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ミキオ・Eの眼力

ミキオ・E
さすらいのコピーライター&作家
『おけちゅう』という作品で小川未明文学賞を受賞
NTT出版から単行本化
現在、『月刊メジャーリーグ』でエッセイを連載

ありそうな猫のはなし

 猫は人につかずに家につく、というのは大ウソだ。なぜなら、我が家のロクデナシ猫ライゾーは、ぼくのワイフの完全な「ストーカー猫」として四六時中、彼女につきまとっている。ライゾーはオスで、もう十五歳にもなる老猫なのに、このありさまだ。

「キミも立派なオトナなんだから、もう少し威厳ってえものを持ったらどうなの?」

 ときどきぼくはヤツを諭してみるのだが、てんで聞く耳を持たない。で、ぼくがどうするかというと、ひたすら観察する。なにしろぼくはライゾーに勝るとも劣らぬヒマ人なのだから、時間はたっぷりとある。

●「ぐうたらなのは、父親譲り。ふしだらなのは、母親譲り。それが私の猫だ」
 1970年代にニューヨーク・オフブロードウェーの演出家として活躍していたロジャー・ミケルソンの言葉。

●「退屈している猫と泣いている女を構うヤツは、出世しない」
 これも同時期のアメリカ南部出身の政治家ジョージ・オコネルの選挙中の失言だが、当時台頭したウーマンリブ運動家たちの吊し上げを食らって見事に落選した。

●「女たちが『良い子ネ』と言って撫でるのが犬。『仕方のない子ネ』と言って抱きかかえるのが猫」
 19世紀のフランス・リヨンの女流詩人シモーヌ・ルミューの随筆集「黒猫の歌」に書かれた一節。

●「猫とは、手間のかかる置物である」
 17世紀イギリスのジョージ・ウォレス卿の言葉。卿が居住していたスコットランドの古城に八百匹もの猫を飼っていたのは、あまりにも有名なハナシだ。

*   *   *

 人間は格言・名言好きだ。当然、長い歴史の中で猫に関することわざも少なくない。それほど、猫という動物は人間に思いをめぐらせ、人間を翻弄し、不思議を感じさせる魅力を持っている。
 こうして、ありもしない架空の格言をこしらえ上げてしまうほど、ライゾーに想像力を刺激されているぼくなのであった。




秘密の猫(または、猫の秘密)

 誰にだって、秘密はある。
 ニガリの利いた一級品とウワサも高い駅前商店街の豆腐屋のオヤジは、「ウチの豆腐の良さが分からないようなヤツは、どっかのスーパーのロクでもない豆腐の角にアタマでもぶつけて死んじまうしかないですよ」と、キップの良さが奥さん連中に評判だが、実は本人はからっきしの豆腐嫌いだったりする。手際よく豆腐は作るのだが、内心、こんな味も素っ気もないボヤっとした食い物を他人はなんで好きなんだろうと思っていたりする。
「キミ、人間はもっとキチンキチンとしなくちゃネ」。
 際立ったビジネスセンスで辣腕ぶりを発揮し続け、後輩の男のコへのアドバイスも手厳しいオフィスの先輩、やり手で美人のマサコさんが、実はどうしようもないダメ男との不倫関係に悩んでいたりする。
 そう、誰にだって秘密はあるのだ。
 ウチの猫にも、秘密がある。いや、猫に秘密があると言うより何より、「秘密の猫」と言った方がいい。
 なにしろ25年も東京に住んでいながら、その間、ぼくの東京生活は賃貸アパートの寓居暮らしで、「東京ジプシー」そのものだ。6回ほどの転居を繰り返し、年齢と共に徐々にスペースは広がっていったものの、賃貸生活に変わりはない。
<ペット不可>
 どこに行っても、賃貸契約書にはこの一言が記されていて、「ヘヘ〜、恐れ入りました」とばかりにひれ伏してハンコを押してきた。
 したがって、我が家の老猫ライゾーは、その出生から今に至るまで、ずっとずっと「秘密の猫」として生きている。




























