人々の集まりを目にしました。それが何の集まりなのか、最初のうちは分かりませんでした。不思議でした。どうして部屋の中にそんなものがあるのか、屋根のついた小さい建物が、中央の上の方にありました。祭壇のようなものがあり、室内の照明が正面を際立たせるように照らしていました。四角い額縁の中に誰かの写真が入っていました。どこかで見たような顔立ちでした。黒い服に身を包んだ人達が集まっていました。黒づくめの人々がいることから、誰かを弔っているらしいのです。前方の中央あたりの、額縁に入った写真を見てみました。見覚えがあったのですが、その時は思い出せないでいました。人物写真なので、遺影らしいことが分かりました。
 周りの様子から、誰かの葬式だろうと思いながら眺めていたのです。葬儀会場にいて、黒や赤や金ぴかな品々を眺めながら、周囲を見回してみました。何列にも並んでいる椅子のところから、目の前の光景を見ました。それらを目にしながらも、「自分はここにいる」と思っていました。周りのことが分かってくるにしたがい、段々と現実の光景に圧倒されてきました。すると、自分の立場がどこにあるか自信がもてなくなってきました。迷いを持ち始めると、身体が次第に定位置に定まらなくなりました。そのうちに、空中に浮かぶような感じになりました。自分の手を身体の前に差し出してみました。自分の手には空気が触れている感触がなかったのです。そのうちに、自分の手だという感覚がなくなっていきました。良く見ると、手そのものが見えないのでした。しかも、衣服を身につけていないばかりか、腕や脚が見えないのです。そこで、自分自身の姿が透けていることに気付きました。自分が透明であることに驚きはしませんでしたし、動揺することもありませんでした。ただ、目の前で行われている儀式を、認めたいと思いませんでした。
 意識だけが部屋の中で漂っているようなので、次第に自分はもう現実にはいないのかもしれないと思い始めました。大部屋の、天井と床の中ほどくらいに浮かんでいるのです。見下すと、黒い服を着た葬儀の参列者らしい人々の動きがありました。そうしたら、目の前で自分の葬式が行われているのかもしれないという気持ちになり始めました。ただ、「こうやって周りを観察できているということは、自分の意識が存在している」という思いでいました。だから、自分自身の死を受け入れることはできなかったのです。それでも、葬儀に来ている人の中には、そこに置かれている遺体の魂が、彷徨っているのではないかと、思っている人もいるようです。
 自分が死んでいるという確証が持てないでいたのです。直前のことが思い出せないのです。なぜ自分が死んだのか、理由が分からないからです。死に至るまでのいきさつが分からないのです。不慮の事故によるもので、頭を強く打って記憶が無くなることも考えられます。仏教では輪廻転生という教えがあります。もし、生前の行いが悪くて、人間以外の動物に生まれ変わるのだとしたら、その生き物並の記憶力しかなくなるのです。もう、そんな状態にあり、今までのことを全く覚えていないのでしょうか。長患いだとしても、意識がしっかりしていたのなら、自身の体調の変化を自覚できていたでしょう。急死だったのにせよ、長患いだったにせよ、直前の記憶くらいはあるでしょう。額縁の中にある顔立ちは、老人とまで言える歳には見えなかったのです。写真を見ても年齢がハッキリしていないのです。遺影の顔立ちだけを見ただけでは、自分を当てはめることはできないのです。人生の終りを迎えているとしても、どの年代まで生きていたのか、全く見当がつかないのです。目の前の柩の中にある、その遺体の享年は、どれだけだったのでしょう。
 ある疑問が涌いてきました。目の前の光景が、現実なのだろうかということです。夢の中かもしれないからです。こんなことがありました。夢を見ていながらも、夢の中の出来事であることを、自分で分かっていたことがあります。夢の只中であったとしても、自分自身の夢だということを、わきまえながら、見ていた体験があります。後で思い出すと、瞬間に見た夢だったのかもしれません。夢だからかもしれませんが、その夢を見ている間は、長い時間の経過の中にいました。だから、目前で繰り広げられている光景は、今回も夢の中のことで、実際に自分は死んでいないかもしれないと考えたのです。ひょっとして、予知夢を見ているだけかもしれないと、考えてみました。夢の中で臨死体験していたとしたらどうなのでしょう。その場合、意識がなくても、生存中の幻覚が出現するかもしれません。もちろん、そのことを立証することはできません。本当のところはどうなのか、自分では分からないでいます。
