あれから、一年近くしか経っていないのに、その寺の所在がハッキリしなくなってきているのだ。
 切っ掛けは単純だった。去年の冬の終わりに行った温泉地はどこの辺りにあったのか思い出そうとして、自室の棚から旅行案内本を取り出してからだった。
 彼女と旅行に出掛けるようになってから買い揃えた旅行案内本のうちの一冊だった。温泉地ごとに特長のあるいくつかの宿泊先と近隣の主な名所案内や地図がまとめられているので旅行案内本は重宝した。
 あれは去年のことだった。長野県の別所温泉に彼女と一緒に行ってきた。今になって別所温泉のことを確認してみたくなった。別所温泉には北向観音のある寺があった。
 少し前までは北向観音にお参りしてきたつもりでいた。その時は別所温泉にある寺の方向が善光寺と向かい合っているから何か関連があるのだろうという位の知識しかなかった。
 北向きの反対は南向きということになる。旅行案内本の中に載っている地図で長野市中心部を見てみた。善光寺の正面方向はJRの新幹線長野駅に真っ直ぐ向かっていた。確かに南向きだった。さらに、旅行案内本の見開き付録の広域地図を見てみた。すると二つの寺が同じ緯度の直線上に真っ直ぐ向かい合っていることが分かった。
 なぜ、今頃になって去年行った別所温泉にこだわるのかということだ。その別所温泉に行った時から半年経過した夏のことだった。今からは半年前のことになる。
 彼女から発せられた言葉が気に掛かっている。
 ある時、去年行ったことのある北向観音が頭をよぎった。神仏にすがる気持ちなどはない。当初は北向観音の御利益に期待はしていなかった。
 ただ、過去を振り返ることによって、今後の兆しを伺い知ることができるかもしれないと思ったからだ。あれから、どう状況が変化したのか、これからどう変化するのか、確かめてみたい気持ちがある。
 今になってその別所温泉に思いを巡らすことがある。別所温泉でのことは比較的新しい記憶として残っているつもりでいた。一年近くになるのだが、何か変化があったのだろうか。何も変化がないのならそれでもいい。変化の兆候が、有るか無しかの確認ができる程度で良いのだ。
 細かいところまでは旅行案内本に載っていない。ただし、短くまとめられた案内文だからこそ、ほんの何行程の中に、別所温泉の昔からのいわれや温泉の効能などの、湯治場としての特徴が書かれていた。主な観光スポットも短くまとめられていた。
 別所温泉へ行く前に、旅行案内本を丁寧に見ていなかったことが悔やまれる。案内文の中に別所温泉の名所が載っていた。調べればそれなりに名所はあったのだ。ちょっとした不注意で見落としたことになる。
 今になって別所温泉に名所があることを知ったのだ。行ってきた筈の寺と同じ境内の中にあり、近くまで行っていながら寄らなかった所として、縁結びの霊木「愛染桂」があった。
 北向観音のある寺の境内に「愛染桂」がある筈だった。第一回直木賞受賞作家、川口松太郎の小説を元にした、有名な映画、「愛染かつら」の舞台となった所でもあった。別所温泉に行くことを決めた時に、旅行案内本をもっと注意して見ていたら、そこに寄っていただろう。
 名所を見つける切っ掛けがあったなら、もっと詳しく知りたいと思っただろう。図書館まで行って調べる訳でないのだ。インターネットで検索するだけで良かったのだ。
 今になって北向観音のことを詳しく知りたいと思い、ホームページに載っている説明文を読んだ。北向観音のある寺の名は「北向観音堂」と言うらしい。読んでいるうちに、善光寺と北向観音のどちらか一つだけにお参りしただけでは、片参りになるらしい。片参りとは何か? 益々、疑問が出てきた。
 調べてみて分かったことだ。西方浄土に向かって拝もうとすると、向かい合う形で、仏像と寺の向きは東側となる。大陸文化の影響を強く受けている善光寺は、南向きで建てられている。多くの寺は、東や南に向かって立つもので、北向の寺は珍しいらしい。来世の利益を願うことのできる南向きの善光寺と現世利益を願うことのできる北向観音は向かい合っている。両方の寺に参拝することで来世と現世の幸福が約束されるということだった。
