〜蜃気楼〜

”想い出/思い入れのクワガタ”ってなんだろう?

くの人はオオクワって書くんだろうなあ。
私の場合、考えるまでもなく”子供の頃より憧れであったオオクワ・・・”なんてのはウソだ。
だって、子供のころはそりゃ学研の図鑑は持っていたけどまったく無知でオオクワについては殆ど何も知らなかった。
近所の子供は誰も持っていなかったし、誰の口からもオオクワなんて言葉は出たことがなかったのだ。
デパートのケース越しですら見たことはなかったのだ。
そんなオオクワに憬れになるわけがないし、思い入れがあろうはずもない。

南の海沿いの町で育った私が知っているクワであこがれといえば、 大きな耳状突起を持ち、金色の微毛に覆われ、発達した内歯に大きく湾曲したオオアゴを持ったミヤマクワガタであった。
これは持っている友達もいたし、デパートや露天で見たことがあった。
節約家の両親が、そんなムダなものを子供に買い与えるわけがなく、私の手の上にミヤマが載るのはまだまだ先のことだ。
あるとき、友達のお父さんがミヤマは朝早く丹沢の近くまでいけば採れるというので、連れて行ってもらう約束をした。
私は、両親を説得し朝夜が明けるまえから彼のアパートの前で待っていた・・・。
いつしか日が昇り、あたりが明るくなって、セミが五月蝿く鳴き叫ぶいつも通りの夏休みの朝が来た。
そう、すっぽかされたのだがそのときの悔しい気持ちは未だに記憶に残っている。
(我ながら我慢強い性格だと思うが、その我慢の果てにキレたらコワいこともよーく知っている)
その後、虫とは縁のないふつーの生活を続け、ミヤマクワガタに出会ったのはそれから15年くらい経ってからで、 その間ミヤマを恋焦がれていたといえば、それはやっぱりウソである。
ただ、クワ馬鹿初期の頃に出会った最大級の福井県産エゾ型ミヤマは、 採集した場所がその後足繁く通うことになった大好きなブナ原生林であり、 今でもあれはでかかったなーと思い出すクワの一つであることには違いない。

憶をたどってみると、 オオクワは知らなくても、実は、小学生のときにルリクワガタというものの存在を私は知っていたのだ。
図鑑に載っていたかどうかは定かでないが、ルリクワという虫がいることは私はたしかに知っていた。
休日も仕事で忙しいオヤジがめずらしく近所の雑木林に一緒に虫採りに行ってくれるといってくれたある8月の暑い日曜日。
私には到底入れないやぶのなかに分け入るのを私は道から見ていた。
ツタの絡まった木に登って採って来た小さな虫。
私が今まで採ったことのあった、コクワやノコギリとは明らかに違う虫。
表面がやや色づいているように見えたのだろうか、オヤジはそれをルリクワガタだと言った。
今思うと、あんな場所にルリクワは棲息していないだろうし、 そもそもそのときの小さな虫がクワガタであったかどうかすらあやしいものだ。
エリトラに筋があったようにも記憶しているので、たぶんスジクワか何かだったのだろう。
どこをどうみたらスジクワとルリを間違えるのか、 オヤジはとんでもないアホウか何も知らないと思って騙すワルイヤツのどちらかであるが、 ルリ色をしていないスジクワが想い出のクワなのか?

どものころの記憶といえば・・・。
クワガタの蛹というものをはじめてみたのは、 近所の友達といつもの雑木林にいったときのことだ。
時期は9月だったろう。
道をふさいでいた倒木をひっくり返して蹴飛ばすと、樹皮が捲れて朽ちた黒っぽい部分に蛹室があって白い蛹が出てきた。
一瞬?とおもったが、私はひらめいた・・・これはクワガタだ!
友達もクワガタじゃないか?といったが、私は きっと地蜂の蛹だろう、キモチワリーと言ってそのままほって家に帰った。
倒木の表面で地蜂とは、まったくもってウソハッピャクもいいところである。
翌日一人で現場にもどったのであるが、もう蛹はなくなっていた。
アリにでも食われたか、はたまた・・・。
何故あんなことをいったのか、少し後悔している自分に気づく。
ちなみに、はじめて累代飼育に成功したのもコクワだ。
なんということだ、コクワですら思い出のクワになってしまったではないか。

ワ馬鹿になってからヒラタというものに執着した時期があった。
関西〜九州では大型普通種であるが、関東平野では個体数は多くはないし、 もちろん子供のころは採ったことなどなかったヒラタが、日本海側の寒冷な気候の福井で・・・しかも家から1−2kmの、 冬は雪が積もるような河川敷だ。
その後、この河川敷には足繁く通い、ヤナギのうろでは5月〜6月、 8月後半〜9月にかけてノコ発生の前後にヒラタ成虫が活動していることも分ったし、 クワガタというと森とか林というイメージがあるが、河川敷というのは実はヒラタだけでなく種々のクワの生息場所であることも分った。
これも懐かしい想い出ではある・・・。

