思い出のクワガタ

- A.CHIBA -
その日は家族の誰よりも早く起床、身支度を整えるのもそこそこに外へ出た。 まだ、それほど気温の上がっていない朝もやの中を早足に目的の場所へと向かう。家から20 分ほどの距離に有る雑木林。ここは何度か近所の年長の子供と来た事のある場所だった。コナラ、クヌギの太い木々が林立し、そこは他とは違い薄暗く少しひんやりとしていた。巨大な女郎蜘蛛の巣が、昇り始めた陽の光を反射し美しく輝いて見えていた。
更に奥へと、、少し勇気がいる、進んで行くといくらか開けた場所があり、そこに樹液を沢山出しているゴヅゴツとコブだらけなクヌギの老木が有った。
小さな虫の羽音がブンブンと耳元で聞こえる。発酵したクヌギの樹液の匂いがプンと鼻をついた。「いたー、でかいカブトだー、、」「また、いたー、ノコだー」 こんなに沢山の虫が樹液に群がっているのを見たのは初めてだった。 入れ物など持って来ていない ! 多すぎて全部手に持てない、半ズボンのポケットに 無理やり押し込んだ。カブトは出ようともがき、ポケットの薄い布地を通し爪をたて痛くて我慢でき ない、あわてて引っ張りだす ! これはいつもと違う、沢山採れすぎて全部はとても持って帰れない、どうしょう ! とりあえずでかいのだけ持って帰ろう、そうだでかいカブトそれにノコもだー、、、、
小学校低学年の頃、初めて一人で採集に行った時の記憶である。カブトも強く魅力的だったが大きいノコギリクワガタは少なく人気が有った。

昆虫図鑑を暇さえ有れば眺めていた時期がある。手垢が付いて薄黒く変色したページを目をつぶっていても一発で開けられた。そのクワガタやお気に入りの甲虫が載っているページには今まで実物は見た事がない大型種の写真が載っていた。頭部が妙な カタチに成っている種ミヤマクワガタ、毛まで生えてるらしい。それに黒い大きい奴、名はオオクワガタとあった。その他ヒメオオやヒラタ等々、、
初めて図鑑を買って貰った時、「コクワガタにオオクワガタだって、、大きいからオオクワガタか ! 」子供心にもなんと単純明快なネーミングだなと思い、妙に可笑しくて笑った。そして頭部の異様な形に毛も生えているミヤマクワガタが一番気になった。名前の響きも良いし複雑な形の顎に、奇妙な頭といいこいつは只者ではない。しかし、自分の住んでいる場所では一度も見た事などなかった。

中学時代の夏休み久しぶりに田舎に帰る事になった。当時いつも虫のことを考えていたわけではない がこういうチャンスには虫の採集を思い出す。それに夕方東京を出発する寝台特急に乗れるのがとても嬉しく、ずいぶん前から興奮していた。
そしてついに帰省の日、寝台特急"あさかぜ"である、当時あこがれたブルートレイン、一晩寝れば朝には目的地に着いているという列車だった。しかし、当然ながら目は冴え眠れる情況ではなかった、寝台で揺られながら通過する踏み切りのカンカンと響く音を聞き、ついには横になったまま窓のカーテンを開け、人気の無い深夜の通過駅を幾つも眺めていた。いつしか明るくなりうとうと眠りについた頃、顔がやけに四角く眉毛の太い乗務員がベッドを座席に変更するとやって来た、もうしばらくそのまま寝ていたかったのに、、、乗務員は手際よくベッドを座席に変えると、私の顔を見て言った「目が赤いね、ハハハ」

田舎で久しぶりに逢った従兄はやはり虫好きで虫の話に盛り上がり飽きなかった。その中でクワガタの話しも当然したのだが、今ならあたりまえに話されるであろうオオクワの話題は出てこなかった。
結局、田舎に居る間採集には殆ど行けない情況になってしまったのだが、 従兄がミヤマクワガタを採って来てくれた。卓袱台の上にそいつを乗せると顎を大きく開き威勢良く威嚇のポーズをとった、そして 勢いあまって仰向けにひっくりかえってしまった、、、、やはり凄い奴だった ! これがミヤマの実物を見た最初だが自分で採集できたのは、まだしばらく後になってからである。

初めて採集出来たのは、樹液に来ていたペアであった。その時の光景は良く覚えている。ペアで樹液に来ている場合交尾以外でも♂は♀に被いかぶさり♀を守る様にしている事も多い。クワガタは鳥や獣に良く食べられるが、きっと圧倒的に♂だけ捕食される事が多いと思える。蹴飛ばし採集で草むら落ちた場合なども♂を見つける確率の方が高い。ナイト(knight)でなかなかニクイ奴である。
以前はミヤマクワガタをターゲットにした採集にも良く行った。今でも機会があれば採りたい種である。歯型に変化が有るのも面白いし、体色の微妙な違いも気に成る。蹴飛ばし採集でボトリと音を立てて落ちて来る大物ゃ灯火採集で見つけた赤い個体など、いつも得した気分になれる。今でも私にとってのミヤマの位は高い。