 ホームページ上に北向観音堂の画像が載っていた。その画像を見て愕然とした。
 画像の中の寺は二重の屋根を構え、二つの屋根の間には金縁の額のような中に、右から読んで「北向山」と金文字で書かれていた。立派な寺だった。
 行ってきた筈の寺と印象が全然違っていたのだ。今まで、彼女の言動を導きだしたのは、北向観音の御利益かもしれないと思っていた。しかし、北向観音堂の画像を見ると、どうも違う寺に行ってきたのではないかと思えてきたのだ。
 彼女の言動には含みがあって、その後の経過は怖くて確認していない。彼女の心境に変化はあるのかもれしれない。または、ないのかもしれない。
 今でも別所温泉に行ってきた当時のことを思い出す。ただ、北向観音堂の画像は実際に行ってきた筈の寺のイメージとあまりにも違っていた。北向観音堂ではない寺に行ってきたかもしれないのだ。
 北向観音堂の画像を見る前までは小さい偶然が重なって少し不思議な体験をしたと思っていた。その不思議な体験が反古になった気分だ。すると、今までにあったことは北向観音の御利益ではなかったことになる。

 今から半年前に遡る。ある夏の日の夜だった。都心のあるステーキレストランに彼女と二人でいた。
 そのレストランは彼女が選んだ。彼女は食に関しては貪欲な探究心がある。スマートフォンで念入りに事前調査をして決めたレストランだった。
 七時半過ぎにその店に入った。もう少し前からその店は開いていたかもしれないが、その時間にしか予約が取れなかったらしい。
 料理の質を落とさないようにしているので、提供できる肉の量に限りがあるのだろうか。店主の目の届く範囲に客数を制限するために、客席を増やさないようにしているのだろうか。店内は狭かった。単に家賃の関係で間取りが取れなかったのかもしれない。
 肉料理が中心だった。長期に肉を熟成させてうま味を引き出すようにしているのだと言う。その肉の熟成具合にシェフが自信を持っているようだった。店主自らが料理を客席に運んできて熟成肉のうんちくを語っていった。
 彼女は十代までは肉嫌いだった。子供の時から肉に限らず食わず嫌いの偏食傾向があった。何らかの思い入れがあったのだろう。決め込んでしまったら、親に何と言われようが食べなかったらしい。ずっと肉が嫌いだった。屠殺場を見学してから肉嫌いになったのではない。子供の時に何かの原因で肉嫌いになったのだ。
 ニンジンも長いこと食べられないでいた。子供の時だったら苦みのあるニンジンが嫌いになる気持ちは分からないでもない。
 海外留学をしている時、現地の人達がオーガニックな野菜志向が強いその国の食習慣を見て考え直したらしい。その頃、ニンジンを食べようと決心したらしい。
 ニンジンより先に肉の方を食べられるようになった。
 彼女は経験し成長する過程で、自らの思い込みの強さを自覚するようになった。酒は二十歳前から美味しいと言っていた。父親は下戸に近く少しの酒で酔っぱらうらしい。酒に弱い人を哀れに思っただろう。そんなことから、食物に対して逆の立場から見られるようになったからかもしれない。
 他の人が美味しいと感じる食材を自分が知らないでいるのは今後の人生において損だと考えるようになったのかもしれない。食に関しては自分を鍛えたらしい。嫌いだった食物も段々と食べられるようなった。
 自分の思い込みの殻を破るとそれまで食べれなかった肉を食べられるようになった。それからはいろんな種類の肉を食べてみたらしい。それまでの時間を取り戻すように肉を食べだした。そのうち、馬肉の美味しさを感じられるまでになった。そうして、彼女は段々と食通になっていった。
「美味しいね」
 彼女は肉を噛みしめながら、うっとりした表情を浮かべた。彼女は喜怒哀楽の表し方が単純明快だ。顔の表情を見るとその時の気分はどうなのかが分かりやすい。初対面の他人にはとても気を遣う。しかし、親密な相手には臆面もなく表情や態度で示すのだ。感情表現が豊かだった。
