私の目の前に新しいノートがある。私は今、そのノートを開くところだ。

・夢ノートについて
 これは夢ノートである。厳密に言えば、どんな夢を見るのか、事前に準備するためのノートである。このノートの冒頭のページにただし書きを記しておく。メモ書き程度なら、手帳でもいいのだが、何かの拍子に長く書くこともあるだろう。そこで、ノートに書くことにした。大は小を兼ねている。B5版サイズのノートがちょうどいい。ここが、書き始めのページとなる。
 さて、このノートに記録しようとした動機から書いてみよう。誰でも夢を見られるという「アイマスク」というものに興味を持った。個人輸入代行業者に頼んで、取り寄せの依頼をしたばかりだ。もう直ぐアメリカから国際貨物便で自宅に届くことになっている。アイマスクは安眠用のスリーピング・マスクに簡単な仕掛けをしただけの器具だ。アメリカでは、ホームセンターでも売っているらしく、ゲーム機感覚で夢を見ようとする人々がいるらしい。
 取扱説明書があるなら、英語で表記してあるだろう。高額商品ではないので、スイッチの入れ方とか、最低限の操作方法しか書いてないかもしれない。仮に、細かい取扱指示が記載されていたとしても、困ることはない。今は便利な時代になった。英語が読めなくても、スマートフォンを英文にかざして、撮影するだけでいい。アプリケーションソフトが英文を和訳してくれる。アイマスクの取扱そのものに関してはさほど心配していない。
 ある月刊誌にアイマスクを使用した人達の体験談が載っていた。夢を自在にコントロールできるらしい。本当だろうか? どんな夢を見るのかは、個々人で違うのは当然だ。各人の環境や精神的な外圧から、深層心理へと、複合的な要素が絡んで夢に影響するのだろう。各人の思想や意識と同じく、夢は千差万別だ。夢は類型的なものがないと思いたい。
 アイマスクは、実験段階で用いた機器から、転用されたものだという。アメリカのある研究機関が人間の夢について実験をしている。ビッグデータや、高性能コンピュータを利用して、どんな条件が揃えば、どんな傾向の夢が見られるかを、系列的に分類できるように、研究を進めているらしい。将来は、夢を系統立てて見るための、方法論が確立するかもしれない。アメリカの他の大学や研究所でも実験中であり、そのうち学術論文にまとめられて発表されることだろう。
 夢なんか見たことがないと言う人がいるらしい。そんな人はごく少数派だろう。たいていの人間は夢を見る。しかも、夢を見ない日があっても特に支障はない。だから、わざわざ自分好みの夢を見る必要があるのかということだ。各人が見る夢は受動的なものだ。どんな夢を見るのかは全く予想がつかない。たいていの人達は、事前に見る夢を選ぶことができない。アイマスクに習熟すれば、夢をコントロールできるらしい。ただし、現段階では、出てきた夢に対してだけ、コントロールが効くらしい。冒頭から恣意的に夢を発生させるまでには、なっていないらしい。まだ、開発段階に留まっているらしいので少し安心している。
 アイマスクの体験談によると、初心者でも直ぐに夢を見られるという。慣れてくると、出てきた夢を自分の意志で変形できるらしい。ただ、自分で見たい夢を最初から選べないらしい。だが、何にでもマニアックで凝り性な者がいるものだ。夢の発生時から自由自在に操ろうと、アイマスクの操作を極限まで鍛練しようとする者が出てくるかもしれない。自分の見たい夢を任意で発生させ、操れる能力を持った熟練者が、そのうち現れるかもしれない。そうなると、夢が暴走しないかということだ。さらに言えば、精神に異常をきたさないかという点だ。今のところ、精神に悪影響が出たという事例はないらしい。
 今は、まだアイマスクを試していない。アイマスクを使用していない時点での、意識を記録しておきたい。自分の意識の立ち位置を、ハッキリしておきたいのだ。これから先、意識が変わらないことを願っている。しかし、万が一ということもある。基軸となるものを持っていたい。現時点での、自意識の標章として、このノートに記録しておく。

・追記 夢ノートについて
 この前、図書館に行ってきた。雑誌コーナーに立ち寄った時のことだ。ある科学雑誌の中で、夢に関した記事が載っていた。今は開発途上らしいが、科学の進歩は予想以上に早い。懸念していたことが現実となりつつある。その記事の概要だけを書いておこう。
 脳内に占める、主観的である意識の量を、数学的に表現できたらしい。そして、その意識に関しての、数式が確立しつつある。その数式に基づいた信号で、脳に刺激を与えるのだという。脳に、数式からなる一定パターンの刺激信号を与えることで、夢に応用することが可能だという。実験成果は確実に進行していて、夢を任意で見られる確立が高まっている。
 望む夢を見られるようになると、その中でどんなことでもできるのだろうか? 夢の中だけで、世界の王となり、支配者となるだけならまだいい。夢の中では、殺人を犯したり、児童に対しての性的虐待を行ったとしても、罰せられることはないのだろうか? 麻薬摂取時の快楽を得て、幻覚などを体験することができるのだろうか? そんな夢物語のようなことが、果たして実現するのだろうか?

