...雨が降らず、真夏日が続く暑い夏だった。ある浜辺での光景だった。ぼくと彼女がいる場所から二、三メートル先の波間近くのシートに座り、若い三人の女が海の方を向き、浜辺に並んでいた。最初、後ろ姿を見た時、二十歳位に見えた。現代っ子は体格が良くなっているし、後ろ姿を見ただけでは判別できなかった。後ろの方からちらっと垣間見る横顔には幼さが残っていた。ぼくの感じでは女子高生位に見えた。
 三人とも肌が白かった。地元の北陸地方出身であることが何となく分かる。高校生らしいがスタイルがいい。後ろから見る限りは二十歳以上の大人に見える。実年齢は分からない。特別推測することもない。ただ、目の前にいたから印象に残っていただけだ。
 高温の夏、日差しの強い中で、ぼくの側には彼女がいた。彼女が側にいるだけの間だったが、長年染みついた独りぼっちの澱が、その時だけは消えていた。が、持ち前の観察眼だけは抜けきっていなかったので、目の前の現象を覚えていた。
 その女の子三人は海水に浸からないで、ただ海水浴をしている人達を見ていた。三人とも彼氏はいないのかもしれない。もしかして、その女の子の中には、付き合っている彼氏がいるかもしれないが、海に二人っきりで行くまでの仲になっていないのかもしれない。彼女達の各々の思いでは、きっと特定した彼氏と、海に来たいと思っているだろう。
 目の前の海を見ながら、将来の自分がそこに浮かんでいるだろう場面をイマジネーションしているのだろうか。何となくつまらなそうで、笑顔のない女の子達だった。小声では何かを喋っていたのかもしれないが、ぼくには、口の動きが無かったように見えた。だから、黙って彼女達は海に浮かぶ人々を見ていただけに見えた。ぼくは日焼けをしに行った彼女と、一緒に海へ行って来た。あの子達も日焼けが目的だったのだろうかと、後で思い出してみた。
 車を運転して海に行った。早く酔いを醒ますために、早い時間帯にビールを飲んでしまうことにした。浜茶屋に着くなりぼくと彼女は持参した缶ビールを飲んだ。浜茶屋の生ビールは何杯も飲めないだろうと、事前にコンビニで缶ビールを数本か用意していた。浜茶屋は原則、飲食物は持ち込んではいけないことになっていた。海の家のどこかに、飲食物の持ち込み禁止の張り紙がしてあった。
 堂々と缶ビールを飲みながら、張り紙のことを彼女に伝えたら、「こんな不景気な時にそんなことを咎めていたら海の家に入る人はいくなるよ」と彼女は言っていた。それはそうだと思った。ワンボックスやRV車が増え、車内空間が大きくなっているから、着替えなんかは特に不自由はしない。コイン式のシャワーさえ使えれば、海の家は必要ないかもしれない。家族でスキー場に行ってさえも、弁当は家で作ったか、コンビニで買った弁当を持って行き、車の中で飲食する人達が増えているそうだ。売り上げが減っていると、スキー場でレストランを経営する人からと聞いたことがある。倹約する為に似たような現象なのだろう。持ち込んだ缶ビールを飲むぼく達を見ていたとして、浜茶屋を使ってくれたことだけでも、感謝をしているだろうし、見て見ぬふりをしているのだろう。
 それでも、生ビールは飲みたかった。売店の生ビールを買いに行った。ジョッキは冷蔵庫で冷やしてないから、本格的な注ぎ方でなかった。近くの人が家族で経営しているのか、おじいさんがアルミ樽から生ビールを注いでくれた。時間が経つと冷たいビールでジョッキも冷える。ジョッキに水滴が付いてきて、生ビールらしく見えるようになった。
 浜茶屋の生ビールを、ぼくと彼女はそれぞれ一杯ずつ飲んだ。朝から台風の影響でフェーン現象なのか、一層暑い日だった。身体は動かしていないのに、ビールは朝から美味かった。彼女と一緒に飲む酒はいつも美味しく感じるのだった。その年の冬の終わり頃、彼女と一緒にグアムに行った来た。そのグアムでの光景を思い出した。浜辺沿いと言うよりも、外国なので、ビーチ沿いと呼びたい。ビーチ沿いのレストランで、ガンガンに冷えた瓶ビールを、ラッパ飲みした時も、特別美味いと思った。
