がんばれ、青井君


「このケータイおかしいぞ。」それはPHSやがな。「つながんねぇ。」そりゃすごい勢いで動いてるから。「どうなってやがんだ。」ここは電車の中なんだが。
それでも彼は掛け続ける。チャレンジャーの性だろう。私が心でツッコミを入れ続けるのは関西人の性。
彼の名は青井君。見ず知らずの人である。特徴は青いシャツに青いジーンズを身にまとっていることだろうか。青い人でもいいかもしれんが、無人くんのCMにでてくる異星人(彼らの名称は何というのだろうか)みたいだな。あの異星人は地球で借金するために高価な航空燃料を使って地球まで来なければならない。つまり地球のサラ金に手を出すために母星で大金を使うのだ。あまりに悲しい話なので涙してしまうのは私だけではないだろう。そうでない人は例外なく「母星へ帰って金とってこい」とツッコミ入れるに違いない。
それはともかく、やはり青井君がいいだろう。あんなおちゃめな異星人と勘違いさせては末代まで祟られそうだし。

私と青井君の遭遇は真っ昼間の某代々木駅周辺だった。彼はおねいちゃん達のおじぎを伴う見送りを背に某代々木駅に向かっていた。その姿は声援を背にリングへ向かうボクサーのようだ。こう思うのは「はじめの一歩(講談社刊)」を読んだ直後だったからかもしれない。それはともかく、おねいちゃん達の前には机、後ろにある看板には「PHS無料! すぐ使えます!!!」と書いてある。彼の右手には電話機、左手には某電話会社の名前の入った袋。視線は右手に注がれ口元はにんまりしている。この状況を総合するとすなわち、彼はPHSを購入したのだ!!! ブラボー!!! って電話嫌いな私が言う台詞ではないか。

私は青井君を追跡した。わけではなく、私の目的地も代々木駅であり、且つ同じ山の手線渋谷、品川方面である。どうも先頭車両に乗り込むつもりのようだ。素晴らしい。私も先頭車両に乗るのである。「いやぁ、奇遇ですなぁ」と声を掛けようとも思ったが、彼は今、至福の時間に身を委ねているのだから、それを邪魔をするのは野暮というものだろう。私は馬に蹴られて死にたくはない。そんなしょうもないことを考える私を尻目に、彼はうれしそうに右手にもった電話機を眺めている。青井君、君の気持ちはよーくわかる。私も欲しかった本を買った時はそういう気分だった。大事に抱えながら口元がほころんだのを覚えている。もっとも私は弐万円弱の支出だった。青井君は無料だ。ちょっと悔しい。

「まもなく、2番線に渋谷品川方面行きが参ります。危ないですから黄色い線の内側までお下がりください。」白線の内側かもしれんが細いことはどうでもよい。

彼の顔つきが変わった。至福の時間は終わり現実に戻らねばならぬと思ったのであろうか。違うかもしれないが、懐から手帳を取り出した。おそらく誰にかけるか考えているのだろう。彼にとっては初めて使うPHSだ。と思われる。その記念すべき日で、且つ記念すべきはじめてかける相手であるから、時間をかけて慎重に選ぶのは仕方がないだろう。私が暖かく見守っているぞ。がんばれっ。
我々は車中の人となった。青井君はというと、ついに記念すべき初めて電話をかける相手が決まったのだろう、意を決して電話を掛けはじめた。どうやらおねいちゃん達に一通りの説明は受けていたらしく一通りの操作はできるらしい。しかし、その拙い手つきが微笑ましい。どうやらダイヤルが終わったらしい。耳元に電話をもっていった。


電車は走る、ひたすら走る。既に恵比須を過ぎ目黒に到着せんとひた走る(代々木-原宿-渋谷-恵比須-目黒-五反田-大崎-品川の順に止まる)。その間10分弱、青井君はひたすら掛け続ける。やはり何度挑戦してもつながらなかったらしい。これこれ、つながらないからといって如何わしいものを見るような目をしてはいけない。しかし、それでも再び掛けようとするところが彼のチャレンジャー精神の深さを伺わせる。
ついに電車は目黒駅についてしまった。私は電車を降りなければならない。降り際に再び青井君を見ると、彼は再び怪訝な顔をして自分の手に持った電話機を眺めていた。

青井君、よく見ればどっかにPHSもしくは類似の言葉が書いてるような気がするんだが、君もいつか気付くだろう。事実を知ったときは愕然し錯乱し、そして七転八倒するかもしれない。七転八起じゃないぞ? マイムマイムも踊ってくれるとうれしいぞ。んなこたどうでもいい。人から事実を告げられたとしたら穴があったら入りたいと思うほどのショックを受け人知れぬ山里に引きこもりたい衝動に駆られるかもしれない。しかしそんなことにめげてはいけない。

がんばれ、青井君。



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