彼女の下唇に特徴があった。ぷくっとした肉厚な彼女の下唇は、エロチックな妄想を喚起させるのだった。タラコ唇と言う程には大きくなく、まあるく、こぶりで曲線が可愛い。刺身の赤身ように滑らかで艶やかだ。ぼくが連想する彼女の下唇は、女性器のふっくらとした恥丘部分と、それを押し開いた肉襞を、連想させるのだった。
 横三.五センチ、下唇の厚みは一.五センチ位だろうか、実測した訳でなく、この位かなと今、物差しで指の間隔を開いて測りながら、これを書いている。
 彼女はキスが大好きだった。飽くことがないと言っていい。二〇分でも三〇分でも、こちらから止めない限り延々とキスを続けられる。彼女の方からキスを止めたことは今まで一度もない。
 彼女の下唇を口に含んむと、肉厚な下唇はコリコリしていた。ずっと前、彼女の方からぼくの下唇を挟みながら、言った。
「ヒロシの唇は薄いね」
 時間がだいぶ経過してから、
「唇がむくんでしまうわ」と、彼女が言う。
「もう、むくんでいるじゃないか」と、ぼくは応酬する。 ひょっとして、キスが一番好きかもしれない。彼女は皮膚が弱い。ぼくと交わった後に性器に痒みを感じ、婦人科に行ったこともあった。肌の色素が薄いとか、色白とは関係なしに、皮膚が特別に弱いと医者に言われたらしい。彼女にとっての性行為は痛いだけで、性感はないと言う。だから、ぼくが想像するに、交接よりはキスの方が好きなのかもしれない。
 交尾に似たハードな行為よりも、軽い接触のキスを好んでいるのもしれない。動物でも互いの性器の臭いを嗅いだりする延長で、互いの口を近づけるし、案外キスは原始的で動物的な行為かもしれない。
 ぼくは彼女とキスをしているだけで直ぐに勃起する。仕事上のストレスと、慢性の生活習慣病の影響で、バイアグラが必要な、軽度の勃起不全症候群だが、彼女とキスをするとそんな投薬は必要なく、ぼくのジュニアは、瞬時にカチンカチンになるのだった。
 彼女が高校生だった頃から付き合い、既にバブロフの犬状態になっている。信じているかどうかは知らないが、痴話の中で、既に彼女にはその旨を伝えてある。実際はバイアグラ類の投薬で、他の女とも交わることは出来るのだが、特に気持ちいいとは思わない。ぼくの身体は、彼女以外の女に快楽を感じることは出来なくなっていた。
 彼女は煙草を吸う。肉厚な下唇で挟む煙草を吸う姿はエロい。あの肉厚な唇に挟むペニスはどんなんだろうと連想が膨らむ。ぼくは彼女から、一生涯の内、ただ一回しかフェラチィオしかしてもらってない。一八歳の誕生プレゼントを送った日だった。若い女の子に良く似合う、シルバーネックレスを贈った。値段の張らないプレゼントだったが、贈ったぼくが恐縮するほど喜んでくれた。気持ちが高揚しているのが一目瞭然で分かった。
 その時、最初で最後、唯一のフェラチィオをしてもらった。最初は、あまり上手でないと思った。しかし、それはぼくの勘違いだった。好みの違いと言っていい。彼女が彼女の彼氏にいつも行っている刺激を強く与えるやり方で、ペニスの鬼頭部分を嘗めるのではなく、睾丸部分まで音を立てて吸引したのだった。
 フェラチィオは気持ちがいいには違いない。彼女が嫌いでもぼくが強く頼めばしてくれたかもしれない。フェラチィオを特別に頼まない理由が別にあった。彼女は交接を好んでないから、二回目を許したことはなかった。たぶん、一回戦はフェラチィオの影響で早漏気味に射精してしまうだろう。交接が一回しかできないなら、損だと思った。
 彼女はフェラチィオは嫌いだと常々言っていた。ただ、彼氏が求めるからするだけと言っていた。ぼくはそれまで、彼女は性に対しては未熟だと思い込んでいたし、フェラチィオを強要させるのは、無理強いをしていることだと思い込んでいた。しかし、フェラチオに関して彼女は、年少にして、もうベテランの域に達していた。ぼくには、ただ、プレゼントをもらったことに対して、感謝の気持ちを表わしていただけだった。
 デープキスの求めに応じてくれたのは、更に一年を要した。彼女の彼氏は、デープキスは気持ち悪がっていると言っていた。彼女の一九歳の誕生日祝いをした日の晩だった。彼女は深酒の影響か、ひどく酔っていた。
