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煮物再び
一度始めたからにはまっとうなものを作らねばならぬので、再び煮物に挑戦せねばならぬ。しかし、今再び挑戦したところで調味料の加減ができるくらいで本質的に何ら変わらない事は明白であるからして、誰かその筋に近しい人の知恵を拝借せねばなるまい。
と言うことで選びに選び抜いた人物が、志緒乃さんである。いい年頃だというのに土曜の真っ昼間にどこにも出かけず一人パソコンに向かい暇を持て余しており、それでいてある程度料理は通じているようなので煮物の作り方をご享受願うにこの上ない人物である。
さて、運よく連絡がついたので、スバリ煮物の作り方を教えてほしいと申し出たところ、返ってきた答えは「何で?」であった。恥を忍んで聞いた人間に対してその返事は何だろうか。ひどいと思わないだろうか。というか、何と答えればよいだろうか。素直にわからないからと応えても意味がないことは承知しているので、これまた恥を忍んで先日の愚挙を説明してみたところ「変なもの食べてるのね。」「かぼちゃは別に煮ようよ。」「小松菜なんて普通入れないわよ。」「ほんと、そんなもの人の食べるものじゃないわ。」「煮物ってそんなに難しいかしら。」等など言いたい放題である。どうせ煮るんだから南瓜も一緒に煮たほうが効率いいし小松菜は普通入れないこともわかっている。何より誰かて最初は失敗するんちゃうんけ? と思い傷つきつつも、作り方を教えてくれるらしい。一言ならず多いがありがたやありがたや。
始めに油をひいた鍋で具を炒め水から沸騰するまで灰汁を取りつつ茹で、そして味付けして更に暫く煮込む。
確かに簡単に言ってくれるしその作り方もだ。だがあまりに大雑把な説明だと思わないのか、志緒乃さん。調味料は何をどれだけ入れればいいのか全くわからない。問うてみても「分量? 知らないわよ、そんなもの」とばっさりである。
ともかく大雑把な作り方がわかっただけでも大きな進歩なので、早速材料を買い込む。肉人参玉ねぎじゃが芋椎茸、そしてまたしても、南瓜。
ええじゃないか、好きなんだから。
それはさておき、さっさと作り始める。まともな頭の持ち主なら失敗しないように1食分だけ試しに作ってみるのだろうが、無精な私は止せばいいのにまたしても一度にわんさか作ろうとする。愚かである。
まず具材を炒めるにあたって鍋ではすべてを一度に炒められないので、ここはスペシャリストのフライパンにご足労いただき、材料別に炒め鍋に放り込む作戦に出た。もちろんフライパンでも一度に炒められないからだが、フライパンさばきには自身があるのでこの辺りは快調だ。調子にのって鼻歌なんかも歌っちゃってみちゃったりして気がつくと炒めすぎていたが、細かいことを気にしてはいけない。人間大らかでないと。
そして水をそそぎ込む。「ひたひたと具が浸る程度でいいからね。」と教えられたが、ひたひたと浸る程度とは溢れんばかりの量だ。そして拭きこぼれることなど考えもせずに強火で一気に沸騰せよと命じる。
ここで珍しく、まっとうにも南瓜は別鍋で煮る事にした。この考え自体は極めて全うである、らしい。が、やり方が全うではない。南瓜の層は下から3層目。その上には更に3層。そんなところから選り分けて救出するなど無謀もいいところだ。案の定、湯と具材が土石流のように鍋から零れガス台を占拠していく。そんな状況を「う〜あ〜まんぼっ」と訳のわからないことを口走り笑いながらパニックになっているのでやっぱり火を止める知恵は回らない。
ついでに南瓜の下の層が椎茸と玉ねぎというのも間抜けだ。
さて、南瓜のサルベージが終わった頃には既に十二分に茹で上がっているので、味が染み込む頃には煮崩れていることだろう。ここは少しでもそれを防ぐためにささっと味付けをせねばなるまい。こんなときに役に立つのが、市販の出汁だ。たとえば「おいおい」だとか。しかし私はそんなものを使う気はさらさらない。露ほども毛ほどもない。やはり自分で配合したい。
そこで取り出しまするは、野菜炒め用に作りおきしているタレ。醤油2に酒と味醂をそれぞれ1ずつ合わせ、砂糖を適量加えたものだ。とにかく調味料の分量がわからないので今回はこれを使う。先の失敗を繰り返さないようにボトルから直接鍋に入れるのではなく、まずコップに入れることにする。作り置きなので出し過ぎても心置き無く戻せるというもの。大らかに入れておいた。
そして改めて味をみながら少しずつ慎重に鍋に投入していく。が、半分ほど入れてみてもどうも味が薄い。煮詰めることを考えても薄いように思う。そして慎重さを忘れ半分でこの薄さなら全部入れて丁度良いくらいだろうと踏んでどさっと入れてみると、薄くもなく濃くもなく。丁度いいのではなく中途半端に薄く中途半端に濃い面妖な味だ。これが煮詰まってもうまくなるとは到底思えない。
ここで再び愚かなことを考える。半分くらい捨てて改めて味付けしなおしてはどうかと。更に味を崩すだけだと思いつつも、思いついたら即実行。愚かな事をするときだけは行動が早い。鍋も薬罐も塞がっているのでフライパンでお湯を沸かし再び味付けする。やはりまずい。この上無くまずい。どうせなら零から作り直せば良かったと後悔するが既にそんな気力は残っていないので仕方なくこのまましばらく煮詰め、思い付きで仕上げに胡麻油を軽く垂らして完成したと思うことにした。当然じゃが芋は煮崩れを通り越したような雰囲気だが。
さて、完成したら食うのが人の道。どれだけまずいのか楽しみに、ひとくちぱくり。
これがまた何とも言えず中途半端に悪くなかった。お世辞にもうまいとは言えないが、そんなに不味いわけでもない。「これなら大丈夫、立派に人に出せるじゃないか」と妙なことを考え、一人晩飯を食うのである。
そして今に至る。煮物は、うまくない。今も。
別鍋で煮たその日の南瓜は、うまかった。
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