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私の戸籍上の年齢は21歳である。嘘だと罵られようがそれがどうしたと言われようがそれが厳然たる事実だ。また、それに依ってどうなるものでもどうするものでもない。それこそ「だったらどうした」だな。ま、ま、それはおいといて。一方で、精神面での年齢、俗に言う精神年齢ではなく、気概というか自分が持つ精神的なエネルギーは、やはり21歳という若者が本来持つ量よりはるかに少ないようだ。 今さらながら改めてそう思う。本当に「つくづく」というのが適当であろう。 この05/04というのは某体育館裏@ちゃ楽のオフ会が行われた日である。 私は05/02に風邪を引き、無理矢理風邪だけは直したものの反動で体力が0に近く、多少の吐き気を同伴しての参加であった。その意味では参加者には迷惑をかけてしまい申し訳なかった。歌わなかったのはそれだけが理由じゃないんだけども、馬鹿かお前はとは言わないでくれたまえ。自分でもそう思っているので、追い打ちをかけられると哀しいからね。 本当は全員が揃ったところにひょっこり現れ、官姓名を名乗った途端に「じゃっ!」と帰るつもりだったのだが、集合が3段階になっため言い出すタイミングが掴めなかったのだ。まだまだ私も修行が足りない。もっと精進が必要である。 話がしょうもない方向に進んだが、参加者のエネルギーは凄まじい。単にカラオケに行っただけなんだが、特に私よりも1〜2歳若い3人のエネルギーは「圧倒的」というのが適切であろう。体調の悪さを考慮してもやはり圧倒されるであろう。その3人が若さに任せエネルギーを発散している様、要するに彼らが楽しんでる様なんだが、私はそれを見て同時に楽しんでもいる。これは老人が孫の遊んでいる姿をみて喜ぶのと同じである。心理学的には、自分ができないことを代わりをしてもらうことで精神を安定させる行動。 結論として、私は老人であるらしい。老人と聞いて「老人と海」と「老人Z」のどちらを先に思い出すかは人それぞれだろう。私がどちらを思い出すかは御想像にお任せするが、そもそも「老人Z」なんぞ知ってる人はそう多くはないだろう。 では私のエネルギーはどれくらいだろうかと考えると、例えば春の麗らかな日に何をしたいか、別に季節にはこだわらなくていいんだが、そう聞かれたら「ひなたに出てのんびり紅茶を飲みながらぬぼーっとしたいね」という程度のエネルギーでしかない。飲み物はお茶ではなく紅茶というのがささやかな抵抗なんだが、よくよく考えると英国や他地域だと御老体は珈琲や紅茶を飲まれる。やはり私は老人らしい。加えて、傍らに猫がいれば完璧という辺り筋金入りにエネルギーが少ないらしい。 やはり私の精神は老人である。 |