「あまり好きでないんだけど」と、言いながら舌を絡ませてきた。
 キスをしている時に彼女の唇は煙草の味がした。ぼくはこれまで喫煙の経験がなかった。だから、味覚的には勿論、煙草の煙は特に敏感だった。喉がいがらっぽくなるし、空気そのものが不味い。副流煙は特に大嫌いだった。一般の喫煙者自身に聞いても、同じように答えるように、彼女自身も副流煙は嫌いだと言っていた。
 ぼくの高校時代、回りの同級生の、半分以上が煙草を吸っていた。子供でも煙草は身体に害があると分かっている。何でそんなものを敢えて吸うのか、ぼくは考えた。喫煙行為で大人ぶるのだと、大体の若者の心理状況は読めた。そんなことで大人になれるなら、苦労は要らないと思った。
 程度のあまり良くない高校の、校風に染まりたくないと、自制心も働いた。ぼくは天の邪鬼な性格だった。一々、吸うのは面倒だと思っただけのことだし、目に見えない禁断症状にいつも縛られているのが嫌だった。縛られていると思う感覚は、展望のない暗さだけで充分だった。
 最近、今までの信条とは逆の現象が、ぼくの身の回りに起きている。ぼく自身の意識とは別の領域、感覚や本能の部分で彼女の喫煙を許してしまっている。いや、許すよりも、好んでいると言っていい。あんなに嫌いだった煙草の煙だったが、性交中の彼女の唇の味と、行為の後のベット脇で吸わされる副流煙は、快楽にリンクしていた。もはや、積極的にと言っていい程、ぼくの脳の官能の部分で、煙草の味覚や煙たい香りを受け入れてしまっている。
 彼女の彼氏も、煙草を止められないでいる。彼女が高校生だった頃、煙草を吸ってない時があった。しかし、夏休みに彼氏と会っている間に、また煙草を吸いはじめた。となりで彼氏がスパスパとやっていると、どうしても間が持てないで一本吸ってしまうらしい。それで、禁煙は出来ないと悟ったらしい。
 彼女は喫煙が胎児に与える影響も重々分かっていた。禁煙開始は、出産の三年前からでないと駄目だ、とも言っていた。はたして彼女に禁煙が実行できるだろうか。彼女には彼氏がいて、しかも同時に、平行してぼくと付き合い、プチ愛人みたいになっていた。彼女は何度かぼくを意識の外に放り出したこともあった。
 煙草を止められないでいるのは、理屈でない部分、感情や本能といった、自分で意識できない領域で縛られていて、簡単にコントロールできないでいるのかもしれない。それはぼくの勝手な推測にすぎないのだが、もしかして、ぼくがそうであるように、彼女だって本能の部分で、ぼくからは離れられない何かがあるのかもしれない。
 彼女は頭が良く、言っていることは論理的だ。しかし、彼女は彼氏がいると回りの友達連中に公言し、長い付き合いで将来も約束しているカップルで通しているが、言っていることと行動は別物だ。ぼくが彼女から離れられないと同じように、彼女だってぼくという影の部分を捨てきれないでいる。
 彼女自身が煙草は身体に悪いと自覚していても、煙草を止める気配は全く感じられない。ぼくが皮肉っぽく、会話に交えて禁煙を勧めても、聞き分けないでいた。そんな時は、いつも決まって厭世的な言葉を言い返してくるのだ。「煙草を吸って身体に悪いなら、早く死んでもいい」と、言う。ぼくの投げかける禁煙の勧めに対して、彼女は機嫌の悪さを顔に出す。自分の感情を隠せないし、嘘はつけない性格なのだ。
 ぼくの存在をいつまでも抹消できないでいるもどかしさから来るのか、ぼくのことを彼女がずっと内密にしている彼氏に対しての後ろめたさから来るか、実情は分からない。どうして早く死んでもいいと簡単に世捨て人のようなことを言うのか、分からない。
 彼女は煙草の依存症であることも分かっていた。精神的な部分の欠落が、依存症から抜けられないでいることだと、彼女は認識していた。乳房を求めるのは母性を求める代替え行為だと、分析していた。煙草を吸うのは母親の乳首を求める行為と同じで、幼児性が抜けないことだと論破した。それほど彼女は、一般の喫煙者の依存的症状を分析しているのに、自分自身の煙草はやめられないでいた。
