01/05
カラオケクエスト


草木も眠る丑三つ時。我々は深夜の街を徘徊している。道路工事のおっちゃん及びガードマン以外、全くと言い切れるほど人気のない都会の深夜である。何故そんな時間に徘徊するのか。終電に乗り遅れて徒歩(とほと読ん
ではいけない)で帰ろうとしているのではなく、いや、終電が既に無いのは確かだが、我々はある物を求め放浪しているのだ。


事の発端は東京飯田橋で行われた送別会の席である(地理がわからない人はMapion等で山手線内の地図を併見してると良いかもしんない)。このまま終わる名残惜しいので誰からともなく「徹カラに行こう」という話になった
のは当然と言って良い。しかし徹カラは普段から週末の恒例行事であり些かマンネリ気味であるのは否めない。ならば普段と違う、どうせならマイナーと勝手に断定したセガカラを使おうとなったのも、やはり当然の成り行
きといえよう。
「しかし何処にあるかもわからず歩き回るのは得策ではない。」
「渋谷に一軒あるが、混雑は避けられぬ。」
「行っても空きが無いのは悲しいな。」
「では、ひとまず水道橋まで行ってみてはどうだろうか。」
「しかし、水道橋で見つからなければどうするのか。」
「そのときはいたしかたない。大人しく手近なところに入ろう。」
極めて大味且つ呑気な考えではあるが、しかしオプティミストたる我々は夜中だというのにけたたましく談笑し、道行く人々の非難の目も恐れず愚かな道行きを始めたのである。当然徒歩で。

しかし、行ってみてわかったのだが水道橋駅近辺のカラオケ屋十数件は業界第一位及び業界第二位と、我らが独断と偏見により認定された機種に占領されていたのである。なんてこったい。しかしセガカラなど影も形もない
とは流石はマイナーと断定されるだけのとはある。大した努力もせずに見つけられると思った我々が悪かった。我々が安易であった。
「仕方がない、手近な店に入ろう。」
「しかしこの遣る瀬無い気持ちはどうすればよいのだ。」
「我々はセガカラを求めてわざわざまかり来したのではないのか。」
「このままあきらめるのは敗北と同義である。」
「敗北は非常に嫌だな。」
「では神保町に行ってみるか。ここからなら然程遠くはない。」
「徹カラをしているかどうかわからないのが問題だが、神保町には確実にセガカラを装備している店がある。」
「では、とりあえず神保町まで行ってみるとしよう。」
皆の心中には「ここで諦めたほうが賢明だ。」という思いがあったのは事実である。しかし悔しさも持ち合わせていたのもまた事実であり、教唆に乗ったのはそのためである。全くもって愚かであった。穴があったら入りた
いと言わねばならぬ。
言っておくが唆したのは私ではない。念のため。

そして道々セガカラを探しながら信号無視や無謀横断等で危うく轢かれそうになり、また道路工事中の人と談笑などを交え問題の店に到着したのである。そんでもって無事徹カラに突入なんかしちゃったりなんかして無事朝
を迎えたのであった。



となれば非常に良かったのだが、初志を忘れ再度セガカラを探したのが悪かったのか、天は我らを見放した。愛想を尽かした。我らは放り出され追い出されたのである。駆逐なんかもされちゃったりして。決め台詞は「あん
た達なんか家の子じゃありませんっ」なんだろうか。

その店には確かにセガカラがあった。しかし、セガカラは空いているか、何時まで営業か問おうにも店員は顔見馴染みの客と談笑をし、こちらの姿を見ても無視するのである。漸く話をやめたので質問してみたところ「空く
まで1時間だ。営業は3時までだ。何か文句あっか?あぁん?」と述べたのである。これには常日ごろ親切丁寧温厚と三拍子揃うと評判の我々も憤慨した。
「私は非常に頭に来た。何だあの店員の態度はっ!!!」
「私も同じだ。あの態度はいただけない。」
「こうなれば意地でもセガカラを見つけねばあの店員にすら敗北したことになってしまう。」
「それは我々の股間にかかわるな。あ、いや、そうじゃなくて・・・何だったか・・・言葉の成り立ちだったか?」
「それは語源だろう。」
「では、子どもの秘密基地によく使われるものだったか。」
「それは土管だな。」
「違うのか。ならば植民地時代にインドで大量生産されていた植物であろうっ。」
「木綿だ。」
「う〜、わんわん!!!」
「野犬。」
「残念だったな、駄犬だったのだよ。ならば鐘の音ではどうだ。」
「キンコンカン。かなり無理があるぞ。」
「面白くもない漫才はもうやめだ。沽券なら沽券とすらっと言え、すらっと。」
「はい、むらっと茶。」
「もうええっちゅうに。」
「基、では御茶ノ水駅まで行ってみるか。」
「よし、そうしよう。」

決起盛んに行脚するが、所詮デスクワークが中心の集団である。そして30分も歩けばへろへろになる体力しか持ち合わせぬ、些か情けない集団である。皆20代にもかかわらず非常に情けない集団である。
そんな集団が仕事を終えた後で深夜の徘徊を行うのである。当然、1時間も歩けば怒りはあっという間に吹き飛び歩くペースもモチベーションも指数関数的に下がっていく。
「我々はいったい何のために歩いているのだろう。」
「たかがセガカラにここまで苦労する価値があるのか。」
「マイナーな歌の多さは非常に魅力だ。」
「しかし元は徹カラが目的だった。」
「本末転倒とはこのことだな。」
「もう御茶ノ水駅が目の前ではないか。しかも深夜2時にならんとしている。」
「これではカラオケをするだけ損ではないのか。」
「確かに3時間で5000円も取られるのは割に合わぬな。」
「さよう。徹カラはC/Pの高さが命だ。」
「俺はもう疲れた。カラオケでなくてもいいから早くどこかに座りたい。」
「気になっているのだが、この建物にあるまんが喫茶は24時間営業しているらしい。」
「いっそここで思い思いに過ごした方が有益ではないか。」
「看板によるとC/Pは圧倒的にカラオケよりいい。ここに決めよう。」
「いいや、まてまて、この行脚は送別会の二次会が最終目的ではないのか。」
「「「そんなことはもうどうでも良い。俺は座りたいのだっっっ。」」」
そう言い捨てると送る側も送られる側も先を争って店に入っていく。その様は天から降りる糸に群がる亡者である。
そして我々はひたすら眠った者、ひたすらまんがを読み耽った者、無料だからとしこたま飲食し腹をこわした者に別れ悲喜交々の朝を迎えてみたりするのであった。

翌朝、駅に向かう一同の足取りは非常に重かった。皆、昨夜の愚行を非常に後悔していたためであろう。しかし送別会だと思い出し駅に着けば和やかに別れもへったくれもない非常に明るい送りだしであった。そりゃぁそう
だ。遠方と言っても所詮東京駅から1時間も電車に揺られれば会いに行けるのである。仕事柄会うことも多い。
と言っても一応送別会の席であるから思い思いに別れの言葉を述べ万歳三唱で送り出そうとしたそのときに、笑いながら述べられた言葉が非常に印象的だった。
「唆しておいて何だが、これはこれで中々興のある送別会だったと思うのだが、どうだろうか。」
その場でタコ殴りにされたのは言うまでもない。


TOPページへ戻る