こちら側は書かれた方の文章であった。
 目の前に誰かがいた。あちら側から、誰かがこちら側の文章を見ていた。目の前のあちら側の誰かが、こちら側の四角い枠の中に並んだ文字を読んでいた。目の前の人物は、こちら側の文章を目で追いながら、あちら側の頭の中で意識付けをしていた。
 こちら側の文章は、あちら側の者の意識から発生した言葉から、文字を連ねて書き示しめされていた。少し前まで、あちら側の方の者は、考え事をしていて、佇んでいた。頭に浮かんだことを想い描いていた結果が、この文章になっている。
 あちら側の者の方から見て、こちら側は、四角く平べったい物体の中にあった。厚みがある物体であった。横は三十センチ、縦は二十五センチ、厚さは三.五センチ程ある物体であった。その物体は、半分に分かれて、二層になっていた。
 あちら側の者は、その物体の中程にあるフック状の突起物を、横にスライドして、真ん中から上下に分けた。あちら側の者は上の方の部分を持ち上げた。開くと、上の方が蓋のようなっていて、内側の部分が、仄かな明るさを放っていた。四角い物体の、台のような下部に、ボタンがいくつも並んでいた。あちら側から見て、こちら側にある物体の、二層に分かれた上部の方に、文字が並べられて表示されていた。あちら側の者は、四角い物体の下部に、何列もあるボタンを、何度か押した。
 あちら側の者は回りを見渡した。どこかの誰かの部屋であった。本棚の間に表紙の剥げ掛けた本が並んでいた。何十年も経っているような古い本であった。手を付けないまま、そのままにしてあったのか、並んでいるどの本も埃が被っていた。
 あちら側の者はある本を手にとってみた。本を開いてみると紙片が入っていた。何枚かのメモ書き程度の紙が出てきた。その紙片はボロボロになりかけていた。読んでみて誰が書いた文章か分かりかねた。だが、なぜか見覚えあるように感じ、懐かしさを感じた。
 更に本を何冊か取り出してみた。あちら側の者は本棚に並んだ本の間に小型のノートを見つけた。そのノートには手書きの文字が並んでいた。記入されたノートを、あちら側の者は、こちら側の手前に持ってきた。あちら側の者はそのノートを開いてみた。ノートの表紙には新入社員業務日誌と書かれていた。
 ノートの裏表紙には注意書きが書かれていた。
・清書前の下書文章
・清書後の本文の綴りは本社人事部に提出済
 と書かれていた。あちら側の者は思った。清書された日誌という綴りは、処分されて今はないかもしれない。現存する文章はそれだけだろうと思った。
 あちら側の者は、そのノートを見て、誰が書いたものか分からずにいた。あちら側の者は、そのノートが、そのまま誰にも読まれないままになるだろうと、思った。読むものがいれば、その文章だって誰かが生きてきた証として存在はしたであろう。その文章は読まれてこそ、価値があるのだろうと、あちら側の者は思った。
 あちら側の者はそのノートを見た後、真ん中で開かれ、二等分された四角い物体の下部のボタンを押していた。それは、誰かに書かれたノートらしかった。あちら側の者はそのノートを見てはいた。あちら側の者はボタンを押してはいた。が、あちら側の者は、そのノートの内容を、こちら側の方に転記しなかった。
 但し、ここまでの文章は、今現在、進行している過程の中で、書かれている形にしている。あちら側の者はノートを見たが、こちら側には転記はしなかった。転記していないという状況は書かれている。あちら側の者の雑感を、今現在の時点の心境で、書こうとしている。

 その当時いた支社は経営効率化の影響で数年前に閉鎖された。その当時の年齢からは、倍以上を生きた。その当時から、ほんのしばらくしか経っていないような錯覚さえする。三〇年以上も経っているのに、経済状況も物の豊かさも人間の内面も、さして変化のないように感じる。
 テレビは子供の頃から家にあったし、一台しかないテレビを家族全員で見ていた。白黒テレビがカラーに替わった。大学生になって独り暮らしをして、一台の小型テレビを一人で見るようになった。学生が車を持っているのは珍しかった。が、車を持っている学生は当時からいた。