 あるいは、目の前の光景は生死のあいだにある幻覚かもしれないと思ったのです。たとえば、三途の川を渡るかどうかの、瀬戸際から生き返った人々が、それぞれの臨死体験を語っています。花々に囲まれ、楽園のような場所にいたと言う人の証言が、一番多いのです。頭の中に出現する幻覚は、人それぞれ違うのでしょう。見える光景は、人それぞれ違うかもしれません。が、共通していることがあります。断末魔の苦痛を感じなかったということです。臨死体験した人々は、生涯の中で、最も安楽で穏やかさを感じる場所にいたと、述べています。そのことには科学的な根拠があるらしいのです。動物には、「痛覚」を持つが故に、それを和らげるメカニズムが備わっているといいます。人間の死に際には、限界を超えた激痛に対して、幸福感を感じさせる神経伝達物質が、脳内に大量に放出されるのだそうです。そんな「脳内現象」が実証されつつあります。臨死体験の例証によれば、楽園のような光景を見ていて、苦痛はなかったそうです。臨死体験を経た後、死への不安はなくなったという証言があります。
 目の前にある葬儀が、臨死状態にある只中の幻覚なのかもしれないと仮定してみました。ただ、死に際であるかどうかなのです。目の前の光景を見て、仮説が成り立つかどうか、冷静に観察しているところです。生き返ったとしても、死の淵で見たことを、記憶していなければいけないのです。夢と臨死体験を混同してはいけないのです。まだ、目の前のことを疑っています。仮に夢だったとしても、幻覚だったとしても、自分の中で、なぜそんなシーンを選んだのかということです。自分では現実の世界から離れたいという気持ちはなかったと思っています。ただし、無意識の中では、分からないことです。
 自分では窺いしれない現実への不安があったのかもしれません。把握できていない、深層心理の部分で、人間界の縛りから、解放されたかったのかもしれないのです。死ぬことが、最も安楽だとでも、思っていたのでしょうか。そうだと仮定するにしても、なぜ無意識の中でそんな葬式の場面を選んだのでしょう。それが疑問なのです。自分自身を抹消したいという、潜在的な願望があったのでしょうか。なぜ、そんな光景を選ばなければならなかったのでしょう。目の前に、自分の意識が宿っていただろう遺体が、置かれているとします。それほど悩むこともなく人生を送っていました。元々は楽天的な性格で、自分を追い込むことがありませんでした。過去を振り返ってみても、死を選ぶ原因が思い浮かばないのです。自分で自分を分析するのは困難なことなのでしょう。精神科医か心理学者に、見てもらうしかないのかもしれません。
 曖昧というのではないのです。直前の記憶が全くないのです。仮に急死だとします。死ぬ間際において、意識を失うことが殆どでしょう。そうだとすると、今現在も記憶が戻らない状態が続いているのでしょうか。寝たきりだったということも考えられます。何らかの病状を併発して、意識が戻らないままでいることが想定できます。ただし、その状態に至るまでの、最初からの記憶がありません。現在の記憶は勿論のこと、少し前の記憶から、何年も前までの、ずっと続いての回想が、できないままでいます。直前から、遠い過去に遡ってまで、思い出せないでいます。いろんな推測をしてみるのですが、どれが当てはまるのか分かりません。いろんなケースがあるのでしょう。脳の病状で倒れて、病院に搬送されて、意識が戻らないでいたからかもしれません。昏睡状態のままでいたのかもしれません。記憶がないのは、脳死になったまま、寝たきりでいたからかもしれません。当然のこととして、病院にいた記憶もないのです。
 意識が戻らないのだとします。すると、別の疑問がわいてきました。脳死に近かったら、冷静に自分のことを観察できるのだろうかということです。こうやって、目前のシーンを、客観視してみたり、論理的に考えられているだろうかということです。例えば、脳障害がある場合を想定してみるのです。あるいは、痴呆症となった人間がいるとします。脳内の、フラッシュバックの映像として、何か映ることがあったとしても、自分の過去と照らし合わせられるのかということです。記憶も意識も定まっていないのに、葬式のような場面を認識できるのかということです。脳内の幻覚を、観察することができるのだろうかということです。臨死状態にあり、脳も身体の機能も正常でないとします。幻覚を意識して語れるのでしょうか。目の前の情景が、何を意味するのか、分かるのでしょうか。脳の機能が働かないと、ハッキリとした判断を下せない筈です。脳が異常なら、幻覚であることさえ判断できないでしょう。葬式を見ているあいだだけ、意識が戻っているというのは、おかしなことです。