 嘘が下手で問い詰められると引きつった顔になる。生まれつきのものなのか、自分のことを分かっているのか、最初から嘘をつけないだろうという前提で喋る。隠しごとができないから、何でも話してしまう。
 自分の持つ正直さが相手を傷つけることになっても、嘘を隠し通すことはできないのだった。ただ、その欠点を補う能力が彼女に備わっていた。自己完結型の思考回路を持ち、どんな境遇に陥ったとしても、自己を正当化することに長けていた。
 レストランの中では周りと比べると彼女との会話は少ない方だった。運ばれてくる料理は美味しいのだろう。二人の間に会話が少なくても、彼女は満足している様子だった。
 後で肉の感想を聞かれるだろう。彼女の場合は共感を求めてくるのだが、半ば脅迫に近い形で味の感想を求めてくる。どう答えて良いものか、ぼくは思案していた。
 ぼくは歳を重ねているのでいろんなものを食べていた。不味くはないかどうかを、判別する味覚程度は、持ち合わせている。それでも、肉料理に対して、美味しいと言う以外に、何を喋る必要があるのだろう。濃厚な肉の味がしている、とでも答えるべきだろうか。
 二人とも料理を食べるのが中心だった。最初のうちはあまり酒を飲んでなかったので、未だ酔いが回っていなかった。料理が運ばれて来るあいだは周りの様子が分かった。店内中に賑やかに喋っている声が飛び交っていた。周りの人達はじっくり肉を味わっているように見えなかった。料理より会話を楽しんでいるように見えたのだ。
 後ろの方から中年男性の声が聞こえた。どうも、会話の内容からエンジニアらしい。振り向くと若い女が向かい側に座っていた。自慢話をしているように聞こえた。相手の女性に間を置かず一方的に喋り続けていた。中年男性は地声が大きいので、聴きたくなくても会話が耳に入ってきた。
 向かい側はやや広めのテーブル席になっていた。グループで楽しそうに歓談していた。いつの間にか左隣の席に若い男女のカップルが座っていた。後で来たのか、寸前まで気づかなかった。
 そこまでの彼女は、料理だけで満足しているようなので、あまり喋らなくても良かった。いつもだったら、料理が運ばれてくるまでの、間が持てないことも多い。料理が出てくるまでのあいだは、何かを喋らなくていけないのではないかと、気が気でない。彼女の注意を引くような特別な話題も持ち合わせていない。気の利いたリップサービスは苦手な方だ。
「冬の終わり頃に長野方面に行ったきたとき以来だね。ぼく達、どうしてこんなに続いているのだろうね」
「さあ、たまにしか会わないからじゃない」
 その通りだと思った。こんなことを聞いたことがある。遠洋漁業に出掛けている夫と妻は会えない期間が長い。その代わりに新婚当時の気持ちが長いこと続くらしい。遠洋漁業に出掛けている船員らの夫婦全部がそうではないだろう。ただ、ぼくはそんな環境にいる夫婦の関係が分かるような気もする。
 食事の合間にボソッと語るだけだったが、自分達も酔うにつれ、会話が一時的に盛り上がることもあった。時間が経つにつれて段々とレストラン内の周りの席は騒々しくなっていった。周りの人達にも酒が影響しているのだろう。段々と賑やかになっていった。ぼく達二人のあいだの会話は少し声を大きめにしないと互いに聞き辛いようになっていった。
 親密感を醸しだし、二人の間の距離を縮めたい頃だった。声を張り上げて喋るとロマンティックさに欠けるのではないかと思った。周りの騒々しさに辟易して言葉が出なかった。
 その時、彼女は思いがけないことを喋った。その会話の中に何か重いことが含まれていたみたいだ。当事者でない人達からすると、大したことでもない、ありふれたことだ。ドラマの中だったとしても陳腐なセリフでしかない。しかし、ぼくにとってはとても重要なキーポイントとなることを彼女から聞かされた。