 ひょっとして煙草自体が、遠距離交際している彼氏を思い出すことに繋がっているのかもしれない。煙草を燻らせては、彷彿とする彼氏をイメージしているのもしれない。ぼくは煙草を吸わないし、その点の心情は分からない。四六時中彼氏といるなら、禁煙量も減るのかもしれないし、逆に彼氏と喋ることもないないなら、間が持てないで、吸う本数も増えるかもしれない。
 今の彼女なら、禁煙の勧めを聞き入れはしないだろう。それでも、彼女は、三十歳位になってから子供をつくりたいという、希望を持っていた。その頃、彼女ははたして禁煙できるだろうか。彼女はしっかりしている方だから、多分、禁煙はできるだろう。その時の為に論理的な裏付けとして、今から進言しておく。「害なんか分かってて吸っている」と、反論する彼女に、ぼくの健康志向的な正論の部分で、彼女に禁煙を勧告したい。
 何べんも彼女の煙草を吸う姿を見ている。そして、ある時、「ぼくには次の小説のタイトルだけ決まっている、『煙草を吸う女』だよ」と、ぼくは彼女に喋った記憶がある。しかし、内容はその時点で未定だった。その文章を読んだら、二度と煙草を吸いたいと思わない内容にしたいと、常々考えていた。
 しかし、小説風な書き物の中で、読者に禁煙したいと決断を導くほどの力量はない。多分、ぼくの稚拙な表現では、書いて伝えるのは無理だろう。喫煙している母親の流産の確率は、非喫煙者の二〇パーセント多いらしい。子供を流産した母親の心理状況とかを表現することは難しい。その部分を書くとしたら、読むだろう読者の想像力に任すしかない。
 それに、ぼくが彼女の身体を心配して言っていることに、真実味がない。彼女と居た時間と共に、思い出も増えてきた。煙草を吸う彼女の姿は、甘味な懐かしい記憶となっててきている。
 それと、ぼくは禁煙を進言できる立場にはない。時効かもしれないが、彼女との関係はハイティーンの頃からの援助交際が起点だ。法律的には犯罪を犯していた。彼女はまだ未成年者だが、幼顔を厚化粧でカモフラージュして、厚かましく喫煙する。どこにも後ろめたさを持たない。公衆の面前で、堂々と喫煙している。
 彼女は、一ヵ月に一度は風邪の症状を訴える。生まれつき病弱であるにもかかわらず、遠慮なくぼくの隣で煙草を吸う。喫煙する彼女の姿は表面的には全く健康体に見える。風邪の症状が治りかけの時に、携帯電話の会話を聞いた。「やっと煙草を吸える位の体調に戻ったんだ」彼女にとっては喫煙は健康のバロメーターかもしれない。
 肉厚な下唇がそう見せるのか、彼女に限っては煙草の吸い方がエロチックなのだ。それまでのぼくは、女の喫煙者は好きでなかった。どこか不良の影があった。水商売の女の殆どは喫煙者である。数年前に行った、ソープやキャバクラでは、煙草を吸わない女もたまにいた。
 しかし、煙草を吸わない売春婦やホステスは、どうも様にならない。喫煙するうら若い女の子は、非処女、ひいては援助交際、精神的に病んでいる不健康なイメージしか沸かない。
 道路でよく見掛ける、投げ捨てられた吸殻の多さからも、公衆道徳の欠如者が喫煙者にいるとしか思えない。同じく、喫煙者に大気汚染を論じる権利はない。外に出ないで、部屋の空気を汚している元凶は、喫煙者達なのだ。人が回りにいても、お構いなしに煙草を吸う者を、時々見かける。
 それが、秩序、ひいては法律破壊者のイメージがある。それはぼくだけの固定概念だろうか。彼女は彼氏がいるのに影の男というぼくを抱えていて、しかも罪悪感を持っていない。彼女の彼氏と、互いの家を行き来し、両親の公認でもあるし、互いに別々の大学の彼女と彼氏の関係は、表面的には長距離恋愛の範疇に入る。身体と精神は別、という風な、純愛とも違う。彼女は不感症だし、性愛に狂っている訳でもない。
 最近やっと現象的に分かってきたことがある。どうも彼女は、彼女の彼氏と、ぼくとは、同時進行では相手できないみたいだ。彼女は彼氏と、ぼくとは別々にきちんと仕分けしなければならないようになってきていた。感情の起伏が顔に直ぐ出て、嘘がつけないし、彼女は不器用なのかもしれない。だから、場合によっては二ヵ月も彼女と音信普通のことがある。