 酔って気持ち良くなってから、浜辺沿いを彼女と二人で少し歩いた。少し間隔を置いて、数軒の浜茶屋が軒を連ねていた。一番端の浜茶屋まで歩いて往復した。浜茶屋に戻って持参した缶ビールを持ってきた。浜茶屋の前に備えつけのビーチパラソルの中に、缶ビールを持ち込んで、海を見ながら飲んでいた。彼女はぼくから離れて、ビーチパラソルの外に出ていた。ぼくは日差しが強いのでビーチパラソルが作る影に身を寄せていた。
 酔いが回ってきたのでぼくと彼女は浜茶屋に戻った。彼女は日焼けするために外に出ると言う。最初、彼女に「一緒に浜辺に出よう」と誘われた。暑さが気になってもう少しこのままでいるからと、外に出るのを断った。ぼくはしばらく酔いにまかせてごろっとしていた。浜茶屋で一人用の小さいシートを借りて、彼女は浜辺近くに肌を焼きに行った。
 潮風が心地良く、ありがたい気持ちになって、うとうとしかけた。でも、彼女が側にいないのが気になった。うつらうつらしながら考えた。久しぶりに彼女と会った。彼女といる時間は貴重だと思った。浜茶屋の中で寝ることは出来なかった。
 彼女のいる浜辺に行った。彼女は一人で肌を焼いていた。ぼくは彼女の側に寝ころがって添い寝をする格好になった。二人で横たわるには一畳程のシートでは狭くて窮屈だった。二人は身体を寄せ合い、仰向けになっていた。彼女は日焼けに専念していた。ぼくは土曜日には炎天下でテニスを行い、腕と脚の部分は真っ黒だ。しかし、テニスウェアの半袖に隠れた部分の肌は白っぽい。それとソックスを履いている足の部分も肌は白い。
 海水に浸かると肌が強くなるのだろうか。海水浴をすると風邪もひくにくくなると昔は言われた。海水の成分は人間の体液に近いことも関係しているのだろうか。昔から海水浴が身体に良いと言われるのには、何か根拠があるのか分からない。ぼくのソックスの部分は日焼けしないのか、時々、足の甲の皮膚が虫に食われたように剥がれることがある。顔面は油性質の肌なので、風呂に入れなかった時も洗顔は欠かしたことがない。それと真冬でも足を洗う。清潔を保っているのか、生まれてこの方、水虫になったことは一度もない。
 しかし、足の甲の肌が弱い。水虫かそれに類似した菌に感染しているのか、皮膚がそげ落ちる。その他の日焼けした部分は肌が強い。最近は紫外線が悪玉みたいに言われて、UVカットとかの商品が流行している。上手く日焼けすれば、肌を強くするのかもしれない。日焼けを伴う海水浴とかは、肌を強くするので、昔から身体にいいと言われてきたことは、正しいのかもしれない。手の甲は日に照らされている筈なのに丈夫で黒ずんでもいない。顔や腕や脚は炎天下で日焼けをするとすぐに赤っぽくなって、目立たない程度に皮膚が剥がれる。でも、手の甲は皮膚が剥けるわけでもなく、どうして白っぽいままで、皮膚が丈夫なのか不思議に思う。
 彼女は元々が色白で夏に日焼けをしても水着の後が冬まで残る。彼女の彼氏は東京の理工系大学を中途で退学し、日本の最南端の国立大学に再入学した。四年間、大学を卒業するまでいた。彼女の彼氏のいた県所在地は、全国的にも有名なリゾート地だったし、近くの島まで足を伸ばすと、透き通った海を売りにしているダイビングのメッカがあった。彼氏は卒業し、彼女が高校生の時に夏休み毎に往復していた南方の海へは行けなくなった。今は湘南辺りや近所のプールで、水遊びをしている。彼女は夏が好きだと言っていた。
 その年の夏、彼女は日焼けに特別に気合が入っていた。彼女は翌年に、大学を卒業しても就職をしないで、一年間オーストラリアに語学留学をすることを決めていた。彼女は親からの援助はなるべく抑えたいと思っていて、アルバイトに精を出していた。彼女は都会でアルバイトをしていて夏休みの帰省の期間は短かった。亡くなって一周忌を迎えるおばあちゃんの法事がなければ、実家には帰らなかっただろう。短い滞在期間の中でぼくと合いびきの時間を取ってくれた。金品の目的もあるが日焼けの目的もある。