・君は今、こうやってノートに書き始めている。そうすることがここでの発端となる。
 もしかして、君の頭の中だけに存在していたのかもしれない。君がこれを書くことによって、頭の中から抽出された話が始まる。君は自分の話を聞いてもらいたくて、これを書こうとしている。これはその時の記録でもある。君はもう還暦を過ぎているであろう。一見したところは五十代前半に見える。君の人生の経歴と言うと……、いや、そんなことはどうでもいい。その部屋には窓が無い。閉塞感を解消するために絵が飾ってある。君は机の前にある抽象画に見入りながら、椅子に腰掛けている。
 ある事情があって、君は君の体験談を記録することになった。聞いた話を忠実に記録しようとしている。これが、この文章である。ある建物の部屋の中でこれを書いている。君は書いている途中で、思い出すと気持ちが昂ってしまうのか、ときどき手に持ったシャープペンシルを宙にふらふらさせることがある。君はこのノートの記録が虚構であることを立証することもなく、ここでの記述に専念しようとしている。
 語ったことを正確に記録するつもりでいる。そして、このノートを、ある建物の中に置くつもりでいる。そこは、とても奇妙な場所だ。そんなところがあるのかと疑う人がいるかもしれない。T県T市大町の路面電車の停車場から十分程歩いたところにある。そこにこの記録が本当にあるかどうかを確認するために、尋ねて行くかを決めるのは、これを読んでいる人の自由だ。紙製のノートにすぎないのだが、ここに、君の話の記録が書かれることになっている。

・いずれ君は、その建物を見付けることになっている。ある夜のことだ。君はコンビニに買物に行く。
 君はコンビニをあまり利用しない。普段は商品の種類が豊富で、価格の安いスーパーマーケットを利用している。夜も遅くなった頃のことだ。入浴後に冷蔵庫を覗くと、買い置きの缶ビールが、なくなっていることに気付く。そこで、少し離れた場所にあるコンビニに車で向かう。ついでにコンビニの雑誌コーナーで立ち読みをして、気にいった週刊誌があれば買うつもりでいる。
 街に行った時、たまにコンビニを利用することもある。まれに、近隣地区にあるコンビニを使うこともある。そこのコンビニは自宅から近いのだが、街とは逆方向にあるので、利用する機会が少ない。今回、そのコンビニのことを思い出す。酒好きの客をターゲットにしているらしく、多種な酒の銘柄と、つまみの数が多い。そこがコンビニになる前は酒店だった。オーナーが元酒店の店主だったとしても不思議ではない。そして、君はそのコンビニに向かう。そのコンビニがある辺りへはほぼ一カ月ぶりに行くことになる。目的地辺りに近づくと平屋で長方形の建物がある。その建物の前の駐車場には車が一台も止まっていない。そこら辺りに何度も行き来していたので、コンビニの場所を間違えることはない。コンビニは出店するのも早いが客数が少ないと直ぐに廃店となる。そこにあったコンビニは来店客が少なかった。だから、そのコンビニが廃店になっていたとしても、君は驚かなかっただろう。
 コンビニ名が表示された大きな看板と鉄柱がなくなっている。そこにあった筈のコンビニが廃店になったらしい。建物の外形はコンビニである。その建物の中を煌々と照らす明かりが、大きなガラス窓を通して、容易に見ることができる。その建物内の棚の全てに紙の束のような物が並んでいる。コピー機は以前と同じ位置にある。大型冷蔵庫や食品棚のあった場所が本立てに換わっている。パンが置いてあった棚には紙の綴りが平積みになっている。いろんな商品が置いてあったところが、何も置かれないままで、平らになっている。内部のレイアウトを見る限り、廃業したコンビニの店舗を買い取って、書店に改装したように見える。コンビニが本屋になってもおかしくない。夜も遅いのに、照明が明るく燈っているので、客を拒絶しようとする気配がない。そこは、客層が限定される、夜間営業のアダルト専門書店でもなさそうだ。君にはまともな書店のように見えている。