 日本では公害問題が顕著になった時期であったが、地球規模での環境問題はなかった。当時の日本においては未だ小子高齢化の懸念はなかった。当時は終身雇用が当たり前で、会社に入ったら定年まで勤めるものだと思っていた。しかし、第一次オイルショックの影響で就職先はなかなか決まらなかった。内定取消こそなかったが、それ以前に就職先は極端に少なかった。
 地元の電力会社の入社試験を受けることはできた。筆記問題は、超エリート向けの、小論文を書くような、難解な設問であった。答案用紙には何も書けなかった記憶がある。筆記試験から大勢の受験者が篩に掛けられた。その入社試験には箸にも棒にも掛からなかった。筆記試験だけでも受けられたのは、実家の父親が、先代からその電力会社の株を、少なからず相続していたからであろう。
 今、勤めている会社の入社試験は簡単であった。人物重視というのは聞こえがいいが、業種的には、昔のように、地元の名士しか入れない業種ではなくなっていた。地場の株式会社であった。しかし、事業としては国の許認可業で、大手から中小に至るまで、その業態組織の経営は安定していた時期であった。幸か不幸か、その時期はまだ業務拡張期にある業種であった。マスプロ化、業務拡大路線、業績第一主義的な傾向が強く、世間的にはハードな内容の業種として知れ渡っていた。
 入社直前に内定者は業務概要の説明を受けた。業務内容の厳しさを知った。入社直前に、地方公務員になった者が一名いた。職業の選択肢のある者はその一名だけであった。同期入社した者達の就職先は他になかった。入社した殆どの者達にとっては、やっと決まった就職先であった。将来に不満はあっても、勤め上げるしかないと、誰もが思っていた。
 入社式で答辞を述べた出世頭は、心掛けの悪さから、今で言うコンプライアンス違反を犯して、退社した。大卒の同期入社した者で、退社したのは、その一名を含めても三名しかいなかった。他の二名は家庭の事情で辞めた。同期入社した者達の中で、支社長クラスまで昇格した割合は、他年度に入社した社員と比べても多かった。
 今で言う偏差値の高い大学を出た者はいない。ただ、入社時、職種の選択の自由度は極端に少なかった。だから、我慢や忍耐、根性という古めかしい言葉が、常に頭から離れなかった。
 同期の者達らは、ちっとやそっとの失敗ではめげなかった。まだ、年功序列の風潮が残っていたので歳を重ねるごとに昇給した。時にちゃらんぽらんなことをしている時期はあっただろう。それでも、給料は下がらなかった。環境が変わってやる気になった時、頑張ってそれなりに業績を上げるのと連動して、給料も上がった。同期の者達は殆ど順調に出世していた。いろんなことに遭遇していたと思うが、旨く難局を切り抜けていた。
 人の数が多く生存競争の激しい団塊の世代の行動を見たり経験談を聞いたりしていた。団塊の世代の、長所や短所を比較したり、前例として比べることができた。政治的な情勢に関心がない者が多勢だったが、生活力は身につけていた。同期の者達の殆どは、目立って優秀だとは思われていなかっただろう。比率的には、他の年度に新入した社員より、同期に入社した者の殆どが残っていた。
 コネで入社した者も見られた。役員や支社長からの推薦で入社は不可能でない時代であった。コネで入社したことは周知されている同期の者もいた。やんちゃだが、バイタリティがあり、営業センスは抜群であった。今では役員候補にもなっている。
 その他の同期の者達らも持ち場持ち場で営業センスを磨いた者が多くいた。会社組織の中では、それなりに努力し、専門知識を磨き自分独自の営業マインドを構築していた。世代的には若い頃の失敗を糧としていた。歳を重ね、ゼネラリストとして世間に対応していった。
 その新入社員日誌を書いた当時は、それなりに会社員として歯車の一つになるのかもしれない予感はあった。しかし、会社員として類型化されることへの抵抗心から、業務日誌には、人と違うところを示そうと、細かい字で多行数に渡って、鬱積したものを晴らすように書いた。問題児のレッテルは張られなかった。入社したばかりで、今後を期待されていたのかもしれない。些細なこととして、特に問題にされなかった。