その後、学生の間は本格的でもなくオサ虫ゃその他の虫をやったりした事もあったが、どれもモノには成らないで終わってしまった。多少集めた標本も保存方が不完全で殆ど失われた。 虫以外にも色々興味の尽きない趣味(遊び!)は沢山有り、釣りにも相当夢中になりのめり込んだ。
そして月日の経つのは本当に早いものだ、あっと言う間に過ぎ去ってしまう。まさに光陰矢のごとし。

ある日の事、カーラジオから流れていた放送をぼんやり耳の端で聞いていた時、 「最近はクワガタやカブト虫もデパートで売られたりしているんですね」とアナウンサーの話す声が聞こえたのだ、このとき何故か久しぶりに採集の思い出と懐かしさがこみ上げて来た。この頃からテレビなどマスコミで、クワガタ、カブトの話題を耳にする事が多くなった。自身が気にする様に成ったせいもあるが、マスコミでクワガタなど、特にオオクワガタの話題をとり上げる事が多く成ったのも確かだった。子供の頃はあまり気にも止めなかったオオクワガタは、幻のクワガタでなかなか採集出来ないと云う。そう聞けば、一度は採集してみたくなるのはしごく当然なのだが、やはり採集を目指してから達成するまで相当な時間を要したのである。ただ、今考えると1頭目を採集するまではそれほど夢中には成っていなかったと思う。やはり採集し実物を見ると不思議な魅力が有るクワガタだった。

オオクワの初採集も忘れるわけもなく今でも鮮明に覚えている。虫の採集を良い思い出に出来るのもそれなりに幸せな事なのだろう。その初採集の日から 幾つかの産地(ポイント・御神木)には足繁く通ったのだが、今までよりも一回りは大きい奴を見つけた瞬間と、その時の採集はやはり忘れられないものである。あのドキリとする感覚はええものだ。
何度目だったか子供を連れての採集で、今までにない大物を見つけた事がある。洞の中に体をピタリとくっ付けているオオクワを必死に取り出そうと奮闘、蚊には食われる鼻水は垂れてくるし相当な形相であったと思う。そして 格闘約20分位か、ついに手にしたオオクワガタ、「採ったー」 それは70mm近い今まで採集した中で一番立派なものだった。よく見ると体のあちこちが白くカビた様な感じに成っている。「何じゃこれは ?」 それはオオクワの体に付いたダニだった。こんなにダニが付いたクワガタなんて初めてだ、やっぱりオオクワガタは凄い ! ? こんな事にもとても感心したものである。子供は夏休みの宿題だった絵日記にその時の様子を画いたのだが、私の顔にはしっかりと鼻水が画かれていた。

都内にある標本を売る店、標本箱が引き出しの様に配置され、一箱ずつじっくり見る事が出来た。ドイツ箱(標本箱)を購入する為に寄った店である。虫の採集を再開してから、だいぶ標本も溜まってきていた。さすがに不精者ながら、綺麗に展足して良い箱に収めてみようと思い立ったのだ。
何十箱か有る虫の入ったドイツ箱を端から順番に見ていった。色鮮やかな蝶、巨大なナナフシ、奇妙な形のバイオリン虫、そして甲虫、日本のものとは比べ物にならないぐらい巨大で色鮮やかなハナムグリ、カミキリ、オサムシ等々の虫が綺麗に展足され見事に並んでいた。しかし、当時クワガタが収まっている箱はそれほど多くはなかった。多分、全体の10から15l程度しか無かったと思う。その中に私の目を釘付けにしたクワガタが有った。異様に思えるぐらいに発達した頭部に大顎、それに何とも言えない色合で、日本産には無い魅力を持っていた。「なんだー、これは凄いな!」 さすがに声には出さなかったが、初めて見た実物はそのぐらいのインパクトを私に与えてくれた。速購入! これが初めて買った虫の標本、ヨーロッパミヤマクワガタ 75mmフランス産だった。
外国産の収集を始めたのは、正にこのクワガタからで現在でもミヤマクワガタ属には思い入れが有る。新亜種、新種が現在も出てくるこの属には気合が入る事も多いが、まだ手の届かないものも沢山ある。私にとって低学年の頃から憧れ、採集にも良く行ったこのミヤマクワガタが、一番思い出の多いクワガタだろう。ただし、現在のところそうなのだ ! この先どうなるか分らない。(笑)


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