 もっと具体的に聞きたかったが、隠し事ができない彼女に対して追求口調になりそうだった。その場の雰囲気を壊すようなので黙っていた。直ぐに聞けるような場面でもなかった。
 彼女は十代の頃から生理不順だった。最近は無月経の症状はないらしい。と言っても、彼女の場合は定期的な周期で生理は来ない。ただ、生理日ではないことは本人の申告がなくても、長い付き合いで直ぐ分かる。生理の時は身体がむくむからだ。身体に変調がないことはレストランに来る前に分かっていた。
 レストランに来る前は時間もあったので荷物を置きにホテルの部屋に寄った。彼女はシャワーを浴びるのでもなく、開放されたいのか、パンティ一枚になった。
 前に会った時、ポールダンスをやり始めたと聞いた。モデルのようにいろんなポーズをとってぼくに裸体を見せびらかせた。以前と比べると脚がスラッとしていた。腰回りは細くなり全体的に痩せた印象があった。かってはFカップもあった胸だが、CとBカップの中程になっていた。
 痩せたのは心労ではないだろう。ポールダンスで身体を動かすことで何かを忘れようとしているのでもないだろう。派遣社員の時に能力を認められて、正社員になったくらいだから、アクティブに働き、職場では充実している筈だ。ストレスを溜めないために身体をリフレッシュしているのかもしれない。
 大食漢で大酒飲みだ。それでも、太らない体質だった。最近になって、彼女は健康に配慮しなくてはいけないと、自覚したのだろうか。あるいは、酒を美味しく飲みたいという目的のために、運動をするようになったのだろうか。どれも、確証がないことなので、決めつけることはできない。総じて有益に作用すると認めているので、ポールダンスを続けているのだろう。
 食事中にそのことを聞かされて、ぼくは驚いたと、彼女に伝えた。彼女は「あれ、言ってなかったっけ」と惚けたように言った。彼女は母親と仲がいい。毎日、電話でやり取りしている。どうも、そのことはずっと前に「……かもしれない」と伝えていた。その経過も聞いた。さりげなく関連したことを聞いてみた。間違いないらしい。もう、一年近く経っているらしい。
 前回、冬の終わりに温泉旅行をした頃には既にそうなっていたらしいのだ。あの頃から痩せ気味になっていた。ポールダンスをしたり、繁忙な仕事に打ち込むことで何かを忘れたかったのだろうか。少ない情報では彼女の心理まで伺い知ることできない。
 発せられた言葉の節々は周りの喧騒にかき消された訳ではない。確かに聞こえた。ただ、にわかに信じられなかったのだ。考えを巡らすのにその場から消えてしまいたかった。店の中の喧騒がピークに達した時だった。

 周りの人達を隔離したように、ぼくの意識は静寂に襲われた。彼女を巻き込んで、意識は遠くに飛んで、意識は夏の軽井沢をドライブしていた。

 深い緑の塊のような葉に覆われた大きな木立が国道沿いに見ることができた。
 冬の終わりにも同じ国道を車で通ったことがある。その頃の広葉樹の葉は殆ど落ちていた。枯れ葉が少しばかり残った大きい樹木は方々に枝を伸ばしていた。葉がなくても大きな木々の枝振りだけで建物を隠すには充分だった。
 季節は移ろい今は夏だ。高原地帯に位置し、周りを見渡す限り、大きな林の緑の塊が点在する中を、国道が真っ直ぐ延びていた。道路沿いに植樹したのではなく、元々自然に自生している原生林の中を通っているような錯覚を覚えるのだ。
 真夏の広葉樹の葉は濃い緑色をしていた。冬の枝振りにも似た恥毛のような濃い黒ではなかった。道路脇の広葉樹の全体を成す柔らかい曲線は女性性器の恥丘を連想させる。
 冬の木立の中にラブホテルがあった筈だ。今は車の運転をしている。わざわざ、国道を逸れて木立の中に車で分け入り、確認をしてくることもないだろう。仮に休業や廃業していたとしても、例え取り壊していたとしても、その建物は意識の中に存在している。
 その建物の中で行われたことは幻覚ではなかった筈だ。その建物の中で行われた性の営みの中で、そこにいた若い女が「いく」と発したのを初めて聞いた。
