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株式会社求人ジャーナル

信濃ワイン |
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| 塩尻はワインの産地 |
桔梗ヶ原のぶどう畑
「玄蕃之丞」伝説にもあるように、明治時代以前の「桔梗ヶ原(ききょうがはら)」は、見渡す限りの原野だったといわれている。「善光寺街道名所図会」(豊田利忠編)にも、洗馬宿から郷原宿に至るまでの道筋の光景について、不毛の地…郷原宿までの間人家なく…、と記している。人を化かすような「キツネ」が出てきてもおかしくないような荒れた台地だったらしい。
その「桔梗ヶ原」に開墾が始まったのは、明治に入ってからのこと。しかし、奈良井川上の台地にある「桔梗ヶ原」では、水脈に至るまでかなり深くまで井戸を掘り進めなくてはならず、また松本平特有の冬の寒さに阻まれるなど、予想していた以上に入植者たちを苦しめる難事業だったという。
「ぶどう」の栽培が始まったのは、それから約ニ十年後の明治 23年のこと。雨が少なく、紫外線も適度に多い塩尻の気候が、「ぶどう」栽培には適していたことだったという。だが、冬の寒さは他の「ぶどう」の産地とは比較にならないほど厳しいもので、従来からの「ぶどう」の苗ではなかなか育てることができず、海外から苗を取り入れるなどの工夫も多かったという。現在、塩尻市周辺で栽培されている「コンコード」や「ナイアガラ」などは、何れも塩尻とよく似た気候の地方で栽培されていた品種を参考にしたものである。
因みに「ワイン醸造」が始まったのは、大正時代に入ってからのこと。現在も活躍されている市内の主なワイナリーについては、以下のリンク先を参照にしてほしい。
<写真について>
… 左と右上は「桔梗ヶ原」の「ぶどう」畑で撮影したもの
… 右下は「五一わいん」の創始者・林五一氏の記念碑 |
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| いづつワイン | 五一わいん |
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| 信濃ワイン | 長野県立塩尻志学館高校 |
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