真面目に考える採集禁止と保護

〜 なべの場合 〜



 
 
 

私は昆虫採集が好きである。
それ以前に、日本の自然が大好きである。

だから昆虫採集を通して、自然と向き合い、四季の移り変わりを感じているのかも知れない。

しかしながら、昆虫採集をする人は皆 ” ナチュラリスト ” かと言えば、そうとは限らない。

単にオオクワガタが好きで、他の昆虫には全く興味がないと言う人も、少なからず居るはずである。

では、オオクワオンリーの採集派と昆虫採集そのものを愛好する採集派とでは、自然に対する考え方は大きく違うのであろうか。



 
 
 

私も御多分に漏れず、本格的に昆虫と向き合うきっかけは、オオクワガタであった。
 

こどもの頃は幻だったクワガタが、身近な所でひっそりと生きているかも知れない。

そんなムシへの憧れは、大人になった自分を、少年の頃に戻してく
れた。

でも、採集をするのは、立派な大人なのである。素行まで少年時代
にフィードバックしては、問題があるだろう。

そこにある地域に置いて、採集禁止となった原因があるのではな
いだろうか。

モラルを守ると言う事は、採集ウンヌンを語る以前の問題である。


つまり、採集禁止と保護は別な次
元で論議されているのではないだろ
うか。

たとえば、オオクワガタを例に挙げ
れば、オオクワガタの保護の為に
採集禁止になっていると言う地区は
、極めて希なのではないだろうか。


そして、保護するのであれば、その特定の種を保護すると言う事で
はなく、棲息環境そのものを保護する必要があると言う事を深く理解
しなければならない。

オオクワガタが少なくなるから、オオクワガタを飼育して自然に帰す
などと言う事は、もっとも最終的に考える手段であり、現時点で実行
に移すのは、大きな間違えである。

放虫ツアーみたいなものがあると、聞いた事があるが、” 採ったら
その分自然に返しましょう ” なんてのは単なる偽善に過ぎない。

では、もしオオクワガタが大発生したらどうするのか。
オオクワハンターがオオクワバスターズにでも化けるのだろうか。

オオクワガタを放すなら、オオクワガタが産卵出来るように、産卵材
を設置して、” ある一定の区域を保護 ” することが望ましいと考
えるものである。




オオクワガタにしか興味がない採集派も、昆虫採集そのものを愛好
する採集派も、とどのつまりは大自然に依存しているのである。

大切なのは採集が出来る自然環境であり、保護すべきは、その自
然環境なのではないだろうか。

そして、昆虫愛好家が皆 ” ナチュラリスト ” たらん事を望むものである。

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