高松



 小字高松、「天王寺町」は天王寺村の北北東に位置して、上町大地と我孫子丘陵との狭間にあって、ほぼ中央部に猫間川が流れ、殆ど野原や田圃で占められ、その間を奈良街道・田辺街道が通じていた。
 明治の中頃から大正のはじめにかけては、戸数人口もまばらで、養鶏・自作農を営む程度で、俗に「阿倍野の北海道」とも言われた程の過疎の地であった。
 高松とは、天王寺村大字天王寺の内村の小字名のことで、そのほかに、馬ノ谷・黄金地・中島・鶴ヶ崎・八反田等の小字名がつけられていた。また高松は21区と22区となって解村当時まで継続された。