03/29
人間と謂ふもの
技術は人と機械の壁を壊す。壊しつつある。
実験レベルの話ではあるが今や義眼は視力0.1程度の視力を持ち、心臓の様な単純な仕事をする臓器については遅くとも10年もすれば実用化できる見通しだ。
自らの意志でコップを掴み、それが暖かいか冷たいかすら「知覚」することができる義手、健常者に混じってバスケットボールのような激しいスポーツができる義足は既に実用化されている。
技術が人と機械の壁を壊していく。
そして、人の定義も壊していく。
現在のレベルで既に手足をサイボーグ化できる。将来的には銀河鉄道999に登場するような体の全てを機械化した「機械化人間」や更に自らの判断で行動し感情を持つロボットが登場すると期待されている。未だに物を認識が何か判断させ得ない人工知能の現状では未だ夢のまた夢ではあるものの、いざ現実になったら人間の定義は一気にややこしくなる。
サイボーグ化した人間。これは明らかに人間と言って良いと思う。機械化人間は、作中では機械化人間は完全に体を機械と入れ替えているため食事は人間から吸い出したエネルギーをカプセル化したものを摂取している。現実的には人間ではなくバッテリーパック等を使うのかも知れないが、ともかく明らかにロボットの所業である。がしかし記憶と精神に関する限り元は人間なのでロボットとは言い難い。
では、感情を持つロボットはどうだろうか。
こちらは全てが人造のものである。感情も判断も全て人間が造り与えたものであるから、決して人間ではない。人間ではないが精神に関する限り人間に似せるべく造られたものであり、どの感情を表すべきかの判断基準も人間と何ら変わりない。そしてプログラミング自体が人間で言えば本能に当たるものではあるまいか。だとすれば精神的には人間と大差ない。
翻って人間を考えてみると、遺伝学で「遺伝子によるプログラム」としばしば表現されるように、人間自身の本能も感情も結局遺伝子に与えられたものとするならば本質的にロボットの感情と変わらないのではないか。
人間の感情とロボットの感情が同じであるならば、それでは機械化人間とロボットの差は極めて小さくなる。だからといって機械化人間とロボットが全く同じ種であるか、というとにわかには首肯し難い。まして何らかの事情で体のほとんどを機械化し人工臓器と入れ替えた人間とロボットが同じ種とは、決して言えない。だからといって体を全て機械と入れ替えた人が人間でないというのも首肯しかねる。
いやはや、堂々巡りである。
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