第4章ー第1大安日ー

1週間が経った。1週間程度でなにか変化があるハズは、ない。いくら初齢が死にやすいとて、1週間ではさすがに死なない。あぶないのは1ヶ月経過付近である。いつの間にか溶ける。(田老は、よく知っているのだ)だから、1週間目はムシに余計な刺激を与えないよう覗かない方がよい(?)。などと勝手な理屈をほざいているが、なに、ムシは変化しているのだが、田老には、それに気付くほどの、経験もノウハウもないだけである。

そうは言っても、やはり大変心配である。

1月24日(先勝)
ニジイロ飼育記が掲載されてしまった。責任重大である。 さっそく安否を確認したいところだが、今日は大安でないのでガマンする。自信など全くないので、とにかく縁起だけでも担いでおかなくてはならない。仏滅だけは避けてダンボール改造温室を覗くことに決めた。大安は28日(日)である。

1月25日友引 
ダンボール改造温室を覗く。ニジを覗くのは、28日である。今日は温度チェック(毎日の日課である)とその他ムシチェックだ。

ダンボール改造温室には、熱帯魚用のサーモをつけてあるが、水温用のサーモが空気中で役に立つというのは、どうにも胡散臭く感じられる。それなら使わなければよさそうなものだが、結構便利でやめられない。だが、機械は信じられないので、毎日チェックすることにしている。(と称しているが、実は、人力サーモのクセが取れないだけらしい。本人は、「人力サーモで煮てしまった」などと言いふらしているが、大したワット数でもないことから、スイッチ入れ忘れの凍死が真実ではないかとのウワサが絶えない。)

1月27日仏滅(雪) 
都心では10cmの積雪で大変だったらしい。東京でも奥地山沿いとなる八王子では積雪15cmだったらしい。西東京市ができて以来、西東京市より遙かに西部=都西境の八王子市は、東京には属していないのではないか?などとくだらないことを考えている田老の在所は、八王子の端っこ、境の一隅にあるので積雪も25cmとなり、東京なのに雪かきしないと車の出し入れはおろか歩いて出ることもかなわない。12月ともなると、例年スタッドレスに履き替える。(ホント)車は良いが、田老には全く体力がないので、雪かきでヘトヘトである。とにかくムシだけ覗く。

雪など知らぬ気にパプキン♂羽化

1月28日(第一大安日) 
今日は待望のニジを覗く日である。

「まず温度チェックだ。これが40度なんかになっていたら大変だ。」 (100Wで加温しているのだから、あり得ない話しである。それより、ヒーターが過負荷で切れるのを心配すべきではなかろうか?)

「・・・20度、設定通りだ」 (100Wでこの容量では、せいぜい20度が限界、たまに10数度である)

「次はムシチェック。温室内はムレによる☆が多いからなぁ。」(ビンを眺めていないで、フタのゆるみ具合をチェックするとか、断熱用ビニールが空気穴に掛かってないかとか見れば?)

先日は、(田老棚では珍しく)丸々と太った(太ることが出来た)ツヤクワが、フタ裏の結露で酸欠☆したばかりである(TT。その前は、山と積み上げたパプキンワンカップに断熱ビニールが被さり、いもムシが皆出てきてグッタリしていた。なんとか幸いにもパプキンは復活してくれた。これをみても田老にはあまり学習能力がなさそうである。

ダンボール改造温室の構造上、全てのビン、カップ、ケースを出さないとニジは、見ることすら適わない。簡単に言うと、一番暖かい、一番底に置いて有るということだ。

そうはいっても、ダンボール内に木枠で3段の棚を組み、さらに天板の上にまでビンやらケースやら積み上げて有る。おいそれとはでてこない。ようやくニジカップが出てきた。寒さに弱い外産カブト達と同じ場所だ。外産カブトが元気なら、取り敢えず環境としては○ということになる。アトラスは、急に明るくなったので暗いほうへと身をくねらせている。外部環境はOKのようだ。ではニジを見てみよう。

さて、カップの底を見る。なにも、ない。カップの側面を見る。やっぱりなにも、ない。カップのフタ、上から見てみる。なにも、ない。

マッマズイ...