 頭の中にはいろんな考えが飛び交うのです。どの説も、正しいということはないのでしょう。真偽はどれも定かではないからです。全体の状況を見ていると、自分の葬式が行われているのではないのかと、段々と認めざるを得なくなっているのです。ただ、自分の死因が分からないままなのです。だから、目の前の光景が、本当なのかどうか、判断を下せないでいるのです。
 自分の葬式が始まるのなら、弔辞を誰かが読むとことでしょう。その時に自分が死に至るまでの経過を知ることになるでしょう。それを聞き、理解の足掛かりを掴むかもしれません。額縁に入っている人物写真に、白髪がありません。葬儀屋が写真に修整を加えたのかもしれません。目前の遺影に写った人物は、若く見えます。見栄えだけなのかもしれませんし、本当に若くして死んだのかもしれません。笑顔がないのですが、知的に見えています。写真のネクタイ姿に、違和感を覚えています。服装まで加工された写真に見えるのです。どこで撮影されたものなのか、記憶にないのです。ひょっとしたら、それが自分自身かもしれないと思いながら、その顔立ちを見ていても、感情移入ができないでいるのです。こちらからは、目を凝らして見ているわけではないのです。強い意志を持って、思い出そうとしてもいないのです。周りの音に注意を傾けようとしました。すると、集中しようとする力が無くなっていくのです。
 人々の集まりの中から、誰かの声が聞こえてきました。同時に「蛍の光」が聞こえてきました。懐かしい曲だと思いました。一時的に「蛍の光」という曲名を思い出したのです。原曲はスコットランド民謡だということが頭をよぎりました。そんな曲の由来など関係がないと思いました。自分の過去を確かめようとしている最中だからです。

「どうしたのかしら? 視線が定まっているみたい。さっきまでの表情と違って、まるで意識が戻ったような顔をしているわ」
 近くで女の声がした。
 幻聴だろうか。今の状態が、夢や幻覚の只中にあるなら、そんなことがあっても不思議ではないと思った。
 「蛍の光」が聞こえていた。曲名を語れるので、今は正常なのかもしれない。このメロディは、幾度も聴いたことがある。いつも区切りをつける時に聴くメロディだった。日常の中でどこでも流れる曲だが、人生の節目でも良く聴く曲だった。閉店間際に良く流れていた。今はどこかの公共施設が閉まる時間帯なのだろうか。
 微かな記憶が甦ってきた。いつもの部屋にいるらしい。時々、誰かがやって来る。いつも、だいたい同じ男女の声が聞こえる。今、違った女の声が混じっている。一人の女の声だけが違っている。
 そして、聞き覚えのある男の声がした。
「痴呆症状の方々には、以前から音楽療法を取り入れています。カリキュラムに沿って、音楽を聴いてもらっています。時々、患者の表情に変化が現れます。治験的なものとして利用しているのですが、データ的にも治療効果があります。手先でリズムをとるとか、顔を揺らすとか、明らかに変化があります。今日、この方のこんな表情を初めて見ました。テレビから流れる『蛍の光』に反応するなんて、思いもよりませんでした」
 そんな会話から、何となく内容が分かってきた。話の中身では、どこかの施設に入っているらしいのだ。前はもっと人の少ない部屋にいたような気がする。ずっと白い壁の部屋を見ていたような気もする。ハッキリしないのだが、瞳の奥にそれらの情景が微かに残っている。そして、それらの残像があったとしても、断片でしかない。
 個人の部屋なのか、公共の場所なのか、どちらか分からなくなることがある。今は部屋の違いが分かるようだ。時々だが、何となく周りのことが分かることがある。静かな所から人の多い場所に移された時のことだ。少し広めの部屋で、少人数がいることは分かる。どうも、集団で管理されているらしい。時々、今ほどの男が語りかけてくる。話し掛けてくるのが、その男だったり、別の女の声だったりする。それぞれ、役割が違っていて、順番に接してくる。親切にしてくれているようなのだが、一方的に話し掛けられることがあるし、こちらの反応を待っている時もある。自分が何かを語っている時のことだ。だいたいは、相手がこちらの発する言葉を、真剣に受け止めていないようなのだ。
