『ルックさんがやって来た!』


(Since 2000/7/10)

 それは一通の手紙から始まった。
1993年7月12日 その日も平凡に仕事から帰って郵便ポストを確認。
すると一通の外国郵便が。差出人はすぐにルックさんだとわかった。
“ああ、元気しているんか”と思いながら、おもむろに封を開ける。
いつものように英語で(当然か)タラタラタラタラ書いてある。
サラサラサラッと斜め読みして、勝手に「お元気ですか!」とその場は解釈した。

 ところがその晩、ゆっくり読み直してみると、どうも様子がおかしい。どうでもLucさんが
日本にやって来るようだ。飛行機で大阪についた後、広島と九州をまわるようだ。
なんだそうだったのか。これはLucさんに再会できるかも。
再会できるかもしれない期待と、さてどう対応しようかと迷う気持ちが交錯。
でも、結婚もして子供もできて、ひと歳とった今となっては、少々度胸も座ってきて、
英語のコンプレックスや小さな殻に閉じこもった虚栄心は薄れていた。


   7月15日
さっそく、“日本に来たら是非うちへ泊まって遊んで
いってください。大阪に着いたら電話をください。”
と手紙に書いて送った。

7月27日
Lucさん大阪到着
でも電話がない。今日はあるか、今日はあるかと
ビクビクしながら仕事から帰る毎日。

まずはお茶で一服!
 
7月30日
待ちに待った電話あり。
1985年以来8年振りに聞くLucさん
の声。
8月1日に新幹線の新尾道で降り、
電話をすれば迎えに行くと伝えた。
Lucさんもランチタイムに尾道に着く
ように行く。と約束した。
この“ランチタイム”が僕を悩ます事に
なろうとは、思いもよらなかった。
 
怪しい英語が飛び交う
 
   8月1日
いよいよ当日がやってきた。
ランチタイムに尾道へ着くと言うのだから、家族で
迎えに行って一緒にお好み焼きでも食べて、つい
でに千光寺へ案内してこうようと考えていた。
ところが、待てど暮らせど電話は無い。家族は腹
が減ってお父さんの英語力を疑い始める始末。
2時を過ぎても電話は無く、急きょ素麺を茹でて、
遅い昼食となった。
今日は来ないんだろうと思い始めた3時前、やっと
Lucさんから電話があった。
“炭坑節”を踊るLucさん
 
新尾道駅の改札へ行くと「ハ−イ!高
成さん」とLucさんが駆け寄って来た。
8年振りの再会。握手をし終わった頃
には香港で出会った当時の二人に戻
っていた。
遅くなったので我が家へ直行。うちで
は、お茶を一服飲みながらプレゼント
の交換を。
93年の夏は記録的な冷夏で、その日
も長梅雨の冷たい雨が降っていた。
それでもオーストラリアからのお客さん
と言うことで、予定していたバーベキュー
 
田舎の国際交流は夜が更けて
 
    をすべく準備に取りかかった。庭に竹竿を立てて青
いビニールシートを張ってテント代わりに。Lucさん
にも手伝ってもらって実家からテーブルやイスを運
んで準備を完了した。
そうして外人のお客さんを迎えた世紀のパーティは
始まった。前もって連絡していた友達に加えて、近
所の若い人達も誘って、大盛況。Lucさんの人柄に
加えお酒が勢いづけて、みんな片言英語で攻めま
くる。その夜は遅くまで、静かな田園に怪しい英語
が響き渡った。
我が家の“モーニングセット”
 
五右衛門風呂に畳の上に敷いた布団
さてLucさんはどんな気持ちで我が家
の一夜を過ごしたのでしょう??
翌日も変わらぬ笑顔で起きてきた。
朝食を摂った後、実家の父母と祖父母
に挨拶に行って、保育所へ子供達を一
緒に送って、平和公園へ行くLucを新
尾道駅に見送った。
初めて外人さんのホストを務めた我が
夫婦は、“ヤレヤレ楽しかった!”とちょ
っとリッチな昼食に祝杯をあげた。
それにしても一度も脱ぐことの無かった
野球帽の下は、未だ謎に包まれたまま。
今度はオーストラリアへ・・・
 
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