ぼくは今、あっち側から見ている。もし、あっち側って言い方があるとしたら、生きている方の側から見れば通説で言う霊界かもしれない。誰を見ているって? それは書かれた架空のぼくがあっち側から現実のぼくを見ているのである。
 死んでいるあっち側から見ているぼくが、生きている現実のぼくを書こうとしている。と言う、設定にしようとしていた。あっち側のぼくが、ぼく自身を見ていた。こっち側のぼくの目の前にはノートパソコンがあった。ホームページ作成ソフト「ホームページ・ビルダー」を使用していた。
 少しややこしいけど、ノートパソコンの液晶画面を見て、キーボードを叩きながら書いているのが、生きいてる現実のぼくである。同時に見ているぼくは、既に死んでいるぼくである。ぼくは既に死んでいた。
 ぼくは昔、詩人だった。自分ではそうは思わなかったがその昔、人から詩人と言われたれた一時期があった。その時の詩作方法は、ウィスキー等のアルコール類を飲み、酔っぱらった勢いで、でたらめな単語を並べた。潜在意識を排出するような自動筆記法だった。
 現代詩のような形態を取っていたが、文章の内容はなかった。文字の配列は支離滅裂だった。それでも、読み直してみて胸が締めつけられるような息苦しさを感じた。それは、感動というのではない。ただ、どろっとした感情が吐露されていた。汚物を見ての嫌悪感に似たものだった。その存在そのものがエネルギーとして反発作用を有していた。
 その詩作方法は命を縮めなければなりたたないやり方だった。段々とウィスキーを飲む量が増え、翌日は頭がキンキンし、手が震えてきた。強い酒は”気付”となり、毎夜寝つけなくなった。そのうちに酔って原稿に向かっても、書けなくなった。日の間隔を置いてみた。それでも、状況は一緒だった。アルコールを口にしても、書くこに繋がらないことを思い知った。
 それこそ、アルコールによって身体を壊し、詩人が死人になるところであった。ぼくは身体を動かすテニスやスキー等のスポーツを好んだ。身体を疲れさせて眠りにつく方を選んだ。それで、書けなくなったが、後悔はしなかった。
 ぼくは試験的にホームページ作成ソフト内の文章欄に記述している。書くスピードはどうなのか分からない。それなりに書けるかもしれない。新しく買ったノートパソコンだし、操作に慣れる為に書いている。以前、詩人と言われた頃に用いた、自動筆記法を用いてみることにしよう。書くことが思いつかないから、しばらくこの方法でいくしかない。
 目の前にぼくがいた。ぼくはパソコンに向かっていた。ぼくは、ぼくであろう人物が打鍵した結果、表示される液晶画面上の文字を追った。ぼく自身がキーボードを打鍵していた
 3・5インチフロッピィで記録していた頃もあった。3・5インチフロッピィは記録媒体物としては古くなっている。記録スピードは遅かった。5年前からのOSを利用していた頃、しょっちゅうパソコンがビジー状態になった。せっかく書いた文章が保存出来なくなったことが何度もあった。最新のOSだからと安心していたのが間違いだった。この前、ワープロソフトが急に動かなくなった。せっかく書いた文章を保存できないままワープロソフトが消えた。
 それは保存媒体に3・5インチフロッピィを使用していたからだ。パソコン内蔵のハードディスクに保存するスピードは早い。その都度、書いた直後に上書きしていけばいいのだ。しかし、それでもOS上のトラブルから動かなくなることは万が一ある。
 対策としては、外付けハードディスクを利用すれば良いのだ。しかし、嵩張る。そこでデジカメ用のスマートメディアを使ってみた。何グラムと軽量で持ち運びに便利だ。その都度保存していけば、大元のOSそのものがトラブルに見舞われても、データが消滅することはない。少し文章が書けた時点で、小まめ上書き保存している。
 ぼくは生きているのだろうか。死んでいるのだろうか。分からない。こうやって手を動かし打鍵しているのだから、意識があり、生きてはいるのだろう。しかし、ぼくの思考の大部分は無気力、無感動で占めていた。脳も身体も動かしたくはなかった。
 ぼくは意識の逡巡を繰り返していた。ぼくはぼくの書いた文章をぼくが所有するホームページに公開しようとしている。この文章は文学的に成り得ないだろう。パソコンはインターネットに接続され全世界に繋がってはいた。単にホームページを公開しようとしているのではない。
