ぼくは図書館の学習コーナーにいた。ぼくから見て前の方に座っていて、人の影にならない、斜め正面のところに制服を着たキュートな女子高生がいた。その女子高生と、やや数秒の経過を感じる程の、視線を交わした。学習コーナーのテーブル席までの距離としては、十メートルはあるだろうか。彼女にすれば、中年のおじさんから、どうして視線を向けられるのだろうと、不思議に思っているだろう。
 目が悪くて、誰でもそんな風に見ているだけなのではないだろうか、それとも、単に彼女は生まれつき、人をまじまじと見ることに、抵抗がないのかもしれない。あるいは、中年のぼくがじっと見つめているので、なぜ自分を見ているのだろうと、不思議に思って、見返しているだけのことかもしれない。いや、その現象が錯覚で、女子高生と視線が合ったと、ぼくが勝手に思い込んでいるだけかもしれない。
 少しの間、ぼくは彼女の行動を観察してみた。学習コーナーと通路の間には衝立があった。通路と隔ててある、衝立の間や上部から、そこを通る人の姿や顔が見える。衝立の上の方は歩く人の顔だけが移動して見える。しばらく見ていると、女子高生は、衝立沿いの通路を歩く、誰にでも視線を向けていた。学習コーナー脇の通路を歩く、全ての人に興味を持って見ている風で、特別ぼくだけに視線を向けているというのではなさそうだ。
 若い異性からの視線を受けることは、久しぶりのことだった。何年も前のこと、職場で視線を交わす若い女がいた。後で状況を考えてみると、ぼくが見ているから見返しているだけのことらしかった。恋愛感情はなかったのだろう。そのうち、職場の配置換えでぼくと彼女は遠ざかった。そんな風に特別の感情を含まないが、いつも視線を交える女はいなくなった。
 たまに会うことのできる若い女がぼくにはいた。何度も情事を交わした異性であり、その女とただ視線を交わすだけで、ぼくは習性的に勃起しそうになる時がある。そんな時にぼくの視線が何かを問いかけたように感じるのか、彼女は「何?」と言う。時々言葉に詰まり「きれいだよ」とかと言って、自分の邪念を煙にまく。視線はやわらかい時もあれば、きつい時もある。最近は、愛憎、合い持つ、こもごもの感情を含んで七変化する視線に感じる。表面的にはメークアップし、整った顔だちから発せられるでものであっても、時に女の怖さを知らされる、激情を含む強い視線になる。
 今でも関わっているいるその女にも、女子高生位の歳の頃があった。女子高生の時からその女と関係していた。以前は斜め正面にいる女高生の様に無垢で屈託のない視線だった。厚化粧でアイラインがきつかったが、どちらかと言うと軽く優しい視線であったように思う。今、この瞬間、目の前の女子高生の視線が例え錯覚だとしたとしても、心地よくもあった。ぼくは、しばらくなかった自分自身の自意識の過剰さを認識した。ぼくは手元のノートパソコンに向かっていた。学習コーナーの席に座り、さっきから書くこともなく、ボーツとしていた。
 書くことがなかったので、目の前の状況を、こうやってノートパソコン内のワープロソフトに、書き込みをしていた。書きながら、思いついた。どうせ、書けないなら、彼女から見たらぼくはどう映るのか、想像してみようと思いついた。どうせ、頭の中の想像の世界のことを書くだけのことだから、勝手なでたらめを書いても咎めはないと思った。
 ここまで、直前に書かれた文書を、ぼくは読み返した。ここで、一旦ワープロ書きを中断し、パソコンのメモリーカードに、冒頭の部分の僅かな文書を保存しおくことにする。ここまでとは別の文章が、メモリーカードに書き溜めてある。メモリーカードから別の文書を開き、修正することにする。彼女が喋ったように、書き直してみようと思いついた。その作業に今から取り掛かることにする。喋るのは、目の前の女子高生にしてみる。
 ぼくが語らせる女子高生は、ぼくに近い。ぼく自身であると言っていい。ぼくが喋っていると思っても、構わない。もしかして、万が一にも、現実に絶対にいない女子高生とは、言い切れないかもしれないが、女子高生が喋る小難しい理屈は、今時の女子高生である筈がないと思う。そういう点はあしからず……。
 