 初夏に彼女と都会で会った時、新しい水着が欲しいと言うので、買い与えた。老舗デパートに特設された最新水着の特設売り場に行った。彼女と行くことがなければ分からなかったことだが、今の時代、必ずと言っていい程、試着室のところまで男が同伴している。そして、男に水着姿を見せる。殆どがカップルだと言っていい程だ。デパート内の特設水着売り場に女一人で試着している人は見かけなかった。平日の仕事帰りだったら、寄っていく女性もいたのかもしれないが、休日、一人では楽しくない場所に、わざわざ出かけないのかもしれない。
 若い女の子が溢れる程の来店客がある、ヤングカジュアルのブランド品の婦人服売り場へ、いつも付き添わされ、彼女から抵抗感もなく、無心される。毎回、場違いな所に来たという思いでいた。回りには、年格好が近く違和感のない男女のカップルがいる。水着の試着コーナーは中年男がいるにはもっと不釣り合いな場所で、格好悪い思いでいて、一層疲れた。いつも婦人服店を何店舗も回り、また元に戻る。そして、迷うのが楽しいのだと言うが、悩んでいても時間が掛かるだけだ。そして、彼女はというか、女一般なのかもしれないが、似合うという確信を他者にも求めようとする。結局、彼女の好みで決めただけの水着なのに、ぼくは「似合うよ」といつも最後の決断を促す言葉を添えなければ、ケリがつかないのだ。長い時間を掛けて彼女は水着を選んだ。その年の冬の終わりに、グアムに一緒に行ってきた時、身につけていた水着と、色もデザインも変わらないように見えた。新しく買い与えた水着も、同じ黒のセパレート式の水着で、前の水着とどこがどう違うのか、ぼくにはよく分からなかった。
 ぼくは、水着を買い与えても、一緒に海に行くことはないと思っていた。その年、グアムに一緒に行って来て、パラセーリングや水上バイク、その他にカヌー等、パックメニューになった海の遊びをして、リゾート気分を満喫してきた。海に関連した遊びで、グアム以上楽しいことはあるのか、疑心暗鬼でもあった。
 そして、その年の夏が来た。日焼けが主目的の彼女と一緒に海に行ってきた。浜辺のドライブコースの終着に位置して数軒の浜茶屋があった。ドライブコースがまだ先に続くような感じで、海岸線上に沿って伸びていた。ドライブコースを切断するように、浜茶屋が何軒か建っていた。浜茶屋と浜辺の間にも、細かい砂で固くなった道路みたいな箇所があった。海水浴シーズンが終われば浜茶屋が撤去され、ドライブコースは延長していくのもしれない。彼女はお盆のある週より早い帰省だったのは、法事の出席も兼ねて帰らなければならなかったからだ。彼女は実家に戻っていた。ぼくは夏休みの休暇を取っていた。
 ぼくはシートの上で、彼女と身体を寄せ合い、添い寝をしていた。一畳程のシートは狭く窮屈だった。身近にあるぼくの右手を彼女の手と重ねなければならない状態になった。手を握りたかったのでそうしたのではなく、必然的にぼくの手が彼女の手の上に乗っていた。ぼくの手が彼女の手に覆いかぶさるように握っていた。彼女は左右の手の焼け具合が均等にならなくなるのが気になるのか、ぼくの手を振りほどいた。逆にぼくの手を彼女の手が上から覆うように握った。そんなこと位で左右の手の甲の焼き方にムラがでるものかと思いながら、ぼくはじっとしていた。それほど、彼女は肌を焼くことに敏感になっていた。
 ぼくはしばらくの間、寝てしまっていた。顔にタオルを被っていた。日差しはじりじりと照りつけていたが、海の波音が直ぐ近くで聞こえ、彼女の側にいること自体が、心地よかったのかもしれない。
 そんなに時間は経過していない筈で、ぼく自身はうつらうつらしているだけのつもりでいた。後で彼女にいびきをかいていたと言われた。ビールの酔いが回っていたのかもしれない。生物は海から生まれた。海辺の波の音が潜在的意識の中で癒しにもなるのだろう。浜茶屋には半日程の短い滞在時間だった。夏休みを取って家族連れで来ている中年男性もいる。若者もいれば子供連れもいる。年齢層が平均化されていた。たかが海水浴場と思ってやって来た所だったが、寂しい男やもめのぼくにとっては、思い出深いミニリゾート地になった。
