「押しつけ憲法論」は成り立ち難い
「押しつけ憲法論」を構成するいくつかの論点について考えてみましたが、そもそも「押しつけ憲法だから改正すべきだ」という議論そのものが、ある歴史的な事実を無視したものなのです。
結論を先に書くと、
GHQは日本政府に、施行後2年以内に、新憲法を日本国民が見直しするよう伝えていた
ということ、そして、
日本政府も国民も、施行後2年目の1949年5月3日までに、憲法の改正をしなかった
これが歴史的な事実なのです。
(これまで1〜3に述べてきたことすべてを無視し)百歩譲って、GHQが憲法案を押しつけたのだとしましょう。しかし、押しつけたGHQが、押しつけた憲法を2年経ったら国民の自由意志で再び改正してよいというのも意外ですが、「押しつけられた憲法」を自由に改正してよいといわれて、なお、再改正をしないでおいて、「この憲法はGHQに押しつけられたものだ」と主張できるものでしょうか、おかしな話です。
あなたはどのようにお考えになりますか?
「押しつけ憲法だから改正すべきだ」という主張が、いかに歴史経過を無視した愚かなものか、ある種のイデオロギーに縛られた「頭の不自由な人々」以外には、お分かりいただけるのではないでしょうか。
以下は、このあたりの事情を資料で見るものです。
現行憲法の公布は1946年11月3日のことでした。そして、その憲法が施行に移される年の1月3日に当時の総理大臣吉田茂はマッカーサーから次のような書簡を受け取りました。
親愛なる総理
昨年一年間の日本における政治的発展を考慮に入れ、新憲法の現実の運用から得た経験に照らして、日本人民がそれに再検討を加え、審査し、必要と考えるならば改正する、全面的にしてかつ永続的な自由を保障するために、施行後の初年度と第二年度の間で、憲法は日本の人民ならびに国会の正式な審査に再度付されるべきであることを、連合国は決定した。もし、日本人民がその時点で憲法改正を必要と考えるならば、彼らはこの点に関する自らの意見を直接に確認するため、国民投票もしくはなんらかの適切な手段を更に必要とするであろう。換言すれば、将来における日本人民の自由の擁護者として、連合国は憲法が日本人民の自由にして熟慮された意思の表明であることに将来疑念が持たれてはならないと考えている。
憲法に対する審査の権利はもちろん本来的に与えられているものであるが、私はやはり貴下がそのことを熟知されるよう、連合国のとった立場をお知らせするものである。
新年への心からの祈りをこめて敬具
ダグラス・マッカーサー
袖井林二郎「マッカーサー=吉田往復書簡(一)」『法学志林』77巻4号
(古関彰一「新憲法の誕生」中央公論社から孫引き)
マッカーサーは単に「連合国の決定」と書いていますが、これは実際にはこの前年1946年10月17日のFECの「憲法の再検討規定に関する極東委員会決定」のことです。
古関の「新憲法の誕生」によれば、この決定の公表に対してはGHQのみならずアメリカ本国政府にも根強い反対があったということです。マッカーサー書簡の文面からは読み取れませんが、FECの決定だから不承不承通知をしたということかもしれません。
憲法第14条の「法の下の平等」に関連して刑法から「大逆罪」や「不敬罪」といった皇室に対する罪が削除されることになったとき、これにもっとも強く抵抗した吉田茂ですから、マッカーサーのこの書簡は渡りに舟だったはずなのですが、なぜかこの書簡にはそっけない返事を返しただけでした。
親愛なる閣下
一月三日付の書簡たしかに拝受致し、内容を仔細に心に留めました。敬具
吉田 茂
吉田茂は、2年目の期限間近の1949年4月末の国会答弁でも
極東委員会の決議は直接には私は存じません。承知しておりませんが、政府においては、憲法改正の意思は目下のところ持っておりません。
と答弁しています。(書簡、国会答弁、ともに、古関「新憲法の誕生」から)
吉田は憲法に対しては、ついに「押しつけ憲法論」の立場をとらなかったといいます。1946年5月22日から翌年の5月24日まで総理の職にあり、憲法の国会審議・公布・施行に至る全過程を見てきた経験から見れば、「押しつけ憲法論」など、ばかばかしくて取り上げる気にもならなかったのかもしれません。