 少し斜め前に向かったところに座っているおじさん。どうして、わたしを見るの? 図書館に来るくらいの人だから変態ではないかもしれないけど、ロリコンの気はあるかもね。視線だけでもセクハラの時代なんだから、ほどほどにしてね。わたしが見つめていると勝手におじさんが想像して、わたしを登場人物として書いているのだから、しょうがないと思うけど……。
 わたしは哲学か心理学専攻の学部のある大学に行こうと思っているけど、ちょっと女の子としてはマイナー趣向で、変わっていると友達から言われてるの。わたしの偏差値では、医大も受けられるみたいだって担任の先生は言うけど、同じ勉強するなら、楽しくなければなあと思う。これから将来勉強していくにしても、興味のある方に行きたい。でも、受験科目の多い国公立を目指しているし、面白しろくない科目の勉強がはかどるから、図書館に来ているの。
 どうなの、おじさん! 試しに書いているだけじゃないの。わたしをこんなところに登場させたりして……。
 おじさん、修正する前の文章は、酒を飲んで書いていたの? どうなの? 誤字脱字だらけだったし、所々に関係ない単語が混じってた。変な文字や単語が混じっているのは、酒に酔って書いた文章だからなのね。自分では分かっていて、今の時点で、文章の手直しをしているところだと言うのね。それで、どうなの? 酔っぱらって書いて、潜在意識から何か書けたの? おじさんが詩みたいなものを書いていた以前の時期、そんな自動筆記法みたいなやり方、要するにでたらめを書いても通用したけど、散文はねえ、無理じゃない。
 日本の読者は、どんなに幼稚な内容の作品でも、論理で読む傾向が強いと、国語の先生が言ってた。わたしは部活でも、文芸部というマイナーなところに入っていて、その国語の先生は顧問をしてる。ある日、授業とは違う話をしてくれた。普通の日常会話で書かれた小説も、それなりに著名な作家の書いた名作も、自費出版した素人レベル程度の小説も、普通に読み書きが出来る人なら、読解力はあると言ってた。
 でも、ボリス・ヴァイアンの書いた〔北京の秋〕なんて言うのは、絶対に日本人には受け入れられないと言ってたわ。そんなこと言うから、わたし、一度読んでみたわ。読めないことなくて、読んでて面白いと思ったよ。あとがきを読んだら、ボリス・ヴァイアンって言う作家はフランス人で、昔のジャズ奏者だったらしくて、恋人に面白がって読んでもらおうと、殆ど冗談で書いたらしいの。それが、ひょんなことから、後世にも残る、世界的な名作になったらしいの。
 本人も面白がって、でたらめだと分かって書いていていて、それでもちゃんと世界中に読者ができるまで広がるなんて、凄いと思った。冗談で書いても、ちゃんと名作になるなんて愉快じゃない。
 日本人ジャズピアニストで、一流のエッセイストである山下洋輔って言う人がいるけど、音楽理論は殆ど論理で書いている。時々、愛嬌でフリージャズ愛好家の筒井康隆に似た傾向の文章も書いていたわ。ハチャメチャに、時々、面白がって作為的に支離滅裂なように書いているけど、論理からどうしても抜けきらない書き方だと思う。ジャズの即興演奏みたいな感じで書いたんじゃないし、音楽と逆で、理路整然とした文章だと思う。ジャズ演奏と一緒で、書かれた文章の内容は、それなりに一流だとは思う。世界各地の音楽ルーツの歴史感や、音楽論解析は、ミュージシャンならではの感性で解説していて、分かりやすく内容は素晴らしいと思う。だけど、誰でも理解されるように親切に書いてあるし、纏まりのあり過ぎる文章だと思う。
 あるロック・ミューージシャンで、芥川賞を取った作家もいたよね。小説家とミュージシャンを兼ねた人は昔からいたらしいから、珍しくもないのかな。フォークソング歌手なんて吟遊詩人と例えられる位だし、とても文学に近い人だと思う。ロックミュージックと全く関係なく、文学と相容れない筈なのに、そのロックミュージシャンの書いた小説の内容は、映像的で精密に描写されてた。細かい描写は、小説を読む読者に対しての、親切な状況説明だし、内容も殆ど論理的に構成されてた。左脳を中心として、読者に論理的な快楽を起こさせるのだと思うの。とても、デジタル脳的な伝え方だと思ったわ。