 単に前戯の中でのことだ。たぶん、男なら誰でも行っているようなことでしかなかっただろう。中指を膣の中で抜き差しすると同時に親指の腹でクリトリスを刺激していた。男はいつものルーチンワークをしていただけで、特別なことをした覚えはないのだ。
 女が「いく」と発したことに男は驚いた。特別、気持ちが良いのだろうと思ったので、男はいつもよりはその行為を長く続けた。女の中に入り、腰を突き動かしている時はいつもと同じ喘ぎ声を聞いた。
 その女は性的な初体験は中学生の頃に済ませていた。早い時期の性交渉が不感症の原因だと女は思い込んでいた。痛いだけで自分では感じてはいないと言いながら、未成年の頃から嬌声や喘ぎ声は成人した女と何ら変わりはなかった。女の挙動だけを見れば十代から二十代に入っても変化はない。
 本能と言えばそれまでだ。玄人の淫売婦ではないのだから、わざとらしい喘ぎ声の出し方までを誰かに教えてもらったわけでないだろう。
 本能と言えばそれまでだ。誰かに助けてもらう訳でもなく、生れて直ぐに四つ足で立ち上がる家畜もいる。稀な例かもしれないが、初体験の時から快感を得られたと言う女もいる。その女は全く逆のケースで、最近まで何の快感もないと語っていた。
 女はセックスを終えた後、ベットの上に全裸の上半身を起こして佇んでいた。男は彼女の背中を摩っていた。女は二人がいるだけの密室の、倦怠的な空気の淀みで、癒されている様に見えた。
 本能と言えばそれまでだ。女は「いく」と言葉を発したが、自分では全く自覚しないで出た言葉だったのだ。「いく」と発したことを二人の話題に上げた。女は「そんなこと言ってたね」と人ごとのように語った。
 本能と言えばそれまでだ。一人前の女に成り得たことに驚きも喜びもないのだろうか。演技には見えなかった。わざわざ、そんな演技をしても女に損得はない。それでも、女の本音を聞いたわけでない。本当の感覚はどうだったのか、男は聞いてみたかっただろう。
 今となっては確認の取れないことだ。死ぬまでに一度も「いく」という言葉を発しない女もいるだろう。その女が普通なのか異常なのかの判断基準がない。
 本能と言えばそれまでだ。出産後に快感を得られたという女の事例も聞く。その女の時期が普通なのか、奥手な方なのかは分からない。
 以前から快感はないと、その女は自分で言っていたのだから、そうだったのだろう。その女は初めての性体験から相当の時を経ていたが、快感を得られないでいた。快感を得られるかどうかの未来は、未知の領域のことでもあった。それがずっと続くのなら、一生不感症のままでいるのかと思っていた。
 本能と言えばそれまでだ。家畜の四つ足動物が直ぐに立たなければならなかったのは、外敵から身を守るために、直ぐに親の保護に下に入るためだった。
 未成年の頃の挫折もある。その女は神経が過敏で適応障害からホルモンバランスを崩したこともある。女として恋もしたし失恋もした。そんな中で女であることを自覚できたのだろうか。その時、その女はまともな快楽を得られたのだろうか。健全で成熟した女になり得たのだろうか。
 二人は反クオークのような物質に似ている。親にも彼氏にも親友にも秘密を持っている。影の存在ではない。二人の存在そのものが、無いに等しいという関係を続けている。高年男と、その愛人まがいの女は、密会で逢瀬を繰り返している。

 夏から半年程前へ意識が溯り、冬の終わりのある日、男女二人が、朽ちたような広葉樹の木立に囲まれた建物の中にいた。
 その前日のことだった。

 午後遅くまで快晴が続き、別所温泉に向かう車の中は暖かな日差しが満ちる中でのドライブだった。彼女は昼食の時に日本酒を飲んでいた。善光寺から別所温泉に向かっている時は助手席で缶ビールを飲んでいた。その後は寝てしまっていた。新幹線に乗っても乗り物酔いする位だ。そのまま寝かせておいた。
