..今、書いている手元を見てみる。指の間にはシャープペンシルが握られていることにする。シャープペンシルを見ると思い出すことがある。
 シャープペンシルはどうしても無くてはならないものでもない。メモを残すだけならボールペンで済むことがある。それでいて、パソコンを使いこなせるような人でも、シャープペンシルの一本位は身近に所持していると思う。
 シャープペンシルはどこにでもある文房具である。しかも、安価なものも多い。何かのイベントに参加した時に頒布品として貰ったような代物もある。高級仕様のシャープペンシルもあるにはある。高額なシャープペンシルを持っている人でも、家の中には捨てるに捨てられないで置いたままにしているシャープペンシルもあることだろう。手元にあるシャープペンシルが正にそれだ。

 日本人は長いこと鉛筆の世話になってきた。今でも、子供だけでなくて、大人も含んだ世界中の人達が鉛筆を使っていることだろう。外国製品と比べて日本製の消しゴムの品質は数段高く、大人気らしい。外国では日本製に敵う消しゴムがないそうだ。消しゴムの需要が高いと言うことは鉛筆を使う人々が大勢いるということだ。
 子供たちの殆どは鉛筆を使う。大人でも長年使い慣れているという理由で鉛筆で書き物をしている人もいるだろう。パソコンが普及している。それでも、未だに鉛筆を使っている人もいるのではないかと思う。
 メモ書程度で鉛筆を使う人もいるだろう。文筆を生業としている人でも、鉛筆を使用して執筆しているかもしれない。印刷物への掲載を前提としていても、書き直しが容易な鉛筆を使う人もいるだろう。
 鉛筆を削るだけなら、小さいケースの簡易型の鉛筆削りでも充分かもしれない。固定刃をはめ込んだケース型の挿入部分に鉛筆を差し込んで回して使うタイプの鉛筆削りは百円ショップにも置いてある。
 鉛筆は普及している。今後の需要が極端に減ることもないだろうと思う。ナイフで鉛筆を削る人はごく少数派だと思う。電動の鉛筆削り機は学校だけでなく事業所にも置いてある。手動式の鉛筆削り機を置いている家も多いだろう。新興国の下請け企業に委託生産したらしい、安価な鉛筆削り機は、手動式にしても電動タイプにしても、昔と比べると格段に安価なものとして出回っている。
 パソコンやプリンターが普及した頃でも手書きで文章を作成する人を見かけた。鉛筆削り機で一々鉛筆の芯を削って文章を書いていた。
 数年前までは会社の決済稟議に手書きの意見書を添付して提出しても構わなかった。今では、報告書等はパソコンのソフト内の予め決められた様式の意見欄に文字を入れなければならない。
 そのフォーマットされた枠内に文章を作成する。作成後の文章は社内LANのメールに添付して送信するしかない。だから、手書きの文章は見られなくなった。もし、手書きをするとしたら、下書きの段階で済ませなければならない。
 レジメにしても以前は原文を手書きで起草する者がいた。手書きで下書きをするのはぼくらから上の世代が多い。ぼくらの世代は管理職になっている者もいる。文章を公に配布する場合は殆どは部下に指示するだろう。一部の人はまだ手書きした原文を部下に渡しているかもしれない。それにしても、若い連中の手書きの文章を見る機会がなくなった。字体を見ればその人間の大まかな傾向が分かったものだ。
 昔はインクで書く時代が長かった。昔は物を大事にして長く使った。一生涯使える万年筆は貴重品だった。万年筆を使って書こうとする人には一文字にも真剣な気概があるように感じる。消えない文字はそのまま残した。文字が残るという前提で推敲し、訂正したのだろう。
 著名な作家の愛用した万年筆が文学記念館に飾られていたのを見たことがある。その作家の作品を読んでないので内容を知らないのだが、万年筆で書かれた原稿用紙の中の文字や筆致に重みが感じられた。
 逆に、鉛筆で書き上げる作家も知っている。日常雑記を述懐した作家のエッセイを読んだことがある。そのエッセイの中で鉛筆で執筆していると述べていた。
 鉛筆で、しかも原稿用紙でなく、ノートに書いたという作家の体験談も読んだ。そのノートに書き込んで仕上げた作品は歴史に残る名作となっている。