 ボリス・ヴァイアンの作品は、文字感覚が駄洒落みたいに、直接関連のないような言葉や単語が、疑似音のように連続的に入って、状況や場面が急展開して、内容も身近の人達しか分からないような描写や人名が続くし、とにかく、脈絡なく場面が支離滅裂に展開し、意味のない言葉の洪水が延々と続くの。特別、難しい単語はなくて、日常語しか使ってないのだけど、どう理解したらいいのかという点では、難解なのかしら。でも、とても革新的だと思う。タイトルの〔北京の秋〕は、小説の中身と全然関係なくて、ただの冗談で付けたらしいの。凄いじゃん。
 その点、変人に近い演劇作家や、職業作家で前衛的だと呼ばれる人は、一種のファッション感覚で、恰好いいとボリス・ヴァイアンのことを紹介しているけど、一般の読者は本当に面白いと感じているのかなあ。あるノーベル賞作家も絶賛していた。職業作家としては、いつもロジカルなものばかり読まされているから、いい加減うんざりしてきて、わたしみたいにへそ曲がりな見方で、褒めているだけじゃないかって、疑うしかないわ。
 日本人は読書に関して、論理的なものを好む傾向があるのだと思う。子供は先入観を持っていないから、受け止め方が違うらしの。筒井康隆の一部の本の中に、テンポがあってリズミカルで、子供達に受けがいいのがあるらしいけど、大人になってからの読み物として、論理的でないものを読んだとしても、せいぜい文章が詩的で美文的なもの位よ。最初から最後まで支離滅裂な小説は、日本人に受けないのよ。
 中国から漢字が入って来た直後の大昔から、日本では歌が詠まれてきたらしいんじゃない。俳句なんかはポエムの一種で、一五世紀頃、特権階級から巷に普及していったし、そういう意味では優雅なものを受け入れる民族だと思うわ。日本の言語が脳に関係するのか、欧米人とは違い、虫の羽音や水音も、雑音だと感じないわね。それらを美しいと感じ、アナログ的な情緒を、デジタル的な文字に変換して、記録したものが、俳句だと思うの。
 そんな面があることとは別に、創造的なことに興味を持つ民族を象徴することとして、日本人は、世界各国のパソコンユーザーの中で、レベルの差こそあれ、趣味でプログラムソフトを創る人の割合は、他国の人に比べて、断然多いらしいの。日本の一般の人達でも、ジャンル毎に、制作・創作意欲を強く持っていると思うわ。小説に至っては、読む人より書く人の方が多い、とまで言われているらしいんだって。
 今でも文芸同人誌が廃れてないし、地方を含め、全国各地に、文学賞が安売り的に多いんだってね。一般の人が読む傾向の小説は、論理立てしたものを、左脳中心でしか読まないのよ。それを知っては、全部でたらめなような小説は書けないと思うの。ページ数の少ない現代詩なら、分からなくても、何とか我慢して読んでくれる人がいるかもしれないけれど、最初から最後まで作品の筋そのものがなく、語彙や単語が脈絡もなく支離滅裂で、フリージャズのように垂れ流しの単語が続く作品は、最初の数ページで読者は放り出すと思うわ。
 フリージャズも現代音楽みたいでわたしは楽しいと思うけどな。クラシック、ロック、ジャズと、ジャンルは問わないで聞いている人は、たまに回りにはいるけど、同級生の女の子はせいぜいがJポップ位しか聞かないわ。外国の音楽を聞くと言っても、単純なフレーズのメロディの繰り返しの中で、詩的でない瑣末な俗語を歌詞にしている、ラップやヒップホップ系の黒人音楽位かな。
 フリージャズは聞かない人が殆どね。理解しろと言うほうが無理な話。ジャズ演奏のエンディングだけが延々と続くみたいな感じで、それなりに目茶苦茶だから、わたしは好きな音楽だけど、そんな風な小説はねえ、普通の人はちょっと勘弁してって感じかも。最初から最後まで支離滅裂な小説だったら絶対に読まないと思うよ。
 そう、だからこうやって読者が読みやすいように修正しているつもりなの? 偉いじゃん。毎日、練習のつもりでパソコンのキーボードを叩き、ワープロソフトで日記を書いて練習しているらしいけど、それが何になったの? 日記以外で書いたのは久しぶりの文章なのね。文章の修正前までがそうだったの? その時は、何年振りかで酔っぱらって書いたって言うの? キーボードを叩いて練習した成果が出て、潜在意識から自然に言葉が出たの? それが、今、書いているこんな程度の文章なの?
