河堀稲生神社



 河堀稲生神社の地は、往古は「昼ヶ丘」と呼ばれた所。社名も「昼ヶ丘竜山宮崇峻天皇社」と称し、祭神は第32代崇峻天皇。聖徳太子四天王寺創建の折り、四天王寺を守護する鎮守の宮として七宮を造営された。神社も七宮の一つで、大阪の陣以降、河堀神社、明治41年には河堀稲生神社にと改名された。戦災前の社殿は、片桐且元寄進とされる桃山時代の華麗なる権現造りの拝殿であったが、昭和20年6月25日の大阪大空襲によって惜しくも焼失した。現在の本殿・拝殿は昭和25年7月に再建された。