 温泉に入る前に旅館を出て北向観音のある寺に行ってみることにした。昼過ぎに善光寺に行ってきた。善光寺と北向観音は関係があるらしい。その日はたまたまであるが、両方の寺に同時にお参りすることができると思った。偶然であったが、その時は二つの寺にお参りできるので、特別に有利な御利益があるかもしれないと思っていた。
 北向観音のある寺に向かったのはその日の夕方頃だった。寺に向かう参道沿いに店が何軒かあった。土曜日なのに、殆どの店が閉まっていて、寂しい通りとなっていた。近辺には特に目立った建物はなかった。参道を歩くと突き当たりに石階段があった。
 階段を登ると小さな寺が見えた。寺の周りには目立たない程度の杉の木が立っているだけだった。寺に賽銭箱が見当たらなかったので、用意してきた小銭を使うことができなかった。
 小振りな寺だった。参拝を拒むように寺の正面扉は閉められていた。それでもその時は、北向観音のある寺だと思っていた。二人は寺の正面の、小さな木の階段の上がり縁で、お参りするしかなかった。
 人のいない寺だった。雪に埋もれていた訳でないだろう。前の晩は黄砂を含んだ大雨が降った。通りすがりに見た屋外駐車の全ての車が酷く汚れていた。雨に備えて境内の備品を全て片づけた後のようだった。寺の軒下には今にも剥がれそうな色あせた御札が張られていた。境内の見える範囲には落葉はなかった。
 雪が溶けた後、その寺が忽然と現れたようにも見えた。何にもない境内だった。寺のお参りだけが目的だったので境内の周囲には特に関心がなかった。ただ、あまりにも小さい寺だったので、そこに北向観音が安置してある寺なのか不安になった。周りに別のお堂がないか、念のために境内を見て回った。
 階段と同じ幅で寺の前までは石が平らに敷いてあった。石畳を逸れて雨上がりで湿っぽいままのザラついた土の上を歩いてみた。寺の近くに白壁の建物があるだけだった。寺務所のようだったが、その建物には人の居る気配はなかった。境内はひっそりとしていた。山すそにある小さな山寺のようだった。
 寺前の通りへ戻ろうとした時に温泉街の方から浴衣を着た中年男女のカップルが石階段を登ってきた。寺の正面の中程辺りの石畳上で、そのカップルとぼく達二人はすれ違った。
 カップルの行き先は自分達が行ってきた寺だというのは明白だった。後ろを振り返った。二人は寺をどうやってお参りしたらいいものか戸惑ったようにしていた。今までそこにいた自分達と同じ光景だと思った。

 その日の昼過ぎのことだった。志賀高原のスキー場まではドライブだけにして渋温泉に戻って蕎麦屋で昼食を済ませた。その後で善光寺にお参りしてきた。彼女は神仏には真剣に祈る。宗教に関係なく祈る。寺や神社があり、立ち止まることができれば必ずお参りする。
 ある年、彼女が留学している先の外国に行ってきた。その国でのことだ。観光名所でもあったので、その国の中では、大きな規模のキリスト教会に入った。ぼくは彼女の様子を側で見ているだけだった。
 彼女は一人でその国のコインを燭台横に置いて蝋燭を手に取った。火を点けた蝋燭を燭台に立てて何か深刻な表情で祈っていた。まるで、懺悔をしているようだった。キリスト教の教会でも、カトリック系かプロテスタント系かも知らない彼女が、礼拝をしていた。
 彼女は日本の神仏、宗派は区別しないでお参りする。ぼくが一緒にお参りしないことに機嫌を悪くすることがある。ぼく自身は寺でも神社でも通りすがりに心の中で祈っていることが多い。
 自分だけの事を祈るのは利己主義ではないのかとか、神仏に頼る前に、先ずは自分自身が努力をするべきではないのかとか、体のいいことを言っているのでもない。ぼくは人前でお祈りしている姿を見られるのが恰好悪いと思っているだけだ。それに、小銭を出してまでお参りすることはないというケチな心境もある。
 善光寺では状況が違った。彼女が寺の中に入って菩薩像や観音像の近くでお参りしたいと言うので拝観料を払って一緒に内陣に入った。この時は二人で一緒に祈った。若い男女のカップルが先にお参りしていた。次の老夫婦の後ろについて待っていた。順番がきたので御本尊に向かって彼女と二人で両手を合わせた。