 ミュージシャンは殆ど毎日楽器のレッスンしてるわ。上手くなる為と言うより、衰えない為にレッスンしているのかもしれないわね。わたし、中学までにピアノの個人レッスンを受けていたから分かるの。おじさんもそれなりに努力の形跡は見える。だけど、それは才能のある人のことでしょ。夢? 夢だけじゃ何にもならないと思うけど……。
 目標と夢。夢は持ちつづけてもいいと思う。目標は何?メジャーになること? それが目標なの? たぶん、夢に終わると思う。つまらない文芸同人誌なんかで満足してないで、早く卒業したら、おじさん!
 おじさん、今FM放送から流れてる音楽を聴いてるね。以前、図書館で見た女子高生の登場人物としてわたしが喋っていることにしている。そんな想定らしいのは、さっき読者に説明してたから、分かっている。おじさんがそれなりにページ数を増やそうとして、こうやって書いているのも分かる。明日は休日だと思い、今まで処分しようと思いながらも、不味くて飲めなかった、安物の焼酎を飲んで、酔っぱらって書いていた。その時書いた、でたらめな文章を校正しようと思って、図書館の学習コーナーに来たって言うのね。
 アルコールで酔っていたので、いつもと少し感覚が違っていただけじゃん。いつもはこんな下らないことは最初から書かなかったでしょ。今までは、恒常的に理性に縛られていたけど、一時的にアルコールの力を借りて、脳が解き放されたから、でたらめを書けただけよ。その時、同時にFM放送から流れている音楽を聴いてスイングした。だから、音楽に合わせて同時進行で書こうとしていたんだ。でも、さっき言ったけど音楽の様には書けないのよ。どうしてもデジタル的な論理が必要なのよ。だから、読者相手に読めるようにと、今の時点で修正しながら、わたしに喋らせているのね。
 人口比率からみても、日本人には文芸に関わる人は多いのよ。その人達は創造したい欲求が強いらしく、そんな人は、パソコンオタクのアマチュア自作プログラマーと、何ら変わらないのよ。多くの素人の書き手に支えられて、地方の文学賞があるのよ。趣味で創作したいと思う人はたくさんいて、その中の殆どが大成しない。夢だけでは、ただの趣味人の領域なんだよ。
 この文章から分かるけど、おじさんはメジャーになることなんて、最初から放棄してるようなものよ。自分勝手な思い込み、自分を正当化したようなものを書いて快感を覚えている。要するに自己満足の世界の人なのよ。日記に毛の生えたような作品、会社をリタイヤした人が書く、自分史文学と、全然変わらないと思うけどな。子育てが終わった奥さん連中が、暇つぶしで受講した小説教室で、学んでから書いた、日常の瑣末な恋愛感情や家族のこと、愛憎や周辺の細々した日常を描いただけの、おばさん文学と何ら変わりはないのよ。
 でも、少しは書けるようにはなったじゃん。何年振りかもしれないけど、何も書けなかった時よりは成長したと思うよ。音楽に合わせて、同時進行で即、指が動いて書けるようになっただけでも進歩じゃん。R子は、あ! R子って、禁句だったっけ?
 おじさん、忘れようとしてこんなこと書いているのね。忘れようとすると逆にどんどんイメージが広がるから、もうそろそろこの辺で方針変更したら? おっと、今、意識は聴いているスタンダードジャズに向かった。直ぐ、またキーボードに戻った。そう、その日の晩は、ポップなジャズコンサートを聴いてきたの? そう、楽しかった?