 筆記具よりも、文章の流れや部分部分の構成を重視して、小説の完成度を高めるのに腐心しているのだろう。作家は筆記具のこと等は瑣末なことだと感じていることだろう。要はその作家が自分に合った筆記具を用いただけのことだ。
 ワープロやパソコンのない時代だったらノートに縦書きで書いたなら原稿用紙より、より最終の印刷物に近いかもしれない。そのノートに書かれた自分の作品を読者の立場で客観視したのかもしれない。ひょっとして、この仮説は通るかもしれない。
 しかし、場数を踏んだ作家や編集者は四〇〇字詰め原稿を眺めただけで最終印刷されたページのイメージができるそうだから、ノートに書く必要性などはないのかもしれない。手元に原稿用紙を用意できなかったから、仕方なくノートに書いていただけかもしれない。それより、書かれた内容の方が肝心なのだから、書き方などどうでもいいことなのだろう。
 鉛筆で書く方が自分に合っていると思っている作家もいるだろう。鉛筆を削る寸間の時間が必要なのだと想像する。僅かの間のタイムラグが脳に適度の刺激となり、間歇により次のアイディアが沸くのかもしれない。
 弱点として、鉛筆は携帯には不便だ。メモ書き程度ならプラスチックに鉛筆の芯を付けた簡易タイプの筆記用具もある。ゴルフのスコアブックに挟んで記入するクリップタイプの鉛筆がそうだ。それでも、いつも持ち歩けるものでもないだろう。スペアの無い場合は芯が折れたら代用が利かない。
 書いている途中で鉛筆の芯を削るのも一々面倒に感じる人もいるだろう。そんな人はシャープペンシルを愛用しているかもしれない。
 話を戻そう。
 そろそろ個人的なシャープペンシルへの思いを書くとしよう。最初はシャープペンシルのことについてだけ語るつもりでいたのだ。鉛筆のことを語っているうちに話がずれてしまった。
 シャープペンシルは文具であり、物である。シャープペンシルは文具メーカーが売り出した一商品でしかない。戦後、老舗の万年筆メーカーは万年筆だけを売っていては経営が成り立たなくなったのだろう。
 戦後の経済成長期には文房具の種類も増えて各種文房具の需要もあっただろう。利益を得られる筆記用具関連の商品に進出する必然はあっただろう。そこで万年筆も取り扱う傍ら、ボールペンやサインペン等の筆記用具全般を取り扱うようになったのだろう。
 その中にシャープペンシルも含まれていた。シャープペンシルの特許は公開されていた。文具メーカー各社がシャープペンシルの販売をしていた。
 ぼくらが中学生の頃にシャープペンシルが普及し始めた。誰でも買うことができる値段になっていた。そんなシャープペンシルに思い入れがある。
 中学生の何年生の頃だっただろう。文房具店にシャープペンシルが売り出されていた。家電メーカーの「シャープ」の創業者の早川氏が、シャープペンシルを発明したことなど、ぼくはその頃は知らなかった。シャープペンシルからとって社名を「シャープ」にしたという逸話は事実らしい。
 中学生の頃、初めて買った一本のシャープペンシルに関係した思い出がある。シャープペンシルを買ったことが切っ掛けで少し長めの文章が書けた。教科の国語とか課外活動とかに全く関連のないものだった。学業成績に関係なく、ただ書けたから書いたというものだった。
 鉛筆だけでは文章を書き続けられることはなかったと思う。鉛筆だけでは書き続けようとする持続力が保てなくなっていただろう。どんなに書いてもノックするだけでシャープペンシルから芯が出続ける便利さに驚き、刺激を受けたのだと思う。シャープペンシルが書き続けられる精神状態を維持してくれたことになる。
 鉛筆を何本か事前に準備しなくいいとか、そんな理由ではなく、シャープペンシルという新しい道具を持った高揚感から、精神状態が続いただけかもしれないのだ。
 大した文章ではないのだが、長めの文章を鉛筆だけで書ききれなかっただろうと思う。間断なく書くことができたのはシャープペンシルが手元にあったからだ。文房具が代わったことで書き続けることができたのだ。