 ぼくが見る限り、彼女と彼氏の関係での恋愛期間は既に終えていた。冷却期間に陥っているのでなく、既に家族の一員みたいだ。携帯電話での彼氏との会話を隣で聞いていると、姉、弟みたいな感じだ。彼女は彼氏に対して年下だが、弟に話すみたいなタメ口で、ぼくの前で時々示す、女の子のようなかわいい仕種からは、想像できないのだった。
 姐御肌な風な状況から、彼女は彼氏を完全に尻に敷く関係に思える。兄貴から紹介された彼氏だし、性格的には問題ないのだろう。今更別れる理由もないし、特別に波瀾がなければ、時期が来て結婚するだけだ。たぶん、それは彼女が生きていく上で、全く支障はない筈だった。
 それなのにぼくがいた。真っ直ぐに決められた方向に進行する列車に、へばりついているレール脇の影のような存在が、ぼくなのかもしれない。彼女は喫煙と同じく、意識と意識外の、倫理的には不道徳な、ぼくという不条理を受入れていた。彼女の彼氏はある国家試験を受験するつもりでいるし、頭もいいらしい。それでも、尊敬しているような話しぶりでなく、実の兄貴より年上なのに、彼氏の存在は彼女の弟みたいだった。
 ひょんなことでこれを読むかもしれない。以前、日記の続きを書こうと、携帯ワープロを持って出た。別の文書ファイルとして、この冒頭の部分が携帯ワープロ内に納まっていた。
 ある時、二人は喫茶店で休んでいた。その場の成り行きで、書きかけだったこの文章の、冒頭部分を読ませたことがあった。最初は読んでクスッと笑った。二頁目からは真剣に読もうとしていた。次の予定場所に行くために時間がないからと、それ以上は読ませなかった。
 これを書き上げたとしても、この文章の三頁以降は彼女に読ませるつもりはない。彼女に読ませるつもりはなくても、一応文章に残してみよう。常々、彼女は読書の趣味はないと言っていた。大学の授業で課題を与えられても、インターネットを利用して資料収集することが殆どで、本は読むことはないと言っていた。
 ぼくの文学論には全く興味を示さないで、誰々の小説を読んだと言っても、彼女は上の空で聞いていた。逆に、彼女が見た映画の話しを聞くことがあった。ぼくの支離滅裂な読書感想よりは、評論家のように的を得た映画の感想が聞けた。
 今の時期は彼氏モードに切り替わっている。その合間にぼくは寂しさを埋める為にこれを書いている。彼女に読ませる予定はない。これを公開するかどうかも分からない。それでも、書くのだ。前書きが長くなった。喫煙者、特に彼女にこの文章を捧げる。決して喫煙を止めようとしない彼女に……。
 手元には、ある全国紙の切り抜きがあった。禁煙特集が載っていた。−健康増進法志向を前に−とあった。その新聞の切り抜きは平成一五年三月某日の日付だった。それを読んでぼくなりに内容は理解した。それを、一般の人にも簡単に理解できるように、彼女をぼくの文面に登場させて、会話形式のQ&Aを書いてみようと思いついた。
 失敗したって成功したって構わない。ぼくなりに構成してみだけだ。その新聞の内容が間違っていないなら、喫煙者には耳の痛いことだろう。喫煙者には犯罪者だと言う認識を持ってもらいたい。特に、彼女に再認識してほしい。当然、今の時点での彼女は、聞き入れることはないだろう。
 そのうちに彼女とは別れが来るだろう。その別れの日が来ないことを祈っている。しかし、望まなくてもいつかその日は確実に来るのだ。その後、彼女は母親になるだろう。彼女は皮膚が弱く病弱だから、喫煙が及ぼす胎児への影響を心配している。ぼくはこれからも自分の身に降り掛かる不幸を甘んじて受け、幸せの度合いが小さくなる分、彼女には反比例して幸せを増してほしい。
 また、前書きばかりが長くなってしまった。今までのぼくの心情を踏まえ、以下の会話を作ったので、読んでほしい。

「成人男子の喫煙率が約五割と先進国の中でも日本は『喫煙天国』とも形容されている。しかし、分煙の徹底を推し進める健康増進法の施行や、増税の実施で、煙草を巡る環境が大きく変わろうとしているんだ。煙草を吸う人には煙たがれるかもしれないが、やめたい人にはいい機会だ。煙草のことを考えてみよう」
「改めて聞くけど、たばこはどうして身体に悪いの?」