 数日前まで仕事は地獄だと、R子へメールしていたのに、変わったね。そんな泣き言、彼女が受け入れるわけないじゃん。何にでも前向きで、生産的で生活力がある逞しい男、生存競争に勝てる者しか、女は受け入れないのよ。そこんとこ、分かってね。もう、彼女のことは駄目なんだから、どうしょうもないのだから……。ひょっとして出来ちゃった結婚にならないかと勘違いしてるんじゃない。作家としてもメジャーにもなれる訳でもないのだし、彼女にとって、おじさんのことは親にマル秘だよ。ひょっとして親だけでなく、彼女自身の中でも存在していないかもね。R子が親にも交際を認められている、正式な彼氏と分かれるイメージを、将来に向かっても、持っていないよ。彼女は今の彼氏を裏切る意思は毛頭ない。彼女は彼氏とこのまま時の経過を待ち、平穏な現実を受け入れることで満足すると思う。
 彼女と一緒になって家族をつくろうとイメージすることは、小説のように現実離れした空想の世界だわ。それを冷静に自分でも受け入れることにしているのね。誰もおじさんには現実を諭してくれる人がいなくて、そこで架空のわたしを造りだしたのね。図書館の学習コーナーの向こう側にいた可愛い顔をしているが、頭の中は難解なことを考えてて、理性的に語られたら、辛いけど納得するかもしれないと思って、わたしをこの文中に出現させた。それはわかるけど、わたしはいい迷惑だわ。
 おじさんは、やっとピアノを弾くように、キーボードを打てるようになったんだ。意識して思いを書けるし、別の無意識の領域、例えば、即興で指が勝手に動くまで進歩したんだね。それで、どうなの? その日の晩に聴いたFM放送の音楽も素晴らしかったの、そう、良かったね。たぶん、ジャズコンサートから帰ったばかりで神経が昂っていただけなのよ。アルコールで神経を静めようとしてたのに、逆に昂りが抑えられなくなったのよ。ただ気持良く、音楽を快楽として、感じていれば良かったのに……。
 そうじゃないの? クラシックだってド演歌だって何だって、ジャンルを問わずに聴く目的は、気持ち良くなる為じゃないの? 純文学か大衆文学を目指すのかは知らないけど、読んでいて、面白さ、楽しさが要ることの、重要性を再確認したのじゃなかった? そう、おじさんは今夜の音楽を聴いて楽しかったんだ。それで、これからはエンターテイメント路線で行くのかな?
 音楽が楽しくて、文学はしんどいの? 文字の通り、音を楽しむのが音楽で、文を学ぶのが文学だって言うの。そして、どうなの? 音楽のように楽しい、エンターテイメント性を備えた純文学をやりたいの? どうぞ、勝手に…。でも、どうしてわたしが必要なの?
 おじさん、音楽は素晴らしいって思ってるよね。今、聴きながらこれを書いている。中断しそうになりながらも、それなりにここまで書いたの? そう、読み返さないで、一気にここまで書いたの。今晩のコンサートは楽しかったの、そう、良かったじゃない。その音楽を聴いて、どうなの? そう、聴いている瞬間は興奮してたの? 良かったね。
 何だ、地獄だ、スランプだなんて言っているから、もっと深刻だと思っていた。彼女としばらく会えないから気分が落ち込んでいただけじゃない。ただ、気分転換が見つからなかっただけじゃない。人生はそんなものなのよ。人生は苦しいから、楽しくないから、それに対処するものが、人間には必要不可欠的にあるのよ。人生が楽しいなら、世の中に、映画だって、演劇だって、小説や音楽だって、総ての芸能、芸術文化は要らなくなるのよ。
 そんなことは分かっているって? そう、ただ歳で気力が減退したの? それじゃ、おじさんの精力と一緒じゃない。それならそれで、性的なものに変わる快楽を見つけなければって、思ったのね。その日の晩に聴いたジャンルの音楽は、若者の奏でるポップなジャズだったけど、充分楽しめたじゃない。途中の演奏の中で、昔聴いたジミ・ヘンの有名なフレーズが出てきて、懐かしさを感じたんだね。現代風にアレンジしてあったけど、曲のイメージの根本にあるワイルドさは失われていなかった。おじさんは昔若かったけど、厭世的にならないで、音楽から感銘を受け、その時まで感じていた、若者特有の閉塞感から、抜け出せるような気がしてた。漠然としていても、可能性に満ちた将来の展望が開けるように感じてた。
 自由な国のロックミュージシャン達は、反社会的なドラッグで、ミュージシャン自身の命を犠牲にして残した名曲は、日本や世界の聴衆に受け入れられた。聴く側は、ドラッグなしでも、それを使用しているのに匹敵する快楽を受けられたと、そうおじさんは思っていた。あの時期は未熟で、感受性も強かった。その時の感性はもうなくなった。だから、あらゆるものに触手を伸ばした。しかし、あの時の音楽を越えるものはなかなか見つけられなかったのね。音楽を聞くばかりでなく、スポーツだって楽しいからまだやっているし、セックスを含めて、快楽に結びつくものは、何でもやっているつもりね。でも、あの当時聞いた音楽以上の快楽はなかったんだね。青春時代の状況を、その日の晩に聴いた音楽で思い出したのね。