 せっかく、その辺りまで来たという気持ちがあったので、雑誌が置いてないかを聞くために、君はその建物の中に入る。ドアを開けて中に入ると、コンビニでよく聞くチャイムが鳴り響く。以前、そこに寄った時は窓際が雑誌コーナーだった。コンビニの雑誌コーナーは窓際が殆どだ。外から、立ち読みをしている客が見えることで、立ち寄りやすさを狙っている。明かりが煌々と点いている。建物内には誰もいない。さっと建物の中を見回す。コンビニのままのレイアウトが残っている。コストを掛けないで店舗を改装したような造りで、コンビニだった時のレジがそのまま置かれている。店の関係者がいるとしたら、レジの後ろ側にある、事務所にいるかもしれない。君は防犯カメラで監視されている。店内に人がいないから、落ち着かない気分でいる。建物の中に、入ってしまっているので、不審者に間違われたくない。それでも、雑誌があるかを確認するだけならいいだろうと、君は窓際の方に向かう。
 雑誌コーナーだった場所には、いくつもの刊行物が並んでいる。モノクロの単色刷りの綴りで、官報というか、公的な刊行物のように見える。それぞれ、ある種のレポートみたいな印刷物で、図書館の新刊本リストを連想させる。君には何か専門分野の刊行物を取り扱っている店のように見えただろう。君はその時、もっと冷静に考えるべきだった。そんな特別な専門図書を取り扱う書店は、深夜近い時間まで営業していない。君はその建物を一般書店と勘違いしている。君はそこの建物の中を見渡す。それぞれの書物に彩りがない。陳列されているのは、表紙が色付されていない印刷物や刊行物が殆どで、単行本らしきものは置かれていない。その建物は、君が予想していたところではない。

・君はその建物で、その男と出会う。
 その建物の出入口前にレジがある。だから、何かを販売している店だろうと思うのは当然だ。刊行物か何かが置いてあるだけで、雑誌の置いてある場所が見当たらない。ちょうどその時だった。ドアの閉まる音が聞こえる。振り向くとドアとレジとのあいだに小さな事務用のテーブルがある。その席に店員らしき男が座り、ノートパソコンを開こうとしている。客の方を向かない男に対して、君は心もとなさを感じている。
 誰かがいたら聞いてみるつもりだったので、君は思い切って話し掛けてみる。
「雑誌コーナーはどこにありますか?」
「雑誌? 申し訳ないが、うちには置いてないんだ」
 パソコンの画面に向かいながら、その男は君に対して横柄な口のききかたをする。周りには書類が束で置いてあったり、他にファイルや薄いノートのような物が、何冊も並べて置かれている。だから、君にはまだ書店に見えている。そこで、建物内のことについて、質問をしてみる。
「周りを見ると、普通に置いてあるような単行本が見当たらないですね。よく分からないような出版物が置かれてます。聞いてみますけど、ここは本屋さんですよね?」
「取り扱う品目としては、書店に近いかもしれないな。ここには特化した分野のものを置いている。印刷物でも、ジャンルや目的が違う。見てのとおり、この建物はコンビニだったので、ここに入って来る人から、たびたび雑誌を売ってないのかと聞かれる。そこのレジが、前と同じように置いてあるから、紛らわしいのかもしれない」
「そうでしたか、せっかく入ったのに残念です。こんな夜遅くまで開いているのに、なぜ、普通の本屋さんのような雑誌を取り扱わないのですか」
「取り扱うのは主にプライベートな書物かな。ある分野の展示コーナーだと言っていい。今どき珍しい、手書きのままで展示してあるものもある。人の好みによるけど、中には面白い読み物もある。ここだけの話だが、週刊誌のゴシップ記事より生々しいものが書かれている。ただ、ここで取り扱っている書物や出版物は、売ることが目的ではないんだ」
 男はパソコンの画面から目を離して、やっとこちら側を向く。その男を初めて見る。前のコンビニに関係した者でないことは確かだ。だが、どこかで見たことがあるような顔だちなのだ。
「出版物を置いてあるのに販売を目的にしていないなんて変ですね」
「詳しいことを話せば長くなる。ここでは紙ベースの媒体を陳列しておくことに意義がある。発表の場を提供しているといったところかな。ここに直接持ち込む人や、インターネット経由でデータを送ってくる人もいる」
「でも、夜中に店を開くのも珍しいですね」