 そんなぼくの書くことに関連した些細なエピソードを述べてみよう。その少し長めの文章が載ったのは中学校の校舎の壁に張り出された学級新聞だった。ぼくが初めて小説もどきのものを発表したことになる。
 その文章はどんなものだったのか全然覚えていない。最初はSF風の入りにしたかもしれない。そのうち、書くことに行き詰まり、途中から段々と書いている自分の状況を述べてしまい、最後は自分を茶化して、ユーモア風な、コントのようなものになってしまったかもしれない。
 それは、小説というものでなかった。それと最後の結末は雑だったと思う。当時は掌編の書き方も知らないし、どうしたらいいのか分からなかったと思う。最後はいい加減でごまかしの利くような終わり方をしたかもしれない。今の自分の作風と同じく、自分に癒着し過ぎていたかもしれない。小説の「し」の字も知らない当時から、書き方が成長していないことになる。
 当初はSF小説みたいなものを書こうと試みたのかもしれない。途中で書けなくなったので中断した。そこで、現時点で書いていること自体が凄いことだというような、自画自賛した内容になったかもしれない。
 自分の自慢をしていくような感じで、それでいて書いている自分のことを客観視し、茶化したような感じで、ユーモア小説の入門的な書き方に近かったかもしれない。当時書いた内容は忘れている。これは推察に過ぎない。
 中学生の頃にどんな内容のものを書いたのか、全然記憶がない。その文章に対してどんな評価を受けたのかも覚えていない。面白かったのかどうかも分からない。散文形式だが小説までは至らなかったことは確かだった。
 学級委員から何か書いてくれと要請された訳でない。どうしてそんな文章を書こうとしたのだろう。要請もなければ締め切りもないないのに、どうしてそんな文章を提出したのだろう。どうして、ぼくの文章が壁新聞に採用されたのだろう。今、考えると不思議なことだ。
 当時の中学校に新聞部はなかった筈だ。よっぽど、書き手がいなかったのだろう。学級委員か誰かが編集して廊下の壁に貼っただけのものだった。その頃は書くとしてもノート位しかなかっただろうと思う。原稿用紙に書いた記憶はない。ぼくが書いた下手で読みにくい文字を解析した学級委員の苦労は計り知れないものかもしれない。ぼくが書いた文章そのままが壁新聞に書き写してあった。
 同級生が廊下に張り出された学級新聞を読んでクスッと笑った顔を見た記憶はない。今となってはどんな内容の文章だったのか曖昧だ。が、その廊下に張り出されたぼくの書いた文章を読み終えた同級生の顔を見た記憶はある。その時、「何を書いているんだ」と言ったのを聞いたような気もする。
 馬鹿馬鹿しいことを良くもまあ恥ずかしいとも思わず書いているものだ、と言うような軽蔑した表情が読み取れた。ぼくの文章が学級新聞に発表されたという事実に対して、畏敬の念を持つという表情とは、程遠いものであることは確かだった。
 遠い過去にあっただろう現象だ。思春期から持っていた文才の証明とはならない。振り返った時に励みになるような思い出でもない。ただ、当時のことを思い出す時に、シャープペンというものがあった。そこに書くという行為が関連していたことに気づいた。
 シャープペンシルは物だ。シャープペンシルという名の道具であり、厳密に言えば物質である。それと真逆にある書くという行為はどちらかというと精神性の範疇に入るのだろう。
 安倍公房は機械は人間を遊ばせるものだと述べている。チャップリンの映画のように機械に人が支配されることを風刺したのと比べて、至極、楽観論者に思える。人間は機械に対しては支配的であるのは勿論、道具としても上手く利用する側にあると言う。人間が家畜的な労働から開放されるために機械は代替物でるあるとも言っている。
 ぼくは遠い過去のとある日のことを思い出した。一時期、鉛筆よりシャープペンシルは格段に高価だった。ぼくが中学生だった頃、まだ祖父は生きていた。シャープペンという商品名を祖父は知らなかった筈だ。
 勉強に使う文房具だと言ったら、月々の僅かな小遣いとは別にその金額を祖父は出してくれた。母は黙って近くで聞いていたと思う。母もそのシャープペンシルと言う文房具のことは知らなかった筈だ。