 そうそう、おじさんと同い年の、日本のギター奏者の第一人者、渡辺香津美がいたね。東京のジャズイベントで聴いた曲にも感動したんじゃなかった。何万人もいるサッカー場の大会場で、アンコール曲のエンデングに、昔活躍したロック・グループ、ディープ・パープルの名曲〔ハイウェー・スター〕の超有名なフレーズを入れて、アンコール曲を弾いた。その曲が昔を思い出させたのでしょ。
 昔、グランド・ファンク・レールロードと言うロックバンドがいたんだってね。土砂降りの雨の中の後楽園球場で、高電圧のエレキギターが漏電を起こしていた。痺れながらでも演奏を続け、大音量で聴衆を圧倒していんだってね。そのインプロビゼーションは自由奔放だったし、圧倒するパワーで凄かったんだってね。アンプリファイアーの増幅は受けていても、ギター、ベース、ドラムのトリオでしかないのに、たった一曲を、延々と1時間以上掛けてアドリブ演奏する即興性は、ジャズにも劣らないし、圧倒的な解放感が、ロックの神髄だと思ったんでしょ。おじさんが中学、高校で興奮したのがロック・ミュージックなのね。
 
 おじさんは、単純なフレーズの繰り返しのロックは、卒業したんだと自分では思ってるんでしょ。ただの単純さに飽き飽きしただけじゃないよね。昔の黎明期のニューロックは前衛的であったし、既成の音楽を変えるエネルギーがあった。その時期以降は単純なだけで、革新性が進んでいないようにおじさんは感じたのかな。ロックのパワーは他のジャンルに受け継げられて、ジャズロックだとかフュージョンだとか、次々に名称を変えて音楽に領域がなくなっていった。ただ、日本ではロックと言っても、コンサートは大衆化されて、歌謡曲に毛の生えたようなジャパニーズポップスが、ロックだと勘違いされていった。そんな音楽環境におじさんは嫌気を感じていたんだね。音楽も大衆受けするしかない時代になり、若年層向けに単純にならざるを得なかったのかもしれないわね。おじさんの根本は、ブルースなのよ。ロックの黎明期は、ブルースが世界中に紹介され、注目を集め、普及もした。
 でも、快楽を追求することについてはおじさんの姿勢は変わってないのね。ジャズとかロックとかフィージョンとかジャンル別で語られるけど、おじさんはただ快楽を求めているだけでしょ。現代音楽だってクラシックだって快楽を得られるなら何でも良かったんでしょ。おじさんは遠回りしているのよ。昔のような快楽はなかなか得られないでいるのでしょ。メジャーなパット・メセニー・グループような、どっちかと言うとジャズ音楽に入るけど、大陸的な傾向の音楽を聴くしかなかった。FM放送から流れる、懐かしく感じる過去の音楽、現在の雑多なポップスとか、混沌とした音楽を、曖昧に漠然と聴くしかなかったのね。快楽を、今でもあらゆるジャンルの音楽から、探し求め続けてる。それでも、十代の時に聴いた音楽の快楽に遠く及ばないし、感動は起きないだろうと思っているのでしょ。
 それでも、それなりに生きていて、音楽以外、一時でも楽しかったことはあったんだし、快楽的なことは歳がいっても、これからも生きていく限りはあると思うよ。おじさんだって、今のうちに、青春時代に感じたような快楽を見つけて、生きて行かなければならないと、思っているのでしょ。
 おじさんは分かっているらしいけど、今が苦しいのね。今の日本の社会全体と同じように、閉塞感を感じているのね。今日の問題を解決するのに精一杯で、日本の過去の反省に基づいて将来を考えていない。おじさんも自分のことしか考えていないでしょ。
 民衆は将来のことより日常生活を優先してしまう。それが、現実や将来に目を向けない原因らしい。戦前の政府は、軍部の暴走を抑えられなかった。反骨心のある政治家は少なく、事なかれ主義の民衆がいる限り、民主主義は日本に未だに根づかないんだってね。日本人は和をもって尊しと言うらしいけれど、他の人と違ったことはできない。悪いことでも皆がやっていれば、やっていい。-赤信号、皆で渡れば怖くない-式の意識が日本人の特性だから駄目なんだって、社会科の先生が言っていた。日教組で、左翼系らしいけど、ちょっと印象的な内容の話しだったら覚えているんだ。
 別のリベラル派の先生は余談で言ってたけど、左翼政党だって民主主義で運営されていないって。左翼系の組織は、上層部からの指示が絶対的な権限を持っているらしくて、軍隊式に上からの指示を、末端党員が盲目的に従わなければならないらしいの。民主的に見えるオルグが、小単位で行われていると言っても、上層部の決め事や指示を、下部の組織に浸透させる意味合いしかないのだと、言っていた。いわゆる集団催眠に掛けるようなものだって言ってたわ。
 どっちの言い分が正しいのかな。左翼系の先生はちょっと頭の中が洗脳されているみたいな感じだし、わたしとしては、リベラル派の先生の方が人間ぽいような気がするけどな。理想通りにはならないのが現実だし、社会なんて理屈通り動かないものよね。でも、そんな右翼、左翼の様なものは、宗教に似ているらしくて、世の中からなくならないらしいわね。テロ組織のアルカイダと似ているような気もするけどな……。こんなこと言ったら、悪いかな?
