「フリーネイリスト」

 少女の爪に描かれた風船の絵を丁寧に消し、私は新しい絵を描いた。澄み切った青空に伸びる茶色い枝、その上から桜の花びらをかたどったストーンを散らしていく。
 完成した絵を見て、彼女は言った。
「私もこんな仕事してみたいなー」
「階段の上で人の爪に絵を描く仕事?」
 私は原宿駅の周りで仕事をしていた。どこかの階段でマニュキュアを並べれば、そこが私の仕事場になった。
「ミもフタもない言い方。ねえ、私にもできるかな?」
「じゃあ、ひとつテスト。私の絵と前に描いてあった風船と、どっちが好き?」
「もちろん、この桜のほうがいいよ」
 私はほほをゆるめた。
「あなたには、才能ないかもね」
「えー、なんで?」
「なんでもよ」
 風船の絵を描いた人を私はよく知っていた。彼女はすぐ隣の渋谷で、同じように階段で絵を描いている。私はいつか彼女に会おうと思っていた。
 彼女が「才能ない」と言った女の子がどれだけ成長したか見せるために。

「内心」

「なんで、まだ飯出来てないんだ」
 そう言われた瞬間、私は野菜を切る手を止め、夫の腹に包丁を突き刺す。これぐらいじゃ、すぐには死なない。苦悶する夫の耳を引っ張って、私の言い分をささやく時間ぐらいはあるはずだ。急に帰ってくると言われても、料理は魔法のようにはいかない。炒め物には五分はかかるし、煮物は二十分かかる。ご飯を炊くのには四十分はかかるの。わかった? だから、ご飯ができてないのは当然なのよ。言い終わる前に、夫は失血で気絶するかもしれない。そのときは、包丁を少しひねってやればいい。ぜんまい仕掛けの人形のように、また動き出すはずだ。
「ただいまー」
 玄関から夫の声が聞こえた。そのまま、台所へと歩いてくる。ネクタイを緩めながら、廊下からひょいと顔を出す。
「わりぃ。急に飲み会中止になったんだ。飯、いつでもいいから」
「うん。わかった」
 私は満面の笑顔を返し、内心で言った。
(今夜は命拾いしたわね)

「ハラヘッタ」

 ぐぎゅると田中の腹は鳴った。
 プラグを抜いた形だけの冷蔵庫に、何もないのはわかっている。一袋十円で買ってきたパンの耳はとっくに食べ、マヨネーズもすべてなめてしまった。
「このまま死ぬんかな」
 つぶやいた。
 失業前の生活が頭に浮かぶ。飯は食いたいだけ食えた。服も買った。CDも買った。映画も観た。
 信じがたい浪費だ。服代の消費税分でもここにあれば、今日を生き残れる。
 ごろりと畳の上で転がった。きらりと光るものを目に留め、田中は叫んだ。
「おお!」
 幻覚ではない。畳の間に挟まっているのは紛れもなく、硬貨だ。赤褐色ではない、銀色だ。五十円玉でも百円玉でも、飯が食える。
 田中は動きの鈍くなってる体を叱咤激励し、部屋中を這いまわった。
 学生時分に使っていた物差しを見つけ出し、畳の隙間に差し込んだ。銀色の硬貨が勢いあまって飛び出してくる。
 田中は震える指で摘み上げた。
「百円!」
 神はまだ見捨てていない。

「魔晶」

 ニタニタと笑いながら、男がコンビニに入ってきた。
 男は手にした水晶をレジに置き、呼び止める吉雄の声など聞こえないように出ていった。
「なんだ、あいつ」
 と言って、吉雄は葉っぱのような形の水晶を手にとった。
 落とし物にすべきか、ポケットに入れるべきか。吉雄は水晶を持ち上げ、まじまじと見つめた。複雑にカッティングされた水晶は、無数の光を反射し、妖しい輝きを放っている。その奥で揺らめくものを見つけ、吉雄は水晶をとり落としそうになった。
 水晶の中で無数の顔がうごめいている。ある者は笑い、ある者は苦悶の表情を浮かべ、吉雄に向かってくる。とっさに放り投げようとした腕を止め、吉雄はぎこちなく歩き始めた。もっと目立つところを、もっと水晶を手にとってもらえそうなところを探して。
 吉雄は陳列棚の商品を払いのけ、その中央に水晶を置いた。顔を近づけ、吉雄は水晶の中を覗きこんだ。その中に自身の顔を見つけると、ニタニタと笑った。




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