 シャープペンシルは文房具だと祖父に言った。祖父の方はシャープペンは何か分からないけれど、勉強に使うものらしいことだけは分かったと思う。筆記具だと言ったかもしれない。母が側で聞いていたのでそのシャープペンの機能とかの簡単な説明をしたかもしれないし、しなかったかもしれない。
 祖父はシャープペンシルが何であるか分かっていなかった。ケチな祖父だったが無心すると意外な程あっさりとぼくの要求を聞き入れてくれた。だから、その場面がぼくの記憶に残っている。
 勉強の道具だというだけで、特に説明を必要としなかったのかもしない。説明を求められれば言うつもりでいたのに、その必要がなかった。案外、あっさりとぼくの要求を聞き入れてくれた印象が残っていた。だから、おぼろげながらも覚えているのだ。母は側でぼくと祖父のやりとりを聞いていた筈だ。しかし、側から一言も問いただすことはなかったと思う。
 当時、小遣いをどれだけ貰っていたのか忘れた。小遣いは月千円程もあれば一カ月は持ったかもしれない。時々、部活帰りにパンや菓子を食べられる程の金額位しか小遣いはもらってなかったと思う。その他に学校で必要なものは両親に言えば大体買って貰えた。
 祖父には必要不可欠な買い物かどうか分からなかったと思う。聞いたことがない物だが文房具らしいと分かったらしい。文房具なら仕方ないと思ったのかもしれない。学校の成績が優秀でもない孫が母でなく自分の方に文房具をねだるなど祖父は珍しいと思ったに違いない。
 軟式のテニスクラブに入っていた。スポーツをやっていても学校の成績の良い生徒は少なからずいた。ぼくはその頃は勉強をするより身体を動かしている方が楽しいと思っていた。学校の成績はサッパリだった。
 その時、祖父はぼくのことをどう思ったのだろう。出来の良くない孫がそんな文房具だけで学力が上がるとは思っていなかっただろう。ただ、文房具をねだるとは殊勝なこと位は思っただろう。倹約家の祖父はその時に限っては孫のぼくに甘かった。月々の小遣いとは別に祖父からシャープペンシルを買う金を手に入れた。
 母は学校の成績には無頓着だった。人と上手くコミュニケーションが取れれば良しとするようなおおらかさがあった。それでも、母は近くでぼくの言動に聞き耳を立てていた筈だった。気を付けないと息子は他のことに金を使いかねないからだ。
 本当に要るものなのか、浪費して小遣いが不足しているのでないのかを注意深く観察していたと思う。ぼくには母という番人がいた。母は文房具と言うことにして他のことにお金を使わないか注意していたのだと思う。ぼくは学校の成績は良くないのに、小さい頃から物を手に入れたりすることには機転が利いた。
 例えば、文房具を買うと言ってプラモデルを買ったり、参考書を買うと言っては漫画本を買ったりした前科があるからだ。だまされたという思いのある母からは買ってきた物をちゃんと見せるようにとクギを刺されたものだ。
 母は息子が自分のところに買い物の無心に来なかったのは何かあると思っていたかもしれない。母が側で聞き耳を立てているのはそういう事情からだ。
 近くの電器店で親の名前でツケにして買ったこともある。小学生の高学年の頃だったかもしれない。大して高額な買い物ではなかった筈だ。それでも、一カ月の小遣いでは買えなかった額だった。ツケにして半田こてを買った。
 子ども向けの通信販売で鉱石ラジオを売っていた。もし、通信販売で鉱石ラジオを購入したとしたら、組み立てるのに半田こては必要だと思ったのかもしれない。直ぐに必要ではなかったと思う。
 ぼくの家は旧家で近くでは知らない人はいなかった。父か祖父の名前を出せばツケが利くのか試しに言ってみた節もある。その時はばれるかどうか試してみたい気もあったのだ。
 その電器店は自転車のパンクとかも修理してくれた。昔の自転車は良くパンクした。だから、パンク修理の代金とかはいつもツケにしていた。少し値の張る買い物はどうかなと、試しに言ってみた。すんなりと買い物はできた。
