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サラリーマン哀歌



彼は眠っている。縁も所縁もない他人が興味の視線を投げかけているとも知らず座して眠っている。土曜の真っ昼間、都内の移動手段の一翼を担い混雑の代名詞としても名高い山の手線内回り電車で彼は眠っているのである。出先から帰社するところなのか夜勤明けなのか。あるいは果たして通勤途中なのだろうか、それとも午前様なのだろうか。あ、いや、既に昼を過ぎているから午後様かもしれぬ。空いた車内の中で「これから遊ぶぞっ」と満面の笑みを浮かべている周囲と彼が醸し出すどことなく疲れた雰囲気のコントラストが疲労を一層際だたせていた。
サラリーマンなのだろうか。スーツを身に纏い、かなり年期の入ったビジネスバッグを膝に乗せ両手に大事そうに抱えている。恐らく彼の職歴を共に歩んできた愛着のあるバッグなのだろう、目立たなぬ様気を使いながら所々修繕した跡が見受けられ彼の人柄を忍ばせる。

こっくりこっくり、なかなか気持ちよさそうに顔を少し上下させながら眠っている。普通の居眠り、電車通勤通学の経験がある人なら多くの人が経験する居眠りの姿である。
が、突如彼は横に倒れた。本当に突然の出来事だった。いきなり体を右側の2,3人分空いたスペースに、サッと身を伏せるかの様に倒れ込んだのだった。これには私だけでなく周囲の人も驚いた。しかし注目しようとしたした次の瞬間には、あっという間に元の体勢に戻ったのである。その様をなんと例えればよいだろう。起き上がりこぼしを「えいっちくしょうっっっ」と殴ったときのような、受験生がマンガをサッと隠すような、居眠り中に肩をたたかれハッと体を起こしたかのような素晴らしく素早い反射行動のような身のこなしである。しかも目覚めた様子もなくすやすやと気持ち良さげに眠りつづけるのである。
はっきり言って異能である。普通一般に一列離れた人に頭突きかますが如く大きく体を揺らす堂々とした居眠りであってもことはあっても、体スイングはスローモーなゆったりとした動きだ。決して斯様な素早さをと大きさを併せ持つのは希有であろう。

彼は眠っている。両手にかばんを抱え小脇に読みかけの新聞を抱え、周囲の奇異の視線を知ってか知らずか、恐らく知らないのだろうがそしらぬ顔で眠りつづけるのである。そして、かの奇異な動作も忘れることなく組み込み、そしてブレーキのため体が倒れても、他の人とは全く違う速いリズムで体勢を立て直し眠り続けるのである。

ふと、彼は目を覚ました。駅直前のブレーキで体を倒した際である。
今どの辺りかわからずきょろきょろと辺りを見回すのである。「もうすぐ神田ですよ」ネタを提供してくれたお礼に伝えると、「しまった・・・。どうもありがとう。」と言い残し彼は足早に下車し反対側ホームのベンチに座ったのである。

果たしてあの「しまった・・・。」が生かされたのだろうか。



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