0.「元号」は?・・・「げんごう」と読む

 「元号」の読み方ですが、こんな光景をみかけたことがあったので、ご紹介。

 「だいたい朝日なんか日付表記がなっとらん。なんで1999年、括弧、平成11年なんだ。日本には、ガンゴウというりっぱな呼び方があるッ。ガンゴウを使え、ガンゴウを。なにが、ミレニアムだ。なにが新世紀だ。西洋カブレいい加減にしろッてんだ」

 電車の中で、相方もいないのに一人怒鳴り散らしている男。酔っている風ではないので、かえって気味が悪いのですが・・・。

 おおかた、仕事ではいれられず、不満が高じてやたら世の中に腹を立てているのでしょう。ご同輩といえば、ご同輩なのかも知れません。

 調子をとるように膝をたたいていた新聞、取り落とした時に見たら、サンケイ新聞。

 なるほど、サンケイ新聞は「平成11年(1999年)」という表記をしていたはず。納得、納得。

 
でも、ご同輩、「元号」は、「ガンゴウ」ではなく、「ゲンゴウ」と読むんですけど・・・。

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1.元号は我が国固有の制度か?・・・中国の制度のマネ

 元号を我が国固有の文化遺産と主張したい人たちがいるようですが、残念ながら、元号というアイデアは、中国の制度をまねたもので、我が国固有というのはまちがいです。

  ただ、元号を使用しているのは、本日現在、我が国だけですから、なるほど「元号こそ我が国固有の文化」とふんぞりかえる御仁がいても無理はありません。この御仁をここでは「元号亡者」とお呼びしましょう。

北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)では、「主体」という「固有年号」を使っているというようです。ひょっとすると、これは彼の国の「国体」であり、「元号」なのかも知れません。

 中国で元号が創案されたのは、漢の武帝の時。司馬遷「史記」の「本紀:孝武本紀第十二」にその顛末が書かれています。

・・・有司(やくにん)が、「年号は天の祥瑞をもって名づけるのがよろしく、一、二をもって数えるのはよくありません。最初の年号を建元といい、次は長星(すいせい)が現れたので元光といい、その次は郊祭で一角獣を得たので元狩というのがよろしゅうございましょう」と言った。(小竹文夫・武夫訳 「史記」 ちくま学芸文庫)

 史記の「孝武本紀」は、「封禅」という儀式に関する記述に終始していますが、この皇帝神格化のプロセスの中に「年号」(元号)の話が出てきます。提案したのはお役人。「時間の流れにさえ、皇帝のご意志がはたらいている」というプロパガンダを民衆の生活にもぐり込ませるというのは、たしかに巧妙なアイデアではあります。皇帝の権威を高める提案で、皇帝も悪い気はしない、提案者はこれで皇帝のおぼえがめでたくなる。いつの時代にも、巧妙に上役に取り入る小利口な人間はいるものです。

 さて、本論。これを読むだけでは読みとれませんが、注釈によると、最初の元号「建元」は、武帝の統治の初めにさかのぼってつけられたもので、紀元前115年(?)あたりであるということです。


 我が国で元号が使われるようになったのは一番早いところをとっても645年のことですから、遅れること数百年ということになります。

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2.我が国の元号制度は連続しているのか?・・・初期に中断あり

 我が国の最初の元号を「大化」とすると、この答えは「ノー」ということになります。

 元号維持論者の「元号という制度は千三百有余年にわたって連綿と続いてきた伝統のある制度」という主張には、残念ながら、「キズ」があります。

 詳しくは書きません(書けないという方が正しいが・・・^^;)が、「大化」(645〜650)から「大宝」(701〜704)に至るまでに元号がない期間が存在します。「白雉」「朱鳥」という実在が疑われている元号をあげている本がありますが、これをその主張通りに認めたとしても、天智天皇・天武天皇の在位期間には元号のない時期があり、そのすきまを埋めることはできないようです。

 なんのエクスキューズもなく元号制度の不断なる継続を主張できるのは、「大宝」以降のことです。

 まあ、これは元号制度が中国の制度の模倣としてスタートした以上、不可避的に発生した「初期故障」の類と考えれば、いかにも「ありがちな話」ではありますが、なんでも「我が国固有」を主張なさる「元号亡者」の方たちにはいかにも残念無念なことかもしれません。

<この項終わり>

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