するが、♀はネオテニー(=成虫になっても幼虫の形態のまま)で羽がない。
したがって、飛ぶことができない。
見た目はホタルの幼虫とはかけ離れており、どちらかというとコメツキムシの幼虫に似ているように思える。
エサは貝ではなくてオカヤスデである。
幼虫や♀は器用にヤスデの体節をひとつ外してもぐりこみ、体の中を綺麗に食い尽くす様はさながらエイリアンである。
彼らの棲家は民家の石垣の隙間である。
午後6時、あたりが薄暗くなると♀は石垣の住まいからのそのそと出てきて、尾節の発光器を持ち上げ緑色の淡い光を
点燈する。
ただひたすら♂を待ちつづける儀式は夜の闇が完全に支配するまでのほんの1時間ほどで終わる。



日本の楽園・西表島も周回道路の国道化にともない重機が入り、整備・舗装され、
近代的な様式の建物が増えてきた。
工事によって流れ出た赤土がサンゴの海を汚していく。
島で生きていく人がいる以上、その生活の向上や経済は大事な問題である。
現在、リゾート開発が計画され実行に移されている。
それによって一時的には新たな雇用が生まれるかもしれない。
島人の生活スタイルが近代化し、街灯が夜を照らし、昔ながらの石垣がなくなってしまったら、
イリオモテボタルが激減することは間違いないだろう。
そんなことをぼんやり考えながら、♂への求愛をしつづける♀をじっと見つめていたら、さすがに恥ずかしくなったのか
彼女は石垣から下りてきてアスファルトの上をのそりのそりと道の反対側へと歩いていった。
その姿に、ふと将来の彼女たちの行く末が重なって見えた。


あとがき
ふじもり@えりー

一人で百まで続けられるとは到底思っていませんが、語呂がよいので蟲百題にしてしまいました。
今後も機会あるごとにムシにちなんだ小話を掌(たなごころ)の小説風にまとめていきたいと思います。
(注)かなりフィクションです。

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