 入社二年目に大きな交通事故を起こした。会社の上司が被害者相手に尽力してくれた。しかも、偶発の事故として昇進に支障がないようにしてくれた。今、考えると温かい会社だったのだと思う。
 再起のチャンスを与えてくれたし、減給もなかった。いろんなことで配慮してもらった。会社側は将来への投資だと思っていたのかもしれない。しかし、会社組織や人事部の期待を裏切ってしまった。
 外向的でない性格は、真面目さでカバーできた筈であっが、営業からは戦線離脱した。自分を犠牲にしてまでも会社に貢献する気にはなれなかった。会社は表向きでは、利益を上げると同時に、地域に貢献しているという姿勢を示していた。しかし、自分自身の成績を上げるのは、会社の利潤追求にしかならないのではないかという、疑念を持ってしまった。
 会社が利益を上げれば納税することになり、結果的には国、地域に貢献することになる。それでも、当時は会社に従属されていて、個人の自由はないのではないか、と思っていた。迷いがあるとセールスにも集中できないものである。結局は辛い営業から口実をつけて逃げていたことになる。
 自分に子供がいれば、組織内で言うところの、向上心を持って、より豊かな生活を求めたであろう。そして、雑念を捨て、無我夢中で業績を上げることに腐心したことであろう。会社組織は生活をしていく上で欠かせない基盤である。独り身で、養うべき家族がいなかった。それで、人を押し退けても自分の成績を上げようとする、貪欲さに欠けたのかもしれない。
 新入社員業務日誌には、未知の世界の入口に彷徨う姿が垣間見られた。モラトリアム人間として、不安定な心持ちの時期であった。業務日誌を読んでいて、感じられることであった。

 あちら側の者から見て、その開かれた四角い上蓋の内側は、薄い光を放っていた。その上蓋の中に、四角く枠取られた部分があった。
 上蓋の中の四角く枠取られた中では、チラチラと映像が動いていた。四角い下部の方の右脇には、カードのような物が差し込まれていた。そのカードの端には、アンテナのような棒状の物が突き出ていた。その四角い物体からは、音声も流れていた。
 四角い上蓋の、枠取りされた中で、何かの場面が動いていた。四角い枠の中では若い男女がいた。レストランみたいな場所で二人は向かい合っていた。料理を前にして食事をしていた。
 一皿ごとに違って盛られている料理が、ウエイターによって運ばれ来た。そのカップルらしき男女は、最初のうちは何気ない会話をしていた。そのうちに、女の方から男の方に、何か問い掛けをしているみたいであった。
 その二人連れを、別室で何人かの男女が、同時に見ているような場面に変わった。レストラン内のカップルのうち、男の方は、誰かに見られていることが、気付かないでいるみたいであった。レストランにいる男には悟られないように、別室にあるモニターか何かに映されているみたいであった。レストラン内の若い男女のカップルが、食事を時々中断させていた。会話をしている光景を見ながら、男女のカップルに向かって、別室での何人かの男女がああだこうだと言い合いをしていた。
 レストランでは、男のテーブルの脇には黒っぽい小さい物体が置かれていた。女の方から頼まれ、男は渋々、上着のポケットの中から、小さい物体を取り出し、テーブル脇に置いたらしい。男は小さい物体を手に持った。手に持った物体を、手鏡のように、折り畳んだ状態から、開いた。そんな場所には不釣り合いに見える、小さい物体が男の手に持たれた。その場面では、レストランでの食事を中断して、耳に小さい物体を運んでいた。
 別室のモニターテレビのような物を、男女の何人かで覗いてた。レストラン内のカップルの、言動や受け答えを見聞きしながら、その都度反応して、笑い合っていた。そのカップルの、男女間のトラブルに関係したことらしい。トラブルの元は、どこにあるのか、皆で探りあっているのだった。