 15年以上も前、四谷の木造アパートに住んでいた時のこと、ぼくは1匹の猫と出会った。
 ぼくはロクデナシの酔いどれ男だから、その夜もしっかりと酔っ払ってアパートに帰ろうとしていた。
 坂道続きのいつもの狭い路地を歩いていくと、「コンバンワ」とあいさつされた。ふと脇を見ると、街灯の明かりにもれた薄暗がりの中に小さな猫がたたずんでいる。
「あ、どうも」とぼくは答え、「いえね、ちょいと今夜は酔っ払っちまいましてね」などと言い訳した。
 もちろんぼくだって、猫に言い訳することはないじゃないかと思う。しかし、最初にあいさつしてきたのは向こうだったんだから、これぐらいの返事をしたっておかしくはないし、それが礼儀というものだ。
「お宅、どこです?」
 またまた尋ねられたので、今度もちゃんと答えた。
「そこ、そこですよ。そこんところの角を曲がって、突き当たりの階段を下りたアパートの105号室。すぐですよ」
「ああ、あそこね。アタシ、この辺は詳しいんですよ。普段あんまり窓をお開けにならないでしょ、お宅」
「そうね、めったに窓は開けませんね。だいたい夜型ですから」
「フフ、アタシだってそうですよ」
 意気投合したぼくたちは、二人してアパートに帰った。
 アパートにはすでに人間の方のパートナーが帰宅していて、猫を見るなりぼくを非難する。
「どうしてアナタって、そんなノラ猫を拾ってきたりするの」
 ぼくはすかさず反論する。
「いや、拾ってきてなんかいないよ。ちょっと気が合ったんでお連れしたんだ」
「お連れした猫が、どうしてアナタの腕に抱かれているワケ?」
 言われてみれば、確かにさっきの猫がぼくの腕にいる。
 玄関を入ってすぐに板の間の8畳ほどのダイニングキッチン、そして奥に和室の6畳間という1DKのアパートは、当時の若い二人には快適なスペースだった。
 ぼくは「ゴロニャン」とノドを鳴らして同居人に甘え、同伴した猫の一夜の宿をお願い申し上げた。
「仕方がないわネ」と言いながら、彼女も猫に関心がなかったワケでもない素振りを見せはじめる。
「それにしてもおとなしくて良い猫ネ。きっとどこかのお宅の飼い猫に違いないワ」

 最初に会った時に名前を確認しておけば良かったのだが、アパートの玄関を一歩入った瞬間から、ぼくと猫とは言葉が通じなくなっていた。
 仕方なく、ぼくと人間の同居人は、彼女にタマという呼び名を付けた。
「彼女」と分かったのは会った瞬間からで、彼女の立ち居振る舞いがまさに女性的優雅さを持っていたからだった。ぼくも人間の同居人も、別にカラダをひっくり返して股間を覗き込んだりしなくても、十分すぎるほど彼女は女性的だったのだ。
 タマと名付けたのは、彼女が白黒のブチで、白黒のブチ猫の典型的な名前といったらタマしかない、と思ったからだ。それに、タマはまぎれもなくどこか上品な老婦人の飼い猫で、ぼくらとタマとのつきあいも一夜限りという予感があったから、妙に凝った名前を付けて執着してしまうのを恐れる気持ちもあった。
 タマは小柄で抱き心地が良く、白黒の毛艶の美しい猫だったが、もっとハッキリとした外見的な特徴があった。
 彼女の左の眼球が白濁して肥大化し、大きく瞼から飛び出していたのだ。眼球水腫とでも言うのだろうか。
 しかし不思議なことに、普通はグロテスクにさえ見えるこの外見上の大きなハンディキャップは、少しも彼女の気品や優雅さを損ねていないのだった。
 それでも、タマをアパートに連れ込んだぼくの理由が単に気が合ったというものだけだったのに対し、同居人の滞在許可には少なからずこの哀れな猫に対する同情というものがあったに違いない。
 ぼくらは玄関横の小窓を少しだけ開け、6畳の和室に寝転びながらすぐに寝入ってしまった。






