「煙に含まれる発癌物質、一酸化炭素、ニコチン等が色々な病気を引き起こすんだ。元々タバコ葉に含まれている成分のほか、火をつけて燃やすことで様々な有害物質が生じる。煙の中には約四千種類もの化学物質が含まれ、少なくとも六十種類は発癌性がある。味や香りの調合などのために使われている添加物も約六百種類になるんだ」
「どんな病気になるの?」
「一酸化炭素やニコチンは、動脈硬化を促進させ、心臓病などを引き起こす。多くの発癌物質が含まれているから、肺癌、喉頭癌など、多くの癌で、煙草が原因のものが多い。癌全体でみても、二割から三割が、煙草が原因と推定されているんだ」
「癌はよく言われるけど……リスクはいろいろあるのね」「喫煙者は非喫煙者に比べて、三五歳から六九歳で死亡のリスクは約三倍になることが英国や米国の大規模な追跡調査で分かっている。厚労省研究班は、煙草で死ぬ人を年間十万五千人と推定している。交通事故の十倍以上だね。一時、ダイオキシン類の健康影響が問題になったけど、喫煙に比べると、発癌リスクは百分の一という研究もあるんだ」
「そっか、ゴミを分別するのに神経を使うよりも、煙草を気にした方が全然ましね。でも、煙草を吸うとホッとするって言うか、リラックスできるわ。吸わない人には分からないと思うけど、言うに言えないメリットはあるのよ」
「喫煙者は、煙草を長い間吸わないでいるとイライラしてくる。煙草に含まれるニコチンには、強い依存性があるんだ。ヘロインやコカインに匹敵すると言われているんだ。イライラするのは禁断症状で、煙草を吸えばそれが緩和されて、リラックスした気分になるだけだ、と言う研究者もいる」
「私自身は隣で煙草を吸われるのはリラックスどころか煙くて嫌だわ」
「実はね。喫煙者が直接吸う煙は主流煙って言うんだ。それよりも周囲に広がる煙、副流煙の方が化学物質を多く含んでいるんだ。ベンゼンだと八から十倍だし、ホルムアルデヒドは五十倍なんだ。周囲の人がこの副流煙を吸うのを受動喫煙というんだけど、かなり害を受けるんだ」
「悪いって言うのは知ってはいたけど、具体的な化学物質の名前を聞くと、なるほどと思えるし、煙いだけじゃないのね」
「国立がんセンターはこんな推計をしている。他人の煙草による肺癌で死亡する人は年に千人から二千人。心臓病などを含めると、日本では一万九千人が受動喫煙で亡くなっているという推定もあるんだ」
「私はだいぶ前から吸っているけど、未成年はなぜ吸っていけないの?」
「大人は健康上のリスクを十分知った上で、吸って下さい、ということなんだ。子供は危なさの判断ができないし、健康の害が大人より大きい。吸わない人が六十歳までに肺癌で死ぬ割合に比べ、十五歳になる前から吸っている人は三十倍になるんだ」
「それも聞いたことあるかも」
「子どもの肺はね、大人と違って分裂の盛んな細胞が多い。煙草の発癌物質は、これを肺癌の『芽』に変えやすいんだ。それに、子どもの時に喫煙を始めるとニコチン依存になりやすいし、急速に進んでやめられなくなるよ」
「そうね、私みたいね」
「ここまでは教科書的な会話だと思う。これからはぼくの主観で述べるよ。かっこ良く見せたいという、煙草会社の宣伝も悪いんだ。美人の女性がモデルかもしれないけれど、実際はノータリンで、何も考えないで吸っているだけなのに、それらしく物憂げに、思慮深げに煙草を吸う。映画のワンシーンような、映像をきれいなイメージで流す」
「それのどこがいけないの」
「第一、どこにきれいになる要素があるって言うんだい。肌が荒れる、毛穴の汚れが目立つ、化粧の乗りが悪い。枚挙に暇がない。そして、鼻毛が伸びる。煙草は主に美容の敵であると思うけど…」
「私にはキャリア・ウーマンなんて煙草を吸うイメージがあるわ」
「とんでもない。欧米の経営者像としては煙草者イコールマイナスイメージとして映るらしい。煙草は健康に悪いばかりでなく、回りに迷惑を掛けるのを分かっていて煙草を止められなでいるのは、意思の弱い者として管理能力を問われるらしい」
「私は歩いてまで吸いたいとは思わないけど」