 自分がこれまで、何を喋っていたのか、覚えていない。求められたことについて、何を答えたのかも、覚えていない。意識しないまま、口に出している言葉なのかもしれない。広い場所に移動してから、耳にヘッドホーンをあてることがある。歌や音楽を聴くこともある。懐かしいと思いながら聴くこともある。だが、題名を思い出すことはできない。聞こえてくる音楽に関して、自分の感想を述べたことがない。ボーツとしている時も、そうでない時も、周りに人がいた。複数の足音が近づいて来た時のことだ。足元からの振動でそのことが分かった。それで、ヘッドホーンを外した。部屋には音楽が流れていた。「蛍の光」など今まで聴かされたことはなかった。たまたま、その時だけ、耳が敏感になっていた。珍しく、人の声に集中しようとしていた。
「プライベートのことになりますが、参考のためにお聞かせ下さい。あなたは身内の人ではないのですね。それでも、あなたの声を聞いた途端、音楽に耳を傾けたようになりました。昔からのお知り合いなんですね。不思議です。ずっと、どんな曲にも反応がなかったのに、ちょうどテレビから『蛍の光』が流れた時でしたね。この曲は誰でも知っていて、どこでも流れている曲の典型なので、とても意外でした。この曲はあまりにもありふれているので、選曲したことはありませんでした」
 流れていた曲が「蛍の光」ということは知っていた。何度も聴いたことのある曲だった。その時、どうして周りや自分の状態が分かったのだろう。ここでは字を書いたことがない。果たして、自分は手を動かすことができるのだろうか。そもそも、何が大事だということさえ、判断のつかないことがある。声の主が未だに誰か分からない。何度か聞いたことのある声だった。ここの職員かもしれない。自分にとってその人物が、どんな関わりを持っているのか知らないでいる。話していたことさえ、忘れることが殆どだ。どう反応したらいいのか分からない。そもそも、一時的に意識が戻ったとしても、記憶として残せないことは分かっている。
 周りの人達の話す内容が分からないことがある。そんな中で、今ほど、「蛍の光」と、その女の声を久し振りに聞いた。女の声が曲に混じって聞こえた。その瞬間に過去の情景が繋がった。遠い昔の記憶が甦ったみたいだ。男の言っていることが何となく分かる。こちらに向かって、本気になっていないことも分かる。反対に、訪れている女の方には、真剣な話し方で接している。ここでは、別々の話し声が一緒になって聞こえる。各人から、次々と語りかけられることがある。同じ人から何度も話し掛けられることもある。何かを促されるようなこともある。だが、問い掛けに力がなく、強要されることはない。それぞれの相手から、一方的に語り掛けられる言葉は、添え物のようだった。こちらの反応を求めてはいない。喋らなくても、咎められることはない。良く覚えていないのだが、自分が繰り言を発しているような時があるのだ。そんな時、こちらの発する声を、注意して聞いている様子はないのだ。
「この頃は、どんな音楽にも反応しなかったから、心配していました。ここに来た時は未だ痴呆の症状は進んでいませんでした。大勢の方と違って、音楽を聞かせる度に内向きになっていきました。最初、この方は音楽に関心がないのかと思っていました。興味を示される音楽が特定できませんでした。たまにこの方を見舞いに来られる親族の方から、過去の生活ぶりを聞いてみました。音楽鑑賞が趣味だとお聞きしました。コンサートにも良く通っていたらしいのです。CDも大量にあるとのことです。どうして、そんな方が音楽に反応を示さないのかと思いました。一般の方々はランダムに音楽を流すと、どれかの歌や曲に、反応があるものです。趣向も人それぞれですから、違いは勿論あるでしょう。男女に限らず、童謡で反応する人もいれば、歌謡曲で反応する人もいます。東京の学会で発表された中でのことです。米国在住の黒人は、ソウル音楽とか、教会音楽のゴスペルに、素早く反応したという、実証結果を聞きました。日本人は国民性でしょうか、穏やかな曲調を好む傾向があります。この方の音楽の嗜好だけは掴めませんでした」
 女の声が、そばにいる男に向けられていた。
「この人とはジャズコンサートに同伴したこともあります。もう、昔のことです。その頃の私は、ジャズが良く分かりませんでした。つまらなそうな仕種をしていたのでしょう。私の反応を見てからは、コンサートには誘わなくなりました。そのうちに一人で行ってきたコンサートのことも話さなくなりました。彼は自分と同い年のギタリストをひいきにしていました。その方のCDを全部コレクションしていると言っていました」