「アナタ、夜中にトイレに行ってここの和室のフスマを閉めちゃったでしょ」
 翌朝、いきなり同居人に尋問を受けた。
「そうかも知れない。でも、なぜ?」
「朝方、スーッてフスマが勝手に開いたからビックリしたのよ、ワタシ」
 聞いてみたら、犯人はタマだった。思いっきり非難されるのかと思ったら違っていた。
「スゴイね」
「フウ〜ン」
 ぼくもすぐにその現場を目撃することができた。タマのフスマ開けの手際の良さは、まるで大奥のお女中並みだった。
「ね、やっぱりタマは、これまできっと品の良いオバアサンに育てられていたのに違いないわヨ」
 同居人の気持ちは、同情から敬意にも似た愛情のようなものに変わっていった。
 タマは日中は外で過ごしていた。あるいは元の飼い主の所に行っていたのかも知れない。そして、ぼくか同居人のどちらかが帰宅する頃になると、坂道の路地の塀の上あたりで待ち構え、一緒に玄関のドアから入室する、という具合だった。
「フン、犬のようなヤツだネ、キミは。猫としてのプライドはないのか、猫としての」などと言いながら、塀の上で待ち受けるタマの姿はけなげで、「ういヤツ」などとヤニ下がってしまうのだった。
 ひと冬が過ぎ、友人たちとの恒例の四谷の土手でのお花見ドンチャカ騒ぎも終わったある日、いつものように散歩帰りのタマが和室のフスマを開け、何を思ったのかついでに押し入れのフスマも開けて、さっさと奥に隠れ込んでしまった。
 同居人も帰ってきて、どういうことなのかアレコレ推測しているうちに、出産という緊急事態がまさに起ころうとしていることが飲み込めた。お気に入りの大きめで平たいクッションとバスタオルをさっさと用意したのは、男のぼくよりものに動じない同居人の方で、用意が終わるか終わらないうちに、押し入れの蔭でキーキーキーと3匹の子猫が生まれていた。
 まだカラダに貼りついたままの濡れた産毛の3匹の誕生にちょっとばかり心を動かされはしたものの、「秘密の猫」のおまけに「秘密の出産」ほど厄介なものはないということに気づかされた。
「どうしよう、この3匹・・・・」
 心優しい同居人は、「だから言わないこっちゃないでしょ」とは言わなかったけれど、その目は「ちゃんと責任とらなくちゃネ」と言っていた。
 東奔西走。行く先々で「猫はいらんかねえ〜、生まれたてのかわいい猫だよ〜」と里親探しに明け暮れるハメとなった。
 お見合い写真も撮りまくった。子猫の魅力に誘惑され、思わずその場の雰囲気で後先も考えずに飼いたいと言ってしまうような友人たちの間違いが期待できるスナップ写真をズラリと用意した。
 幸い、二人の里親が見つかった。一人は同業の独身女性デザイナーで、もう一人は知り合いの知り合いをたどりまくった挙げ句の果てという人だった。
「なんでもいいからもらってくれ」と言っていたぼくが、受け渡しの段階になって心変わりしていた。
「どうかちゃんと育ててやってください。お願いします」

 どういうワケか、写真も見せ、実物とも対面させ、2組の里親たちのリクエスト通りにもらっていただいたはずなのに、「万が一里親が見つからずに飼うハメになったら、コイツがかわいいね」などと言っていた子猫が残った。
 3匹の中でいちばんの乱暴狼藉者で、キカンボーで、ウルサいコワッパだった。
 それ以上里親も見つからず、結局「もうどうしようもないから、ぼくらで飼うしかないネ」ということになった。
 先頃ついに連載終了となったはるき悦巳氏の人気漫画「じゃりん子チエ」に登場していた小鉄にどことなく似ているという取って付けたような理由から、名前をもらうことにした。物語中、けなげな大阪少女チエちゃんを支える名バイプレイヤーの小鉄には、実は隠された過去があって、そのスジのお兄さん(とは言っても猫の世界のことなのだが)に恐れられる凶状持ちの「月の輪の雷蔵」というアダ名があったのだ。母親のタマとは違って、限りなく白黒ブチに近い三毛の子猫は、めでたくも「ライゾー」という名を持った。
 夏の暑い盛り、むき出しの腕や薄いTシャツの下の腹など、いたるところに引っ掻き傷を負いながらライゾーをかわいがっているうちに、タマがめっきり姿を見せなくなった。
 アパートを出て表通りに行くと、ときどきその姿を見ることがあった。彼女は、悠然とコンクリート塀の上でひなたぼっこをしていたり、駐車中のクルマの蔭で昼寝をしていたりする。
 そんなある日、フラリとタマがアパートの部屋にやって来た。いつ帰ってきてもいいように、例の小窓は日中だけは開けておいたのだ。その代わりライゾーが外に出ては困るので、夜には閉める習慣になっていた。タマは、こちらにはとんと無頓着という態度だ。
 一人でいたぼくは、以前のようにタマに話し掛けてみることにした。
「そりゃないゼ、あんなに仲良しだったじゃないか」
「そうかしら?アタシは残った子供の様子をちょっと見に寄っただけよ」
「あ、そうそう。キミにはちゃんと言わなかったけれど、後の2匹は良いもらい手があってネ。これでもずいぶん苦労したんだゼ」
「フウ〜ン」
 タマはこともなげに答える。少しも関心のない素振りだ。ぼくだって猫のタマに親としての責任を問いただす気持ちはない。その代わり、妙な言葉が口をついて出た。
「キミ、ずいぶん変わったネ」
 いけね。これはフラレた男の常套句ではないか。ぼくは思わず視線をそらせ、何事もなかったように振る舞った。
 しかし、案ずるより猫がごとし。すでにタマは我らがライゾーに急襲され、最初のうちはちょっかいを出されたらひっぱたき返し、やがて組み伏せ、そのうちオッパイをあげるという母猫作業に入っていた。
 少し時間がたつと、満足しきったライゾーを残して、椅子に腰掛けていたぼくの足元にタマがやって来た。人の足元で毛づくろいをする。猫のよくやる手だ。
 思わず口をすべらせた前の発言に注意して、ぼくはダンマリを決めこんだ。
「フウー、子供ってのもラクじゃないわネ。誤解しないでちょうだい。別に嫌いだってワケじゃないの。ただね、しつこいのは猫の性分に合わないのよ」
 ぼくは思わず納得してしまった。
「だって、それが子供ってものじゃないの?とかなんとか言って、実はかわいくて仕方がないんだろ?」
 ぼくは、ゴクローサンの意味を込めて、久し振りに抱き上げてやろうとかがみ込んだ。
 ビリッ。
 確かに何かが引き裂かれる音だった。タマの前足がぼくの鼻の頭をかすめた気がした。やがて、鼻のてっぺんを伝ってポタリポタリと血が落ちてきた。板の間の床に線香花火のような模様ができ上がった。
 慌ててティッシュペーパーを当てて、風呂場の前のドアに掛かっている鏡の前に立った。
 ものの見事に眉間の真ん中よりも少し下から鼻の稜線に添って、縦真一文字に傷跡ができていた。
 コノヤロメとか、何てことをしやがるとか、その時不思議なほどタマを罵倒する言葉は思いつかなかった。それどころか、薄皮一枚でも見事に左右均等の位置に10センチほどの切り傷がある自分の顔を見て、ぼくは笑ってしまった。
「ごめん」
 ぼくは心からタマに謝罪したが、彼女はつんと横を向いたきりだった。
「ごめん」とぼくが謝ったのは、彼女の貴婦人のような気位の高さを無視して、彼女をライゾーの母親としてしか見なくなっていたことの反省からだった。
 ぼくを引っ掻いて出血させたタマは、その後もぼくの足元にまとわりつきながら、時々ライゾーをなめに和室に足を運んだり、それまで彼女がいる時の指定席だったソファーベッドのクッションの上で寝そべったりして、やがて夕暮れとともに玄関の小窓から出て行った。
 タマはぼくらの「秘密の猫」だったが、「猫の秘密」という意味では、猫はその扱いを人間に決めさせるのではなく、猫自身が決めたことについてのみ柔順である、ということだった。
 そのうち帰ってきた同居人がぼくの二つに割れた鼻を見てビックリしたが、「ちょっとタマに悪さをしてサ」と、ぼくはお茶を濁すだけだった。










