「当然だよ。歩き煙草は男でもみっともない。危ないし迷惑だ。かっこう悪いと思う。それに車の運転をしながら煙草を吸っている女の子を時々見かける。普通にしていればかわいい顔をしているのに、ハンドルに両手か片手を取られ、たばこを吸う顔はひん曲がって不細工な顔になる。決してかっこういいとは思わないな。かっこう悪いと、皆がイメージできれば、君みたいな女性喫煙者の蔓延を防ぐ手だてになるのに…」
「税金を収めているからいいじゃない」
「それだって喫煙者の詭弁なんだよ。医療費に掛かる国家予算は煙草者が減ると激減するという予想データがある。そのことを政府が黙認するよう圧力をかけているのは、医師過剰で構造不況に陥らない為の医師会等の画策によるものなんだ」
「何で?」
「医療従事者への配慮だ。ある程度の患者がいないとペイしない。医療設備の稼働率を上げるにはそれなりの患者数がいる。医療機械の改良にも被験者がいる。煙草は必要悪だと極言する者もいる」
「じゃ、いいじゃん」
「でも、これからはぼくも含めて高齢化時代がやって来る。国力に余裕はなくなる筈だ。無駄は極力省く必要がある。老人に対し、健康維持政策とか体のいいスローガンを打ち出し、医療費などの金を掛けない方針をとる。寿命が来ればぽっくりいってもらう方を政府は選択するだろう。だから、国家政策としても煙草は一箱千円にするべきだ」
「高すぎる」
「煙草を一箱千円位の増税すると喫煙者数は激減するだろうね。ぼくもそれ位の値段にするべきだと思うな。それ以上の値段になったりするとそれこそ煙草が麻薬並の値段でやり取りされる訳だ。タバコ葉を自分で栽培をしたりする者が現れたりしてね」
「それほどまでして吸いたくないね」
「とにかく、やっと日本でも広告規制が出てきたらしいけどまだまだね。ライトとかマイルドなどと銘打ったブランドが多いけど健康被害が少ないかのような印象を与えるのも好ましくないね」
「有害物質が少ないのに?」
「厚生省の調査では箱に表示されたタールの量が少ない方が、むしろ発癌物質が多いことさえあった。軽い煙草を吸うと、ニコチンをたくさん取ろうと吸う回数が増えることが知られているので、発癌物質も多く取ってしまうかもしれないよ」
「分かっているけどやめられないのよね」

 どうせ彼女は早く死んでもかまわないと反論するだろう。彼女にとって、ぼくの存在が影だとも意識しないだろう。彼女の行った偏ったダイエットで体調が変化した時もあったし、性格的に情緒不安定に陥りやすかった。彼女に生理がとまった時期があった。煙草を吸った時間は、同時に経過し、ぼくの存在を含めて、青春の過ちとして、もう消去することはできない。
 それでも、彼女は意識的にやってきたことに、後悔はしてないだろう。両親は一人前の人間として人格を尊重している。ちゃんとやることをしていれば文句は言わない家庭だった。そして、自分の取った行動にも責任を負っているだろう。
 学業は真面目に勤しんでいた。夜間のコンビニのバイトをやっていることにして、実家の親に嘘をついて都会での水商売のバイトを続けていた。最近は、親に嘘をつくのはためらわれるのか、昼間のバイトもやっているらしい。ぼくは昼のバイトは一時的なものでいつまで続くか疑問を持っている。自分の都合の良い日にちに出勤でき、時給もいい、効率的な夜の水商売のバイトの方を、メインにする筈だ。益々、煙草を離せなくなると思う。
 直前まで彼女は夜のバイト先として高級クラブにいたらしい。表面的には生産的には見えない。しかし、高級クラブで癒された管理職や自営業者達は翌日から働く意欲を蘇らせる。男達は緊張感ばかりの日中から開放されることになる。酒があり、女がいる。高級クラブは潤いの場所であるのかもしれないのだ。些細であるが彼女は日本経済の一翼を担っている。水商売とバカにするが、それはそれで男達から必要とされる、接客という立派な一職業なのだ。
 しかし、煙草の煙を燻らながら、「死んでもいい」と言う官能的な言葉の響きも好きだ。「どうせ死ぬならぼくと一緒に死なないか」と、今度問いかけてみるつもりだ。彼女は顔の表情を隠すことはできない。気分を害すると顔に出る。前戯中に「大好きだ」と言うと、顔をくしゃくしゃにして喜ぶのとは対照的だった。今度、会話の流れの中で、「別に早く死んでもいい」と、言ったら、「じゃ、一緒に死のうか」と、問いかけてみるとどんな表情をするだろう。多分、「バカ」と、煙たい表情で一蹴するだろう。
