08/20
太郎ちゃんの受難



太朗ちゃんといえば北海道を除く全国津々浦々至る所に住んでおり、国内のみならず海外にも住んでいる。太郎ちゃんは寒い所が苦手だからしてロシアや北欧にはいないかもしれないが、伊太利亜等の地中海沿岸であれば、太郎ちゃんは快適な生活を満喫しているかもしれない。亜米利加大陸でも加奈陀にはいないかもしれないが加州辺りの暖かい地域ならば住んでいるだろうし、濠太剌利ならばエアーズロックを眺めながら生活していることだろう。東南アジアやアフリカに多い熱帯、亜熱帯地方にも、もちろん太郎ちゃんは住んでおり、気候が良いせいか国内よりもさらに大きく巨大に成長している太郎ちゃんを見た日本人は驚きを禁じえないという。

このようにワールドワイドな活躍をみせる太郎ちゃんであるが、日本においては大変な受難の日々を送っている(太郎ちゃんの海外事情については詳しく知らない)。独特ではないものの明らかなる特徴を備えたその風貌が太朗ちゃんの太朗ちゃんたる所以であり誰が見ても太朗ちゃんと判るが故に、常日頃から恐れられ疎まれ蔑まれ過剰なまでに虐げられ迫害を受けているのである。
例えば家庭においては、いつもアポなしで訪れる太郎ちゃんに対して罵り騒ぎ立てられ、毒ガスを手にした一家の大黒柱等にさんざ追い立てられる。同じアポなしでも、驚きと恥ずかしさに彩られながらも、比較的平穏に招き入れてもらえる高田某とは天地ほどの差がある。また、食堂においてはお客様の前に登場しようものなら、おばちゃんに文字通り「あっ」という間に、ときには死に致るほど強かに打ち据えられてしまうのである。
このように屋内にあっては太郎ちゃんは幸福をもたらす使者ではなく、常に招かれざる客であり著しい嫌悪の対象であり、ひどい場合は恐怖の権化として扱われるのである。さらに、この野良猫天国日本にあっては出歩くだけで猫に襲われ命を落とす危険がある。

以上のように常に迫害を受け危険と隣り合わせのスリリングでリスキーな生活を強いられている太郎ちゃんに対して、私は世間の人よりも更に苛烈な迫害を加えている。なぜならば太郎ちゃんは私の心に、マリアナ海溝よりも深い傷を負わせたからである。
あれは遡ること15年、私が小学3年生のころだった。子どもの私は朝っぱらからハイテンションで元気よく、「いざ学校へいかん」と一気に靴をはいて外に飛び出したが、右の靴の中が何やらムズムズするのである。不思議に思って靴を脱いでみると、靴下の上に黒光りする生物がのっかっているのだ。その生物は飛び去るどころか足を這い上ってきたのだ! パニックになった私は必死に足を振り回し、その黒光りする生物を用水路に振り払ったものの、後にはトラウマになるほどの恐怖が残った。

最近になって漸くあの黒光りしていた生物が本当に太郎ちゃんだったのか、晩夏または初秋の出来事だったため、もしかしたら蟋蟀だったのかもしれぬと思うようになったものの、やはり今なおサイズに係らず「黒いもの」を見るだけで恐怖に駆られ、更に家内で起こる音すべてが太郎ちゃんが原因で起こる音に思えびくびくしている。風で揺れるナイロン袋の「カサカサ」と鳴る音も、何かがガサリと崩れる音も、水がぽとりと滴る音も。太郎ちゃんの姿が見えずとも常に影に脅えるのだ。

私は断言する。「太郎ちゃんに人権はない」「太郎ちゃんに生きる権利はない」「太郎ちゃんに安住の地を与えてはいけない」etc.
人非人と言われてもかまわない。私は幼い頃に恐怖の原体験を負ったため、他の人よりも圧倒的に太郎ちゃんに対する寛容さが無い。アンチ太郎ちゃんであり合言葉は「太郎ちゃんは見つけ次第消せ」である。私の前に姿を現そうものなら、恐怖でパニックになった私が「スーパー太郎ちゃん撃退棒」で叩き潰さんとする。手元に毒ガス缶があれば、ひっくり返って動かなくなった後も、泣きそうな顔をしながら両手にある新品2缶を延々吹き掛けつづけたこともある。例の事件以前は、やはり迫害していたもののけたけた笑いながらだったのだから、全くもってえらい変わりようだ。

しかし迫害を止めるわけにはいかない、少しでも手を緩めようものなら、太郎ちゃんの活躍はアンタッチャブルなものになってしまうのが目に見えているではないか。
だから高々数千万年の人類が遥か3億年の長きに渡る系譜を持つ太郎ちゃんを迫害するのは、甚だ不遜ではあるが、これからも諾々として受け入れてもらわねばならない。受け入れてもらわなければ、人類が、いや少なくとも私が心安らかにいられないのだから。


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