 ……各家庭の個人所有のパーソナルコンピュータ内のCPUの空きを利用して人口知能を確率しようとしている。パソコンを並列に繋ぎ負荷を平準化させる技術は確率していた。大型コンピュータを利用するよりはコストダウンとなる……ぼくは何を考えているのだろう。
 小説を書こうとしていた。自動的に執筆させるソフトを作ろうとしていた。登場人物、時間、プロット、設定の時代、それらの事柄をアンケートに答えるようにインプットさせていく。それで、自動的に小説が作成されるのだろうか。
 登場人物は自分一人だった。誰とも関わりののない小説であった。それだと寂しいが、女が出てくるとややこしくなる。女は女の数ほど物語を有していた。例えば、作中の人物はぼくの中の理想の女にしたくもあった。源氏物語の中のストーリーで、幼女を自分好みの女に育てたように、それはそれなりにエロチックでもあった。
 意識を顕在化させても書けるのだろうか。酒は飲んでない。心のしがらみを捨て、単に自動筆記方を取る。理想の女? そんな女がこの世にいるのだろうか。
 やっと2ページ目を終わろうとしていた。ホームページに公開するには少なくても10ページにしなければならない。ノルマはあと8ページだ。とにかく、書くのだ。
 女はぼくの頭の中の幻想だっだ。現実は小説より奇なりと言うが、節目となった女はいたのだろうか。偶然が必然となるにしても、相手のいることで、現実の世界では自分一人ではどうにもならないことなのだ。
 まだ、書けない。筆が乗る状態にない。まだ、顕在意識の領域だった。潜在意識にいつ踏み込むのだろうか。
 酒を飲まないでもここまでは書いていた。しかし、無意識の領域にはトリップしなかった。順不同、ただ思いつくまま書き散らしていた。読み返しても感動するような内容でない。
 ぼくは壊れているのだろうか。決してそうではないと思っている。テレビで人情ものを見て涙するのは、単に年を食っていて涙腺が弱くなっているだけでなく、人の心の動きが分かるようになってきたのかもしれない。決して涙もろくなったのでない。そんな普通の人間であるぼくがストーカー行為はできないだろう。ぼくに与えられた男女との関わりは、世間一般で言う普通な性行動でしかないのだろう。
 むしろ、常識人として羽目を外すことはないだろうと思っている。ぼくは、架空の幻想世界と、現実世界の境界を、踏み外すのだろうか。ぼくは壊れてしまうのだろうか。
 ノーベル文学賞を受賞した川端康成は自殺した。作品に行き詰まったのだろうか。著名人である文学者がロリコン趣味を持ったスケベ爺に成り下がったことを自覚した。家事手伝いの少女に恋心を抱き、抑えられなくなった自分を責めて自殺したのだろうか。真相は分からない。
 川端と師弟関係にあった三島由紀夫も作品に行き詰まったのだろうか。完結し有終の美を飾りたいという右翼的な考え方に固執したのだろうか。桜のように散りゆく日本的な価値観を持っていたのだろうか。
 戦時中、男子として理想とした死に方、身体が弱くて国の為に死ねなかった。行けなかった幻想としての美しい死の世界に、完璧に計算された状態で踏み込みたかったのだろうか。それは定かでない。死の美学、女性が若い時期に一番美しい容姿を残したいと思う気持ちと似ている。一番美しいまま死ねばその時点で永遠に残る。
 ぼくには語るものは何もない。凍結した美しい出来事、語るべき物語がない。本能のまま行動し現象学的に目の前の事実を記録する。
 ぼくは病んでいるだろうか。ぼくはテニスプレーヤーならアウトラインプレーヤーだ。前には出ない。出れば無難にボレーもこなせる。しかし、ストロークを続けて相手のミスを待つタイプだ。そんな消極的とも取れるぼくが、ストーカー的心境になれるだろうか。
 対象がやや違うが、そういえば援助交際まで踏み込んだこともあった。失敗しなければ分からない程、分別のない年齢でない。既に初老だ。しかし、人生の酸いも辛いも味分けていない。
 ぼくにはステディとして援助交際を続けている女の子がいた。この文章を公開している時点では18歳になっているだろう。16歳から17歳の精神的には多感な時期で肉体的には成長過程の彼女と関われたことはラッキーだった。しかし、若い女の子はもうこれで終わりにしていい。思い出があるようで無いし、無いようである。