 なぜ、日焼けにこだわるのか理由があった。彼女は自分でも色白で肌が弱いと認識していた。彼女はオーストラリアに行ったら、日本と違う強い紫外線を受けて、肌が急激なダメージを受けるかもしれないと言っていた。特にオーストラリアとかの、オセアニア地域の南極に近い国々では、オゾン層が破壊されていて、皮膚癌になる比率が世界の中でも最も高いらしい。彼女の大学の語学教授で、オーストラリア出身の外国人がいて、腕の見ると、皮膚がボロボロらしい。彼女は実際に見て実感しているので、皮膚のことを真剣に考えているらしい。そこで、肌を慣らすための日焼けは、留学準備の必要なこととして、行っているらしいのだ。
 ぼくは日焼けを嫌っていた。ぼくはサングラスをしていが、それ位では強烈な紫外線の下では無防備だ。ひりひりする日差しに顔をタオルで覆っていた。いつも週末に行っているテニスでさえ、夏の炎天下では顔が赤くなり、しばらくすると黒ずむ。たぶん、その日も日焼けが影響するだろうと、予想された。一年中、テニスかスキーをしていて慢性的な日焼け状態だが、それでも、夏の日差しに肌が痛む。ぼくは面倒だし、ケアに彼女の日焼け用のローションを借りるつもりはなかった。彼女のように痛みを伴わなで、皮膚の皮も剥がさないように、こんがり健康的に肌を焼こうとする時は、頻繁に日焼け用のローションを塗りたくらなければならない。
 浜茶屋に着くなり、彼女の背中にローションを塗ることを、何もためらいもなく指示されたのには驚いた。普通は浜辺のビーチパラソルの中とかでひっそり彼氏にせがむものかと思っていた。浜茶屋の中、両脇の片方は家族連れ、もう片方は若い男女のカップルがいた。衆人監視の中でも彼女は全然気にしてないみたいだった。
 後の時間帯で浜茶屋で隣の席だったカップルが行っていた、ローション塗りの光景は正にぼくが思い描いていた正常な光景だ。
 彼女が浜辺で寝そべるためのシートを浜茶屋から借りている間、缶ビールを飲みながら、浜茶屋前のビーチパラソルの下で、さっきまで浜茶屋の隣の席にいた若いカップルを見ていた。浜茶屋で借りたのか、自分達で持参したのか分からないが、ビーチパラソルの中でじゃれ合っていた。男前の彼氏と、垂れ目が少し愛嬌のある顔だちの、若い女がいた。良く見ないと分からない程の贅肉が付いていて、健康的な身体つきだった。女は彼氏に日焼け止めローションを塗ってもらいながら「あっ、今、お肉摘んだでしょ」と若い女は笑いながらもう一度同じ言葉を繰り返し発し、キャツキャツと笑っていた。
 ぼくはサングラスをして黒いキャップを被り、黒いTシャツ、長めの黒の半ズボンを身につけていた。ぼくが浜茶屋前のビーチパラソルの中にいると浮輪やビーチボートの番をしている係かと間違われた。借りたいと男子高校生らしき若者に声を掛けられた。
 海水に入れるように着替えたが、海水用のズボンも運転中に履いていた半ズボンと丈はあまり変わらなかった。彼女から、着替え前と格好が変わってないと言われた。ただ、そのまま海水に浸かったままの半ズボンで帰る訳にはいかない。別の半ズボンにしていた。半ズボンの下は何も履いてないよう見えかもしれないが、実は競泳用のアンダーショーツを履いていた。
 日焼けをしているうちに汗をかいた。三人の女の子の前を通り、彼女と海水に浸かりに行った。黒いTシャツと半ズボン、サングラスをして年齢不詳の中年の怪しい男と、最新の水着を着ている胸の大きい女の子とのカップルだから、何かを感じて見て見ない振りをしているのかもしれない。彼女達にはどう見えたのだろう。
 前日までは日本列島のど真ん中に向かって台風が接近していた。その日は、彼女の帰省中に合わせて休暇を取っていた。台風の来襲までは予測していなかった。前日まで海に行くのは賭に近かった。海に行けなかったら、彼女は日焼けの目的が果たせず、がっかりしたことだろう。
 後で思うとその日はラッキーだった。台風の直撃を北陸地方は免れた。やや太平洋側の東北地方の海沿いに台風の進路は逸れた。その日も暑さは続き、日本海側は海水浴日和だった。波がやや高かったが、海水浴には支障がなかった。
 その海岸は遠浅だと彼女は言っていた。が、彼女とその年の冬の終わりに行ったグアムは百メートル以上も遠浅だった。それと比べるとぼくにとっては遠浅でない。彼女は湘南かどこか太平洋側の海水浴場と比べて遠浅だと言っているのかもしれない。