「それにも、訳がある。陳列場所が24時間、いつでも開いていることに意義がある。深夜や早朝でなければ活動しないという執筆者もいる。今、手が放せないのでこれを見てほしい。ここで取り扱う内容をまとめた小冊子なんだ。無料の広告冊子みたいなもので、ホームページアドレスも載っている。これを読むといい」
 男はパソコンのあるテーブル席から立ち上がる。レジの横にあるパンフレット立てから、小冊子を抜き取る。面白くないようだったら、読まなければいいのだ。無料なので、断る理由もない。その小冊子を君は素直に受け取る。
「どうも」
 そう言って、君はその建物から出る。

・君はその小冊子を自宅に持ち帰ることになる。忘れ掛けようとしていた小冊子だったのだが、程なくして読むことになる。
 その建物を出て、自宅方向に戻り、別のコンビニに向かう。少し迂回するかたちになってしまったのだが、車での移動だったので、大した時間は掛からない。先ず、週刊誌の立ち読みをする。芸能人や政治家のセンセーショナルな目次ばかりが目立つ。あまり興味がわかなかったので、缶ビールとつまみだけで、週刊誌を買わないまま、君は家に帰ることにする。
 翌日が休日で特に予定もない。夜更かししても大丈夫である。深夜に放送しているテレビ番組を見ても面白くない。そんな時は、本棚に置いてある単行本ではなくて、軽い読み物があれば良かったのだ。しかし、手元に雑誌類はない。君は週刊誌を買わなかったことを後悔する。コンビニのレジ袋からビールとつまみを取り出した時だった。レジ袋の隅に、小冊子があることに気付く。あの奇妙なところでもらった小冊子だと気付く。何気なく手に取って、小冊子を開いてみる。小冊子は会社案内のようだ。最初のページには会社の概要と代表者の顔が載っている。代表者はMとある。あの建物の中で横柄だった男である。その男が代表者になっていて、あの建物の中で小規模な会社を営んでいるらしい。
 小冊子にはその会社の取り扱う商品が載っている。案内文によると、その店は「アイマスク」という商品の、個人輸入代行業をメインの業務にしている。ハッキリ意識を残したまま見る夢のことを「明晰夢」と言うらしい。その明晰夢を見るための器具がアイマスクであるという。そのアイマスクで明晰夢をコントロールできるらしい。アイマスクそのものは規制なく輸入できるらしい。国際荷物扱いの取り寄せでも、高額ではないとある。日本ではまだ知名度は低く、普及していないという。小冊子に出ているアイマスクはちゃちな形をしている。PR用の小冊子に書いてある内容は自社に都合の良いことしか書かれていないものだ。夢を見ることを商売にするなんて、何かうさん臭さを感じる。君は掲載されている小冊子の内容を疑う。
 会社案内の大体の概要を読み終えた時、君は小冊子の中で紹介されているアイマスクが気になりかける。小冊子にはホームページアドレスが載っていた。酔いが回っていたので、パソコンを立ち上げるのが面倒に感じる。かわりにスマートフォンで会社名を検索してみる。同じ会社名がいくつか出てくる。「アイマスクの個人輸入はM商事」と出ていたので、その会社のホームページだと分かる。小冊子とほぼ同じ内容の記載である。ただ、所々の個所が、内外の研究機関にリンクされている。注釈の学術用語を解説する形となっている。リンク先が学術論文なので、一般人には読みづらい。君は酔っているので、視線を定めるのが難しくなっている。細かい文字が読み進めなくなって、活字を目で追うのが辛くなる。明晰夢なんか見てどうするのだ。効果があるのかも疑わしい。心の中で無視しようとするのだが、逆に興味がわいてくる。
 酒の影響で、君は心地良い酔いを感じている。そのまま寝るつもりでいたのだが、久しぶりに活字を目にしたせいか、頭が冴えている。つまみだけを残し、缶ビールは既に飲み干している。翌日が休みなので解放感があった。そのせいか分からないが、君はもっと酔っぱらいたいと思う。酒を飲んでいるので車の運転ができない。ふと、安いウィスキーが置いてあることを君は思い出す。不味いのでソーダ水で割らなければ飲めないような代物だ。あいにく、ソーダ水のストックがない。そのうち、誘惑に負けてしまい、普段は飲まないウィスキーを口にする。安物のウィスキーは水で薄めても不味いだけだ。氷を大量に入れ、冷して飲むと苦みが消える。ロックで安ウィスキーを飲むことになる。強いアルコールで舌が麻痺していく。アルコール度数の高いウィスキーが、寝酒とはならず、気付けになる場合がある。酔ったまま、テレビ番組を見る。どのチャンネルに変えても面白くない。テレビを切り、ラジオの深夜放送を聴くことにする。時々流れる昔の流行歌を懐かしく聴く。翌日は出掛ける先がない。寝つかれないからといって焦る必要はない。心地よく酔ったままで、君は佇んでいる。目覚めているようで、うつらうつらしていて、なかなか眠りに落ちないでいる。