 彼女は「死んでもいい」と、言葉に出して言っても、本心でない筈だ。今まで楽しかったことはあったろうし、これからもあるかもしれない。配偶者も子供もいない、出世もしない、未来などありはしないように端から見られるぼくでさえ、死にたいとは思わない。彼女みたいな女の子と出会えることもある。人生、捨てたものでもないと思う。彼女と何年も関係が続くなんて、ぼくは思ってもいなかった。二人で行った旅路の先々で、その場所にいるのが不思議だと彼女は言う。ぼくも同感だ。
 彼女との性交以外に、音楽だって聞いていて快楽を感じるし、文学だってそれなりに生きざまを教えてくれる。ぼくは決して、死にたいとは思わない。何かを残さなくてもこの世に生を享受した限り、自分や他人らの人間自身のことをもっと知りたい。
 惚けて恍惚の人になった時は、自分の症状そのものを知っていない訳で、自分から命を絶つことをしないだろう。今、楽観的な未来的希望として考えると、脳障害の特効薬が出来るかもしれない。ひょっとして治るかもしれないので、ぼくが惚けた人間になっている時点でも、特効薬ができるまでは生きたいと思う。
 彼女だって言葉とは裏腹に長く生きたいと思っているだろう。今現在にしても、親を悲しませない為に生きているだろう。子供が出来たら自分の家族の為に、今と同じように生きていくだろう。よっぽどのことがない限り生きて行くだろう。
 高校三年生の時、推薦入学に必要だからと、しばらくボランティア活動をしていた。その時の感想を聞いた。その頃から彼女に偏った見方が芽生え、ネガティブな人生観が形勢されたらしい。介護のボランティアで、痴呆症や寝たきりの老人を見たらしい。別居している父方のおばあちゃんも、寝たっきりでいるらしい。時々、両親と一緒に見舞いに行っているらしい。
 この文章で彼女に訴えたい。人生はそんな否定的なことばかりでないし、現にこうやって心象として、文面としてこの状況を残そうとしている。文学的であるかは別として、この時代のこの国の近況を書き残している。生きていることは無駄ではないと認識してもらいたいと思う。
 しかし、ぼくにはこれ以上喫煙者を追い込めない弱点がある。ぼくは、運動不足と食べ過ぎが原因の生活習慣病に掛かっている。意思が強ければ食べ過ぎないし、軽めの運動を永続することもできている筈だ。ぼくは意思が弱い。彼女のことは言えないのだ。禁煙できないでいる者達を責めることはできない。
 ぼくは身体を動かしても週に一度位しかスポーツをしない。ストレスは感じるけど、歳の割には食欲と性欲は衰えていない筈だ。飽食暴飲の誘惑を克服できないでいる。それとともに取材をするのだと法律を破ってでも淫行で快楽を求めようとした時期があった。そんな時に彼女と出会った。
 今では酒を飲んで交わったりした時に自我を忘れてしまう。彼女とコンドーム無しで行為に至ってしまう。彼女だってあんなに拒否していたデープキスを受け入れさせてしまった。このままでは彼女に堕胎の経験までさせてしまう。彼女には一生拭えない心と身体の傷を負わせてしまうだろう。
 彼女は人並みの最低限の善意と、女性特有の性愛の情を持っている。世間知らずにつけ込んで避妊具をせずに性交している。そのままでは危険だ。堕胎を経験させた上、その後も生理の度にぼくのことを思い出させてしまう。いつも良い思い出が残ればと努めているが、それまでの努力は一瞬に台無しになり、それからは負の部分として思い出すだけになるだろう。彼女が自暴自棄にならないようにしなければならない。
 ぼくの体重を落とすのは喫煙者が禁煙を敢行するよりは簡単な筈だ。このままでは確実に彼女より早く死ぬ。歳の若い彼女より早くぼくが死ぬのは当たり前だ。が、早く死んでもいいと言っている彼女より、長く生きたいと思っているぼくが生き延びる手だては今現在のままではない。どう考えても無理なのだろう。彼女の人生の終焉を見届けることは、当然ながら無理だろう。彼女は早死にすると仮定して、ぼくは少なくとも平均寿命以上生きていなければならない。