 そこでは、五〇メートルも行かないうちに足が海底から離れる。彼女は抱きついてきた。ぼくは波が押し寄せると同時にジャンプした。片足を踏ん張ると、ふくらはぎの筋肉が攣った。「足が攣った」と彼女に訴えて、少し浅瀬に移動した。彼女は喜々としていた。海水の温度よりは温かい彼女の体温が、直に伝わってきた。ぼくの一物は半立ちの勃起状態になった。昨晩飲んだ媚薬がまだ体内に残っているのだろうか? いや、インポテンツ気味のぼくであったとしても、彼女に限っては媚薬なしでも勃起する。
 三、四〇メートルしか離れていない場所に女子高生らしい三人がぼく達を見ていたかもしれない。女の子達はぼくの下半身の状態など、想像する由もないだろう。二人は抱き合っているように見えるだろうが、彼女にしてみれば、ぼくが丸太ん棒で、木登りのように繋がっているだけのことなのだ。それでも遠目には二個の頭が一つになっている様に見えるから、抱き合ってキスをしているように見えたかもしれない。
 彼女がぼくに抱きついていた。近くをゴムボートや浮輪に乗った子供たちが、ぼくたちに関心があるのかないのか、見てみぬ振りをしているのか、波に流されぼくたちに近づき、そして離れて行った。海水に浸かっている時間はトータルすると僅かであった。そのぼく達を三人の女の子達は見ていた。海から上がる時に、際立って色の白い一人の女の子の股間に目が行った。ぼくはサングラスをしているから視線はどこに向いているかは女の子達には分からないだろう。
 ぼくと手を繋いで海から上がる彼女にも、ぼくの視線がどこを向いているか、気づいていない。ぼくと彼女は一緒に浜茶屋から借りたシートに戻るところだった。三人の女の子達はぼく達の方を向いていなかった。ぼくは一人の女の子の股間を垣間見た。三人のうち特別色白だし、田舎育ちの素朴さが初々しく、飾らない自然の美しさに引かれた。水着であっても、アングル的にチラリズムがいいのだ。時としてもろだしの局部よりはドキリとするものだ。
 ぼくの視線が女の子の一人に向かった時の心理状態を後で彼女に喋った。視線が女の子に向かったことは、男性一般の行動を言ったつもりだった。だから、彼女は特に関心は示さず、問い詰めもしなかった。いつも、男の行動心理を伝えているし、男一般の行動パターンだということは彼女には分かっているだろう。たぶん、そんなことなどどうでもいいと思っているだろう。
 成人女性に近い高校生位の年齢の女の子を見ることなら何ともないことだ。ぼくが、女子児童の股間に目がいったと言ったら、きっと彼女は変態かと疑うだろう。そこまでの興味はない。でも、ぼくが彼女と、浜辺の女の子達と同じ年代の頃に会っていた時は、彼女に向かう興味の中に、若干のロリコン的趣味も含んでいた筈だった。
 ぼく自身の年齢は、彼女に最近まで明かさなかった訳ではない。だいぶ前から知っているものと思っていた。それでも、浜茶屋でくつろいでいると、何を思ったのか、知っているとばかり思っていたぼくの年齢を改めて聞いてきた。夏に入り、ぼくの勤務先の実名を告げた。それまでは、ずっと、彼女はぼくの勤務先名そのものに関心は薄かった。二人の間では「会社」とか「学校」と言う呼び方で自分の所在場所を言う。出来事や、人間関係のことを、想像力が及ぶような範囲で、話し合った。ぼくの仕事ぶりは、一般的な会社組織の中のこととして話すが、それでも、二人の会話に支障があった訳ではない。ぼくが、改まって勤務先を伝えたことで関心を示したのだろうか、良く分からない。