 その善光寺では「お戒壇めぐり」もした。階段を降りて真っ暗な回廊を回った。何も見えないし、手をつないでいるわけでないので回廊の中では彼女とはぐれた。回廊から内陣に戻った時、手さぐりで歩くしかない感覚を「目の不自由な人はあんな感じかな」と彼女に言ってみた。

 二泊三日の温泉旅行だった。二人が合流する場所として新幹線長野駅を選んだ。一泊目は長野駅から遠くない渋温泉郷にある旅館を選んだ。二泊目は別所温泉にした。
 たまたま旅行案内本の地図上に温泉地として目についたのが別所温泉だった。彼女が東京に帰るのに便利な新幹線の軽井沢駅が近くにあったので、特に交通の便のことだけを考えて別所温泉に決めただけのことだった。
 志賀高原なら春までスキーはできた。一応、スキーに行く準備をして家を出てきた。前日から温度が急上昇して、スキーをしたいという気持ちが薄れた。彼女に聞いてみると善光寺へは未だ行ったことがないと言う。昼前のドライブ中に、それならばと、善光寺行きを決めた。善光寺行きを決めたのは、成り行き任せだった。
 一年のうちで一番暇な二月に長期休暇を取ることにしていた。彼女も二月の平日に休みが取れることになった。そこで休みの日を合わせて二月の平日に温泉とスキーに行く予定でいた。二泊の温泉旅行のプランは、二月に実行されていた筈だった。
 二月になり長期休暇に入って二日目のことだった。その日の午後に新幹線の長野駅で待ち合わせすることになっていた。ぼくは昼前に家を出て、のんびりと車で長野駅に向かうだけだった。
 ところが、アクシデントが発生した。未だ家にいたその日の朝に緊急の連絡が入った。後輩が職場から救急車で病院に運ばれたという。事態が変わったので長期休暇を返上して出勤することになった。
 彼女もぼくに合わせて休暇を取っていたので、緊急に電話連絡を入れた時は未だ寝ていた。職場に出てみると後輩が亡くなったことを告げられた。
 それから一カ月の間はぼくは一人で二人分の仕事をすることになり多忙を極めた。
 当日のキャンセルだと旅館の宿泊料金は全額を支払うことになる。キャンセル料金がもったいなかった。キャンセル扱いにせずに翌月の金曜と土曜に宿泊を変更した。約一カ月後に旅行が延びた。
 二月だったらスキーに行っていただろう。三月に入り、たまたまその日は暖かい日和だった。スキーに行っていたら、善光寺にはお参りしなかっただろう。善光寺と北向観音のある寺を同時に参拝するには偶然が重ならないと実現しないことでもあった。
 両方の寺をお参りしないといけないらしい。その時は両方の寺をお参りする訳は知らないでいた。別所温泉の旅館のホームページ上の簡単な説明文を見ていただけだったので御利益が増す程度だと思っていた。

 二人でいると楽しいから彼女と時々会っている。
 ただ、二人との間には越えられない深い淵がある。表に出せない間柄でも、二人の合意があれば、カモフラージュしてでも乗り切れるかもしれない。ただ、それ程熱心になることもないのだ。
 行動を供にして互いに共感を求めることはあっても、それ以上は深入りしないようにしている仲だ。二人にすれ違いが多く、相容れないところがある。俗にいうところの「結ばれる」ことは絶対にない。
 似たような相手なら互いを理解できるのかもしれない。違う相手だからこそ反発もするけれど、面白がることもある。しばらくの間なら、共感し合えると錯覚してしまうこともある。
 一緒にいると相手の違い過ぎる考えに違和感を感じてしまう。所詮は援助交際の延長なのかと落胆することばかりだ。短期間の旅行程度なら辛抱できるかもしれないが、生活を供にするようになると違うのだろう。
 世代間のギャップは勿論ある。互いの性格の違いも生活習慣の違いも当然のこととして受け入れ、理解しなければならない。軋轢があっても、何もかも乗り越えなければならないのだ。衝突で起こるエネルギーのロスを考えてしまう。
