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子供がキレる原因を考える
一晩ででっち上げた教職科目用レポート
子供がキレる原因については様々な立場から様々な意見が出ている。育て方に問題がある、道徳的な教育が不足している、社会的閉塞感が強い、未来に希望が持てない、暴力シーンの多いテレビ番組やテレビゲームの氾濫、遺伝子に異常がある、環境ホルモンの影響等々。
政府は「文部省の研究機関「国立教育研究所」(東京都)と厚生省の試験研究機関「国立公衆衛生院」(同)は23日、学校や家庭などで突然、感情を爆発させて暴力を振るう「キレる」子供の成育歴について詳細な調査を実施し、原因究明と対策研究に乗り出すことを決めた。「キレる」子供たちの多くが、育ち方に原因があると考えられることから、親などに聞き取り「育て方」を探る」(以上、毎日新聞2000年8月24日朝刊第14版より)とし、酒鬼薔薇聖斗事件事件ではテレビ番組やゲームがクローズアップされた。
遺伝子異常や環境ホルモン説はさておき、他の意見にはそれぞれに理があると思われるが、私自身が属する20代中盤と比べてみると景気は悪くなりつづけてはいるものの社会的に環境に大きな差はあるだろうか。私が高校2年生の「17才」であったのは8年前で、バブルが弾け坂道を転げ落ちるように一気に景気が悪くなっていく迫力と圧迫感は、現在の景気回復の兆しが見えないのと同程度の閉塞感はあったろう。今は実力主義が学歴に取って変わろうとする過渡期であり、その分だけストレスは多く、マスメディアの過剰な報道を考えれば今のほうがややストレスは多いかもしれないが、我々は学歴信仰社会の最後の世代であり、今よりも信仰は強かったろうし、将来が見えない、希望が見えなかった。トータルで考えれば、社会的要因で受けていたストレスの総量は我々のほうがバブル直後であった分だけ気楽ではあるものの、正直言って大差ないように思える。
それでは何が過激で過剰な行動に走らせるのかと思ったとき、やはり単純に感情を表に出すのが苦手であることと、我慢できる敷居が低いだけではないのだろうか。この件は他方で語られているため目に止まったものを紹介するにとどめる。
「 子供の教育や躾は最後は親の責任。(高校生にもなれば本人の責任だと生徒たちに私は常々言っておりますが・・・)
〜中略〜
低いのは学力だけでなく、健康面でも、かわいそうな言い方ですが、あきらかに劣っているのです。「劣っている」というより、「弱い」という表現のほうが適切かもしれません。さらに言えば、「我慢強さ」がない。ちょっとした、単なる「疲れ」を、「具合が悪い」と思い込んでしまう。また、「テスト前だろ。37度くらいの熱だったら我慢して学校に来なさい」という考え方は彼らには通用しないのです。この「我慢強さ」。これをつけてやるのは、やっぱり親の責任です。 」(団藤保晴のインターネットで読み解く 第95回「学力低下問題の最深層をえぐる」(http://dandoweb.com/backno/20001130.htm)への意見「現場の教師として」(http://dandoweb.com/g-koe.htm#ge))
上記の状態になった原因としては、団藤保晴のインターネットで読み解く 第95回「学力低下問題の最深層をえぐる」で述べられているとおり、「団塊の世代」に注目せざるをえない。私事で恐縮だが、私の父は今年59際になるが、先日上京した際に次のように述べた。
「自分は「団塊の世代」の直前ないし始まり辺りの生まれだが、自分たちが「我慢するのが当たり前」と思っていることを、5才くらい下の人たちは「上が我慢しているからしかたなく」我慢する。さらに5才下になると「どうして我慢しなければならないのか」と考える」
「「団塊の世代」は叱られるのに弱い。何か言うとすぐに落ち込むから、怒るときには言葉を選ばなければならず、なかなか難しかった」
また、「叱る」ということに関してはJRAの元調教師である戸山為夫氏(故)が著書「鍛えて最強馬をつくる」(1993年かんき出版刊/新装版 1996年情報センター出版局刊)で「今の親は子供の機嫌を取っているだけで叱ろうとしない。甘やかすのは楽だが、それは親が辛いことをしたくないからだ。叱るというのは叱る側も辛いが、人を育てようと思ったら辛くても耐えなければならない。」と述べている。執筆自体は1991〜1992年になされたものであり、指摘している「今の親」の子供は今、丁度中高生辺りであろう。
2000年12月文部省(現文部科学省)発表の「生徒指導上の諸問題の現状について」(http://www.monbu.go.jp/news/00000648/)を見るかぎり、不登校の原因も忍耐のなさや『しかられ恐怖症』に起因する部分が多分にあり、いじめにしてもある程度「団塊の世代」の影響は考えられる。また、「ゆとり=易しくする→楽をする」と考えたならば、「ゆとり」のために新学習指導要領の内容を削るという方向に進んだのも、ある程度納得できる部分がある。もしかしたら、こじつけかもしれないが現在の教育問題の多くに「団塊の世代」の影響があるのではないだろうか。そうであるならば問題の発端は「団塊の世代」の親の代であり、今までは潜在していただけだったのが、単に今顕在化しただけなのかもしれず、現在言われているより遥かに、問題の根は深い。
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