 当初はしめしめと思ったが後で父に叱られた。半年位経った、盆、暮れのあたりに請求書が来た。その時に初めて父が気づいたらしい。父もケチだから細かく請求書の金額はチェックする。ばれない筈がないのだ。
 ぼくの悪知恵に呆れて父が電器店に出向いた。親の承諾がなければツケで買うことを認めないよう電器店の店主に注文をつけてきた。ぼくはそんな子供だったのだ。
 小学校に上がる前の子供は電車の料金が無料だということを年少ながらぼくは知っていた。ぼくが降りる駅は隣町の母親の実家から三駅目だった。他人の大人の後ろを付いて歩くぼくを見て駅員に咎められた。駅員は改札を行っていた。ぼくは涼しい顔で改札口を通って行った。
 改札で切符の受取で手の放せない駅員は何か文句を言った。顔の表情から何か罵っていたようだ。それでも、全然悪気はなかった。駅員の顔を見て駄目なことなのかなと思った位だ。そんな風に電車に乗ったのは小学生に上がる前のほんの僅かな期間だけだ。小学生になってからはちゃんと切符を買って電車に乗った。
 ぼくの小さい頃は近所の田んぼや河原を飛び回っていた。だからと言って成績が上がらない理由にできない。父はぼくと同じ田舎育ちなのに文武両道の秀才だった。旧制中学の在学中にラグビーの全国大会まで行った父といつも比べられた。小学生の頃からぼくの学業成績はサッパリだった。
 それなのに、誰に教えてもらったわけでもないのに悪知恵だけは利いた。ぼくの天性のものとしか考えられないのだ。
 壁新聞に載ったぼくの文章を読んだ者の心理までは想像できない。もし、面白いと感じてくれたなら、その頃から文才はあったことになる。ただ、あの文章を読み終えた同級生の表情は忘れていない。
 同級生の顔を忘れていないから、学級の壁新聞にぼくの文章が載ったのは確かだった。ただ、ぼくが書いた文章の感想は聞いていない。自分でも恥ずかしい気持ちがあったのかもしれない。当時のぼくだったら、自分の書いたものの評価は聞けなかっただろう。
 大人になった今ではどんなものでも良い評価を受けたいと思う。しかし、評価を気にしていたら何も書けない。書き終えてみないと分からない。失敗するかもしれないが傑作ができるかもしれない。一縷の望みと可能性に掛けているのだ。そう思い込まなければ書き続けようとするモチベーションを維持できないのだ。
 結果的に取るに足らなく、評価の俎上にも乗らない作品になる恐れを抱く。中学生の頃に壁新聞に載った文章のようにただ無心で書いていた頃の心情にならなければとも思う。そうでも思わないとぼくの筆は進まないのだ。筆ではなくシャープペンシルで書いているつもりだけど……。
 あの中学生の頃の記憶にあった状況は事実だったと思う。もし、どんな独りよがりの悪文だったとしても読んだ者の心証に残ったのならいいのだ。
 感動を与えられたのかもしれないと、誇大妄想的に語っているのではない。自分には文才の可能性の片鱗があったことを自慢している訳でもない。そんなことは今の自分に大した関わりはないからだ。
 それが、読者を意識した文章の最初でもなかった。自分が書く世界の中で自己満足していたけだ。客観視すれば、今の自分もそういう域から脱していない可能性もある。同級生の顔の表情はまだ記憶にある。だから、壁新聞にぼくの文章が載ったのは過去に実際にあったことだと思う。
 そんな確かな出来事とは別に曖昧なこともあった。中学の二年生の時だったと思う。小学生の時、自分の作文が校内放送で発表されたと、隣の席の女の子に自慢話をしたらしい。その女の子は別の小学校出身だった。
 ぼくと同じ田舎の小学校の出身ではなかった。どんな女の子だったか覚えがない。山の方にある小規模な小学校出身だったのか、町中の大きな小学校出身だったのかも、覚えがない。
 小学生の頃のぼくは何か得意教科が飛び抜けて優れているというのでもなかった。作文の評価も普通の水準だったような気がする。自分の書いた作文が読まれることはなかったのかもしれない。校内放送でぼくの作文が読まれるなんて自分自身でも信じられないことだ。
 架空話の可能性もある。その頃、隣の席の女の子の関心を引きたかったのだろうか。ただ、何気なく小学生の頃のことを思い出して隣の女の子に喋ることもあったろう。