 その小型の持ち物ができて便利になったのであろうか。トラブルの元にもなる物なら、不便な物であるのかもしれない。その物体は、相手がすぐに返事のできない時に、対処する別の機能があるらしい。確実に相手に伝えられる手段があるらしい。音声であることもあるし、文字だけで伝えることができるらしい。
 あちら側の者は、物体内の四角い枠に、男女のカップルが、映像として映っていたものを、消し去った。こちらに向かって、目の前の者は、片手に納まるような、小さな楕円形の固まりを、握っていた。物体の四角い枠内に、矢印を移動させた。あちら側から見て、こちら側の方に、郵便ポストの図柄があった。そこに、矢印を動かした。矢印は留め置かれて、静止した。
 その目の前の者は、手で固まりを握りながら、人指し指を二回連続して押した。すると、こちら側の四角い物体内の、枠が大きくなった。四角い枠は、物体の中一杯に広がった。枠の中には、いくつか段落があった。それを、目の前のあちら側の者は、矢印でなぞった。再び、人指し指を二度押した。すると、こちら側の方に文字が並び、枠一杯に出てきた。
−デジカメで撮ったばかりの、小さい画像を見ていた時はどうも思わなかったんだけど、金曜日の晩に、SDカードに記録したデジカメの画像を、パソコンで開いて見た。画面いっぱいに大きく写っている、Rの顔を見るととても大人っぽく、きれいになっていた。Rのことは今まで気づかなかった訳でないけど、更にきれいになってたね。それを見てると何とも言えなく悲しくなってきた。やっぱり釣り合わないのかなって…。やっぱりもったいないかなって…。こんな子のどんなわがままでも聞いて当然だと思うし、イライラさせないような気遣いが必要だったなあと思う。今まで配慮が足りなかったと思う。自立しようとする大人だし、その人の人生だし、どんな決断をしても何も言う権利はなくて当然だと言うこと。心配して言ってくれていることも、素直に聞く配慮が足りなかったと思う。体調が悪くて万全じゃない顔で写っているRの方が、ちょうどこちらには合っているみたい。今までの長い期間、良く付き合ってくれたなって感謝している。そして、四月にもRが貴重な時間をつくってくれる。だから、こちらの希望とかこれ以上は言えないなって気づいた。外国へ留学に行ってしまったら、しばらく会えないからと、そっちに行くのに意気込んでしまったんだ。だけど、会ってくれるだけで満足かな。何か暗く重い話になってしまったけど、いろんなプランは一応はあったんだよ。
 車で関東地方に行く計画を思いついた。(来月の土日は時間があるし、のんびり運転できるかなって、思いついた。一度は車で行ってみたいなって思ったから。でも、疲れそうだし、どうでもいい気持ちもある。今まで通りJRで行くかも。Rが強く望んだら実現するかもしれないけど、どうでもいいかなっていう感じ。ただ、一例として上げたまでのこと)
 プラン1.車でディズニーに行く。(これも思い出になるかなと思っただけで強い希望ではないかな)
 プラン2.今まで通り東京都心で会う。(今までと変化はないと思う。外国で必要な衣類等のショッピングに付き合う方が無難かな…。今まで通りRの喜んでいる顔を見ているだけで満足かな。その場合はショッピングに都合の良い場所での宿泊)
 後は一方的な思いだけのプランはあるけど、書くの止めとく。会ってくれるだけでとてもありがたいんだ。贅沢は言わない。一緒にいてくれる時間を共有できればそれで何も要らないかな。
 いつかは別れが来るのだろうけれど、それを一瞬でも忘れていられる、会える間の、少しの時間は貴重だと思う。次まで、どれだけの月日、会えないかなと思うと、本当に寂しくなるんだ。ステップアップするRを祝福しなければいけないのにね。−
−Mは信じられないかもしれないけど、・・・って普段、人に対してものすごく気遣っちゃう人間なのね。
言いたい事言わないで我慢する時もいっぱいある。
はっきりモノを言う事が要求される場面ではちゃんと言うけどね。
でも、友達とか彼氏とか、家族に対してさえもそういう時ある。
うまく甘えられないっていうのかな。
じゃぁなぜMに対してはそうじゃないのか。