・君は酔った状態で、ベッドに横になりながら、不思議な建物のことを想う。
 夢を見ることに何のメリットがあるのだろうかと、君は考えている。夢を体感したとする。夢から覚めて現実の世界に戻っても、何も残らない筈だろう。夢の中では視覚で感じることが殆どだ。音が混じっていることもたまにあるだろう。嗅覚、味覚、触覚に関連した夢を見た人の話はあまり聞かない。ひょっとして、自分が体験していないだけで、視覚以外の夢を見ることも、まれにあるのかもしれない。怖い夢を見たと言う人もいる。凄く爽快だったり、特殊な世界だったり、夢にはいろんなタイプがあるのだろう。夢をコントロールするメリットはあるのだろうか? 怖かったり、後遺症があるような夢を見るのはごめんだ。現実ではなくて、夢だからこそ安心な場合もあるのだろう。どんな荒唐無稽な夢を見たとしても、そこが夢だからこそ、元の現実に戻ってこられる。無害であるという前提があるからこそ、夢を見ていられるのだ。
 もし、コントロール可能な夢を見られるとしたら、どうなるのだろうと、いろんなことを考えているうちに、危ないものではないのかと、いぶかる気持ちになる。そう思うにつれ、アイマスクの存在が大きくなる。アイマスクとはどんなものなのか、君は知りたくなる。
 もし、自分の見たい夢が現れたら、どうなるのだろう?夢の中は、明らかに背景が現実と区別できる、ゲームのような仮想空間ではない。仮に、夢だと事前に分かっていたとしても、夢の中はリアルな場面が具現化している世界ではないだろうか? 夢を見ているあいだは夢だと思っていない。夢の中の超常現象を見てしまうと、現実に満足しなくなるのではないだろうか? 夢が現実を忘れさせ、そのままでいたいという、慢性的な中毒症状にならないだろうか? 君は自分の頭の中で様々な想定をしている。
 朦朧としているのだが、眠りには落ちていない。君自身は、目覚めているのか、寝ているのか分からない状態でいる。君はアイマスクを体験したことがないので、どんなものか分からないでいる。コントロール可能な夢がどんなものか、頭の中で想像している。君の頭の中でイメージ操作している現在の状態が、コントロールしている夢を見ている状態に近いかもしれない。そして君は、酔ったままで、浅い眠りにもついていない。夢を見ているのだと、勘違いしている可能性がある。そして、君の頭の中で、コンビニのような建物に入る自分の姿をイメージしている。

・その建物に尋ねて行った時のことだ。その建物内の部屋に、君がいることになっている。
 そこには原型となる実在する部屋があったのかもしれない。あるいは、単なる頭の中の想像された部屋なのかもしれない。その部屋に君がいて、その中の状況を語ることで、自分の中のイメージを説明している。現実上のことなのか、想像上のことなのか、ハッキリしないまま、君は今、そのことを自分の体験談として語っている。
 これは君の記録でもある。コンビニのような建物の中に、君の記録が置かれることを前提としている。君の体験は事実に基づいていないかもしれないが、記憶をありのままに記録している。そして、君から聞き取った記録が、ノートとしてコンビニのような建物の中に陳列される。そんなことを君はイメージしながら、これを書いている。