 若かったのでまだ記憶力が高かった頃だった。まるっきり嘘をついたこともなかっただろうとも思う。百歩譲って架空話だったとしても、ぼくが女の子にそんなにしてまで女の子の関心を引きたかったのかと言う点だ。
 ぼくは小さい頃からおとなしい方だった。素直だったし、争いごとも嫌いで優しく温和な性格だった。嘘をついてまで女の子の関心を引きたいと思っていなかった筈だ。
 そんなことをなぜ今までぼくが覚えていたのかということだ。忘れられない事になったのは、隣の席の女の子は、学内放送で作文が読まれたかどうか、ぼくと同じ小学校出身者に確認のために聞いたからだ。
 聞いてみると、ぼくの言ったことが本当だったのか分かる。ぼくと同じ小学校を出た同級生から、ぼくの書いた作文なんて、校内放送で聞いたことがないと言われたらしい。
 ぼくは成績が良い方でもなくて目立たない小学生だった。校内放送で読まれるような作文をぼくが書く筈がないと頭から思い込まれていたかもしれない。ぼくの作文が校内放送で読まれるなんて思いもよらなかったかもしれない。
 隣の席の女の子は別の地域の小学校出身だった。女の子は誰に聞いたのだろう。ぼくと同じ小学校を卒業した女子の同級生だったのか、男子の同級生だったのか、どちらか分からない。小学校の時にぼくと同じ学年だった他の誰かに聞いたことは確かなのだ。
 ぼくと同じ小学校出身の同級生は、当時、給食に気を取られて校内放送に耳を傾けていなかったのかもしれない。作文を書いた者が誰だか聞いていなかったことだってあるだろう。給食を食べるのに夢中で校内放送を聞いてなかったかもしもない。
 それとも、全く逆の場合もあるだろう。単にぼく自身が勘違いをしているかもしれないのだ。過去の出来事の中でぼくの作文が校内放送で読まれたということを誰も証明することはできない。
 ただ、先程も述べたように嘘をついてまで相手の関心を引こうとしたのでもないと思う。今でもそうだが自分から事を起こすようなタイプではない。おとなしい中学生だったと思う。
 実際はなかったことなのに、作った自慢話を吹聴するような学生でもなかった筈なのだ。どうしてそんな発言をしたのだろうか。後で嘘つきだと思われたのではないかと思った。たぶん、ぼくは傷ついたのだろう。だから、今でも覚えているのかもしれない。
 小学生の頃に学年向けの学習月刊誌を講読していた。マンガもあったが作文の優秀作も載っていたかもしれない。平易な文章で簡単に読めた。
 子供だったぼくは電車の先頭車両で運転手と同じ目線で線路を見ていたことが何度もある。一人で電車に乗って隣町の母親の実家から帰ったこともある。
 真っ直ぐ直線に延びた線路の脇に、電線を支える鉄製の支柱が、遠近法のように斜めに続いていた。その光景は小学生の頃の図画の写生で小学校の近くの線路まで行って描いた構図と一緒だった。
 隣町の母親の実家には電車で幾度となく行き来していた。先頭車両の運転手のいる囲いの後ろ側の中央で線路に続く前方を見ていたのかもしれない。他の者が書いた作文と同じような体験をしていても不思議ではない。その体験を作文にしたと思い込んでいた可能性はある。
 運転手の脇で見る真っ直ぐ延びた線路の前方には遮るものはなかった。その景色を見られるのは特別な存在で王様のようだと、その作文には書いてあったかもしれない。
 子供向けの月刊誌で他の子供が書いた作文をぼくは読んでいただろう。読んだだけなのに、自分が書いたような錯覚を起こしていたかもしれないのだ。月刊誌に載ったのと同じような電車内の場面が、頭の中に残っていたのかもしれない。
 その読んだ内容のものが、中学生になってから、小学校の時に校内放送で自分の作文が発表されたものと、勘違いして記憶したのかもしれないのだ。校内放送で作文が読まれなかったのに、その狂言ともとれる言動をなぜ発したかと言う疑問な点がある。それと、勘違いを自覚しないで、なぜ女の子に伝えてしまったかと言う点が、引っ掛かるのだ。
 過去の出来事の中で気に掛かっていることがある。中学生当時のことを振り返ってみた。