「そうでしたか。それにしても、分からないものですね。好みと関係のない曲でも、反応を示すものなのですね。驚きました。偶然、『蛍の光』に反応しただけかもしれませんが……」
「この人の若い頃ですが、音楽評論家になれたらという夢があったみたいです。絶対にかなうことのない夢だということは承知していました。そんな内に秘めた思いを私にだけ語ってくれました。『音楽を語る職業につきたいなんて、冗談でも言えなかったよ』と、懐かしそうに語っていました。音楽を聴くだけでは、内向きな自分を変えられませんでした。それでも、中年になる頃は、自分自身ののんびりした性格を、少しでも変えたいと思っていたみたいです」
 声の主が特定されてきた。まだ、彼女はこの世にいたのだ。声は若い時のままだ。昔、逢瀬を繰り返した女だった。顔を見ることも、振り返ることもできなかった。正気に戻ったことが分かってしまう。やっかいなことになりたくない。彼女はこちらのことを聞いてくるだろう。そうなると、経過を語ったり、自分がここにいることを、順序だって説明しなくてはいけない。相手に伝えられない、もどかしさを感じることだろう。惨めな自分の姿が思い浮かばれる。同情を受けたくはない。少し前までは自分を恥じる気持ちはなかった。自分のことを恥ずかしいと思えるというのは、まだ自意識を持っているということだ。一時的に自我が回復したのかもしれない。今まで、彼女は何をしていたのだろう。あれ以来どうしていたのだろう。そんなことは知りたくない。彼女のことを尋ねたりすることは、過去に戻ることになる。自分のことには触れられたくはない。このまま自分の殻に閉じこもって、無表情で惚けた振りをしているしかないのだ。
 彼女に音楽評論家になりたかったと、語ったことは覚えている。彼女以外、誰にもそのことを話さなかった。彼女と交わった後の痴話ばなしとして喋っただけだ。他の人には決して口にすることはなかった。彼女とは男女の仲でいる期間が長かったし、多く関わった。若い頃の妄想を自分から語ったのではない。彼女から何になりたかったのか問われて、無防備に喋ったのだ。彼女とは親子以上に歳が離れていた。彼女は自分に近い齢の男に置き換えて、こちらのことを理解しようと努めたのかもしれない。彼女の一時的な思い付きで、若い頃のことを聞き出したのかもしれない。あるいは、こちらの夢を聞き出して、心理状態を探ろうとしていたのかもしれない。彼女から、心理テストを受けたようなものだった。その時、実現性のない夢を語っただけだ。その頃、彼女にだけはそんな心中を語ることができた。若い頃の憧れを打ち明けたのだ。自分に関心を示してくれていることが嬉しかった。その時は、共感してくれる相手がいるだけで心地よかった。懺悔をしているような気持ちだった。今でも楽しかったその頃のことを思い出す。
 ずっと関わり合っていた筈なのに、理由を告げずに彼女は去っていった。今、なぜ彼女は近くにいるのだろう。彼女が目の前から消えてからどれだけの年数が経っているのだろう。昔のことのようで、直前の出来事のようにも感じている。わざわざ、ここまで足を運んでくれたのだろうか。意外だった。どうあれ、彼女は忘れないでいてくれた。そして今、そばにいるのかもしれない。
 若い頃は感動する曲が多かった。ポップスのベストテンにロックが流れていた時もある。音質が悪くても、AMラジオから流れる曲に夢中になった。FM放送のエアチェックは欠かさなかった。CDが普及する前のレコードの時代も知っている。十代の学生だった頃、買い食いを我慢して、レコードの収集にこづかいを回したこともある。音楽でしか癒しを感じなかった。若い頃は異常なほど過敏だった。人が怖くて自分からは話し掛けられない内向的な青年だった。話しを交わす友人もいなくて、当時から孤独だった。その時代に耳にした、重く暗いフォークソングの歌詞と、自分の様は同じだった。若い頃の記憶はグレーな色に刷り込まれている。ロックとかジャズとか音楽的なジャンルは分けないで聴いていた。クラシックや現代音楽にも耳を傾けた。どんなジャンルの音楽も聴いていたのは、他にも快楽がないかと節操もなく探していただけだ。構ってくれる異性がいなかったというより、自信のなさが女を避けていた。セックスよりも音楽の方に快楽があると自分に嘘をついていた。生き方においても、見通せない現実を忘れることしか考えていなかった。苦しさがあったとしても、時間の経過で、負荷や試練というものを、やり過ごしていた。困難を克服しようとする気概はなかった。会社勤めをするようになって心身共仕事に精力を使い果すようになった。中年になっても、独り身の責任のない身軽さが合っていた。そんな時だった。不特定多数の中から、偶然彼女と出会った。親密に密着する女の、皮膚感覚から逃れられなくなった。中年になってから、女の怖さを知った。それに伴い、音楽から受ける快楽が、なくなっていった。