 深入りはしなかった。それでも、犯罪行為をしてしまった。どこまでが犯罪でどこまでが任意か分からない。勿論、相手があって成り立つ交際であった。誰に教えられた訳でなく、男女の違いはあれ人間として対等な同意を得ていた。ぼくにはそんな相手もいた。危険を孕む犯罪を侵しても、現象としての取材をしていたのかもしれない。
 あと6ページもある。どうして埋めよう。一時的に今はハイかもしれないが総じてぼくの日常は鬱である。こんな文章を読み返してみて皆はどう感じるのだろう。
 何でぼくがストーカーなんだろう。そういえば昔自分がストーカー行為をしたことがある。期間にして2年間以上もあった。彼女はとうとうぼくと会ってくれた。それで、終わった。ぼくは自分の限界を感じた。それ以上恋に発展できないと判断した。消極的な自意識過剰なストーカーだった。彼女はそれを許容した。
 肉体関係に発展することはなかった。想像上で彼女を犯していただけだった。それが、目の前に現実の女が現れた。彼女をどう扱えばいいのか分からなかった。ただ、一緒にいるだけで安心するならそれでいいのかもしれないけど、その頃のぼくは交際の仕方が分からなかった。マニュアルもなかった。マニュアルがあったとしても個々の女は総て顔が違うように対応が違う筈だった。
 一般的、相対的な女への対応パターンの、基本が分からなかったのかもしれない。異性と交際する自信がなかった。女をリードする自信はなく、それでも、彼女はそれ以上深入りしようとしないぼくの、ストーカー行為を許容していた。
 あと、まだページ数が残っている。どう埋めよう。「ページ」と言う単語だって「頁」にすれば2字少なくなる。ページを増やそうと、無駄を承知で書いているのに、埋まらない。
 ぼくはぼくの頭の中の架空のビデオテープを巻き戻す。ぼくの頭の中のビデオテープには陳腐な場面しか映っていない。

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ぼくはRに「Rが幸せになればいいと思っている」なんて歯の浮くようなことを言ってしまった。携帯電話の会話の流れで言ってしまったのだけど、ぼくの本心なのだろうか、違う。
 ここで自分を分析してみようと思うんだ。ぼくはRをRの彼氏から奪えないものだから、Rが幸せになればと、ぼくはRの彼氏と対決することから逃れた。Rが幸せになればと自分を美化し、自分をごまかしているだけなんだ。
 本当はぼくだけのRにしたい。ぼくが独占したかった。叶わぬ夢。障害となる年齢差。初めから勝負にならないと思い込んでいるんだ。負けると分かっているのだから、自分が身を引こうと言い聞かせるしかないじゃないか。
 発端は、Rが彼氏のいるOの大学に、行くかもしれないと、言ったからなんだ。それから2週間、うじうじとRのことばかりを考えていた。仕事が手につかなかった。
 いま、この文章をぼくが持っているホームページ上に公開しようとしているんだ。これは何だろう。公開されるラブレターなのかのかな。
 Rは18歳になった。それで、ぼくの実名をこの前言ったよね。それは、ぼくの覚悟でもあったんだ。そして、Rに「人生を掛けて、Rを大事にする」と言ったことと関連があるんだ。自分の実名を伝えることによりこれからの行動や言葉に責任を持ちたかったんだ。
 Rへの思いは苦しかった。快晴の秋空の時もあった。憂鬱な雨の時もあった。晴れてても雨が降っていても、天候なんて関係はなかった。Rのことを日中もずっと思っていた。いつもだったら仕事に集中し、Rのことは一時的にでも忘れられる筈だった。
 携帯電話で苦しい思いを告げた後、予告もなく遠くからこっちまで逢いに来てくれたのは、3週間目頃だった。突然だったからビックリした。それでも、それからも、Rのことが頭から離れなかった。苦しかった。恋愛の対象だったり関係した異性が、身体から離れていくような感覚は、今まで何度も味わった。その兆候がまた出てきたんだ。
 遠くから逢いに来た訳を聞いた時、ぼくに身を任せながら「何にもしてあげれないから」と言った。ぼくもその時、Rには同じ思いだった。同じことを考えているなんて不思議だった。