1週間で溶けてしまっては、サスガにマズイ。

ふと先日の書き込みが胸をよぎる。 「HC7氏は、HNを、HC7改めG7とするそうです。」 読んだ時は、単にHC7というHNが有名になりすぎたか? 有名になりすぎたG13同様、職業柄改名しないといけないんだなぁ などと軽く考えていただけであった。マサカこの日のあることを既に予測していたか?(7=7days) 今にも玄関のチャイムが鳴るか、電話の呼び出し音がなるかとしばらくじぃーっと息を殺していたが、ナニも起こらなかった。

気を取り直して、2個目のカップを調べる。 同じである。 つまりナニも、ない。

3個目、同じである。

チョットマズイゼ...

イヤ、シバシ 待て。 なにか、、、有る。イヤ、居る。 底面に小さく白い点があるのを見つけた。 取り敢えず、手の震えを止めないと、なにがなんだかわからない。 小用に立つ。(気を落ち着ける時は、なぜ小用なのだろう?) ついでに子どもの虫めがねを取ってくる。

拡大鏡で見てみると、どーもなんだかオシリのような気がする。 アッ動いた。 これはオシリである。

これでなんとか1頭は、かろうじて確認できたことになる。 そうすると、1個目と2個目のカップが気になる。 同一条件である。居ないハズがないのである。 (念のため:田老は楽天家ではない、むしろペシミストであると言えよう)

再度よく見る。 菌糸カスを適当に入れただけなので、最初からスキマだらけである。 スキマにムシが見えないか、矯めつ眇めつ見てみる。 ・・・・・・・・・・・・。 見えない。

? 菌糸カスの粒々構造に、見慣れないところがある。 詰めたときに潰れたものではないように見える。まるで糞だ。。。 イヤ、これは糞である。と断定する。糞にちがいない。きっと、たぶん。

するとこれは? 爪楊枝で突いたような穴がある。これはスキマぢゃない。 これは、トンネルだ! 初齢が掘り進んだ跡だ。食痕だ!! やったぁー。

判定 姿は見えないが、カップ1カップ2とも食痕(?)があるので 第1大安日には生存と(勝手に)認定する。 

第5章ー第2大安日ー

1月は、氷点下7度などととんでもなく寒い朝があったり、毎週大雪が降ったりして、「ココは本当に東京だろうか?」などとどーしても考えてしまう田老だったが、2月に入って今のところ、朝の気温は氷点下3度止まり。 雪も降らない、東京の冬だったりする。おかげで室温も摂氏3度などというのは正月だけで、2月は一応室温8度を越えている。人間様よりもムシの方がぬくぬくしているのが田老棚である。 

2月3日(第2大安日) 
ダンボールを開け、部屋中に店を拡げる。拡げざるを得ないのである。こうしないとニジは出てこない。が、狭いウチなので、トラブル要因ではある。怒られないウチにさっさとすませよう。

居た居た。

今回は簡単である。食痕の先に白いオシリがすぐ見つかった。 初齢だろうか?2令だろうか?そこらへんは皆目検討もつかない。 が、生きていれば幸せである。全く気にならない。 食痕3本&オシリ3頭分

さて、安否も確認できたので気持ちよく菌詰めすることにする。菌詰めなんて年に2回とは行わないことなので、いつもなら緊張するが今回は、ニジは好調だし、高価なブロックもセール品で安価だったのでご機嫌である。(田老は安価という単語に非常に弱い。そのくせ、神経細いので通販にはなかなか手をださない。実は、通販の方法が複雑?なため理解できないのである。そうでなければ、様々な商法に引っかかっただろう。)

エンダー氏は、「ニジは、できるだけ早く菌糸に投入しなさい。」とアドバイスしてくれるが、ケチな田老は「菌糸カスは安定した環境だから、このまま菌糸カス」などと言っている。実は菌糸で初齢が溶けることを懼れるのではなく、菌糸カスでイケルのにサラの菌糸ビンを使うという考えに耐えられないだけである。