 ジャズなんか、循環コードの中でしか、アドリブを展開できない。自由な即興だというのだが、それはコード循環の制約のある中でのことだ。ライブコンサートである一人のミュージシャンが奇抜なメロディを奏でたとする。一緒に演奏している他のミュージシャンがビックリしたような表情をするくらいのものだ。それは、コード循環の規律の中で、ほんの少しぶれていただけだ。メロディは想定されたものとなる。アドリブは、予定調和の範囲内のもので、不協和音ではない。自分にとって、それらは即興ではなくなっている。古いジャズはノスタルジーがある。その頃のフレーズを聴くと懐かしく感じる。エポックメーキング的な名曲のフレーズだけが頭に残っている。
 音楽番組でもないのに、ビートルズの曲は嫌になるほど流れていた。ビートルズの曲はメロディが単純で、二、三回聴くと覚えられた。単純で覚えやすいから、名曲なのかもしれない。だからといって、懐かしいというのではない。メロディを口ずさむことのできる歌謡曲に近い。歌謡曲やグループサウンズも一緒だ。自分の中では和製ポップスもビートルズも大した違いはなかった。単純な曲だからと、無視していた。それでも、記憶の中に消去できないメロディとして残っている。題名は知らないのだが、どんなジャンルの音楽でも、口でハミングできる。ある時、クラシック音楽が流れていたので聴いていた。広大な大地を連想させた。聞き覚えのあるクラシック音楽だった。題名は知らなくても、次のフレーズが頭の中から繋がり出て来る。人の名前や固有名詞は忘れていても、メロディだけは覚えていることが多い。
 病状が悪化しているのは分かっている。時々、今の状態を振り返ることがある。段々と現状が分からなくなっていく。時々、昔のことが甦ってくることもある。それもほんの僅かになってきた。ここに来てからは、音楽に興味が失せた。感動できるような音楽に出会えないからだ。音楽に対するこだわりがなくなり、どうでもよくなってきた。なぜかと考えてみたこともある。彼女が去って行ったことにこじつけたのかもしれない。唯一、残すべき音楽も、一緒に捨てたという思いがある。そうしたのは、自分の現状を忘れたかったのかもしれない。それは、楽な方に逃げたことになる。
 自分の有りようを振り返ってみた。考えを止めたままでいても、生理的な苦しさはない。ここでは安心して自分の殻の中に閉じ籠もっていられる。「寂しさ」や「孤独」の重圧に耐えられなくなったのだろう。現実の世界から逃避するために「痴呆」に身をゆだねているのかもしれない。自ら「孤独」を忘れさせてくれる「恍惚」の世界に身を投じたのかもしれないのだ。その世界は何もない。何もないから、考えることも悩むこともない。過去の失敗をたぐり寄せることもないのだ。自分が生きる価値のない人間であることを認めることもないのだ。現実を直視しない側の方が、楽なのだ。一時的でも現実に戻った時の方が辛い。周りには人がいるが、通じるものが何もない。人が多いと余計に孤独感が酷くなる。今のところは持ち堪えている。意識が戻った時はいつもの疎外感しかない。
 覚醒したのではないのかと、錯覚することがある。そうなると、自分の中だけで根拠のない論理が広がっていく。ある時、頭の中で妄想が勝手に展開していった。自分の中で想いが広がると、周りからの問い掛けが聞こえなくなる。頭が混乱することもなく、考えに没頭することがあるのだ。自分のことは忘れられていて、頭の中では壮大なイメージを抱えるのだ。自分の位置さえ定かではない、宇宙からの視点となるのだ。「人間を誕生させたのも、何回も蘇生させるのも、神である宇宙人なのだ。元々は、宇宙人が遺伝子操作で、細胞段階から、何度も改良を加えた生物が、地球上の人間なのだ」とつぶやきながら、止めどもない想いが、螺旋階段を登って行く。そんな空論をよりどころとして、自分自身を忘れている。独自の宇宙観を展開していく。それは、歌でもなく、音楽でもなかった。