なぜ言いたい事が言えるのか。
たぶん、最初は「別に嫌われてもいい存在」だったから。最初は「お金とSEXで契約を交わしているだけの存在」だったから。
人に対して気を遣う理由は、きっと「嫌われたくないから」に他ならないと思うの。
それは、転勤で転校が多くて、常に違う環境へ違う環境へと移り変わった。
幼なじみなんていないし、せっかく仲良くなった友達ともいつもお別れ。
新しい環境に自分を合わせていくしか道はなかった。
そしたら嫌われないようにうまくやっていく自分ができあがってた。
本当の自分はすごくわがままで我の強い人間なのに。
だからMには別に嫌われてもどぉでもいいと思ってたから、なんでも気を遣わずに言いたい事言えたんだと思う。
けど、それはだんだん変わっていったんだよね。
「素の私でいても嫌わないでいてくれる」っていう「安心」に変わった。
「好きだなぁ」って気持ちもうまれた。
ぶっちゃげ、お金だけなら出してくれる人いっぱいいる。SEXさせてくれるなら百万円出すって言う人もいた。
けど、昔と違ってもぅ、心のないSEXはできなくなった。
やっぱそういった意味では、MとSEXできるのは、心があるからなんだと思う。
イライラするなぁっと思っても、また会ったり一緒にいれたりするのは、好きって気持ちがあるからだと思う。
けど、けど、必要な存在なんだなぁって思うけど、恋愛感情とは少し違うの。
胸が苦しくなるような恋心とは違う。
恋は一人に対してしかできないもの。
それとは違うから、彼氏とMと並行して関係を続けられるのかもしれない。
だから、Mが望むことに対して、応えてあげられない事が多いよね。
Mのことは、必要な存在だと思ってるけど、辛くて苦しくてもぅ無理ってMが思う時が来たら、いつでも離れていっていいのよ。
それは別に離れていこうがどうでもいいって意味じゃなくて、一緒にいて幸せじゃないのなら、あるいは、もっと幸せになれる道があるのなら、そっちに進んでほしいと思うの。
きっと一番の願いを叶えてあげることはできないから。
罪悪感じゃないけど、それと似たような感覚は、やっぱりあるの。
だから、一緒にいる時はできるだけ笑顔でいられたらなぁとか思うんだけど、やっぱイライラしちゃう時、あるよね。
ごめんねって気持ちはあるの。
もぅちょっと優しい言い方があるんじゃないかって自分でも思うよ。
けど、もぅMに甘えちゃってるんだろうね。
ただ思うのは人から聞く言葉をもうちょっと素直に受け入れるべきなんじゃないかと思うよ。
何を言っても必ず反論するもの。
「こういう考え方もある」って多面的な捉え方をするのは大切な事だと思うけど、あまりにも自己中心的な考えに偏ってる時が多いように思う。
もうちょっと素直な心をもてば、M自身も楽になるんじゃないかなぁって思うよ。
四月はもう、やっぱり資金の面で不安を抱えたくないからって意味で、仕事もいっぱいいっぱい入ってるし、長い時間をあけるのってちょっと難しくて。
平日だったら大丈夫なんだけど、飲食店だしやっぱ休日はきついのょ。わかってね。
でね、プランの事だけど、ディズニーはその日夜仕事だしちょっときっつぃかなぁ。
次の日も朝から仕事だし。
でももしかしたらバイト代わってもらえるかもしれないから、代わってもらえたらもちょっと長くいられると思うよ。
で、書くのやめたプランは? そこまで言ったならちゃんと言ってよ気になるじゃん。−
−二七日(火曜日)に仕事の合間にPCでRの文章を読んだ。と、言うよりも、見ただけだったのかな。月末に掛けて忙しくて時間もなくてそれ以来文章を読んでなかった。今日(土曜日)、実家のPCを開いてヤフーのメールを読んでみた。印刷にも掛けて二、三度読んでみた。Rはきちんと自己分析できてるなって感心した。互いの関係も良く認識しているなあと思った。理路整然と語ることができると思っていたけれど、文章もしっかりしているし、頭のいい子だと思う。そんなところにも惹かれているんだ。