 君は途中途中で、記録後の紙面を読み返している。ここまで読み返してみて、重複している部分がかなりある。ここまで、だいぶ文章を削除している。削除した部分が、夢なのか、妄想なのか、あるいは現実なのか、判断がつかないでいる。しかも、まだ重なる部分が多く残されている。君は認知した出来事を、幻想のままで、整理できていない。君はこうやって語っている段階で、既に当事者になり、既に関わっている。夢の中に虚言と願望が混在する。そして、過去に見たことのある予知夢までもが含まれている。あるいは残像の蓄積が変形されて、錯覚された記憶となる。そして、類推や代替の効かないイメージに達する。果たして、記憶を正確に記録できているのだろうか? これを書き終えるまでの時間認識は相対的なものとなる。終わりまで、終わりはない。君は見ていない筈の夢を見ている。コントロールできない夢なのに、取捨選択された結果にしている。君は記録をしているようで、残すものはない。曖昧な状況が夢だとする。ならば、それらの被写体が、存在しないことを、証明しなければならない。君はそうしないから、そうならない。

・夢への投影は、小冊子を自宅で読んでいた頃から続き、君はコンビニ風の建物の中にもいる。そこで君は、アイマスクの取り扱い方を聞くことになる。
 操作方法は簡単だ。スイッチが入ったらそのまま横になっていればいい。取り扱いというよりは、環境に慣れる心構えを、男から教えてもらう。部屋にはベッドが用意されているだろう。室温が適温であり、心地よい眠りに入れるような環境にある。本当に夢をコントロールできるのか、君は半信半疑でいる。
 夢の記録を公にするために、書店のようなものを君の中につくりたいと想うのだ。執筆者としての君が、夢の体験を記録してくれる。そして、記録ノートとして陳列する。そのためにこれを書いている。コンビニだった時は、冷蔵庫の後ろ側で、清涼飲料水入りペットボトルや、酒類の入った缶やビンを、店員が補充する、バックヤード部分だった。コンビニは改装される。冷蔵庫の店内側の部分は本棚になっている。コンビニの商品を補充する、後ろ側のスペースが、夢を記録するための部屋となる。窓がなく、閉塞感のある部屋になる。その部屋にベッドや机がある。
 夢をコントロールできるまでになっているのか? 夢を見ながら、夢をコントロールしてみる。邪魔なので、夢の中で出てきた部屋から、ベッドを消去する。目前の光景を、映画のスクリーンを見るように、ただの傍観者として見ている。夢をコントロールすることよりも、そのうちに醒めるものであってほしい。夢の中では、ほんの少しの自己実現があればいい。超現実的でビジュアルな映像が、目の前で展開されても、そこは論理で解明できるものではなく、単に象徴的な意味しかない。
 あのコンビニ風の建物の中にいた男から、特にアイマスクを薦められたわけではない。それなのに、段々と夢の存在が膨らんでいる。そもそも、深層心理的な動機を、夢で判断する目的はない。自分自身の夢を信用していない。それなのに、君は夢に至るまでの過程を気に掛けている。

・男のいる建物の中で、君はアイマスクのことについて、質問したことになる。そこにいる男とのやり取りが書かれる。同時に君は記録するために、自分自身を登場させている。とにかく、配慮しながら、君は君の言葉を記録しているところである。
 個人輸入でアイマスクを購入するにあたり、その建物内にある事業所の、代表である男に質問してみた。アイマスクは大した金額ではない。子供用のおもちゃでも、もっと高額な商品がある。効果がなければ値段相応なもので済まされる。ただ、アイマスクという器具によって、弊害を受けないか、心配だったからだ。
 君がそこに行くことによって、体験者が増えてくれることを、代表は望んでいる。代表は、口コミ情報から、インターネット上での、SNS拡散をもくろんでいる。だから、代表は世間での風評とかも気にしている。アイマスクの感想を書いたこのノートを、その建物の中に置くことを代表に伝えるのだ。すると、代表からは、親身になって相談に乗ってくれることになる。
 あのコンビニのような建物の奥の方に事務所がある。事務所内には簡単な応接コーナーもある。その部屋に迎えられた時、君の質問に対して代表は嫌がる素振りをしない。その時の代表とのやり取りを想い出す。代表の横柄さは、依然として変わらない。
「人間の『意識とは何か』を研究するにあたって、大きな手がかりになると考えられてきたのが『眠り』なんだ。万人が毎日、夜になると意識を失っている。そして全ての人が目覚めると同時に意識が蘇る。考えてみると凄いことじゃないかい?」