 人それぞれの感じ方があるのだろうが、つまらない音が、身の回りを取り巻いている。昔のフリージャズは騒がしいだけだった。それでも聴けることなら、今がいい。不定和音の喧騒の中で、両方の耳が突発性難聴となり、大音量の中で、瞬間的に何も聞こえなくなる。音がなくなり、無になる瞬間でもある。それは宇宙とコンタクトがとれることでもある。ここではフリージャズを聴いたことがない。
 少し前、ここの空間に女の声がした。昔、関係した女のようだった。終わってしまった小さなことだ。そう思うように努めた。「宇宙人が人間を創った」という呪文を唱えたくなった。どうにもならない袋小路に陥りそうだ。自分の記憶をリセットしたくなる。女の声を聞いたことが切っ掛けではない。女の声は楽器の音色ではなく、地獄へのシグナル音だ。女は就業ビザを取って外国に定住した。それ以後は、電話やメールのやり取りがなくなった。それから、相当の年月が経っているのだろう。一時帰国でもしているのだろうか。「蛍の光」で女を認識したとは思ってはいない。時々、周りの状況が分かることがある。いわゆる「スイッチ・オン」の状態になるのだ。たまたま、「スイッチ・オン」状態の時に、女がいたのだ。そう思いたい。その女の声が聞こえたのは、先ほどのことだったのだろうか。時間の空白を埋めるような身近な声ではなく、録音したような声だった。その異変を感じることは、寂しいことでもある。昔を思い出す切っ掛けにしたくない。自分を遠ざけた相手だ。今となっては、負の遺産でしかない。大きく考えようと、あがくばかりだ。そうすると、死にたくなる。目を見開いて、前方にある小さいものを見ている方がマシだ。いつも周りに音楽が流れていた。その時々によって違う音楽になっている。それらは、くだらない音楽ばかりだ。そんなものに反応する気は、毛頭ない。

 彼の前に大きなテーブルがあって、数人が並んでいました。前方に人がいても誰だか思い出せない彼の姿がありました。たまに見たことのある顔だと、反応することがあるみたいです。彼は他の人の顔を見て不安になるのです。名前を思い出せないからでしょう。それでも、「おたくは誰ですか」と言い切ってしまうことができないのです。もし、知人だったら失礼になるからです。明るい大きな部屋に何人も一緒にいるのですが、彼は独りぼっちでいるのです。
 彼は近づいてくる人に向かって「どちらさんですか?」と話し掛けたことがあるそうです。「何、言っているの」と問い詰める人がいたのです。それは、親族に向かって発した言葉だったのでしょう。相手は親族だからか、遠慮なく反発したのかもしれません。そこで働く人に対しての発言だとしたら、事情は分かっているので、厳しい言葉を返されることはなかったのでしょう。未だ親族と言える人が身近にいます。彼は言葉で傷つくことがないようなのですが、安易に自分から言葉を発しなくなりました。そのほうが無難だと、思っているのでしょう。だから、人の気配がしても黙っているのです。
 たまに、聞き覚えのある声の持ち主の顔だと、確信が持てることもあるのです。定期的に若い女性職員が近くにやって来ます。あまり時間が経過していない時なら、少し前に見た顔に覚えがあるのでしょう。たまに、目の前の人が知り合いだと分かることがあります。ただ、名前が出てこないことはいつものことです。話が続かなくなるので、だんまりを決め込んでいるのです。
 彼がその施設に来たばかりの頃です。社会から遠ざかった環境にいる中でも、人間関係に悩んだことがありました。それは生活圏に侵入してくる他者に対して身構えることでした。防衛本能のあるうちはまだ健常者だったのかもしれません。自分のことを構ってもらいたいという気持ちは高齢になっても衰えていないようです。自分に関心を持ってほしいという欲望は、本能からくるものなのでしょう。人と関わることで、存在感を得たいのでした。競争心が芽生えると同時に、他の人を妬みました。そのことが影響しているかもしれません。どんなに歳を重ねていても、自分の思い通りにならないと、ストレスとして感じるものです。彼がどう捉えるかという問題なのです。
 千差万別の性格の人がいるから、社会が成り立っている。異なるいろんなタイプの人々が影響し合っている。理解できない人間がいるからと、排斥してはいけない。そのことを、彼は承知していました。中には、偏見を持って見る人間が、時々いるのです。反発したい気持ちを彼は抑えていました。それでも、歳のせいでしょう。実際の行動では、感情をコントロールできない時もありました。その狭い空間にいると、偏狭な考えに支配されるのです。そこにいる人を憎むようになったのです。