 同じことを考えていると、不思議に感じたことがもう1度あった。推薦入学の直前の時だった。受験しようとしている大学の倍率が確か10倍だと言ってたね。不安な声を聞いた後の日にまた電話をしてみた。Rは既に「なるようにしかならない」と開き直っていた。「わたしの人生はもう決まっている」とも言った。
 ぼくは前日の不安そうな声を聞いたから、アドバイスとして同じく「なるようにしかならない」と言おうとしていた。喋ろうとしていることと同じことを喋っていた。結局、不合格になったけど、気にしてないみたいだったね。
 ぼくと知り合ったのは、Rにとってはラッキーだったかもしれないし、災難だったかもしれない。この苦しみから逃れられないぼくにとっても、災難かもしれないんだ。
 交わるごとにRへの思いは強くなった。一年半以上になるけれど思いは薄れることはなかった。性愛に基づいたものだけど、背徳の影がつきまとうだけでなかったんだ。
 本当はRが欲しい。ぼくだけのものにしたかった。でも、その思いは多分叶わないだろう。Rだってそう思うだろう。Rの彼氏とは一生連れ添うかもしれない。それを承知でぼくはRを好きになっていったんだ。
 短期的な援助交際から月極めの愛人契約みたいになってしまったけれど「ありがとう」と言いたい。ぼくみたいなおじさんと良くここまで付き合ってくれた。
 年代の相違もある。価値観、世代のギャップがあり過ぎる。それらを超えて、接点は例え金銭だったとしても、Rはぼくを厭わなかった。ぼくも好みがあるが、ぼくの方はロリコン趣向があり、とにかく若ければいいと思っていた。それと、ぼくには子供がいないから、自分の娘のようにも思ゔ倒錯゙した世界に踏み込んだかもしれない。
 Rにも選ぶ権利がある。ぼくを拒絶することも出来たんだ。携帯電話に受信拒否を設定することは出来たんだ。しかし、Rはぼくとの関係を続けたんだ。
 Rは大学で心理学を専攻すると言ってたね。ぼくは小説で、心理を分析しようとしている。共通点はそれだけだよ。
 今、これをRは読んでいるかな。ぼくの独白だけど……。Rはぼくの宝物だった。だった? 過去形になってほしくない。これからも癒しを受ける対象になって欲しい。これはぼくのたってのお願いだ。そして、離れないでいて欲しい。
 この時点で、このホームページアドレスをRに知らせているかは定かでない。Rにはホームページアドレスは知らせてないかもしれない。これはぼくの思いを整理しているだけのことなのかもしれない。文章にした時にもやもやしたものが消えるかもしれない。その微かな望みで書いているんだ。
 これを皆に公開するんだ。誰が読んでいるか知らないけれど、少なくても当事者であるぼくとRの秘め事を、架空の出来事として、全世界に公開しようとしてはいるけど、暗号のように君だけには分かると思って書いている。
 ぼくはRのことを常々考えていたんだ。ぼくはサブであることも当初から分かっていたんだ。その時から、現実をありのままに受け入れようとはしていたんだ。しかし、最近は精神の不安定さを感じるようになってきた。殆ど病気に近いんだ。
 Rが高校二年生になったばかりの春、ぼくらは巡り合った。最初に会った日のことを今でも覚えている。今もRは全然変わってない。化粧するのに時間が掛かるからと待たされた。化粧するのは、幼顔をカモフラージュする為だというのが、最近やっと分かったけど……。あの時、18歳と言ったし、18歳に見えた。
 最初からぼくは薄々分かっていた。Rの彼氏がOに行っている間、彼氏がいない寂しさを埋めるために、ぼくの存在があったのだということ。単に金銭的なものでないとは感じてた。
 最近聞いたけど、ぼくも他の男と同じように、1度だけのつもりだったと言ってたね。最初から、自分の家庭、学校のこと、彼氏のことを、嘘偽り無く正直に語ったね。それがずるずると今に至り、そんなRにぼくは情が沸いてしまったんだ。
 Rとは切れてしまうかもしれない危険は常に伴っている。Rはぼくとの援助交際の関係を清算、オミットし、何にもなかったことが出来る。今のこの受験の時期から、将来の選択肢はR自身が持っている。過去の一時期を完全に消滅させることが出来る。それがRの幸せに通じるかもしれないんだ。ぼくみたいなものに関わらなくていいんだ。