 その年の冬、ぼくらは四谷から飯田橋への引っ越しを決めた。ぼくの仕事が忙しくなったのと、もう一つ重大な事態が発覚したのだった。タマに続いて、人間の方の女性も妊娠したのだ。
 今度の賃貸契約書には、<ペット不可>に加え、<子供不可>というご丁寧な条件が付いていた。
「ヘヘ〜、恐れ入りました」とひれ伏してハンコを押し、無事に3DKのマンション入居が決定した。
 ところで引っ越し前に、ぼくと同居人はまじめに話し合った。ライゾーはなんとか連れて行くけれども、タマは飼い主がいるのかも知れないし、いないとしても結構この辺の住人たちがかわいがっている。彼女は目のことを抜きに考えれば、あれほど良い猫はめったにいないし、生きて行くのはそんなに難しいことじゃない。でも、何も良い猫と考えるのは人間ばかりではなくて、近所の男猫どもも同じ考えに違いない。またヤラレちまって子供ができても、今度はぼくらのようなお節介がいなくなるワケで、それが最大の心配のタネとなった。
 ぼくら二人は結論に達した。ある夕暮れ時、おとなしく捕まってくれたタマをカゴに入れ、近くの動物病院に連れて行き、避妊処置を受けた。
 体力が戻るまではアパートに閉じ込めて・・・・と考えていたが、一日二日するとケロリとした表情でさっさと小窓を飛び越えて行った。

 いつ、どんな時でも、たとえそれがほんの隣町であっても、引っ越しという行事には奇妙なノスタルジーがつきまとう。荷物のなくなったガランとした部屋は、すでにそれ自体が郷愁さえかもしだす。
 四谷は飯田橋と目と鼻の先だが、タマのいるテリトリーとの別れという意味では、絶望的な距離にも感じられた。
 タマはぼくと同居人の「秘密の猫」だったが、もう一方の「猫の秘密」については、ついにほとんど分からずじまいだった。その理由の一つとしては、ぼくがオスだったせいもあるかも知れない。

 さて、ぼくら男女の間に生まれることとなる人間の子供のお兄ちゃん格として、ライゾーが疾風怒涛の暴れっぷりを見せる「秘密の猫(または猫の秘密)飯田橋編」は、次号に続くことにする。

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