 確か、中学の二年生だった。当番が回ってきて美術室の掃除をしていた。箒を持ってはいるが同級生とふざけ合っている光景が思い浮かんだ。
 名字が中土と言う名の同級生がいた。美術室の掃除をしている時にぼくはその男子生徒のことをわざと「ナカチツ」と言った。ぼくは「中膣」つまり「中の膣」と言ったつもりだ。中土はぼく以上に田舎育ちで朴訥とした男子生徒だった。中土は自分が何を言われているのか分からない風だった。
 同じクラスに中土と言う名字の生徒が二人いた。朴訥とした方の中土の学業成績はぼくと同じ中位だった。もう一人は成績が割りと良い方で大きな小学校の出身だった。勉強の出来る方の中土に「ナカチツ」と言ってみたことがあった。その中土は直ぐに笑ってくれた。「ナカチツ」と言うギャグが一回で通じた。教室の中には男女の生徒がいたが誰も気づいた様子はなかった。理解した方の中土にはそれ以後「ナカチツ」と言わなかった。
 ぼくは学業の方では目立たないが、同級生が誰も知らない性医学的な専門用語を自分だけが秀でて知っていると思っていた。
 ぼくが小学校の高学年の頃だった。男女の生殖器の機能を詳しく図解付で解説した雑誌が両親の寝室に置いてあった。その雑誌を家に誰もいない時にこっそり持ち出して蔵の屋根の上で目を通した覚えがある。その雑誌には他にも図解で性行為の例示や男女の体位などが詳しく載せられていた。妙な興奮を覚えた。同時に、大人になったら誰でも経験する自然な営みだと、理屈では明快に言えないが、感覚的に受け入れられた気がする。
 当時、ぼくには五歳下の妹がいた。両親はマンネリ化しつつある性生活に変化を求めていたのかもしれないし、避妊の方法などを知りたかったのかもしれない。
 ギャグが通じたと思えた相手には同じことを言わないのがぼくのポリシーだった。相手に受けた駄洒落は総て覚えている。駄洒落やギャグは一回こっきりの即興みたいな趣がある。
 勉強のできる方の中土は隠語の洒落の分かる奴だと思った。二人だけの暗黙の会話が成立していた。中土はある時、シャープペンを見せてくれた。その時、シャープペンをノックしながら、芯の出るところを見せて「これは、エレクトするんだぞ」と言った。当時、英語でジョークを飛ばす中学生なんて滅多にいなかった。なかなかの奴だと思った。そのシャープペンを見てぼくも欲しいと思った。
 美術室の掃除を一緒にしていたのは朴訥とした方の中土だった。どうして「ナカチツ」と言われているか理解していなかった。そこで、掃除の間中、中土に向かって「ナカチツ」を連発していた。回りにいる別の男子生徒もぼくに合わせて「ナカチツ」と言った。別の男子生徒も「ナカチツ」に隠された意味を理解していなかった。他の男子生徒はただぼくに合わせて言っていただけだった。ぼくは密やかな優越感を抱いていた。
 美術室の掃除当番に同じクラスの女子も数人いた。その中に隣の席の女の子もいた。一瞥をくれた。一瞬、目が合って動揺した。調子に乗りすぎているぼくを諭すような瞳だった。箒を持って、中土を誘い美術室前の廊下の掃除に向かった。他の男子生徒も付いてきた。廊下の方に向かっている時、美術室の方からぼくの背後に視線を感じた。
 美術室の掃除当番から外れた頃、隣の席の女の子に馬鹿にされたくないと言う気持ちになったのだろうか。自分が受けているだろうマイナスの印象を埋めようと隣の女の子に無意識に語ったのだろうか。その時、小学生の頃に自分の作文が校内放送で発表されたと言っても、確認が取れないだろうと、タカをくくっていたのかもしれない。
 ぼくの言動に動機付をするとしたら、そんなことしか思い付かない。
 ぼくはごく普通の中学生だったし、日常の中で妄想を誇張して語ったことなどなかった筈だ。子供の時から健康体だった。医者に掛かるのはたまにひく風邪の時くらいだった。身体は弱いことはなかった。
 それでも、何の原因か分からないが、立ち眩みに似た現象を体験したこともある。目の前が黄色だけの単色になった経験がある。中学の一年生だった。学年のクラス全員が学校の体育大会前の注意事項を聞くのにグランドに全体集合した時のことだ。その時、先生が何を言っていたのか全く分からなかった。