サクサク詰めて、10本にもなるともう疲労困憊して眠くなる。体力は全くないのである。が、がんばってワンカップ数本と菌糸カップも追加する。普通ならニジ用にするところだが、堅詰め3ヶ月養生などといって床下にしまい込んでいる。菌糸カップまで3ヶ月養生のつもりか?度し難い男である。ニジは相変わらず最初の菌糸カスのまま、しまい込まれてしまった。

2月7日先負
パプキン産卵セットの第4セットを組む。手持ちのパプキンが2♂4♀で全部セットを組んだだけのことである。「そんなにセットを組むと大変ですよ」と忠告を頂いたが、大変なことになったことがないので、気楽なものである。「数打ちゃ当たる」などと田老は言っている。本当にヘタなので数を打つしかないのが、事実である。(数が有ること自体が珍事だ。)

三多摩のごくごく一部では、今パプキンが旬である。大所は、昨年のうちにパプキンなど卒業したのであるが、今頃になって田老が「パプキンパプキン」と騒いでいるので、仕方なく付き合っている。

そもそもは、昨年末に田老棚でパプキンが湧くという異変が発端である。が、近因は、1月20日の晩にBAJA氏が、「これが掘り出し物でねぇ」とエラフスを出したことに始まる。「掘り出し物」という言葉に敏感な田老と「エラフス」に敏感な面々がBAJA氏の廻りに集った。「エラフス」なんぞというムシは全く知らないので(田老には、ムシは、大小しかわからない。)さっそく情報収集を行っていると、「エラフスは難しくてねぇ」とアノBAJA氏が言うのである。追い打ちを掛けるようにHIDE氏が「産まない、育たない」と言う。ここらへんの先達がそういうのであれば、このムシは田老とは縁がない。情報収集終わり。

彼らは、しかし、こう続ける。「ブリーディング用に丁度良い。」「産まない育たないムシにブリーディングなんてないじゃないか」と田老は思うのだが、いつのまにか1次会後にショップへ行く話しができあがっている。

20日の晩、東京は今年3度目の大雪であった。 (なぜかチャッカリ付いてきている田老である。) 通常なら、車で20分の道のりである。しかし今、HIDE車窓に移るのは路側に放置された車また車。ラジオは、「雪のため以下の道路が不通となりました」と道路情報を流している。イザとなれば田老は電車で帰るつもりだ、次は鉄道の情報だ。「常磐線、武蔵野線、東武線の一部、西部線全線・・・」なんだか世の中とんでもないことになっているようだ。

一方、先ほどのBAJA情報に、車内の意気は上がる一方である。皆、電車が止まれば歩いて帰れる距離ではないハズだが?「いやぁー今日はBAJAさんにいいことを聞いた。アノ店は、高いと評判でノーチェックでしたからねぇ。」などといいながら、皆ショップに電話して大きさやら産地やら頭数の確認に余念がない。

突如、新事実が判明した。この店はHC7氏の懇意の店であるらしい。HC7氏の持ちクワが所狭しと並べて有るそうだ。HC7氏は、持ちクワの「ごく一部」を、この店に「も」世話させているらしい。「懇意の」ではなくて「支配下」かもしれないと田老は漠然と考えていたが、この考えはあながちハズレではなかった。閉店時刻をとっくに過ぎても到着できなかった我々であるが、「HC7氏の紹介で」と告げると魔法のように閉店時間が延長されたのである。「お待ち申しあげている」そうだ。

夜もシンシンと更けた頃、ようやく店に着いた。 こんな雪の日である。客など来るはずもない。BAJA氏の言ったムシもそっくり残っている。今日は昼間のBAJA氏と我々だけが、来店客のようだ。この雪では、店員も早く帰りたかっただろう。気の毒に。が、今や店内は、ハイエナにたかられた肉、状態である。エラフスどころか全てのムシがチェックを受けている。HC7氏のムシまで吟味される有様だ。カウンターの前には、ムシが山と積み上げられ、なぜこんな雪の日に購入するのかわからないが菌糸瓶やその他資材まで並んでいる。(こんなに持って帰れるのか?)