…前のメールの中で「恋心」とは違うという部分が気になった。「だから、続けられる」という部分、そして「辛かったら離れてっていい」いう部分も引っ掛かった。思いやりを持ち、相手の後の幸せを願うことで、互いが自分自身に納得させている部分もある。互いを思いやって行った結果、相手のためにならなかった物語を思い出した。…
 こちらもRには甘えているのだと思う。だから、感じたことを気兼ねしないで口にしてしまっているのかもしれない。Rが言うように話していて反論するのは欠点であることは誰からも言われる。
 今ではRには情がわいて娘のようでもあるし、時として母や姉や妹のようにも感じることがある。何とも表現できないけれど、実の母は勿論、実の妹よりも親密になっているかな? 娘が旅立って一人立ちしていくのを寂しく感じるようなものかな? あるいは結婚していく大事な娘が奪われるような感覚でもあるのかな。
<その物語はこうだ。昔、ある国に貧しい夫婦がいた。毎年、クリスマスの時にプレゼント交換を欠かしたことはなかった。その年の年末は不景気で夫は失業中だった。家計に余裕はなく、妻の内職で日々の食べ物を確保するのが精一杯だった。だが、互いが疑うことなく、愛し合っている。貧乏な所帯で子供を生み育てる生活力はない。夫婦とも互いのプレゼントに何を送ればいいのかと考えた。毎年、クリスマスプレゼントを贈ることを、欠かしたことがなかった妻だったが、その年に限って、夫に贈るプレゼントを買う金がなかった。髪の毛を切り売りし、夫にたばこ入れを贈ることを考え、実行した。>
 Rことは高校生の頃から価値がありすぎると言っていたよね。今でも再確認している。それで弱気になっている。以前から今まで、Rは普通の家庭の女の子だったし、少女のような一面もあった。段々と好きになっていった。Rと違ってぼくの方は段々と恋心に変わっていったんだよ。肌の触れ合いから入ったかもしれないけど、段々と精神的な支えとなってたんだ。
 辛さは何度も通過してきてるし、別れのイメージは何度も想い描いた。今の時点でも悲観的な将来しか描いていない。これは何度も繰り返して悩んでいたことだし、免疫はできているつもりだけど、やっぱり考えると寂しい。だから暗いイメージしかできないのかもしれない。Rの方が潔いし、ねちねちしていない。さっぱりしていると思う。
 Rは贅沢な高望みしさえしなければ、それなりに幸せになれるよ。特別に不足しているものはないよ。これからはどんなことでも努力を惜しまないだろうし、どんな職業につくにしても、Rは若いのだし、可能性が秘められている。実現させるのに、将来を見てればいいだけだよ。今更、Rにしたら、こちらの頭の片隅で考えているようなことは、「それがどうしたの?」って感じだろうと思う。
<夫は真面目で、ギャンブルもしないし、酒も飲まない。夫の方は勿論、妻しか愛していなかった。唯一の嗜みは一日一箱の喫煙だった。質素で化粧もしないが自然な優しさが滲み出る愛情深い妻だった。化粧をしなくても長い髪は魅力的だった。夫はしばらく煙草を止めて小銭を貯めた。たまにありつける、日雇い作業をしに外出した時、昼食代を抜いて我慢することもあった。二、三カ月前から僅かな小銭を蓄えて準備をした。妻には髪飾りを選んだ。
 お互いを思って贈ったプレゼントであった。しかし、妻の髪は短くなって髪飾りを付けられなくなった。夫も煙草を吸わないでいたのに、アンティークなタバコ入れをもらった。お互いのためにと買ったプレゼントだったが、その年は、両方に必要のないものとなった。>
 こちらは、無理やり気分転換しようと、スキーだってテニスだってしている。それは健康のための心がけで、Rと直接関係はないかな。でも、いつもRのことを思っている。生活していて、空白の時間があると、殆どいつもね。それで何か生産的になれたかなって言うと、それはないと思う。ただ独り身の寂しさからRを思うしかなく、対象として勝手にイメージをして、日常と幻想を混同しているのだと思う。
 ストーカーにならないのは現時点で文学が身近にちょっとでもあるからかな。調子がいい時なら書くことはできるんだ。パソコンの前に向かっていて、集中できる環境にあれば、何か書ける。官能や本能や感情を理性に転換して、哲学することが書くことなのかな。