型種への転換。
これは小型種というよりは甲虫全般への興味であり、クワガタから離れるための単なるきっかけにすぎなかったということに気づくのにはそう長い時間はかからなかった。
もちろんそれまでやってきた飼育だってあれこれ考えたり、試したりしたのだが、相手は限られた数の(あたりまえだ)、手の内にあるクワで、彼らの運命は私の手のなかにあるのだ。
もちろん、メタモルフォーゼという神秘的な瞬間に出会える瞬間は嬉しかった。
しかし、どれも同じだ・・・飽きた。
増える菌糸ビン、ゴミの山、部屋に散らかる土、ドロ、ほこり、そしてコバエ。
嫁の冷ややかな目。
夜中にトイレで嫁に踏み潰された♀>そりゃゴキブリより動きが遅いんだから一撃だったろうに(合掌)
世話をしないですておかれ、干からびて足を絡ませてひっくり返ったオオクワ。
温度変化のためか、蛹室内で異常増殖したキノコに押しつぶされた蛹。
プリンカップで干からびた幼虫。
ただでさえ、ハウスダストに弱いのに・・・。
もう、うんざりだった。

集・・・自分の手で何かを掴み取ることに、かつてこれほど喜びを覚えたことはない。
釣りと同じで、 採集には”採れた”と”採った”の2つがあることは言うまでも無いことだが、採れた虫より、採った虫のほうがよりいっそう愛着があるのは確かだ。
そういう意味で、最初のコルリを”採る”まではかなり苦労したので思い入れが深いといえば深い。
しかし・・・それ以後の数年間で4桁に近い数のルリ属を採集してきた。
そのなかにいったいどれだけ思い入れのある虫がいるだろうか?
確かに標本箱の中にあるものを見れば「ああ、あのときのアイツだ」と思い出すが、所詮その程度の思い入れに過ぎない。
昔に比べれば格段にルリ属採集の腕も上がった現在では、材採集で3桁採らないとたくさんとった気にならなくなってきた。
採るのが当たり前になってしまえば ミナミコルリもニセコルリもホソツヤルリも同じくらいの思い入れしかない。

ヤハダクワガタ。
これは確かに思い入れがある。
なにせ、採集そのものが数えられるほどしかないから、採集した状況・個体をすべて思い出せる。
しかしその思い入れというものは虫そのものに対してではなく、はじめてツヤハダを採集したのがエサケルス大会にはじめて参加した日であるという理由からである。
しかし・・・本当にカッコいいか?ツヤハダ。
美麗な色彩には程遠い漆黒のカラダにエナメル調のツヤ。
それだけだったらツノクロツヤムシやミヤマダイコクとたいして変らん。
オオアゴだって他の種にくらべれば貧弱だし、足が短くって 円筒形のカラダは歩きにくそうだし、実際歩くのがへたくそである。
どっちかといえばドンクサイクワガタじゃないか・・・。
でも、すらっとオオアゴの伸びたミヤマツヤハダの大型個体は威厳があって良いなあとも思う。
自己主張があるのだ。
そういう意味では、
やはり魅力のあるクワガタであることには違いないんだろうなー。
なんだ、結局その程度の思い入れじゃないか。

メオオは森をさまよう。
福井県では数箇所で少数しか採れなかった。
しかし、一度だけ訪れたことのある桧枝岐では、驚くほど個体数が多く、あだちさん・スギリンさんと一緒にたくさん採ったっけ。
カヤやススキに対してアレルギーのある私は、くしゃみ、鼻水、蕁麻疹に悩まされながらも必死にネットをのばしたなあ。
ヒメオオはブナの原生林があればまずどこでも生息しているただの普通種なのだ。
ただし、ヤナギがなければルッキングで歩いている個体を採るか、カッタイ材を割って割って割りまくる必要がある。
そういや、ナタの振り過ぎで右手首腱鞘炎になったっけ。
うーん、ヒメオオよりは人との出会いだとか、カユイだとかイタイだとかそんなことを思い出してしまうんだが、これって思い出のクワなんだろうか。

あ、困ったぞ、どうしたものか。
他にもマダラ、ネブト、マルバネ、ルイスツノヒョウタン、マメクワ、チビクワ、オニクワ、キンオニなどなど日本産クワは数多あるし、外国産クワなんてもっともっとたくさんある。
外国産解禁にともない、かつてより容易に安価で珍しい外国産クワを飼育できるようになった。
数年前には考えもしなかった種が飼育され、累代されている。
しかし、それらはオオクワが憬れの、思い入れのあるクワでないのと同様に、私には夢にも出てこない虫なのである。
クワの原点。
オオクワにはじまり、オオクワに終わるというが、その始まりがそもそもなかった私の原点はどこにあるのだろう。
あれこれ思いをめぐらせて、いろいろ否定して、それでも残るもの。
私には想い出/思い入れのクワガタがあるのではなくて、”クワガタにまつわるの想い出”という、蜃気楼のようにぼんやりと揺らめく、淡い記憶だけである。

えりー@ふじもり

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