 代表は君の視線の反応具合で関心の度合を見ている。
「その眠りのあいだ、つまり意識と無意識のあいだで人は夢を見る。夢は臨死体験に非常に近いと言われていて、意識とは何かを考えるのには、一番いい研究材料なんだ」
「それは現代になってからの話ですか?」
「そう、これまでの『夢の科学』は、フロイトやユングなどからの、後継研究でしかなかった。つまり、夢を見た人の語りをもとに分析していたわけだ。だが、夢を見た後の、記憶を頼りにした事後の研究では、確実性がないことになる。科学的に解明しようとするなら、夢を見ている最中に、被験者自身が『夢を見ている』状態を、リアルタイムで研究者に報告し、その人のいろんな生理的、心理的な状態を辿っていくことが求められる。そんな研究方法は現実的に難しかった」
「そうですか。最近になってそれができるようになったのですね」
「そうだ。一昔前まではリアルな夢を科学の枠に入れることは、困難だった。その壁を突破したのがアメリカのR博士だ。博士はどうやったら夢や意識を科学的に研究できるかを常に考えていた。ある実験から、博士自身の夢が操れることに気付いた。それが、『明晰夢』研究の始まりとなったのだ」
「夢の研究が『明晰夢』と、どんな関係があるのですか?」
「夢を見ている時に、『これは夢ではないか』と思ったり、『これが現実であるはずがない』と思うことがある。簡単に言えば、『自分が夢を見ている』と分かる夢が『明晰夢』なんだ。R博士は試験対象者と事前に約束した一定パターンの眼球運動を合図にした。眠っている途中に『今、明晰夢を見ている』と研究者に伝える方法を考えだした。夢の研究はこれまで科学になりようがないと思われていた分野だった。R博士は夢を科学の対象にした功労者と言っていい」
「そうなんですか? その研究はどこまで進んでいるのですか? それがアイマスクとどういう関係があるのですか?」
「今ではこの方法論が世界的に認められて、R博士の理論を元にしたアイマスクが売られている。そのアイマスクを用いることによって、誰でも明晰夢を見ることができるようになったんだ。アイマスクは単純な仕掛けで作動して、構造も簡単だ。明晰夢を見るために、アイマスクで強引に眠りの浅い状態に持っていく」
「そのアイマスクによって、いつでも明晰夢の状態に導くことができるようになったのですね」
「そうだ」
「少し、分かってきました。ただ、不安があります。夢と現実を行き来するうちに、夢なのか、現実なのか、分からなくなってしまいませんか?」
「案外、単純な解決策がある。夢か現実かの違いを判別する方法として、コマを回すんだ。コマが回り続けたら夢、止まったら現実だと判断するんだ」
「なるほど、そんなことでいいのですか。簡単なものですね」
 あのやりとりは何だったのだろう、と君は思う。そもそも、あの場所があったのだろうか? 見聞きしたことは本当だったのだろうか? それでも、それらのやり取りが記憶の奥に残っている。定かではない感覚なので、夢ではなかったのかと、君は思っている。
 君は導かれるようにアイマスクを試したことになる。そして、夢をコントロールできるようになる。夢を見ているうちに、目の前の光景が、夢であるかどうか、分からなくなってくる。それが、今書いているこの部分なのだ。現実に戻れるのだと、その男に言われたようである。だが、その夢の中の、その発言自体に現実味がない。夢の中でのやり取りだったかもしれない。

・君が直前に見た夢の中の光景も怪しい。
 夢の中のことだったのかもしれない。あの建物の棚のある印刷物は何だったのだろう。君は夢の中でなぜ記録を取りたかったのかと振り返る。それは、明晰夢が見られるかもしれないと想像し始めてからだ。夢にこだわっているわけではないし、内容や結果に興味があったわけではない。ある国のどこかの場所で、夢がコントロールされているのだと思った。君は自分の夢を、深く分析したり、追求するつもりもない。それでも、君はこの紙面上で記録するのだという。夢という、かたちのないものを紙の媒体物に変換しようとしている。