 ぼくと彼女は何年越も付き合っているのに、ぼくの会社名とか業種は言わなかった。強いて聞かれたら言うつもりでいたが、敢えて伝える必要もなかった。それに強いてぼくの方から言わない理由もあった。全くの偶然で不思議なことだったが、彼女の父親と同じ職種の会社だった。父親の仕事の内容はおおよそ想像できた。彼女の父親は支店長を経て関連会社に出向している。地元の関連会社の支社長に決まったので、本社に戻ることはなくなった。定年までか、定年後の延長雇用で在職することが決まり、転勤族の社宅暮らしから、父親の生まれ故郷の地元に自宅を構えた。だから、彼女が大学に入学する時に家を地元に新築した。バブル崩壊前の景気のいい時期に、ライフプランを立て、蓄財をしていたらしい。兄の国立医療専門学校は年間授業料は格安だったが、都会暮しの生活費支出に負担があるにもかかわらず、彼女の私立大学入学資金も家の新築資金も自己資金でまかなったみたいだ。ただ、今は世間全体がそうだが、給与水準が下がっている。兄と彼女の二人分の負担は家計に響き、母親はパートで働いていると言う。だから彼女は、せめて留学費用は自分で貯めようと頑張っていた。
 ぼくの勤務先は会社と言うだけで会話が成り立ち、強いて聞かれないからずっと言わなかっただけで、彼女と出会ってから五年以上経過して初めて勤め先を告げた。
 年齢だって二年前に知っているものと思っていた。その年のクリスマスに彼女が取得したばかりの運転免許証を見せてくれた。その時、ぼくの免許証も見たいとわがままを言った。後で考えると、あれは演技で、ぼくの実年齢を知りたかったのだと、回想することもある。彼女はディナーでワインをたくさん飲んで酔っぱらっていた。楽しそうで異様にハイテンションだった。
 本当に酔っていたのだろうか、酔った振りをしていたのだろうか、ぼくのショルダーバックや上着のポケットを探していた。そして、ぼくの免許証を見つけ出した。顔写真を見て変な顔と言って笑っていた。その時に免許証の生年月日は見ている筈だった。彼女にとってはぼくの年齢に強い興味があったなら、免許証の生年月日は記憶していた程だ。彼女にとっては年齢は大したことでなく、記憶になかったのだろうか。それとも、本当に酔っていて、ただ悪ふざけをして、免許証を探していただけなのだろうか。
 年齢は知っている筈だと思っていた。もう、忘れたのだろうか。あれは、二人の間に隠し事を取り除く為の演技だと思っていた。彼女は本当に生年月日を記憶していなかったのだろうか。クリスマスの日の行動を思い出すと、不可解だった。
 そんな彼女が何を考えているのか、浜茶屋でビールを飲み干し、一段落すると、唐突に、「何歳だっけ?」と、聞いてきた。浜茶屋の卓上テーブル越しに向かい合い、面と向かって年齢のことを切り出してきた。ぼくは答えるのを気にし、躊躇しているように、見えたかもしれない。ぼくが言葉に詰まっていると「そんなこと気にしてたら今まで付き合っていなかったよ」とあっさりと言った。
 彼女と付き合い、数年も経った。ぼくは回りくどく答えた。「六本木のライブハウスに行ったじゃない」と切り出した。その時、一番好きなジャズギタリストが出演していた。そのミュージシャンはステージ上でコメントを述べた。「先日誕生日を迎えました」と言った。「二十五歳の時、誕生日前後のコンサートで『四半世紀生きてきました』と言っても、冗談が通じました。でも、今度の誕生日で、先程のように『生まれて、半世紀経ちました』と言いましたが、冗談にならなくて、何か本当に長く生きてきた感じで、つくづく感慨深いものがありますね」と言った。六本木でのコンサートを思い出させて「ほら、あのギタリスト、ぼくと同じ年だと言ったじゃない。そして生まれてから半世紀経ったと言ってたね。あれから三年目だし、年齢は分かるだろう」とぼくは言った。でも、何で改めて年齢を聞いてきたのだろう。偶然にも彼女の父親と同じ職種の会社だったことが関係しているのだろうか。しかも、ぼくと彼女とは同じ生まれ月だ。偶然が重なる。
 同じ月の生まれ位では驚かない。別の女の子とも援助交際で会っていた時期があった。今ではその女の子とは音信普通となっている。その女の子は誕生月ばかりでなく、誕生日の日まで一緒だった。不思議だったなあと思った。彼女は「バイ」だと言った。「『バイ』って何?」と聞いた。バイリンガルからきた造語で、異性とも同性とも交わることができ者のことを言うらしい。その女の子は、兄とも小さい時に性行為みたいなことをしたことがあると告白した。とても、正直な女の子だった。おじさんが亡くなった時は落ち込んでいた。ひょっとしておじさんとも性関係があったのだろうか、ぼくの想像は拡がるばかりだった。