私は「むしや」・・・・?。

   むしやは「虫屋」と書く。のよね? 虫屋と言っても、虫を生業にしている訳ではありません。私の生業は背景画像のとおり。

ぢつは、趣味で昆虫採集や標本の収集をしている人の事を、「虫屋」と言うのですね。
大学時代まで知りませんでしたが(^^;)

    さて、記憶にあるかぎりでは、幼稚園児の頃くらいから虫が好きだったのですが、きっかけは親父が採って来たカブトムシやクワガタムシだったように思います。こうゆうきっかけで虫好きになった人は結構多いのではないでしょうか。

    小学校時代は、夏休みともなれば虫採りに明け暮れていたように記憶しています。でも、当時からカブトやクワガタだけではなくて、蝶やセミやバッタにも興味はありました。中学時代の夏休みの自由研究で、付近で採れるセミを標本にして提出した思い出があります。  アブラゼミ、ニイニイゼミ、クマゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシ、ツクツクボウシ、チッチゼミ、これくらいの雌雄は並べたように思う。ミンミンゼミの前胸の斑紋が、図鑑にあるような緑地に黒なのだけじゃなく、その逆の個体もいることを知って、妙に嬉しかったな。 でも、ハルゼミの仲間だけは採れんかったのよねぇ・・・  そーいえば、当時の私のバイブル的図鑑に載ってた記述で、「エゾゼミの仲間は木を蹴ると落ちてくる」的な記述があって、 (もちろんクワガタみたいにボトッ・・って感じではなく、バタバタと羽ばたきながらで、そこんとこはちゃんと記されていたと思う) 「そんなアホな(^^;)」って信じなかったのですが、友人とそのオヤジさんとで八ヶ岳に登山する機会がすぐにあって、その時試したらホンマに落ちてきやがって、めっちゃ感動した(^^;)

   思えば、まともな標本を作ったのはその時が最初ですが、以降10年間くらいは虫から遠ざかることとなるのです。理由は親が行く末を案じて?「お前、エエ加減に虫は卒業せぇ!」などと言ったってのもあったけど、私も人並みに同種の異性に目覚めたり、スポーツなんぞをやったりしてたのですねぇ(^^;)  でも、学校の授業では「生物」がいちばん好きでした。

  1984年 (だったと思う) に、某大学の農学部に進学するんですが、1〜2回生の間って基礎教育科目だかなんだかで、ぜんぜん面白くなくて、その上当時は二輪にハマってましてほとんど学校へは行かずにバイトばっかりしてせっせとガソリンを燃やしておりました。それでも、ちょっと人よりも時間をかけて(^^;)  なんとか3回生になったのですね。3年になるとまず、所属の研究室を決めるのですわ。その時に、「昆虫学研究室」を何故か選んでしまった。面白そうだとは思ったんやけど、べつにどーしても虫がやりたい訳ではなかったのが・・・・・で、ここで運命的な出会いをするんですな。
その時に、現在も虫友のT氏と、S先生と出会うのです。彼らは生粋の虫屋とも言うべき人たちで・・・・・・
・・・・・おおっとぉ!、人との関わりがテーマやなかった(^^;)    いや、確かにその人たちの影響はものスゴかったんだけど、それよりも私にとってすんごい事件があったのです。


上の写真の中央は、私のすべての昆虫標本の中でもっとも日付けの古いラベルの付くオオクワガタ。
1986年7月2日、採集地は大阪は能勢の某所。

    母校の研究室にはあるしきたりがあって、新入生は3年の1年間に、たしか10目30種だったっけ?
詳細忘れました・・・・・・(^^;)

   まぁ、とにかく、最低そのくらいの昆虫を標本にして研究室に提出しなければならないのでした。でも、上層部も、まったく放ってらかしって訳じゃなくて、月に一度くらいはS先生が引率して採集会なるものに連れて行ってくださったのです。
上記の日は、たしか3度目くらいの採集会で、行く途中の電車内でT氏から、「これから行くとこにはオオクワがおるんやでぇ〜」などと聞いていたのを思い出します。ホンマにそんなことも知らなかったんやったなぁ〜(^^;)

   さて、現地に着いて早速採集です。台場クヌギもこの時はじめて見たんですが、あれだけ「ばっかり」だとその迫力にはビビりましたねぇ。それでもガキん頃を思い出しては木の穴をほじったり蹴っとばしたりして、コクワやヒラタやノコギリなどはけっこうたくさん採れました。オオムラサキもはじめて採ったし、昼食までにはけっこう上機嫌だったんです。

   林道の脇に、たぶん造園業者さんの土地で、庭木の幼木の畑?があって、そこのあぜに腰をおろしておにぎりを食ってたとき (この時1人だった) 、フと20mくらい先の沢の横にデカい台場があるのに気付いたので、とりあえずメシを中断してそろそろと近づくと、幹にふっといツタがからまってて、ツタと樹皮の間がちょうど良い隙間になっており、そこから樹液がしたたってたのです。そぉ〜っとのぞくと、たしかになにかの気配がしたんで、持ってたピンセットをこじ入れてつまむと、確かな手ごたえ。でも、相手はナカナカ出てこない。5分くらい格闘してたかな。やっと出てきたのが上の写真真中のオオクワ64mmだったのです。その後、きっと♀がいるはずだと、持ってたナタ (なぜか家から持って行ってたんよなぁ〜) でツタをぶち切って剥がしたら、、、、、、

ウソみたいですがヒラタのペアが出てきたのですよ。← 本当!

ま、今から考えると、ツタは剥がさずに置いとくべきでしたねぇ(^^;)

帰り道、先生や連れにもさんざ恨み言を言われました。当時からオオクワガタは特別な虫だったんですね。

さて、その後、1987年の3月には沖縄の石垣、西表、本島の地を踏むことになるのですから、完璧にこヤツにハメられたって言っても過言ではないでしょう(^^;)

写真でも分かる通り、体全体がスレて光沢がなくなってるし、アゴの先も磨り減ってますよね。実は採集後1年半くらい殺せなくて飼ってたのです。

2001年冬号目次へ