 話しの流れでホームページを持っているとうっかり喋ってしまったっけ。常々、インターネットを利用して猥褻画像を収集していると言ってたから、そんなホームページだと思っていたかもしれないけど、活字しか載ってないと答えた筈だよ。
 大学に合格したらぼくのホームページアドレスは教えると言ったけど、そのことは忘れているかもしれない。だから、もう関係ないかもしれない。Rにはホームページは見せてないかもしれない。
 ぼくは、今、このホームページでこの文章を公開しRへの思いを語ることにする。今は、少し落ちついている。冷静になって自分を振り返ってみるためにこの文章を残そうと思うんだ。
 ぼくのホームページを公開すると言うことはぼくの他の小説類をRに見せることにもなるんだ。読んで、Rはぼくを拒絶するか、許容するかは分からない。
 ぼくの他の小説を読んだと思うけれど、詰まらないか、感動するかは分からない。猥褻さを指摘するかもしれない。猥褻かもしれないけど、これでも文学を志しているんだ。
 ぼくの性格は良く知ってると思う。強引でなく優しい方だけど、主体性とか行動力がなく、引っ張って行くことの出来ない頼り無い性格が、人畜無害の圧迫感のなさで、人によっては心地よいと感じていたのかもしれない。最近、Rから聞いたけど、彼氏も頼りがいが無いと聞いた。ぼくも同類かな? 彼氏から頼られているのだってね。だから、離れられないんだってね。
 Rのお父さんてどんな人かは知らないけれど、銀行系クレジット会社の支社長で地元に戻った位だから、仕事が出来る人らしいね。ぼくみたいに優柔不断で何にも取り柄がないのとは極端に違う。人を叱れないし、簡単に許してしまう。ぼくは他人にも自分にも甘いんだ。人は憎めないし、人がいいのとノルマをこなせることは違うんだ。言っていることは分かるかな?
 この前まではラブホテルと移動する車の中でしか二人の空間はなかった。それが、Rの18歳の誕生日を契機に大衆の面前に出ようとしたんだっけね。あの時、ちょっと過敏になりすぎたかな。
 そう、思ったんだ。もう、条例や法律で罰せられることを恐れるのでなく、どうして、自信を持って振る舞おうとしなかったんだと。それは君が言うように、自分自身の問題でしかなかったんだ。意識過剰だと、Rが言った。その通りなんだ。
 18歳になったら、ラブホテル以外の場所に誘い、ぼく自身が免疫を持たなければならないと思ったよ。以前、お茶した時、思った。普段着の服装なら別に何ともなかったけど、黒髪が似合う高校の制服を着ていたからなんだ。制服フェチではないけど、照れないおじさんはいないと思うよ。
 ぼくに対してRは、姪っ子とか、進路指導か部活の指導を受ける生徒への、先生の役に徹すれば良かった。と、今は思っている。上擦っているぼくをRは見抜いていた。鋭い観察力だと思った。
 ある程度相手の体調を気づかう仲になってしまっているのかな。ぼくもRの声だけで精神状態が少しだけ分かるようにはなった。Rだって、ぼくの声の調子で風邪気味かは分かる程にはなっていたね。
 未成年、しかも18歳未満の女の子との間での行為は現行犯ではなくなった。現時点での罪は問われない。それはぼくもそうだし、Rの彼氏もそうだ。
 中学1年の時に男を知ったと、この前言ってたね。一番最初に付き合っていた男だったと言ってた。ぼくはなんて早熟だと、驚いたね。性の遍歴の経験はぼく以上かもしれないね。
 過去に逆上った場合はどうなのだろう。ぼくも君の彼氏も淫行をしたという点では同罪だと思う。この前聞いたら、今の彼氏とは中学3年生から付き合っていると言ってたね。ぼくよりも犯罪を犯していると思った。ぼく以上のロリコンがいると思った。
 その時から、もうRは彼から頼られていると感じていたのかな。そんで、親も公認して、結婚を前提として付き合っているのかな。
 高校生だろうと勉強とかやることをやっていれば何も言わない両親だと言っていたね。ぼくには考えられない。ぼくが父親だったら力ずくでもOには行かせない。
 学期間の休み間、彼の大学の寮で半同棲生活をしていても何も、言わない父親らしいね。そんな君の両親の今風の考えにも驚いた。転校してから成績は常に1番をキープしていたんだってね。Rはいつも勉強はしてないと言うから、授業中だけで覚えてしまう、集中力のある、頭のいい子だというのが分かるよ。成績がいいから親が行動を許しているのか、勉強に集中させる為に行動を許しているのか、それは分からない。今の日本の新しい家族の一断面を見た思いがしたよ。