 ある時、君は変な夢を見た。夢だと分かっているから不安はなかった。あの建物の中でのことだった。ある意味では説明のつく光景だった。そんな、見たままの光景を書こうとしていた。その書店の中には、紙の媒体が主体である。そして、夢を見た後の体験記録が置いてある。君はコンビニのような建物の中にいる夢を見た。その夢を選ぶにあたり、潜在的な欲求がある筈だ。夢の中で冷静に自分を振り返っている。記録に専念できる部屋を確保したいと思っている。そこで、君は頭の中で部屋をイメージする。以前、コンビニだった建物の空きスペースの一角に、部屋をこしらえてみる。頭の中のイメージと重なる。
 その部屋で独自の夢を記録してみることにした。書き残すには紙の媒体で良かった。例えば、ノートにシャープペンシルで書くだけでもいい。実際、その部屋の棚には手書きで記録されたノートも置かれていた。その時点まで、本棚にあるものが、他人の夢なのか、君自身のことなのか、記憶がハッキリしていない。見てしまった夢なのか、これから見たい夢なのかも、分からない。君はその棚にあるノートの一冊を取り上げて目を通してみる。その時、君自身の筆跡であることに気付く。ノートの中で述べている体験談が、今語っているこの文章なのだ。ここの一節も記録として書かれている。そして、記録のままに夢の中で行動していたことになる。そうして今も、こうやって君が頭で想う部屋の中で展開されている。その部屋に閉じ籠もって、外界と遮断された中で起こっていることが全てなのだ。そうせざるを得なかったし、なるべくしてなっている。

・その時だった。先ほど登場していた男の声がした。
「アイマスクで夢がコントロールされるように、現実の中の人生も完璧だとする。夢の通りに実現したとして、それがどうしたっていうんだ」
 そう語ったのはあの建物の中で事業を営んでいる男なのだろうか? その男は自信たっぷりに言う。
「結末の分かった夢なんか、つまらないと思わないかい?」
 君はどうしてそんな風に、男から見下されているのか分からない。困惑しながらも、答えるしかない。
「そうですね。芸術や芸能、それにスポーツでも、意外性のあるものが、古来から長続きしていますね」
「ドラマだって同じだよ。結末が分からないから、面白いんだ。そうじゃないのかい? 先の知れたことを見ていてもつまらないないだろう。自分の描いた夢が簡単にかなってしまって満足するのかい?」
「別に反論するわけではないですけど、大きな夢を描かないで、毎日繰り返される日常が幸せだと言う人もいます。中には日常のわずかな変化を幸せに感じている人もいます。季節にも移ろいを感じます。正月の年賀に始まり年の暮れまでいくらかの行事があります。ある人は誕生日などの特定日を祝ってもらえます。現実にいる人達は牢屋にいるわけではないのです。平凡だとバカにしますが、平穏な生活を維持することが、一番難しいと言う人もいます。人々は、何もしていないわけではありません」
「それはそうだ。だが、それだけで満足しない者もいるのだ。君は夢ばかり見ている。君は現実の中で努力をしていない。そんな君の場合はどうなるんだ?」
 君はそれに対して明確な反論ができそうにない。
「確かに、言われることは少し理解できます。人生に立ちはだかる困難を克服してこそ、生きがいを感じる部分はあるかもしれません」
「夢なんか犬猫だって見るんだ。眠りの中で、夢を見るだけでも、脳には負荷が掛かる。日常とは関係性のない、無意味な夢を見ることによって、脳に掛かる過剰な負荷が、軽減されるのだ。君は何かを勘違いしているようだ」
「何のことですか? 私はこんな夢のようなことを語っています。そのことは、承知していますよ」
「……」

・君は実体のない状態から覚めていない。酒に酔っていない。君は顔に手を当てて確認してみる。アイマスクをしてはいない。

 私はこの文章をノートに書き連ねている。メモ書きのつもりでこのノートに書いている。今のところ、満足していない。シナリオ書きをメモ程度で済ませるつもりでいた。それが取り止めのないものになった。調子にのって細かく書き過ぎた。ここまで、終結していないのが、せめてもの救いだ。気に入らないページを、無いことにすればいい。今後も試行錯誤の文章として、この続きを書くつもりでいる。
 今、私は次のページを繰ろうとしている。