 生活習慣病は治せないでいる。テニスとスキーを愛好していると言っても、心臓や内蔵に急激な負担を負わせるだけだ。疲れが溜まりやすい。異常に蓄積する疲労は、日常の仕事にも影響を残す。少しの気分転換を果たすだけだ。現実を一瞬忘れ、逃避をしているだけだ。酷い時は仕事上のやる気さえ伏せる。食欲だけを増進させてしまう週一プレーヤーでしかないのに、回りの連中にいつでも体重は落とせると公言している。しかし、ここ十年、体重は確実に増え続けている。
 生活習慣病は贅沢病と同義語だ。北朝鮮人民を見ればいい。ニュース報道の映像を見る限り、首領以外、誰一人として太った人間を見ることはできない。食料時給率の悪さを気にしないで、外貨準備率にものをいわせ、世界中の食物を日本に集めている。飽食でお構いなしに残飯を残す。この国では残飯あさりをしている乞食に糖尿病患者がいるらしい。どこが不況だと言うのだ。
 北朝鮮ではその日の食料にも事欠き、命を繋ぐことも危ぶまれる。そんな命懸けの日々を送る人達がいるのに、ぼくの境遇は恵まれすぎている。意思をもっと強く持つべきだと思う。しかし、いざ食卓に並べられる多量の料理を完食する
 体脂肪と生活習慣病はぼくの長い道連れとなった。軽い運動を続けるとか食事量を減らすとか、それだけでいいのだ。それさえできないのだ。歳を考えないで飽食を続け、ついでに禁断の性を享受していた。それらを拒絶することはできない。意思が弱いのだ。そんなぼくが、禁煙できないでいる者を非難できない。
 彼女の禁煙はどうでもいいことなのだ。これを書きながらそう思えてきた。煙草の煙と臭いは彼女を彷彿とさせる。彼女の吸う、マルボーロのメンソレータムと、他の煙草の銘柄の違いを、ぼくは煙の臭いで嗅ぎ分けることはできない。しかし、煙草の煙だけで、彼女が付近にいる錯覚に捕らわれる。
 この前、会社の健康診断があり、血圧測定があった。半年前と同じく血圧の上限値は二〇〇を越えていた。半年前はうら若い女性医師が総合診察をしていたから馬鹿にして、白衣の看護婦を見ると異常に血圧が上がると、問診に答えた。その時、上司に緊急報告を告げられた。上司には暇をみて医者に掛かると適当に答えておいた。平日でもそんな緊急の用件なら医者に掛かってきてもいい筈だった。仕事が忙しいというのは言い訳だ。土曜日でも病院は開いている。半年前の健康診断後は実際は医者に掛からなく投薬も受けなかった。
 直近の健康診断でも血圧の数値が異常値を示した。今回は老人の医師から緊急勧告を受けた。問診表には運動停止、緊急入院が書かれていた。さすがに上司から咎められた。すぐに医者に掛かれと言われた。しぶしぶながらという思いだが、投薬を受けなくてはならないのだろう。緊急入院と指示されて、死がより身近になった。
 このままでは到底平均寿命まで生きるなどは考えられない。彼女には自分の病状のことは伝えてない。知らせる必要はない。彼女の就寝する時間帯は朝の四時頃が殆どだ。ぼくはその時間には目覚めてしまう。早起きする理由は血圧が高いからだと言ってあるが、会話の中でのその程度の告知だ。彼女に心配は掛けたくないし、本当のことを伝えれば性行為も止められるだろう。両親にも血圧の異常数値を黙っているいる位だし、彼女には当然今後も伝えないでいるだろう。
 両親よりも早く死んでしまう可能性が出てきた。自覚症状がないのが高血圧症らしい。血圧上昇はスポーツ心臓が原因なのかもしれないが、病気に違いない。血圧用の薬も、面倒だが服用しなければならないだろう。医者からはいつ倒れてもおかしくないと告げられて、人ごとのようだった死が、身近に迫るようになってきた。
 今、彼女と会えるなら、彼女の喫煙など些細なことだ。非現実的な選択だが、選べと迫られれば、回復を期待した養生よりは、死を早めても彼女と交わりたい。了解が取れるなら、いっそ一緒に死ぬ方を選びたい。
 今いるぼくの部屋は埃っぽいが、煙くはない。深呼吸とも、ため息ともつかない息を吐く。今は、受動禁煙だって受け入れられる。死だって受け入れられる。