源ヶ橋沖見地蔵

源ヶ橋の呼び名の由来となった地蔵菩薩で、すなわち民話・伝説の主人公源兵衛が、罪業を悔い有源と号し自ら尊像を刻んで猫間川の船着き場のほとりに造立したのが文化8年3月だった。


元は猫間川渡船船着場の石杭で有源と言う人があって水難の人々の菩提のためにその石に幼い地蔵尊の形を彫り、個人の菩提を弔っていた。時代は西暦1881年、文化8年3月の出来事であった。時の天皇は光格天皇、時の将軍は徳川家斉とある。