 大学に入っても「売り」はやるのかと聞いたね。援助交際からは足を洗うと言っていたね。もう、若くないからと言っていたね。18歳で若くないと言われたら、世の女性たちはどう反論できるのだろうと、Rから聞いて思わず吹き出しそうだったよ。
 18歳未満の女の子と交わったこと、援助交際の罪は、どう問われるのだろう。もう、時効になるのかな。中学3年の時から付き合っていたRの彼氏はどう罰せられるのだろう。恋人なら許されるのだろうか。
 そして、恋人でないぼくには時効がないのだろう。時効が例えあったとしても、現行犯でなかったとしても罰はある。それは、Rがぼくから総てを奪ったことかな。快楽の虜にさせたこと、考えや行動が総てRに向かったこと。そして、別離への恐怖や不安、倒錯した性愛の呪縛、それが罰かな。
 世界の常識からみたら異常で、それが、日本の現代の都市や、地方の枠を越えて、どこにもある日本の一般的な現象だとしても、それには罰がある。
 不特定多数の相手で一過性でいいと言う人もいる。でも、ぼくは違う。
 ぼくはRに興味を抱いたのは最初はロリコン趣味だったけど、それは、想像上だけのことだったんだ。実際にハイティーンと交わろうなんて思ってもみなかった。夢でしかなかった。知ってはいけない快楽を得た。で、深入りしてしまった。興味は持っていたけど、実際の機会に巡り合わせることは一生にはないと思っていたんだ。
 それと何度も言うけど人が見たかったんだ。エピソードとしてもRの場合は特殊な例かなと思う。中学1年で男を知って、ピアノも弾けたし、身体能力でも持久走が早かった。そして転校してからも成績が良かった。普通の家庭の女の子だった。
 そんな、女の子が何故かぼくみたいなおじさんとも付き合っていた。それが、不思議なんだ。社会現象としても現代の日本の風俗として記録したいと思った。それは、表向きの理由だよ。ぼくはRと交わりたいと思っているだけの、スケベ親爺なんだ。
 考えはクレバーで、論理的に時々学者のような難しいことを言っていたね。その歳で生意気だと思ったけど、理論武装されて、理路整然と喋られた時には、ぼくの経験も何も歯がたたないことがあったよ。
 幼さが残り、まだ少女の面影がある。時にはお姉さんや母親の表情もする。でも、16、17歳を通過して大人になろうとして、今までと違った美しさが滲み出ているんだ。Rは自分では自覚してないかもしれないけど、女性ホルモンとかフェロモンとかが男を引きつけるようになったのかな。
 その美のイメージ。綺麗なものと同化したいと思ったんだ。そのRの変幻自在の美と、美と対をなす醜の権化であるぼく自身が、まるで自分の醜さを美で洗浄してもらいたいと、それが幻想かもしれないけれど、一心同体になりたいと思ったんだ。
 それと思い出したから言うのだけれど、Rは「わたしの為に無駄な時間を使わないで」と言ったけど、無駄な時間だったのだろうか。Rへの思いは甘味な性愛の世界に逃避しているかもしれないけど、現実の寂しさから逃げているのだろうけど、心理学的にはどうなんだろうね。Rは大学でここの理論を学んで欲しい。
 小説を書くにあたり、この体験は無駄でないと思う。うじうじした中から想像しているんだ。ややもすると誇大妄想になる危険はあるけど、その狭間のバランスを取り、想像の世界を創ることができるかどうかなんだ。決してRへの思いは無駄な時間でないと思うよ。
 そして、この倒錯した性愛を共同研究したい。どうして、精神に昇華するのかを……。それはもう、過去に論文として発表され既に理論が確立されているかもしれない。でも、個人で感じ方が無限だと思う。個々の事例毎に違うかもしれないしね。文学的に今の現象を解明するには無駄はないとは思うけどね。
 ぼくは小説を志す。互いに刺激しあえればなあと思う。それが理想なんだ。この文章の副題は「性愛から純愛へ」なんだ。今は性愛の域からまだ脱しきれてない。サルトルとヴォ・ヴォアールのように世間の常識を逸脱していても、良き関係であればと思う。ぼくの願いだけど……。
 ぼくはRとRの彼氏を見守る。ぼくはRの彼氏以上に愛し、思い続けるだろう。そんなケースも世界の中ではエピソードとして数限りなくあったと思う。でも、今の現代の現象なんだ。現代の純愛なんだ。
