06/03
携帯電話
携帯電話を買った。
今回で2回目である。
前回は懸賞で当たったので、それならちょっと使ってみようかと思ったのだが、結局電話としてはほとんど役立てなかった。
番号を知っていたのが3人だけだったので当たり前と言えば当たり前の話だが、元々電話をかけるのは好きでないし、自宅ならいざ知らず何が悲しくてところ構わず電話を受けねばならんのか。加えて親しくない相手なら用件のみでさっさと切ってしまうタチだし、それに周りは皆メール使いなので緊急でない限り用件は全てメールで事足りた。その緊急の用も、実際はせいぜい「今あったほうが楽」な情報のやり取り程度であって、本当に緊急の用事など一年に一度あるかないか程度でしかなく、はっきり言えば電話なんぞは仕事上の報告を一方的かつ手短にするだけのもので十分だった。
唯一役に立ったと言えば携帯端末でメールを送受信するときだが、それとてグレ電を利用すれば良いだけで、わざわざ携帯電話でなくても困ることは無かった。つまりは携帯電話に費やした費用は明らかに無駄な金でしかなかった。
しかし1年経てば状況も変化する。
職場が変わったし身分も変化した。当然伴って上役も上役の携帯電話観も変わる。それゆえに、例の「もしも緊急で連絡を取りたいときのために」というくだらなくも重要な名目のためだけに、また、あの無用の長物を自腹で用意する羽目になった。
だいたい、あんなものを持って喜んでる輩は他人に心底束縛されたい輩か常に他人と形式的であっても何らかの繋がりが欲しい精神的弱者か、逆に他人を束縛しなければ気が済まないサディストかの何れかである。わたしはその何れでも無く、対話ならいざしらず連絡ならこちらから一方的に必要なときだけにしたいという身勝手な考えの持ち主なので、携帯電話の類を持つというのは今では穴があったら入りたいくらい恥ずかしく情けないことである。
もちろんビジネス上の有用性は理解できるし、一般電話回線の代わりに使用するなら話はわかるが、個人が持つことにいったいどれだけ意味があるのか疑問である。しかも携帯電話からかかってくる私用電話と言えば「今なにしてんの〜」などという思わずしばき倒したくなるようなことが中心であって、他も家庭用の電話で十分事足りる用事である。待ち合わせのときに便利だなんて言うかもしれないが、そんなものはあらかじめ決めておけばいいだけであって、真に携帯電話でなければ困るようなことは、無いとは言わないが非常に少ない。
結局のところ、あのようなものを個人が持つのは他者への依存と怠惰を助長し計画能力や創造力を減退させるだけではないのか、と思う。少なくとも無くても構わない贅沢品である。緊急時の連絡とて、昔は携帯電話など無くてもある程度の所在を知らせておくなり定期的に連絡するなりして何とかなっていたのである。それが何故に携帯電話が無ければ連絡がとれないのか。更に暴論を言えば、1分1秒を争うような緊急状態を未然に防ぐことが重要なのであって、携帯電話なんぞは不要とすべく知恵を使うのが考える葦たるアイデンティティである(逆も言えるが、それは造った人のみが言うべき)。逆に無いと困るような状況に直面するのは、真によんどころない事情でない限りは無為無策と無能の証明ではないのか。
< 以下06/04 訂正 >
現在の妥協的理想は、少なくとも自分からはかけることなく最小限の受信のみに使われる半死状態の電話として所有することであり、故に現在携帯電話の番号を知っているのは職場のハードディスクとそれを入力した人のみである。
< 06/04 追記 >
うちに電話をかける人へ。
仮に携帯電話であっても明らかに家にいる時間にかかってくる電話は無下に切るような真似はしません。マニュアルを読んでないので携帯電話じゃなくてできるだけ自宅の方にかけてほしいけれども。
TOPページへ戻る