さっそく眼光鋭いOB氏が価格交渉を始めた。(念のため、OB氏は、自分のムシではなくBASSER氏のムシのため、交渉している。)田老が店員なら、OB氏の一睨みで交渉に応じてしまうだろう。が、この店員は、しぶとく譲らない。さすがにプロである。交渉は延々と続いていたが、まとまらない。交渉決裂かと思ったその刹那、人目をはばかるようにして、OB氏が店員にそっと耳打ちした。

「HC7氏の紹介で」

ピクッと店員の体に電撃が走ったようだった。次の瞬間、何事もなかったように交渉成立、円満解決である。皆ニコニコしている。

田老は、HC7氏の言葉を思い出していた。「私はまだ”7”なんですよ。6,5,4とまだまだ上手が幾人も世の中には居るのです。」

HC7氏にして、この謙遜である。G13が「ひよっこ」であることは、彼が、「超A級」などと呼ばれて平気なことからも明らかである。13で「超A」なら、7ではさしずめ「超AAA級」ではなかろうか?”ボンド”や”009”のランクが気になりだした田老である。

<閑話休題> 
価格交渉の間、田老はパプキンを選別していた。田老棚には3♀居て♂は蛹といもむしであった。成虫♂が欲しかったのだ。しかし、ここはペアしか売らない。たまたま、田老の小遣いで買える金額だから良いが、ムシを購入したなどとは家族には内緒である。ムシは全て里子で頂いたことになっているのだ。幸い今日は新年会。景品のムシだといえば、大丈夫である。どれが元気な♂だか良くわからないので、交渉を終えたばかりの店員に見て貰った。

田老がパプキンを購入後、パプキン棚も襲撃に遭い、ほとんど空になった。皆が、田老に先に選ばせてくれたのだ。ありがたいことだ。ショップの前で散会だ。

HIDE氏は車で帰っていった。その時、東名は既に通行不能。お宅に帰り着いたのは、翌朝日が昇る頃だったそうだ。

我々三名は、電車で帰った。(この後の中央線は、止まったそうだ)電車の車内は、サラリーマンでいっぱい。雪の土曜日に残業なのだろうか?ご苦労様である。こんな夜は皆、電車が無事動いて帰宅できることを、願っているのだろう。ノンキに買い物に出かけビニール袋を下げて帰るオバサンなど、居る時間帯でも天気でもない。会社で疲れたのか居眠りしている姿も見える。そんな車内に乗り込んだこの二人は、買い物帰りのオバサン顔負けの白いレジ袋の固まりである。(私?私は、パプキン1ペアだけだ。抱えたデイパックに納まっている)

二人は、上記の「エラフス」数ペアにパプキン数ペアその他ありとあらゆるムシムシに資材まで買い込んだのである。そのパンパンに膨れ上がったビニール袋を幾袋も床に山と積み上げ、大声で「エラフス」だの「クルビ」だの「ネパアン」だの「キクロ」だの、なにやらカタカナ外国語混じりの得体の知れない隠語を使って、口から泡を飛ばして会話している。混雑した車内ではあったが、我々の廻りには、いつのまにか空隙ができていた・・・・・・・

そのうちに車窓に映る風景が変わってきた。三多摩も奥地に入ってきたのだ。 雪の降り方がハンパではない。なにも見えない、まるで「ホワイトアウト」である。

OB氏は電話で奥方に迎えを依頼している。深夜、この雪の中、迎えに来てくれるとは、素晴らしい奥方である(オマケに、ビジンだ)。夫婦仲が偲ばれる。

BASSER氏は、バイクで帰るそうだ。(時速5km以上は、出さなかったそうだが、テールスライドやらタックインやら持てるテクの全てを使ったらしい。そのため、エラフスとムシ達は落とさずショックも与えずに、帰宅できたそうだ。ムシは無事でご同慶の到りだが、本人は何度もバイクから転げ落ちたらしい。しかし、この夜のことは絶対に口を割らない)

は、都(県)境を越える地方線が雪でいつ止まるかわからないので、スベリ転びながら歩いて帰った。歩きながら、つくづく思った。

「クワ馬鹿というのは、大変なものだ。」 そして 「HC7氏は、やはり凄い人だ。」