 それとは別に、今の歳では、軽いものに成り下がってしまったものもあるんだ。音楽や絵画、演劇等の鑑賞をしたりすることよりも、日常生活の仕事に没頭している方が、精神的に健康だと感じられてきたんだ。歳を重ねるに従って、感覚が麻痺してきて、惰性的な日常に自分の住処を委ねて、安住してしまうものなのかな。
 現実の時間の中に、何も忘れて仕事に没頭していられる時間がある。ある仏門の人が言うには、その瞬間は死んでいる時間だと諭される。けど、規則正しい生活は、健康的であることには間違いないと思う。だから、生きていくことに楽観していられるのかな? そして、時々、スポーツをして汗をかくことで、身体と気持ちのバランスを取っているのかな? どうなのか良く分からない。
 どうも話が横道にそれる。文章を書いても喋っている時のようにどうしてか支離滅裂になってしまう。やっぱ、体育会系なのかな。どうもまとまらない文章になってしまう。あれも言おうこれも伝えようと思って、締まりのないものになってしまう。
<このことは思い通りにならない男女の仲を表す話だ。互いのことを思いやったのだけれど、役に立たないプレゼントとなった。相手を思いやる気持ちが物に結びつかなかった悲しい話だ。互いを思う気持ちが必ずしも理想的な結末にならない例だ。
 しかし、相手を思いやる気持ちは充分伝わった。物は一時的に役立たなくなった。が、物によって相手への思いは伝わった。プレゼント交換などは、物を媒体とした行為であったとしても、相手に気持ちは伝わる。物に交換できる金銭も同じような意味合いを持っている。そう解釈することでこちらの精神状態は保たれているのであろう。>
 今日、T駅でJR往復切符を買おうと、一応予定していたんだ。早く予約しておけば、駐車場の空きがあって、駐車料金が無料になるんだ。T空港は駐車場が無料だから、JRでも対抗してそんな駐車場の無料サービスを始めたのかな。このメールを書いていて時間が掛かりすぎて、駐車場の予約を兼ねてT駅に行く時間がなくなった。来週でも大丈夫かなと思う。明日はG県にあるTスノーパークにスキーをしに行くんだ。
 今は、三月三十一日。土曜日の九時になろうとしている。これから支社のある勤務地に戻るんだ。日曜日の朝早く、社宅からスキー場に向うためだよ。次はもっとまともな文章を送るから今回は我慢してね。
 あ、そうそう、プランがあったけど大したことでないんだ。車を使って温泉へは何度か行ったよね。楽しかったことの記憶、快楽脳の再履行と言う感じ。新鮮味ないもんね。プランはそんな感じで、プラン4.5.と派生していくだけだよ。
 本当の望みは肌の記憶をしていたいこと。食事みたいな感覚に似てないかな。一週間位は皮膚感覚が残るのかな。そんなものでも、何とか記憶に留めたいと思う。無理だと思うけど、外国に行っている間でも保てる位の記憶をね。この前、Rは体調が悪くて無理だったし…。
 食べる感覚に近いかな。食欲も性欲も食い溜めできないからこそ、常に求めるのかな。エロ親父の願望だし、もし聞いてくれたらという感じだから、前のメールではプランを詳しく言えなかったんだ。
 言ってしまえば、プラン6.あたりは、新宿にあるバリ島風のラブホに行ってみたい。いつもそんなことばかり考えていると言うだろうね。でも、Rとの間で、唯一のコミュニケーションの手段なのだと思う。それが、男女ならではの、親密さや信頼関係をつくれる、神聖な行為だと思うけどね。ぼくは性欲は強い方じゃないけど、こうやって続いたのは、男女間にエロスというものの存在があるからで、説明のつかない神秘に近いものだと、思っているんだ。−
…あちら側の者はこちら側の四角い物体から目を離した。<物には心的なものは宿さない。ただ心情を伝える媒体とはなる。と、あちら側の者も、こちら側の者も、同時に考えた。>あちら側の者は、四角い物体の端にある、ボタンを押した。こちら側の方は、あちら側から見て、消え去って、真っ暗な平面に戻ろうとしている。あちら側も、同時に消滅するのであろうか。…