入江相政日記:沖縄メッセージ関係(引用部はいずれも昭和54年)

 「世界」の記事は沖縄関係者にとっては聞き捨てにはできないものだったようで、国会の委員会質問で取り上げられ、その余波は宮中にも及んだもののようです。入江日記にはその関係の記述がほんの少し載っています。
五月二日(水)  曇  適  六、○○  一一、○○
 安眠。でも暁方、いくらか早く目がさめてしまつた。九時前、津田さん来てくれる。十時に宮殿に出御の直後、拝謁。今日の午餐について申上げる。そのあと長官拝謁。瀬長議員質問の例の寺崎・シーボルトの件につき申上げる。午餐の前にキユーバ大使夫妻、万博の時お会ひになつたが、殊に夫人もその時居たといふこと。ルーマニアには東宮様御訪問の件は仰せにならぬやう、アフガンは王制打ちこはし時のクーデターの人のことなど申上げる。皇族は高松宮同妃、予の隣はルーマニア大使、楽しかつた。井筒(□□)君来、原稿の依頼。五時の迎へで栗原氏の招きで北沢氏と一緒に蛎殻町の喜代川。白焼き蒲焼、おいしかつた。八時過、帰宅。九時過、入床、安眠。

五月四日(金)  晴  適  五、三○  一一、○○
 園子さんが来てくださる。昨日はわりに機嫌がよかつたのに、今朝はまたいけない。あとから電話をかけてもひどいもの。今日、主婦の友が茶碗や何かをとりに来るといふのも、いけないらしい。吹上へお召で出る。沖縄の瀬長の質問に関してのこと。宮殿で御参内の三笠宮に御挨拶。富張さんにも。長官室へ行き沖縄のこと、皇后さまについての発表の件(否定)。長官からは湯川さんの進退について相談を受ける。午后、歳時記にサインする。主婦の友の高村君、打合せ。沖縄問題について会議といふことだつたが、長官から電話で今日はやめとのこと。五時過、帰宅。園子さん、いろいろな御馳走をつくつてゐて下さる。予が先に指圧。左眼、黒眼わきに小さな出血。山田さんが見つけて下さる。安眠。

五月七日(月)  晴  適  五、○○  一○、三○
 いい気持ちで起きる。君子は園子さんの鳥飯、予は令ちやんのドライカレー飯で二人とも楽しく朝食。蚕始の為、皇后さまもお出ましにつき、十時十分前にお上も宮殿にお召。そこでお召とのこと。拝謁。シーボルトが寺崎を通じて蒋介石が日本占領を降りたにつき一寸うかがつた。それでイギリスはその力なし、アメリカに占領してもらふのが沖縄の安全を保つ上から一番よからうと仰有つたと思ふ旨の仰せ。すぐ長官に報告。とつてかへして、すべて長官に話した旨申上、序を以て、この間から仰せの皇后さまのこと、やはり従来通りがおよろしからうと皆申上げる旨申上げる。午后早々、理髪。仁平君、河原さんをつれてくる。猪瀬さんからの額装の件。四時に出て久々、加藤さんの運転で主婦の友。木の芽田楽について。予のスナツプも。夕食。六時半から指圧。続いて君子。すつかりいい気持ちになる。

五月十日(木)  曇  適  五、三○  一一、○○
 曇つてゐる。出勤。まもなくお召しといふことで宮殿へ出る。この間からの沖縄のことなどについての仰せ。その後帰室。庁内の人の宮中歳時記の署名三十部程。あつといふ間にやつてしまふ。続いて月次、木下闇の短冊。午后早々宮殿。昨日につづき一時、二時十五分、三時半の三回、春秋と豊明殿。その間にも、一、二度お召で拝謁。勲章も今日の分はすつかりすんだ。あとは相撲。六時前に赤プリ、出版記念会。冨田長官、山本次長、仁平みんな来て下さる。荒垣、田実、池田弥三郎、福田清人、春日野みんなほめてくれる。田実さん曰く、入江さんの元気なうちに、かういふことうんとやつて皇室と国民とを結びつけなければならない。アメリカの時、非常にみんなで心配したが、そのうちの四、五人、入江さんがついてゐるから大丈夫だらうといつてゐたとのこと。長官と一緒に歩いて帰る。木の花のにほひ。安眠。
 センシティブになりながらも、この時既に三十数年を経ていることもあり、スジの通らぬ理屈をつけて合理化している様が手に取るように見えて、なかなか興味深いものがあります。

 いずれにしても、天皇にとって、沖縄はあくまで沖縄であって、けっして九州や四国のように切り離すことのできない日本の一部とは思っていなかったということなのでしょう。そして入江にとってもその認識はほとんど同じものだったということがよく分かります。(「園子さん」−お嫁さんかな?−に敬語を使っているところが可笑しい。よほどに怖かったのでしょうか?)