 そっか、農業を継ぎたくないから今のサラリーマンを続けているのね。農業の後継者問題もこれから高齢化を迎えて深刻になるらしいわね。従兄弟が職を変えたらしいね。おじさんと同じ、営業職だったのに家業の農業を継いだのね。それでどうなの? 従兄弟が一時病気で手術したんだ。そう、退院したから大したことはなかったのね。それよりも深刻なことがあるって? 妹の旦那は悪性の脳腫瘍で、余命一年しかないの? 一番仲のいい親戚だったのにね。それで、仕事に身が入らないの。それで人生を虚しく感じているの?
 家族から必要とされている人間が死んでいく。つまらない人生を送っている自分が生き延びている。そんな風にネガティブに考えているのは鬱病の兆候だから気をつけようだって? 鬱病は過労死に結びつくような超過勤務が続く、忙しい人が掛かる病気だよ。おじさんみたいに、暇潰しで仕事している人は、絶対に大丈夫だよ。趣味にこんな架空話を書いている位だし……。
 おじさんはケチだから自分では小銭は溜めていると思っている。もし、会社をリストラで首になっても、蓄えを食いつぶしている間に、平均寿命を越えた高齢のお父さんが死ぬ。そして、そのお父さんの財産を当てにする。そんなことを考えるより家の農業を手伝った方がいいんじゃない。だって、健康にいいじゃない。生活習慣病は身体を使わないのが原因なんだよ。おじさんは、おじさんのお父さんより先に、死ぬ可能性もあるわよ。
 先祖伝来の田んぼは全部売ってしまうつもり? でも今の会社勤めはどうするの? そう、営業で外に出ても暇でしょうがないの、それは精神的に大変だね。仕事の内容までは良く知らないけど……。
 自分が死んでから家の財産は妹家族に渡すつもりなの? それまでの間はどうするの? そう、金融関連の会社に携わっていたから、元金は残したままで資金運用はできるの?。だから、日々の生活費は賄うことができるの。そう、そうやって死ぬまでは優柔不断な生活をしていたいの? そんな心構えじゃ、作家になんかなれないわよ。せいぜい、自費出版で本を出す位のものだよ。そんなことで、自己満足していればいいのよ。
 そう、じゃそれでいいじゃないの。そんなビジョンがあれば、そうすればいいじゃない。え、できない? 真面目な自分があるの? そう、会社から無駄金を受け取ってきた、その負い目があるって言うのね。そんなもの、どうでもいいじゃない。この作品を書いて、それで自己判断や反省をすればいいのよ。世間的には役立たずだったけど、それでも、ここまで辛抱していただけでも立派なものよ。
 おじさんは、わたしを見ていると仮定して、今書いている。そして同時に、わたしはおじさんの視線を感じていることにしている。わたしはおじさんに見られているような、気持ち悪い感覚でいても、無視し続けて、こうやっておじさんの意識の中で語っている。ここまで、大したことでもないことをわたしに喋らせられてきたね。おじさんはワープロの別の文書ファイルを開くんだね。そして、そのファイルの文章がこれから続いていくような内容に修正して、書き直していくのかな。