 Rが幸せになることを祈るよ。そして、ぼく達が付き合ったこと、そのことが、無駄にならないように、ぼくはメジャーを目指すんだ。
 メジャーになったら表舞台に出られることになるし、それでやっと対等の立場でRの彼氏と比較してもらえるかもしれない。猶予はRが大学を卒業するまでかもしれない。無駄な挑戦かもしれないけど頑張ってみるよ。人間には夢が必要なんだ。
 メジャーに挑戦する。ここで、約束する。
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 これは本当にRに宛てようとした文章であるかは定かでない。しかし、死んでいる自分からは一瞬でも生きてる側の領域に入れた瞬間だった。その甘味だが辛さを伴う間でも「生きている」という実感があった。
 メーターの針が反動で反対側に振れるように、死んでしまったぼくは瞬時でも生きている領域に入れたんだ。またぼくは死んでいる自分に戻るだけなのかもしれない。
 Rから離れて今日が1週間目だ。3日目まで甘い感触でポーツとしていて、4日目からRからの呪縛を意識し、Rは自分のものでないと言い聞かせのリフレイン現象が起こる。1週間目で殺伐とした現実を認識し、同時に開放され、やっと自分を見つめられる。
 Rと肌を合わせなければ元の孤独な自分に戻る。そして、期間を置いて冷静に分析する自分がいる。今のこの日本の現実や風俗を記録する。あっち側からの冷徹な視線で……。
 淫行行為は、たまたま表沙汰にならず時効を迎えた。Rの彼氏も同罪だが、ぼくは世間で認知された恋人という立場でではなく、日陰の暗い部分だ。淫行行為は、法律的にも世間的にも、道徳的にでも倫理的でも、内密理に終われば何にも罰せられることはなかった。しかし、快楽を知った者だけが逃れられなくなる罰を受けている。
 勝手な思い込みで、ぼくの分身としてRはいる。RとRの彼氏との間の”快楽”をも”共感”できる仲になりたいとは思う。それは理想で、現実のRへの思いは嫉妬や独占欲が渦巻いている。
 ここまで書かなければならなかったのは、一生涯、家族を持たないし、孤独であろう自分への鎮魂歌なのかもしれない。一時期でも幻想を持った。”渇愛”は人間の最も厄介な欲望なのかもしれない。
 自覚のない、男性更年期障害を患っているのかもしれない。鬱になり、人恋しいだけなのかもしれない。一生、独りでいる覚悟を、快楽で忘れようとしているだけなのかもしれない。
 ゙物書ぎになりたいとの願いから、悪魔に魂を渡してしまった。それで、生きている側には戻れなくなった。そんな自分がいる。
 ここで自分に追い打ちをかけてみる。Rは縫いぐるみのプーさんを見ていると幸せな気持ちになれると、ショーウィンドーを眺めていた。そして、高級ブランド店のショーケースにも視線が釘付けになった。後で聞くと、いい物を身に付けていたい、とも言った。
 裸の時、Rの臍ピアスはぼくも見たことがあった。唇ピアスは夏休みの間、Oに行っている間にしてたらしい。唇脇のシミを見て納得した。
 ”不良”じゃないかって言うと、臍ピアスや唇ピアスをすることなんか、高校生の間では”普通”のことだと言った。そこで世代のギャップを感じた。
 そして、援助交際に対しても未成年者が喫煙や飲酒をしていることと同じ感覚なのだろうか。唇ピアスの為に皮膚に穴を空けるような、軽い”決断”で、罪悪感はないのかもしれない。
 そして、ぼくが渡したお金は高級ブランド品購入の資金源になっているだけなのかもしれない。ぼくの存在はそんなものなのだ。金銭でしかRと自分とを取り持つことはない。そのことは現実の事実だし、それを理解しなければならない。互いに”時間”や”空間”を共有できるかもしれないという幻想を持つべきではない。
 これでやっと「ホームページ・ビルダー」内の文章は10ページを超えた。校正しないで思いのまま書いている。生の感情を書き残そうとしている。人に見せようとしている文章でなく、単なるプライベートな心的な記録だ。
 その方が飾らない真実を表現しているように感じるのはぼくだけだろうか。単に心情のありのままを書いているのだけれど……。
 現実の自分に向き合うことの必要性を感じた。