 二人は耐えてまで一緒にいてもいいとは考えないだろう。互いが自分のペースを守ろうとするなら、二人は絶対に「結ばれる」関係とはならないだろう。
 現世では「結ばれない」運命なのだろう。奇跡も起こることはない。二人のどちらの方からも相手に合わせようとしないのだ。関係が深まらないことは互いに分かり合っていた。二人にはギャップがあり過ぎることも納得していることだった。
 しかし、次に生まれ変われるなら、年齢も近くありたい。互いの行動や認識や価値観が違うことを前提としながらも、互いを認め合う努力をしてみたい。そして、いつも一緒にいられる関係でいたいものだ。

 思い返せば、北向観音に祈ろうとする前から、既にそうなっていたのだ。
 そのことを聞いたことで、今まであった頭の中の有り様が、今後は違っていくだろうことに面食らったのだ。かといって、今後の人生プランに変更が出てくる程のことでもない。彼女との付き合い方は少し違ってくる程度だ。
 以前、ぼくの墓参りをしてあげると言って、実家の固定電話の番号を聞いたことがあった。何のことか分からなかった。何を今さらと怪訝に思っていた。あの時、彼女は人生を賭して、誰かに勝負を掛けていたのかもしれない。それは、彼女の相手への決断でもあった。それは、彼女と付き合う上で、ぼく自身の今後にも、少しは影響してくることだった。
 もちろん、ぼくの残りの人生全てを彼女に賭けていい。彼女の両親にも公認されるような功名を上げたい。今まで以上に努力のし甲斐もある。が、結果が伴わない可能性は大だ。望みが叶うことは奇跡に近い。それが現実というものだ。そのことはぼく自身が予想できる。彼女は今後も、ぼく以外の人物に対して、決断する場面が出てくるのだろう。
 彼女の今後の人生を考えると、北向観音にお参りしようとしたことは、無意味なことではなかった。だが、北向観音は存在したのだろうか。

 そのことを知らないでいたのに、両方の寺では彼女の幸せを祈っていた。しばらく前までは、不思議に思えていたことなのだ。意図したわけでなく、二つの寺には、導かれたように行ったのだと、錯覚していたのだ。
 中年男女のカップルとすれ違った時の二人の身なりを思い浮かべた。その日は前日と比べると太陽光の下では暖かい方だった。しかし、日陰で冷気にさらされると未だ寒かった。
 三月の初旬で高原地域の山陰の辺りでは夕刻近くともなれば気温が急に下がる。その中年カップルは寒空に浴衣を着ていた。温泉からの湯上がり直後だったかもしれない。仮にそうだったとしても湯冷めをしてしまうような気温だった。冬空に浴衣で歩く姿は異様でもあった。
 その別所温泉に行ったのは偶然だった。たまたま偶然が重なって善光寺にも訪れることができた。不思議だと思っていた。
 先日までは北向観音のある寺に行ってきたとばかり思っていた。今でもその時のことは思い出す。しかし、インターネットの画像と比べると北向観音堂ではないみたいなのだ。実際に北向観音のある寺に行ってきたのかは疑わしくなってきた。本当に行ってきたのか確信が持てないでいる。自分の中のイメージと画像にある寺は全く違っていた。別の寺に行ってきたみたいなのだ。
 北向観音堂の画像を見るまでは不思議な実体験をしたとばかり思っていた。別所温泉に行った時、北向観音のある寺だと思ってお参りをした。北向観音堂に行ってなかったのなら、現世での二人の願いは叶えられないことになる。 本当にその寺はあっただろうか。違った空間に入り込んだみたいなのだ。去年のことなのに、今では遠い昔のように感じられるのだ。
 あの時、階段を降りる直前にもう一度寺の方を振り向いた。すると、急に消えてしまったみたいに中年のカップルはいなくなった。あの時は境内の別の場所にでも行ったのだろうと思っていた。

 未だ新しい記憶として残っている筈なのだが、思い出そうとすると、頭の中では朧げなものになっていくのだ。頭の中でイメージしてみるのだが、あの寺ですれ違ったカップルが、自分達二人の来世の姿とダブっていくのだ。