 しかし、倒れて保健室に行くことはなかった。全体集合が終わった頃には元の状態に戻った。マスターベーションは覚えたてだった。未だ未熟だったが、回数を重ね倦怠感を覚える程、激しく行わなかったと思う。
 当時はラジオの深夜放送を良く聞いていた。時々、寝不足だったこともある。マスターベーションをしたのと寝不足が重なって立ち眩みを起こしたかもしれない。
 家に閉じこもってテレビを見てばかりいる中学生でもなかった。その時代のごく普通の少年だった。だから、勘違いで現実にあったかのようにように記憶してしまう可能性は少なかった筈だ。
 ただ、小学生だった頃の曖昧な記憶は立ち眩みの中で起きた幻覚の影響があったのかもしれない。立ち眩みの後、小学生の頃に読んだ月刊誌に掲載された作文の状況と現実にあったことと混同した可能性がある。若年期に起きた突発性の分裂症だったかもしれないのだ。立ち眩みで記憶が飛んでしまって、思い違いをしてしまったのかもしれないのだ。
 学級新聞にぼくの文章が載ったことは事実だったと確信できる。それは、その新聞を読んだ男子同級生の顔の表情が記憶にあるからだ。しかし、小学生の頃、ぼくが書いた作文が校内放送で発表されたことを立証する術はない。中学生になって隣席の同級生の女の子に語ったことは妄想だった可能性は否定できない。

 ここまで書かれた文章がこの紙面にある。ここまで書かれた文字が並んでいる。
 以前はノートに作風の粗筋とか構想をシャープペンシルでメモ書きしたこともある。今回は主にパソコンしか使用していない。USBメモリーにワープロソフトの記録文書として、ここまでを書いてきた。そして、上書きしながら文章を付け加えてきた。ここまで、記録し続けてきた。
 思い付きや構想等のメモ書きはウィンドウズに付属している「ワードパット」という簡易ワープロソフト内に書いていた。ブラインドタッチはとうの昔に会得している。手書きよりは記録スピードが早い。
 過去にこんなことがあった。ある時に酔っぱらって文章を書いた時があった。パソコンを立ち上げる寸間が惜しかった。そこでノートにシャープペンシルで思い付きを書いた。酔っていたので結構良いフレーズの文章が書けたものと思い込んでいたかもしれない。後で読み返した。良く言えば速記で書いたような、悪く言えばミミズが這ったような字が並んでいた。自分の字なのに後で判読できなかった。
 ある時、同じく酔った状態で何かを思いついて文章を書いたことがある。同じ状況でメモ書き程度の文章が思いついた。酔っていた。しかし、面倒でもパソコンを立ち上げてワープロソフト内に書いたことがある。
 書き残そうと行動を起したまでは一緒だった。手書きしたのと同じように、ワープロソフト内で打ち間違いした文字が並んでいた。前後の脈絡から全く違う単語が書き込まれていた。
 酔って書いたので明らかに単語の入力ミスだった。後で、キーボード上で間違っている単語を指でなぞってみた。打鍵の指の位置から書きたかった大体の単語が分かった。その点では手書きよりワープロソフト内に記録した方が良いと思えた。
 間違って書いたものでも判別できた。その点ではワープロソフト内に書き込んだ方が有利だった。しかし、後で文章を読んでみた。酔って書いた文章なんてつまらないのが殆どだ。
 この頃は酔って何かを書こうという環境にない。書く時は午前中の方が多い。午前中なら頭がクリアだと感じられるし、健康的な時間帯に書いていることになる。勿論、日中から酒は飲まない。締め切り間際は禁酒日を続けていられる。禁欲的な方が自分に合っているようだ。
 書く気力はあるのだが同じ姿勢を続けると腰痛に悩ませられる。長時間、机に向えない。頭も短時間で集中力が切れる。
 今、書いているこの文章を完成間際になって仕上がり具合を見るのに印刷に掛けた。そして印刷された文面を見て修正を入れる時に赤ボールペンを使用した。その後、修正後の文面を見て、パソコンのワープロソフト内の文章も直した。
 ただ一つ、今回は今までと違っていることがある。ここまで、一切シャープペンシルを使わなかった。