 寝たきりではないので体力は残っています。彼のことは心配でした。凶暴になり暴力を振るっていないかと、周りの人の反応を見ていました。大部屋にいる、近くのヘルパーらしき人達から、穏やかな接し方を受けていました。凶暴で手が掛かり、前歴のある患者だったら、その人達はもっと身構えていたでしょう。彼は佇んでいるだけで、他人に迷惑を掛けていなかったのです。
 彼は未だ恵まれています。痴呆でも、いろんな段階があるのです。自分が痴呆だと認識しなくなっていれば、認知症状が進んでいるからです。彼は乏しくなった記憶力を嘆いていますが、周囲の状況を見ながら、他の人と比較はできているのです。いつもマイペースで、のんびりした性格の彼でも、自分の痴呆の進行度合を注意しています。彼は痴呆だと周りから見られていても構わない振りをしているのです。そのうちに、思考を停止したみたいに、自分の世界に閉じ籠もりがちになりました。彼は繰り言を発するようになりました。ただ、彼の中の想いは雄大でした。自転している地球をイメージしていたのです。目覚めている時は、宇宙の膨張を想っていたようなのです。誰にでも、死ぬまでのあいだは、生きている時間があるということです。自分や周りの、生きている人々の時間は、誰にも平等に流れているのです。彼はそういう風に思うようにしていたのです。
 なぜ、彼が自分のことが分かるかということです。ヘッドホーンを耳に当てようとした時のことです。ヘッドホーンだということを告げると、彼は手を貸さなくても、使いこなせます。それが何であるか、何の目的で使うかということを、理解しているみたいです。彼はその行為を行うことで、正常なところにいることを示したかったのでしょう。彼自身も自分のよりどころにしているらしいのです。

 最初、目の前は真っ暗だった。
 しばらくして、周りから眩しい光が放たれた。周りを囲んでいる白っぽい板が急に燃えだしたので、パッと明かりが点いたように見えた。長めの箱の中だった。その中に白い服に包まれた一体の人間が横たわっていた。板が燃え、その炎から発する光で目の前の光景を目にすることができた。着衣が燃え盛る中に素足が覗いている。頭部が花に囲まれていた。少し経つと、花びらと紙の塊が、一瞬のうちに燃え盛った。
 白い服がパッと燃え上がり、直ぐに消えた。それでそこに露出したのが裸体だと分かった。人間の皮膚が露になり、全身が炙られていた。炎が肉を焦がす中で、高温で熱せられる表面から油が滴り落ちていた。服が燃え尽きるのと同時に頭髪も炎によって、一瞬に消えた。無毛の丸い頭は男女の判別ができない。高熱によって肉が削がれていく。炎がおさまる頃に下半身を見た。辛うじて原型を留める程度の突起物が未だ燃えずに股の間にあった。
 熱により肉の塊は溶けるように消えていった。時間の経過とともに標本に似た骸骨だけの輪郭となっていった。台座にのった骨へ回りから強い明かりを放つ炎はおさまらないでいる。身体の芯だけが残るように骨は辛うじて輪郭を残していた。それを見ている視線の側の意識には熱さも痛みもない。感情の起伏もない。目の前にある現象をただ眺めているだけだ。眩しさもなくなり、あとは暗黒の時間帯が続いた。
 気がつくと、中空から見下していた。初めは中部屋かと思っていた。その部屋には僧侶が二人と黒い服を着た人達がいた。蛇腹のような仕切が部屋の片側に寄せられていた。その部屋は広い通路側に壁がなく床が続いていた。その部屋に作業服を着た二人が移動式の台座を運んできた。台座の上には金属製の板が載せられていた。その板の上には骨の残骸があった。その後、通路と直角に仕切が張られた。小さい部屋になり、十何人が入れば身動きできない程の狭さになったので、通路側に人が溢れていた。誰かが写真の入った額縁を小さな焼香台に置いた。その写真に向かって僧侶が読経を唱えだした。読経が流れる中で、黒い服を着た人々が、長い箸を渡されるまで、順番を待ちながら、台座を囲んでいた。
 それぞれの人が箸を持つと、少しの骨を挟んでは、壺に入れていた。人々の中に、見覚えのある懐かしい女の顔があった。要領を得ているらしい作業服を着た人物が「手でも大丈夫ですよ」と言った。その言葉に促され、女は後ろの方から台座の前に出てきた。女は合掌するように手の中に骨を包み込み、壺の中に入れた。